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19:祭りの夜 2

電話を切った後、四人は外のバスターミナルに移動した。
近郊バスの全路線図が描かれた大きな看板を見ながら、真田は自分の家への行き方を丁寧に咲花に伝える。
それを聞きながら、咲花は一生懸命手持ちの紙にメモを取った。

「……で、六丁目のバス停で降りたら、今度はこちらの路線に乗り換えるといい。少し面倒かもしれないが、わざわざ一度駅まで出てくるよりはずっと早いはずだ」
「はい、で、このバス停で降りるんですね」
「ああ」
「じゃ、バスを降りた後、先輩の家まではどう行けば……」
「それは俺が案内する。バス停まで迎えに出るから、六丁目のバス停で乗り換えるときにでも連絡を入れてくれ」

その真田の言葉に、咲花は申し訳なさそうに顔を曇らせる。
するとそれに気付いたのか、彼は苦笑を浮かべて咲花に優しく言った。

「気にするな。バス停から俺の家までは少し道が入り組んでいて解り辛いから、どう教えたらいいものか分からなくてな。人を呼ぶ時はいつもこうしている」
「すみません、先輩。ご迷惑ばっかり掛けてしまって」

少し俯きながら咲花が呟く。
すると、真田はふっと咲花に笑いかけた。

「本当に迷惑ならば、最初から誘うようなことはしない。気にするな」

その言葉と微笑みの優しさで、咲花の心臓は一気に高鳴りを増す。
そんな自分を落ち着けるように、咲花はぎゅっと胸の前で掌を握り締め、俯いたまま声を絞った。

「……はい、ありがとうございます」

やがて、咲花はバス停で真田と柳と切原に見送られ、一旦自宅に帰るバスに乗った。
荷物を置いてくるのと、着せてもらう浴衣を取りに帰るためだ。
しかし、いつも通りの三十分弱の道が、何故かとても長いような気がした。
はやる気持ちを抑えながら、咲花はじっと窓の外を見て時間を過ごす。
そして、やっと到着してバスから降りると、一目散に走って家に帰った。
約束は約一時間半後だ。彼の家に向かう時間を差し引いてもまだ少し時間に余裕はあったが、どうしても気が焦ってしょうがなかった。
なんとか家に着き、鍵を開けると、息せき切って制服のまま一階の和室に飛び込んだ。

「お母さん、確か和室に出してあるって――」

そんなことを呟きながら、咲花は和室を見渡す。
すると、和室の隅に丁寧に畳まれた浴衣や帯が置かれているのが目につき、飛びつくように駆け寄った。
そこには、浴衣や帯は勿論、腰紐や下駄や浴衣用の巾着まで、必要だと思われるもの全てがちゃんと綺麗に揃えて置いてあった。

(お母さん、急いでたのにちゃんと用意していってくれたんだ……帰ってきたら、お礼言わなきゃ)

母の気遣いに嬉しくなったことや、今年初めての浴衣になんだか心が高揚して、思わず頬が緩む。
自分一人きりなのをいいことに、咲花は顔をにんまりと緩ませたまま、今度はリビングへと駆け込んだ。
そして、少ししっかりした紙袋を探し出して、また和室に戻り、丁寧にその中に浴衣一式を入れた。

「えっと、これで浴衣の用意はできたから……次は……あ、そだ、制服着替えなきゃ!!」

叫ぶように言い、ドタドタと大きな足音を立てながら、次は二階の自室に上がった。
しかし、タンスを開けたところでその手が止まる。
そういえば、浴衣に着替えるとはいえ、私服で彼の家にお邪魔するのだ。
一体何を着ていけばいいのだろう。

(前の部活の買出しの時は、前日に一時間以上も掛かって決めたんだっけ……)

その時のことを思い出しながらも、咲花は困ったように「うーん」と唸る。
今回は前みたいに時間は無いから急いで選ばなければいけないし、すぐに浴衣に着替えるのだからおかしな格好でさえなければいいのだと思うものの、やはりなかなか決まらない。
時間だけが刻々と過ぎていき、タイムリミットが迫る中、咲花は焦りながら何度も何度もタンスをひっくり返していた。
その時――タンスの一番上の引き出しの奥に入っていたある物を見つけ、咲花の手が止まる。

