「それじゃ、また買ったらこの辺に戻ってきますね」
「タコ焼きの方が人少ないから、赤也君たちの方が早いかな。その時は先食べててくれていいからね!」
明るい声でそう言うと、女子二人はそのままクレープの列へと並びに行った。
それを見送り、残った三人もタコ焼きの列につく。
タコ焼きの方は列と言うほど並んでおらず、更にタコ焼き屋はある程度「焼き貯め」してあるらしく、進んでしまえばあっという間だった。
「にーちゃんたち、ありがとね〜」
気さくそうなタコ焼き屋の店主に見送られ、三人はそれぞれ一つずつタコ焼きのトレイを手にして、店から離れる。
「とはまだのようだな」
クレープの列を見つめ、柳が言う。
真田もまた、そちらをちらりと一瞥して、頷いた。
「ああ、そのようだ。どうやら、もう少し掛かりそうだな」
真田がそう言った瞬間。
騒がしい祭りの喧騒の中に、単調な電子音が混じって響いた。
「あれ、携帯鳴ってません?」
そんな切原の声に、真田はふと自分の携帯に視線を落とす。
しかし、鳴っている様子は無い。
そういえば、音も聴き慣れた自分のものとは微妙に違うようだ。
自分のではないらしいことを確信して真田が顔を上げると、柳がタコ焼きのトレイを持ち替えながら、空いた手で携帯を引っ張り出そうとしているのが目に入った。
「蓮二、持とう」
「ありがとう、頼む」
柳はそう言って頷くと、タコ焼きを真田に渡して、自由になった手で携帯を取り出す。
そして、携帯のディスプレイを覗きこむと、おや、と呟くように言った。
「……精市からだ」
「え、部長からっすか?」
「幸村なのか?」
切原と真田の声が重なる。
それに無言で頷き、柳は携帯のボタンを押して、耳に押し当てた。
「もしもし、精市か? ……ああ。今、祭り会場にいるぞ」
彼は、電話の向こうの幸村と笑顔で話し始める。
「ああ、概ね予定通りだ。とは今クレープを買いに行っているが、弦一郎と赤也は側に居る。……ああ、今日こそは大丈夫だろうと信じたいところだがな」
そう言って、柳は真田に目線をやった。
にやりと笑うその表情と、「今日こそは大丈夫」という言葉。
なんとなくその裏に隠されているものの予想がついて、真田は少しばつが悪そうに視線を外した。
――すると。
「ん、弦一郎にか? ……わかった、換わろう」
唐突に、柳がそんなことを言った。
慌てて真田が柳を見やると、柳は自分の携帯を耳から離し、それを真田に差し出した。
「……弦一郎。精市が、お前と話がしたいらしいぞ」
柳はにっこりと笑うと、預けていたタコ焼きのトレイを真田の手から引き取り、代わりに自分の携帯を押し付けるように彼の掌に置く。
そして、続けざまに真田の分のタコ焼きのトレイも奪い、今度は真田の両手を自由にした。
「す、すまん蓮二」
「ああ」
柳が笑顔で頷くと、真田は彼の携帯を持ち替え、そっと耳に当てる。
そして大きく息を吸い、妙に緊張しながら、ゆっくりと話し始めた。
「……もしもし。真田、だ」
『やあ、真田。ちょっとぶり、かな?』
電話の向こうから、聞き慣れた親友の明るい声が響いた。
「ああ。……どうやら元気そうだな、良かった」
『ああ、俺は元気だよ。大丈夫。ていうか真田こそ大丈夫なのかい? 今日は俺の心配してる場合じゃないんじゃない?』
幸村の意味深な言葉に、真田は思わずどきりとする。
そういえば幸村も既に知っているのだったと、改めて気付く。
幸村とは小学校以前からの付き合いがあるが、こんな自分の色恋に関する話は全くしたことが無い。
何を言えばいいのかわからず、真田はただ携帯を握ったまま黙りこくる。
そんな真田が微笑ましいのかおもしろいのか、幸村は電話口の向こうでくすりと笑った。
――そして。
『真田、さんのこと、好き?』
唐突に彼は言った。
