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未来編:Sugar 2

久し振りに先輩と会ってから、数日が経った。
真田先輩とは、あの日から会っていない。
練習は勿論、取材とかスポンサーや関係各所への挨拶回りとか、いろいろあるみたいだし、しょうがないと思う。
でも、会えなくても電話やメールはしてるわけだし、何より、会おうと思ったら会える距離にいる。
遠征してて物理的に会えないわけじゃないし、近くに居るだけでも嬉しいから、それで充分幸せなんだ、私は。

「……ねえ。それ、そうやって自分に言い聞かせてない?」

ファーストフードでポテトを口にしながら、呆れ顔でゼミの友達が言う。
その言葉に、私は目を瞬かせた。

「別にそんなことないよ。近くに居るんだって思うだけでもほんと幸せだから、私はヘーキだよ」

ははっと笑って、彼女の言葉を否定する。
それは強がりでもなんでもなくて私の本心からの言葉なんだけど、友達は全く理解出来ないようだ。
彼女は眉をひそめて腕を組みながら、大きな息を吐いた。

「でもさあ、近くに居ても遠くに居ても、会えなかったら一緒じゃん。それに普段あんまり会えない分、余計に近くにいて会えそうな時は会っとかないといけないんじゃない?」

……うう、確かに、それはそうかもしれないけど……。

「でも、先輩だって別に暇してるわけじゃないんだしさ。しょうがないよ、先輩、忙しいんだもん」

苦笑しながら私が言うと、彼女はまた、小さな溜息をついた。

「もー、他人事ながら心配になるわ。……しょーがないな」

ごそごそと鞄をあさり、彼女は自分の鞄からなにやら一枚の封筒を取り出すと、私に見せた。

「何それ?」
「これ、にあげる。彼、誘ってみれば? まだもうちょっとの間、国内にいるんでしょ?」

そう言って差し出した彼女の手から、私はその封筒を受け取った。そして、既に封が開いていたその封筒に指を入れて、中に入っていた紙きれを引き出す。
それは、映画のペアチケットだった。しかも、今度の土曜日の、舞台挨拶付きのチケットだ。

「え、いいの?」
「うん、もともと当たればラッキーくらいに思って応募したんだけど、当たったもののこの日に用事が入っちゃって、どうしても行けなくなってさ。せっかくの舞台挨拶付きだし、空席作るのも気が引けるから、活用してよ。……アンタんとこの忙しい彼が行ければだけどさ」

そう言って、彼女は笑った。

「ほんと? いいの?」
「いいっていいって。私にはもう行けなくなっちゃったものだしさ。アンタにあげなきゃ、他の人にあげるだけだから」
「ありがとう、すっごく嬉しい!! 本当に本当にありがとう、絶対に何かお礼するね!!」

何度も何度もお礼を言いながら、私はそのチケットをまじまじと見る。
この日ならまだ先輩日本にいるって言ってたし、土曜日なら普通だったら練習は無いはずだ。
しかもこれ、歴史ものの映画だ。先輩も興味あるかもしれないなあ。
二人で映画なんてすごく久し振りだし、一緒に行けたらすごく嬉しい!
先輩、この日空いてるといいなあ。
そんなことを思いながらちょっと興奮気味にチケットを見つめていると――急に、テーブルの上に置いていた私の携帯が震えた。

「あ、メールだ」

貰ったチケットを無くさないように封筒に入れ直してから、大事に鞄に仕舞う。
そして携帯を手に取ると、軽い調子で操作しメールを開いた。
――あ、先輩からだ!!

「……どしたの? 彼?」
「うん!」

彼女の問いに笑顔で頷き、私はそのメールに目を通す。
それは、今日の夜、また私のアパートに行ってもいいだろうかという内容だった。
そんなの、良いに決まってる!!
慌てて彼に了解のメールを打ち、送信すると、またすぐに返事が返ってきた。
大体の時間と、この間押し掛けたばかりなのにすまない、という彼らしい言葉。
そんなこと気にしなくていいのに。私は、会えるだけで嬉しいんだから。