「……これ……」

咲花は、大事そうにハンカチで包まれたそれをそっと取り出し、掌の上で開いた。
その瞬間、二つの小袋が顔を覗かせ、咲花の心臓がとくんと鳴る。
それは、あの日彼と二人で観たガラス工芸展での、思い出の品だった。

「そういえば、ここに入れてたんだっけ……」

思わずそう呟きながら包んでいたハンカチを一旦机の上に置き、二つの小袋を手に取る。
そのうちの一つをゆっくりと掌に傾けると、中から髪留めが滑り落ちてきた。
ガラスで出来た綺麗な花の髪留めで、ガラス工芸展の最後にあった物販所で一目惚れして、あの日の思い出にと自分で購入した物だ。
続けて、もう一つの方もそっと開いて手の中に出す。
髪留めと同じモチーフを少し小さくした、ガラスの花の一対のイヤリング――こちらは真田から貰ったプレゼントだった。

たった一ヶ月程前の話なのに、なんだかとても懐かしい気がした。
これを貰った時はものすごく嬉しくて、一生大切にしようと思った。
けれど、その後で彼の態度が一転して冷たくなって、その理由がこのプレゼントを貰った時の自分の態度のせいだと思ったために、心から惚れ込んで手に入れたはずのこれらの品は、見ているだけで辛いものになって。
かと言って捨てることなどできるはずも無く、結局咲花はこの二つをなるべく目の届かないタンスの奥底に仕舞い込み、その存在を考えないように努めていたのだった。

「先輩、これのことおぼえてる……かな」

そう呟きながら、咲花は掌の上の二つのアクセサリーをじっと見つめる。
ガラスで出来た小さな花たちが、窓から入ってきた光を反射させて、きらりと光った。

――今日、着けてみようか。

ふと、咲花の脳裏に、そんな考えが過ぎった。
今日のお祭りでこれを着けたら、彼はあの時の物だと気付くだろうか。
しかし、もし気付いてくれたとしても――どう思うのだろう?

嫌いになったことはただの一度もないと、彼は言ってくれた。
勿論、今更その言葉を疑うつもりは毛頭ない。
そう言ってもらってから今日までのこの数日間に、彼が向けてくれたあのあたたかい言葉や笑顔が作り物だとは、到底思えないからだ。
けれど、これを貰った直後から彼が自分のことを避けだした理由――それは、結局教えてもらっていない。
彼が意識的に避けていたことは、彼自身も認めている。
彼のような真っ直ぐな人が理由もなく人を避けるわけがないから、やはり何か理由があるに違いないのだ。
そして、その理由がこれに関連している可能性は、きっともの凄く高いような気がする。
これを見せることによって、なんらかの彼の記憶を呼び起こすかもしれない。
もしその記憶が彼にとっていいものでなかったとすれば、また彼の態度が変わってしまったりしないだろうか。

そう思うと、嫌な感じに心臓が高鳴り、二つのアクセサリーを載せた掌は妙に汗ばんだ。
不自然に高まった自分の体の熱を逃がすように、咲花は大きく息を吐く。

情けないと思う。
彼は嫌いになることはないとはっきり言ってくれたのに、こんなことで不安になって、胸が押しつぶされそうになる。
結局、本質的なものは何一つはっきりさせていないからなのだろう。
やはり今の状態は、全てが曖昧なのだ。

決して、現状が不満なわけではない。
期末前の最終練習日のあの一件以来、彼は前みたいにあたたかい微笑を見せてくれるようになったし、距離は前以上にずっと近づいたと思う。
今日など、浴衣を着れなくなった自分のために、家に呼んで着せてくれるように手配までしてくれた。
ここまでしてくれるのに、不満だなんてありえるはずが無い。
ただ、不安なだけだ。――確証が無いから。
そして、彼が本当のところはどう思ってくれているのか、それがはっきりと分かるまで、きっとこの不安は拭えない。
この曖昧で不安な状態から抜け出したいと思うなら、勇気を出して自分の気持ちをはっきり伝えなくてはいけないのだ。