余りにも直接的な問いかけに、真田の心臓が一気に速度を上げる。
思わず出そうになった変な咳をぐっと堪えて喉を鳴らすと、改めて真田は気持ちを落ち着かせるために咳払いをした。
「……お、お前はもう、知っているんだろう」
『そりゃあね。あんなにいろいろと分かりやすかったら、すぐに気付くに決まってるだろ。一体何年の付き合いになると思ってるのさ』
そう言って、電話の向こうで彼ははけらけらと陽気な笑い声を上げながら、言葉を続ける。
『でもさ、真田の口からちゃんと聞きたいんだよ。今まで散々心配かけたんだから、それくらいしてくれてもバチはあたらないんじゃない?』
むう、と小さな声を上げて、真田は困ったように眉根を寄せた。
言いづらい。それが、正直なところだった。
しかし、幸村はだいぶ前から――それこそ、自分自身が気づく前からこの気持ちを知っていて、その上で心配してくれたり、気を遣ってくれたりしていたのだ。
思い返せば、県大会のお見舞いの日、彼女を送るよう促したことも、あの買出しの日、終わった後で彼女と二人で見舞いに来いと電話をくれたことも、彼なりの心遣いだったに違いない。
そして他にも、きっと自分の知らないところで気を遣ってくれたことがあったのだろう。
そんな彼に、完全に固まった今の自分の気持ちを報告する義理は、確かにあるのかもしれない。
真田は何度も何度も咳払いをすると、やがてゆっくりと声を出した。
「……ああ。好き、だ」
どこかおぼつかない、とても小さな声だった。
ほんの少し、真田は沈黙する。
こんな調子で、本当に彼女を目の前にして言えるのか。
こんなに情けない、弱弱しいものでは駄目だ。
もっと、もっとだ――
自分自身に言い聞かせるように思いながら、真田は顔を上げた。
そして、今度はもっと力強く、同じ言葉を繰り返した。
「俺は、が好きだ」
その瞬間、ずっと側にいて電話に聞き耳を立てていた切原と柳が、嬉しそうに表情を弾けさせ、顔を見合わせた。
それから少し遅れて、電話の向こうの親友の、あたたかく笑うような声が耳に届く。
『うん、合格。その様子なら、本当に大丈夫そうだね』
「ああ。もう俺の心配などしなくていいから、お前は自分のことを考えていろ」
まだほんの少し恥ずかしくはあったが、力強い口調で真田は言う。
はっきりと口にしたことで、それがまた勇気につながった気がした。
『上手くいったら、二人一緒に報告に来てよ。思いっきり、からかい倒してあげるからさ』
「上手くいくかどうかは、まだ分からんぞ」
『そうだね。柳の言葉を借りると、100%確実なことは無いってやつだね。まあ、ダメだった時は真田失恋記念パーティーでも盛大に開いてあげるよ。だから、しっかり当たって砕けておいでよ』
――なんと、彼らしいエールだろう。
思わず苦笑を零しながら、真田は心の奥が熱くなるのを感じた。
『それじゃ、そろそろ切るね』
「……ありがとう、幸村。礼を言う」
『どういたしまして。……頑張れ、真田!』
そんな彼の声を最後に、電話は切れた。
ツーツーと無機質な音が響く携帯を耳から離して下ろし、それをじっと見つめながら、真田はまたふっと笑う。
「弦一郎、切ったのか?」
「ああ。ありがとう、蓮二」
ボタンを押してこちらも通話を切ると、先に柳から預けていたタコ焼きを受け取り、携帯の持ち主である彼にそれを返した。
「……俺は、どうやら相当幸村に心配をかけたらしいな」
「精市にだけだと思っているのか?」
「そーっすよ」
呆れたような声で、間髪いれず突っ込む柳と切原に、真田は再度苦笑する。
「そうだな、お前たちにもだ。蓮二、赤也、すまなかった。そして、ありがとう」
そう言って、真田は二人の顔を交互に見つめる。
「頑張ってくださいよ、副部長!」