「彼、なんて?」
「今夜会おうって」

彼女にそう返しながら、私は携帯を仕舞う。

「そっか、良かったね。その映画のこと、早速言えるじゃん」
「うん! ありがと!!」

そして、それから三十分ほどお喋りを続けて、私はその子と別れた。


その日の夜、彼は時間通りにやって来た。
前みたいに一緒にご飯を食べて、私たちはまた、お茶を飲みながらお喋りをする。

「……この間来たばかりなのに、本当にすまないな」

苦笑して言う彼に、私は首を振る。

「ううん、私は先輩と会えるの、嬉しいです。……先輩と会えるなら、毎日でもいいくらいですもん」
「……毎日、か」
「はい、毎日でも!!」

思わず力説しながら、恥ずかしくて顔が熱くなった。
私ってば何言ってるんだろ、もう。

「あ、でも、無理だってわかってますし! 先輩は忙しいんだから、無理しないで下さいね。私、もう子どもじゃないですし、ちょっとやそっとの間会えないからって昔みたいに泣いたりしませんから!!」

そう言って、私は恥ずかしいのをごまかすように笑う。
すると、彼は微笑ましそうに優しく笑みを浮かべ、無言でじっと見つめてきた。
……こ、こうやってじーっと見つめられると、やっぱ緊張するなあ……えと、えと……ど、どうしよう……。
なんとなくこの雰囲気に耐えられなくなって、私は大袈裟に音を立てて立ち上がった。

「あ、あの、先輩。もし行けたらでいいんですけど、映画とか行きませんか!?」

鞄から封筒を取り出すと、今日貰ったばかりのチケットを取り出して彼に見せた。

「今日、友達から貰ったんです。歴史ものだし、良かったら一緒に行きませんか? 日は決まってるんですけど……」
「ふむ、そうだな。久し振りに映画というのもいいかもしれん。いつだ?」

彼にそう尋ねられて、私はチケットを見る。
えっと――日付は確か……。

「十二日、ですね」
「……十二日? 十二日というと――今度の土曜日、か?」

そう言って彼は少し難しい顔をしながら、自分の鞄から手帳を取り出した。

「あ、はい。そうだと思います」

私が頷くと、彼は手帳とにらめっこしながら、眉間に皺を寄せて唸るような声を出す。
もしかして先輩、この日無理なのかな。

「それはこの日しか無理なのか? 他の日では?」
「舞台挨拶付きの券なので、日にちは決まってるんです。先輩、無理そうですか?」

窺うように、彼の顔を覗き込む。
すると彼は、手帳を閉じて申し訳なさそうな顔で私の顔を見た。

「……すまない。この日は、どうしても動かせない用事が出来てしまってな……」

……やっぱり、無理なんだ。そっか、残念だけどしょうがないなあ。まあ、急過ぎたよね

「本当にすまないな、。また、埋め合わせをさせてくれ」

そう言って、彼はゆっくりと頭を下げた。
慌てて私は手を横に振る。

「そんな! 気にしないで下さい、用事があるんじゃしょうがないですし。映画はでも誘って行きますから!」

手にしていたチケットを封筒に仕舞い直してテーブルに置くと、私は笑った。

「土曜日だから練習はお休みかと思ったんですけど、予定外の練習でも入りました? それとも、試合とか入ってましたっけ」

それは、特に意図もなく、なんともなしに聞いた質問だった。
けれど、一瞬――本当に一瞬、彼の動きが止まった。

「ん? あ、ああ、いや――」

彼はぱちぱちと瞬きをし、少し曖昧な返事をする。

「あ、テニスとは関係ない用事ですか?」
「――まあ、な、なんというか、そうだな……」

今の彼の態度と口調に、なんだかちょっと引っかかるものを感じた。
不思議に思って、私は彼の顔をじっと見つめる。
しかし、彼は私の視線から逃れるように、さっと視線を逸らした。

「……う、うむ。少々、人と会うことになっているんだがな……」
「あ、そうなんですか」

頷いて、私はまた彼の顔を覗き込む。
逸らしたままの彼の視線は、なんだかとても不自然に見えた。
――先輩、今、私に何かを隠した。
隠し事とか得意な人じゃないから、こういう時ってほんと分かっちゃうんだよね。
でも、言えないのには何か理由があるんだろうし、これ以上は聞かない方が良さそう、かな。……気になるけど。