咲花は、掌の上で佇んでいるガラスの花々をじっと見つめる。
やがて、それらをそっと包み込むようにもう一方の手で覆うと、祈るように頭を垂れた。

――今日、勇気が出ますように。

ぎゅっと目を瞑り心の中でそう呟くと、髪飾りとイヤリングをもう一度袋に入れ、そのままそっと持っていく鞄に入れた。
まるで一仕事終えたように小さな息を吐き、咲花は額の汗を拭う。
しかし、直後にはっと顔を上げた。そういえば、服を着替えている途中ではなかっただろうか。

「そ、そだ、早く着替えなきゃ!! 時間きちゃうよー!!」

そう言うと、慌てて咲花は服選びに戻り、またタンスを一段目からひっくり返し始めた。

やがて、なんとか着ていく服を選んで着替え、準備を纏める。
そして、浴衣が入った紙袋と財布などを入れた小さな鞄を手に、家を飛び出した。

◇◇◇◇◇

彼に言われた通りバスを乗り継ぎ、咲花は彼の家に向かった。
六丁目のバス停で最後の乗り換えのためにバスを降りると、持っていた鞄や紙袋を腕に掛けて持ちなおし、その中から携帯電話を出した。
そして、今の時間を確認し、バス停の時刻表と照らし合わせながら次のバスを見る。
幸い、十分少々で次のバスがあるようだ。
次は彼に連絡を入れなくてはと、咲花は手にしたままの携帯に視線を落とし、そのまま操作し始めた。メールと電話どちらにしようか少し迷ったが、彼自身が以前「メールは着信に気がつかない事が多い」と言っていたことを思い出し、電話で連絡をとることにした。
しかし、真田の電話番号を表示させ、緊張で一瞬その手が止まる。そういえば、彼に電話を掛けるのは、彼に番号を聞いてから初めてかもしれない。
なんだか妙に胸の奥が高鳴るのを感じながら、咲花はゆっくりと発信ボタンを押し、携帯を耳に当てた。

少しの間だけ無音状態があったが、それはすぐに発信状態を示す機械音へと変わる。
緊張しながらその音を聞いていると、数回のコールでその音は途切れた。
――そして。

『も、もしもし。真田――だが』

コール音のかわりに響いてきたその声に、心臓が思い切り反応して、跳ねた。
電話だから当たり前なのだが、彼の声が耳にとても近くて、妙にくすぐったい。
無意識に携帯を持つ手に力を込めながら、咲花は震える声を繋ぐ。

「えっと、あの、高槻です。すみません、真田先輩、ですか」
『ああ、俺だ。着いたのか?』
「はい! 今、六丁目のバス停に下りたところです。それで、もう十分くらいで、バスも来ます」
『そうか、なら俺もそろそろ出る準備をしよう。おそらく俺の方が早く着いているとは思うが、もしお前が着いた時点でまだ俺が着いていなければ、すまないがバス停で待っていてくれ』
「はい、わかりました。……あの、先輩。本当にすみません。ご迷惑ばかり掛けてしまって……」

そこまでしてもらうことが申し訳なくて、思わず咲花は謝罪の言葉を口にする。
すると、電話の向こうの彼の言葉が一瞬止まった。
そして、ややあって、ゆっくりと彼の声が聞こえ始める。

『高槻……そう何度も謝らないでくれ。あまり謝られると、こちらこそ押し付けがましいことをしてしまったかと不安になってしまう』

そう言って、彼は苦笑した。
その彼の言葉に、咲花の心臓が凍り付く。

「す、すみません! そんなつもりじゃないです!!」

思わず咲花は電話口で叫びながら、慌てて空いている方の手を左右に一生懸命振った。
――押し付けがましいだなんてとんでもない、彼の申し出はどんなに嬉しかったか。

「わ、私そんなこと思ってないです……すみません、あの、嬉しいです。私、本当に嬉しいです! 先輩のお言葉も、お気遣いも、全部全部本当に嬉しかったです!!」

誤解されたくないと必死に紡ぐあまり、咲花は思わずそんなことを口走った。
しかしすぐに自分の言った言葉が恥ずかしくなって、咲花ははっと自分の口を抑える。
同じく、電話の向こうの彼からも、一瞬言葉が消えた。
少しの間沈黙が流れたが、やがて彼の小さな咳払いの音が聞こえた。