「弦一郎、頑張れ」
どこか嬉しそうな二人の、あたたかい言葉が胸に響く。
真田は少し照れ臭そうにしながらも、二人に「ああ」と頷いた。
「――ふむ。そろそろ俺達の出番も終わりだな、赤也」
「そっすね」
にいっと笑みを浮かべた二人が、そう言って顔を見合わせる。
「終わり?」
「ああ。もう、俺達が出来ることは終わったようだからな。後はお前との問題だ」
柳はぐるりと辺りを見渡して、言葉を続けた。
「幸か不幸か、会場も混んできたことだし、大勢では動き辛くなってきた。――ここで別れよう、弦一郎」
つまりそれは、ここから二人きりになれということか。
真田の胸が、思い切り跳ねた。
「い、今すぐか?」
「どうした? 今更、怖気づいたわけではないだろうな?」
柳が、からかうように笑いながら、真田の顔を覗き込む。
そんな彼に、真田は慌てて首を振った。
「そんなわけではない!」
――勿論、今更そんなつもりは無い。
二人きりになれるというなら、今はきっと恥ずかしさよりも嬉しさの方が勝るだろうとも思う。
しかし、問題は彼女がそれを望んでくれるかどうかだ。
「ただ、俺の都合でたちを振り回すのは申し訳ないというだけだ」
そう言って、真田は二人がいるはずの方向を見た。
長々と続くクレープの屋台の列を目で追うと、先頭に大分近い位置で彼女たちの姿を見つけ、目を止める。
並んでいる二人は、とても楽しそうに笑い合いながら、もうすぐ回ってくる自分たちの番を待っていた。
勿論、ここからだと話の内容などさっぱり聞こえないが、その弾けるような表情を見ていると、あの二人がどんなに仲が良いのかがよく分かる。
「とは、まだ一緒に祭りを楽しみたいだろう」
もとより、あの二人と切原の三人で行くと行っていたところに、自分は加わらせてもらった立場なのだ。
いくら事情があるとはいえ、彼女たちの楽しみを奪うような真似はしてはいけないだろう。
彼女の今日の一番の目的は、自分と過ごすことでなく、親友と過ごすことなのだろうから。
しかし、頭ではそんなことを思いながらも、心のどこかではそれを歯がゆく思う自分がいる。
情けなくなって、真田は小さな溜息をついた。
すると。
「あー、それは大丈夫っす。はこのこと知ってるんで」
あっけらかんとそう言ったのは、切原だった。
その言葉に驚いて、真田はぱっと切原たちの方を向く。
その顔を見つめ、どこか面白そうに笑いながら、柳も言った。
「むしろ、お前達を途中で二人きりにしようと最初に言いだしたのは、だ」
「そ、そうなのか?」
話が彼女の友人にまで及んでいるとは思わなかった。
申し訳ないような、恥ずかしいような気分になり、真田は顔がかあっと熱くなった。
「……それにしても、まで全ての事情を知っているのか……? 赤也が俺のことをにしゃべったのか」
「や、別にそーゆーわけじゃ!」
怒られると思ったのか、切原は慌てて片手を顔の前で左右に振った。
「別に俺がしゃべったとかじゃなくて、や、なんつーか……その、とは、いろいろと情報交換してて」
「情報交換?」
いまいち意味が分からず、真田は切原におうむ返しに問う。
しかし、それに答えたのは切原ではなく、柳だった。
「はの一番の親友だろう。俺がお前を心配して裏でいろいろ取り成していたように、もまたのことを心配して、話を聞いていたんだ。そして事情を知っている俺や精市、、赤也の間で、いろいろと情報交換をしていたということだ」
――なるほど、そういうことか。
彼女もまた自分と同じように、自分との関係について友人に話を聞いてもらったり、相談に乗ってもらっていたということなのだろう。
それならば、今日は――今日ばかりは、彼女もまた友人とではなく、自分と過ごすことを選んでくれるだろうか。