「それじゃ、また時間があるときに、どこかに行きましょうね!」
「あ、ああ……また、そのうちにな」

そう言って、彼が不自然な咳払いをし、私たち二人の間に妙な沈黙が流れた。
うう、なんか変な雰囲気だなあ……。
少し息苦しく感じた、その時――彼が、唐突に話を変えた。

「そ、そうだ、、この前見せてくれた箱――あの、俺が贈ったものを全部仕舞っていると言っていた箱のことなんだが……」
「アクセサリーボックスですか?」
「ああ、あれをもう一度、見せてもらってもいいだろうか」
「あ、はい。いいですよ、ちょっと待って下さいね」

私は立ち上がってアクセサリーボックスを手にすると、それをテーブルの上に置く。

「これが、どうかしましたか?」

そう言いながら、私は蓋を開けた。
中には、彼から貰ったアクセサリーや小物が、所狭しと収められている。

「……少し、中を見てもいいか?」
「はい、勿論どうぞ」

私が頷くと、彼はゆっくりと箱の中のものを触りだした。
ひとつひとつ丁寧に出しては、中身を確認するように見つめ、箱の脇に置いてゆく。
まるで、何かを探しているみたいだ。

「……何か見たいものでもあるんですか?」

私がそう尋ねると、彼がびくりと肩を震わせた。

「……う、うむ……その……あ、ああ、こ、この前の土産をな」
「あ、この前のなら、えーと……その袋じゃないかな」

そう言って、私は彼の前にあるアクセサリーボックスに手を伸ばし、青色の袋を手にする。

「これだと思いますよ」

袋を開いて、中からこの間のネックレスを出すと、私は掌の上に載せて彼に見せた。

「綺麗な石ですよね、今度どこか行くときに早速着けていこうかな。本当にありがとうございます」
「う、うむ」

頷きながら、彼はそれを手に取る。しかし、なんだかその視線は妙に泳いでいる気がした。

「これが、どうかしたんですか?」
「ああ……そ、その、なんというか。同じようなものを買ってきてはいけないから、もう一度確認しておこうかと思っただけだ」

そう言って、彼は咳払いをする。
そんな彼の様子に、なんだか分からないけどものすごい違和感のようなものを感じながらも、私はそのまま会話を続けた。

「例え全く同じものでも、私は気にしませんよ? 先輩がくれたものは全部宝物ですから」
「い、いや、そういうわけにはな……。と、とにかく、ありがとう。今度こそ、きちんと憶えておく」

彼はそう言うと、私の手にそれを返した。
元の袋に仕舞いながら、私はまた彼を窺うように見つめる。
やはり、さっきから彼の様子がなんだかとてもおかしい気がする。
それからもう少しだけ私たちは話していたけれど、彼の態度はやっぱりどこか不自然だった。
まるで何か気にするように視線を泳がせるし、話し掛けても聞いてないことが何度かあった。
どうしたんだろう。今度の土曜日の話をしてからずっと、先輩、ものすごく様子が変だ。

「……先輩、今日、ちょっと上の空ですね。何か気になることでもあるんですか?」

どうしても気になって、私は尋ねた。
しかし、彼はぱちぱちと瞬きをして、引きつるような笑みを浮かべる。

「そ、そうか? いや、そんなことはないが……」

すっごくわざとらしい笑い方……うん、やっぱりおかし過ぎる。絶対、変。
すると、そう思っているのが伝わっちゃったのか、彼は私から顔を逸らして、慌てて立ち上がった。

「ああ、そうだな。昨日は寝るのが少々遅かったから、そのせいかもしれんな。……少し早いが、今日はそろそろ帰ろう」

笑って言うと、彼は慌てて帰る準備を始める。

「え、もう帰るんですか?」
「ああ。明日は一日予定が詰まっているからな」

そう言い終わった頃には、彼はもう帰る準備を終え、コートを羽織っていた。
そして玄関に向かった彼を、慌てて私は追いかける。
まだ時間は、二十一時にもなっていなかった。