『……俺は、余計なことをしたわけではないと思っていいんだな?』
「は、はい、勿論です。……余計だなんて、絶対にないです!」

彼の問いに、咲花は声を上擦らせながら即答する。
すると、彼は『そうか、ならば良かった』と優しい声で呟いた。
その声に、咲花の胸はまた高鳴りを増した。

電話を終えて咲花が携帯を仕舞った瞬間、丁度バスがやって来た。
そのバスに乗り、窓際の席に腰を落ち着けると、咲花は高まる緊張をほぐすように窓の外に視線をやる。
しかしこの窓の外に広がる見知らぬ風景は、彼にとっては日常の風景なのだと思うと、咲花の緊張は更に高まってしまった。

それからいくつかのバス停をやり過ごして、とうとう目的のバス停へと着いた。
停留所に横付けしようとバスがスピードを減速させた瞬間、咲花が覗いていた窓から真田の姿が見え、バスの速度と反比例するように咲花の心臓が加速を始める。
そんな心臓を抑えながら、咲花はバスから降りた。

「高槻、こっちだ」

そう言いながら、彼が咲花に向かって手を挙げる。咲花がそちらを向くと、彼と目が合った。
少し照れ臭くなって思わず顔を伏せながらも、ゆっくりと咲花は真田に近寄った。

「先輩、わざわざすみませ――」

そう言いかけて、咲花は思わず口を抑え、言葉を飲み込む。
先ほどの電話の彼の言葉が頭を過ぎったのだ。

――自分が今言わなきゃいけないのは、すみません、じゃない。

咲花は、ぱっと顔を上げた。
その瞬間、再度合った視線に思わず顔が熱くなったが、頑張って逸らさないようにその視線を保つ。
そして。

「先輩、わざわざ来て下さって、ありがとうございました」

そう言って、はにかむように微笑う。
真田もまたそんな咲花にそっと笑い返し、「ああ」と頷いた。

◇◇◇◇◇

バス停から離れて、二人はゆっくりと歩き出す。
真田の隣を着いて歩きながら、咲花はそっと彼を見上げた。
彼もまた、自分と同じように、既に私服に着替えていた。
一ヶ月前、一緒に買出しに行ったときに見た服装とは違っていて、前よりも少しラフな感じだ。
いつも見る彼とはまた違った印象を受け、咲花は思わずドキッとしたが、そんな胸の高鳴りをごまかすように辺りをきょろきょろと見渡し、彼に話し掛けた。

「先輩のおうち、ここから近いんですか?」
「ああ。距離的にはそう離れていないから、少し歩けば着くぞ。ただ、この辺りは家が多くて入り組んでいるからな。赤也などは、何度来てもなかなか憶えられんようだ」
「え、切原君が遊びに来たりするんですか?」
「赤也だけで来たことはないな。あいつが来る時は、現レギュラーメンバーが全員来る時だ。学校外でレギュラーが集まる時は、何故か俺の家で集まることが多くてな」
「そうなんですか。それは部活外で、ですか?」
「ああ。全国大会が終われば休日練習は減るからな。部活が休みの日に何度か集まったんだ。今のレギュラーが確定したのが去年の秋なので、それ以降からだが」
「へえ……」

そんな交流もしているなんて少し意外な気もしながら、咲花は相槌を打つ。
同時に羨ましいとも思い、つい「いいなあ」と呟いてしまって、咲花はぱっと口元を抑えた。
その声に、真田がちらりと咲花を見る。
そして。

「……次があれば、お前も来るか?」

彼は、小さな声でそう咲花に問い掛けた。
咲花は思わず顔を上げ、彼の顔を見る。

「いいんですか?」
「ああ、勿論だ」

彼は、ほんの少し顔を赤く染めながらも、優しく頷く。
その表情に、咲花は思わずドキドキして視線を落としたが、なんとか声だけは振り絞った。

「……あ、ありがとうございます。行きたい……です」

そう言って、咲花はそのまま顔を伏せる。

「う、うむ。……お、俺も……その、お前が来てくれた方が……楽しいだろうと、思う」

とても小さな声でそう言って、彼は何度も咳払いをした。
その後、少し二人の間で会話が途切れる。
その沈黙が少し気恥ずかしくはあったけれど、咲花の心はとてもあたたかい気持ちで満たされていた。

初稿:2008/08/18
改訂:2010/04/08
改訂:2024/10/24

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