「……分かった。それならば……お前たちの気持ちに甘えさせてもらおう。ここからは……と、その、二人で行動させてもらう」
恥ずかしそうにそう言って、真田は咳払いをした。
そんな真田を見つめ、柳と切原が満足そうに首を縦に振る。
「ああ」
「了解っス! あ、のことはホント気にしないでいいっスよ、俺が一緒に遊ぶんで!」
にいっと笑いながら、切原が言う。
柳は、そんな後輩をからかうような目で見ると、わざとらしく言った。
「おやおや、こちらでも俺はお邪魔のようだな」
「邪魔とまでは言いませんけど、せっかくなので二人っきりにしてもらえるとありがたいッス」
「ああ、わかっているさ。俺は適当に過ごしたら、祭りの土産でも持って精市に会いに行ってくるよ。まだ面会時間には充分間に合うだろう」
そんな二人の会話の意味は、真田にはいまいちわからなかったけれど。
ただ、彼らも彼女の友人も、心から自分たちのことを心配し、応援してくれているのだと言うことは理解できた。
「ありがとう、皆」
そう言って、真田はまた、頭を下げた。
◇◇◇◇◇
しばらくして、嬉しそうにきらきらと表情を輝かせた女子二人が、一人残った真田のところへと戻ってきた。
きっと我慢しきれなかったのだろう、二人の手にあるクレープには、少しだけかじった跡がある。
「お待たせしました!」
可愛らしく重なった二人の声に、「ああ、おかえり」と真田は返事をする。
そんな真田には笑顔で応えたが、すぐにその目は不思議そうに瞬かれた。
「……あれ、先輩。柳先輩と、切原君は?」
「あ、ああ、それが――」
真田がそう言いかけた途端、が大きな声で頷いた。
「あ、そっか! はい、分かりました!!」
一瞬ですべての事情を理解したのか、彼女はとても嬉しそうに頬を緩める。
それとは対照的に、何も分からないは、ぽかんとした顔での顔を見つめた。
「え、、何が分かったの?」
状況についていけていないは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
は、そんなの肩を笑顔でぽんと叩くと、早口で捲し立てた。
「そういえば、赤也君と二人で約束してたところがあったんだよね。混んできたし、早めに行こうってことかな。うん」
「え、そうなの?」
驚くを横目に、は真田に視線を移す。
「うん。『そういうこと』ですよね、真田先輩」
そう言って、彼女は意味深に再度にっこりと笑った。
とは違い、やはり彼女は全て理解しているらしい。
真田は、切原と柳に言われた通りのことを、に伝えた。
「あ、ああ。約束の場所で先に行って待っていると、あ、赤也が言っていた」
そう言って、真田は少し視線を逸らした。
もとより隠し事が得意でなかったので、どうしても不自然さが表に出そうになってしまう。
それを押し殺すようにごほんと喉を鳴らして、真田は続けた。
「その、が戻ってきたら、伝えてくれと頼まれた」
「分かりました! ありがとうございます、真田先輩」
弾けるように笑って、は頷く。
そして、一人話についていけていないの方を向き直し、続けた。
「ここからは、とは別行動だね。真田先輩と二人で楽しんでね!」
そう言われて、やっと今の状況がわかったのだろう、の目がぱっと見開かれる。
驚いて声を失ったの耳に、はそっと口を寄せ、優しい声で囁いた。
「……頑張れ、!」
その瞬間、ほんのりと赤く染まったの顔を嬉しそうに覗き込むと、はもう一度優しく笑いかけた。
「真田先輩、のこと、お願いしますね! それじゃ!!」
そう言って、は踵を返す。
「あ、ああ……、いろいろとすまなかった!」
真田がそう叫ぶと、はもう一度くるりと振り向いてにこりと笑う。
そして、会釈するように頭を下げると、そのままはクレープを片手に人込みの中へと消えていった。