靴を履き、私たちは外に出た。
慌しく「帰る」と言いだした彼が気になり、そっと私は無言で彼を見上げる。
すると。

「……そ、そうだ。すまない、中に忘れ物をした」

そう言って、彼は自分の鞄を私に差し出した。

「すぐに取ってくるので、すまないがこれを持ってここで少し持っていてくれるか?」
「あ、はい」

頷いてそれを受け取ると、彼はそのまま中に戻ってしまった。ぎゅっと彼の鞄を握り締め、私は溜息をつく。
――なんだろう。今日の先輩、本当になんだかおかしいと思う。
でも、それは私には言えないっぽい感じだ。
先輩が私に隠し事するなんて、ほとんど無いんだけどなあ。
嘘とか隠し事とかは、昔からどちらかと言えば嫌いな人だし。
私は、思わず大きな溜息をつきながら、まだ戻ってこない先輩を窺うように玄関口から中を覗いた。

「先輩、ありましたか?」

声を掛けても、中から返事は返ってこない。どうしたんだろうと思って、玄関の中に足を踏み入れる。

「真田先輩?」
「あ、ああ大丈夫だ。今行くからそこで待っていてくれ!」

奥から先輩の慌てた声が聞こえてなにやらバタバタと音がしたかと思うと、すぐに彼が中から飛び出すように出て来た。

「待たせたな、

笑ってそう言いながら、彼は私の手から鞄を受け取る。
そして。

「慌しくなってしまって、すまなかった。それでは、またな」

そう言うと、彼はそのまま帰ってしまった。


彼の姿が見えなくなるまで見送ってから、私は部屋に入る。
テーブルの上に出したままになっていたアクセサリーボックスを片付け、元の場所に仕舞いながら、私は先ほどの彼の様子を思い出していた。
あんなに様子がおかしい先輩は、本当に珍しい。最後の方なんて、挙動不審なんてもんじゃなかった。
一体、どうしたんだろう。私に何を隠してるんだろう。
気になって仕方がない気持ちを抑え込むように、私は胸の辺りをぎゅっと握り締めた。

◇◇◇◇◇

あのことは結局解決しないまま、映画の日がやって来た。
せっかくのチケットを無駄にするのが勿体無かったので、私はを誘って一緒に見に行くことにした。
会場は東京だったから少し遠出になっちゃったけど、と二人で映画っていうのも久々だ。
地元で待ち合わせて東京まで出てくると、私たちは映画を楽しんだ。

「なかなか面白かったね、
「うん、歴史ものだから、もっと重ーい感じなのかと思ってたけど、テンポもよくて見てて飽きなかった。舞台挨拶も観れたし、ラッキーだったよね!」
「ねー、主役の人かっこよかったー! チケットくれた人にお礼言っといてね!」

昼過ぎに映画が終わって、私たちは早々に映画館を後にする。せっかくこんなところまで来たのだし、買い物でもして帰ろうという話になっていたのだ。

「ね、。どうする? まずはお昼食べたいよね」
「そうだね、おなか空いちゃった!」
「じゃあ、一旦駅の方まで戻ってみようか。さっき来る時、途中に美味しそうな店何軒かあったし」
「うん、そうしよ!」

そんなことを言い合い、私たちは、飲食店を物色しながら駅に戻ることにした。

「ね、あのイタリアンのお店とかどう?」
「あっちの洋食のお店も美味しそうだよ!」

いろんなお店を見つけては、こっちはどうか、あっちはどうかとお喋りをし合う。美味しそうな店がありすぎて、私たちはなかなか決められなかった。
とはいえ、こうやって迷いながら話してる時間が、一番楽しいんだけどね。

「この辺り、美味しそうなお店ありすぎじゃない? 目移りしちゃうね、
「うん。もうどこもほんと美味しそうで困っちゃうよね」

そう言いながら、またきょろきょろと辺りを見渡す。
すると、少し進んだ先に、とてもオシャレなオープンテラスのカフェを見つけた。
今日は風もなくてそこまで寒くないし、とっても天気もいいから、オープンテラスっていいかも!

、あのお店も素敵だよ!」

そう言って、私が側にいるの肩を叩いた――その時。
私の目に、とてもよく見知った顔が映った。

「……先輩?」

思わず、私は足を止める。
カフェの端の方に一人で座ってるあの男の人、真田先輩に似てる……。

「どうしたの、?」
「うん、ねえ……あれって真田先輩に見えない? あのカフェのオープンテラスの端の方で、柱に近いとこに一人で座ってる人」

問い掛けてきたにそう答えて、私はその方向を指でさしながら、ぐっと背伸びをした。
すると、も片手をひさしのように額に当て、私と同じように背伸びをしてそちらを見つめる。

「あの白いシャツの人?」
「うん、そう。周りの人より頭ひとつ分くらい大きい人」

私の言葉を聞きながら、はもう一度そちらを覗き込む。
そして。

「うん、真田先輩……に見えるね」

呟くように、は言った。
やっぱり、そうだよね。先輩、こんなところで何してるんだろう。
そういえば、誰かに会う予定だって言ってたっけ。ここで会う約束してたのかな。

、声掛けてみれば? 真田先輩、驚くんじゃない?」

が笑って私の肩を叩き、言う。

「でも先輩、誰かに会うんだって言ってたんだよね。邪魔になっちゃ悪いしなあ」
「誰か? 誰かって誰?」
「さあ……それは知らないんだけど……」

結局、それは教えてくれなかったし、私もなんか聞きそびれちゃって聞けなかった。
ほんと、一体誰に会う予定なんだろう。
それに、あの日の先輩の様子はとってもおかしかったっけ――もしかして、関係あったりするのかな。
なんだかとても気になってしまって、立ち止まったまま私はじっとその様子を見つめていた。
それから数分が経ち、やっと彼のテーブルに、もう一人の人影が現れた。あの華やかな雰囲気に、少し外に跳ねた髪型――あれって……もしかして、跡部さん?

「ねえ、。今来たの、跡部さんじゃない?」

私が何か言うより早く、が私に問い掛ける。

「うん、跡部さんだよね」

頷いて、私はもう一度まじまじと先輩たちの方を見つめた。
先輩と跡部さんは同じテーブルについて、なにやら話を始めている。
ここからでは、流石に何を話しているのかまでは分からないけれど。

人と会うことになっていたって、跡部さんのことだったんだ。
だったら、跡部さんと会うんだって言ってくれれば良かったのに。
跡部さんだったら知らない人じゃないんだし――ていうか、むしろよく知ってる人なのに、なんであの時あんな曖昧な言い方でごまかしたんだろう。

こないだの彼の不自然な態度が再度脳裏に蘇り、私はなんだかまたもやもやとした気分になった。
すると、そんな私の様子を感じ取ったのか、が気にするように問い掛けてきた。

「どうしたの、
「……こないだ会った時、先輩、なんかおかしかったの」

私は、こないだ彼が来た時の話――妙に挙動不審だったことや、慌てて帰っちゃったことを、に話した。

「今日のことだって、相手が跡部さんなら言ってくれても良かったのに、なんで隠したんだろう。別に、知ってる人だからって着いて行きたがったりなんてしないのに」
「うーん、の誘いを断って会うのを悪いと思ったんじゃないのかな」
「そっかな……」

呟くように言って、私はまた、彼の方を覗き込む。
跡部さんはカフェのテーブルに軽く肱をつきながらニヤニヤとしていて、先輩は腕を組みつつ、そんな跡部さんから視線を逸らしている。
あの雰囲気じゃ、テニスの話ではなさそうだ。
あの二人がテニスの話をしている時は、あんな和やかな感じじゃなくて、もっと二人とも殺気立っているっていうか、すごく好戦的な雰囲気だもん。

、気になるなら、もっと近くに行ってみる?」

から声を掛けられ、私は少し考えたけど、すぐに首を横に振った。
――気にはなるけど、盗み聞きはやっぱり良くない気がする。
彼のこと信じてないみたいで、なんか嫌だ。

「やめとく。また今度、先輩に直接言ってみるよ。こないだ東京のカフェに跡部さんと居たでしょって」

そう言って、私は笑って続けた。

「もう、行こ。こうしてても、しょうがないし」
「いいの?」

少し眉をひそめながら、が気にするように言う。

「うん、いい、いい! 先輩のことだから、が言ってくれたように、何か気を遣ってくれたのかもしれないしさ」
「かもね、真田先輩ならその可能性高いと思うよ」
「あ、でも先輩に見つかるのちょっと気まずいから、この道避けてあっちから行っていい?」
「そうだね、そうしよっか」

そう言って私たちがその場を離れようとした、その時。
彼らのテーブルにもう一人新たな人が現れた。
それは、長身でとても綺麗な――私の全く知らない、女の人だった。
思わず再度私たちは足を止める。

「もう一人、居たんだ。……、あの人知ってる?」
「ううん、全然知らない人……」

一体誰だろうと思っていると、その女の人に、跡部さんが座ったまま軽く手を挙げて会釈をした。
そして、今度は真田先輩が立ち上がり、その人に向かって何度も何度も頭を下げ始める。
その様子を見た女の人が、くすりと笑って妙に落ち着かない先輩に何か声を掛けると、彼は頭を掻きながら席についた。
その表情は、なんだかとても照れたような感じだ。心なしか、顔も赤い気がする。
他の女の人に、あんな顔する先輩――私、知らない。見たことない。なんか、やだな……。
ちくりと痛んだ胸をぎゅっと抑えながら、私は尚もそのテーブルを見つめる。
やがてその女の人もまた、先輩と跡部さんの対面の席に腰を下ろした。

めちゃくちゃ綺麗な人だけど、どこかの雑誌の記者さんとかなのかな。
跡部さんと一緒にインタビュー受けるとか?
でも、雰囲気があんまりスポーツ雑誌の記者さんって感じじゃない。
芸能雑誌とかファッション雑誌とかならまだ分かるんだけど、先輩、あんまりその手の雑誌の取材は受けるつもりは無いって前言ってたしなあ……。

三人は、店員さんに何かを注文した後、そのまま何か話を始めた。
真田先輩がなにやら口を動かしている途中で、たまに跡部さんが茶々を入れるのか、先輩は何度も跡部さんの方を睨みつける。
でも、その表情はやっぱりなんだかとても照れたように赤くて――まだまだ初々しかった中学や高校の頃に、私とのことをからかわれた時のことを思い出すような、そんな表情だ。
最近は結構受け流したりもしてるから、こんなに必死になっている先輩は久し振りに見た気がする。

――そんなことを思って、私がもやもやした気持ちを抑え込むように胸の辺りをぎゅっと掴んだ、その時。
彼が立ち上がり、跡部さんに向かって大きな声で叫んだ。

「うるさい! お前はもう帰れ!!」

それは、少し離れたここでも聞き取れるような、大きな声だった。
周りの席に座っていた人もびっくりして振り返り、先輩のほうを見ている。
彼は、すぐにはっとして頭を下げながら座りなおしたけど、それをまた、跡部さんに茶化されたみたいだ。
隣に居る女の人も、楽しそうにくすくすと笑っている。

今、先輩、跡部さんに「帰れ」って言った……よね。
跡部さんに帰れって言ったってことは、「今日会う予定だった人」は、もしかして跡部さんじゃないの?
そっちの女の人の方なの?
それを私に言わなかったのは――どうして?
胸のもやもやが、どんどん大きくなってゆく。
彼が浮気をしてるとか、そこまで思ってるわけじゃないけれど――あんな顔して、私に内緒で知らない女の人と会っている真田先輩なんて、これ以上見たくなかった。

「……もう行こう、
「え、、いいの?」
「うん、いいの。また今度聞いてみるから」

そう言って、私はその場から逃げるように駆け出した。
結局、その後のお昼ごはんも買い物も、私はなんだか上手く楽しめなかった。は気にしないでって笑ってくれたけど、悪いことしちゃったな。


あれ以降先輩と会う機会はなく、そのまま彼はまた国外に遠征に行ってしまった。
あの日のことはすごく気になるけれど、直接会えはしなくても、彼は今までと変わりない頻度で連絡を入れてくれている。
うん、いつも通りの先輩だ。きっとあれは何かのお仕事だったんだ。
そう自分に言い聞かせながらも、なんだかもやもやしたまま、私は変わらない日々を過ごした。

初稿:2009/06/09
改訂:2010/05/19
改訂:2024/10/24

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