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14:思いがけない1日 11

千石を見送り、真田は隣にいるに視線を落とす。
彼女はまだ、千石が去った方向を笑顔でじっと見つめていた。

(……恋人は、いないのか。赤也ともそういう関係ではないのだな)

心臓は相変わらず早く脈打っているが、なんだかとてもほっとした気分になった。
彼女には今のところ特別な異性はいない――そのことが分かっただけで、とても嬉しく感じてしまう。
しかし、そんなことで喜んでいる自分に気付くと、真田は妙に恥ずかしく、かつ情けない気分になった。

(俺は何を喜んでいるんだ。このようなことで浮かれるなどと……た、たるんどる!)

心の中で自分を叱咤して、大きく咳払いをした――その時。

「千石さんって賑やかな人ですね」

隣にいた彼女が、ふいに自分に話し掛けてきた。その瞬間、真田の心臓が跳ねる。

「あ、ああ」

頷きながら、ちらりと彼女に視線をやると、自分を見上げていた彼女と視線がかち合う。
すると、は一瞬瞬きをしたものの、可愛らしく頬を緩めて言葉を続けた。

「練習試合の帰りって言ってましたけど、ウチとも練習試合したことってあるんですか?」

しかし、彼女の笑顔にどきりとする余り、肝心の質問が上手く頭に入ってこなかった。真田はふっと目を逸らし、咳払いを何度か重ねながら、呟くように言う。

「……そうだな……ど、どうだったか」

千石、山吹中、練習試合。
彼女の質問を頭の中で一生懸命整理して、やっとその質問の意味を理解する。
それから更に考え込んで、なんとか答えを探しだした。

「そうだな、最近はしていなかった……はずだ。あ、いや、昨年に一度あったような気もするな」
「あ、そうなんですか」

真田のぎこちない答えに、彼女が頷く。
そして、会話は途絶えた。

(ど、どうすればいい)

会話のない気まずさに、真田の心臓がまた速度を上げた。
先ほどまではあんなに普通に喋っていられたのに、今はなんてことない世間話すら思いつかない。
意識しなければいいと、今まで通り普通に接すればいいだけだと、何度も自分に言い聞かせてみるが、そう思えば思うほど何故か心臓の鼓動が高鳴っていった。

――その時。
ポケットに入れていた携帯が、突然震えだした。
真田はまるで何かで刺されたようにびくっとしたが、それが電話の振動だと分かると、安心したように大きく息を吐く。

「電話か」

そう呟きながら、ポケットから電話を取り出してそのディスプレイを覗き込む。
するとそこには、先ほどからずっと電話を待っていた親友の名前が表示されていた。

「真田先輩、幸村先輩からですか?」

の問い掛けに、視線を合わさないまま「ああ」と頷いて返して、真田は電話のボタンを押す。
そして、そのままの姿が見えない方向に視線をやりながら、携帯を耳に押し当てた。

「もしもし、幸村か?」
『うん、俺。ごめん、遅くなって』

電話の向こうで、幸村が苦笑して続ける。

『いや、まさか二時間半も掛かるとは思ってなかったよ。真田、本当に悪かったね』

――二時間半。
その言葉に、真田は思わず着けていた時計を見つめた。
確かに電話を受けてから、時間にしてそれぐらいは経過しているようだ。
しかし、そんなにも時間が経っていたとは、全く気がつかなかった。

(まさか、そんなに経っていたとは……)

時間を忘れるほど、彼女との時間を楽しんでいたのだろうか。
そう思うと、また顔が熱くなった。

『……真田? どうしたの?』

言葉が途切れた自分を不思議に思ったのか、電話の向こうの幸村が不思議そうに問い掛けてきた。
真田は、慌てて口を開く。

「い、いや、なんでもない。大丈夫だ。それで、もうそちらに行ってもいいのか」
『うん、こっちはもういいよ。あ、でも君たちが何かしてるのなら、ゆっくりでも構わないからね』
「いや、もういつでも行ける。今すぐ行くから待っていてくれ」
『そうなんだ。わかった、待ってるよ。でも、ほんと急がなくていいからね』

そう言って、幸村はどこか楽しそうに笑う。
そして、「じゃ」と小さな声で言い残し、彼は電話を切った。
このタイミングで電話を掛けてきてくれた幸村に、真田は心の中で礼を言わずにはいられなかった。こうなってしまったこの状態で、彼女と目的もなく二人きりでいることに怖さすら感じていたのだ。
切れた電話を耳から離してポケットに仕舞いながら、これからの予定ができたことに安堵の息を吐く。

、幸村からだ。もう病院の方に行ってもいいそうなので、向かおうと思うんだが」
「あ、はい! ちょうど柳先輩へのプレゼントも受け取ったとこでしたし、ちょうど良かったですね」

はそう言うと、持っていたプレゼントを手に、またにっこりと笑った。

「そ、そうだな。では、行くか」
「はい、行きましょうか」

そう言い合って、二人はエスカレーターを下り、長々と過ごしたデパートを後にした。

◇◇◇◇◇

時間はもう夕方の四時を回っているというのに、外は相変わらずの人の波だった。
方向は違えど、来た時と同じ賑やかな駅前通りの道を、同じような人込みにまみれて歩いている。
なのに、数時間前とは決定的に違う点があった。二人の間の会話の量だ。
先ほどはあんなに普通に楽しく会話が出来ていたのに、今はただ、無言でひたすら歩くことしかできなかった。
沈黙が続くのは気まずくて仕方ないけれど、何を話していいのかすら、何故かさっぱりわからない。
それに、彼女の顔を見るだけで顔が赤くなりそうだったから、隣を歩く彼女を横目で見ることすら、今の真田には出来そうにもなかった。
情けないにも程があると思うのだが、本当にどうしていいのか分からないのだから、どうにも出来ない。

しかし、そんな真田の代わりに、彼女は一生懸命話し掛けてくれようとする。
先ほどのガラス展の話や買出しの話、部活の話など、いろいろ振ってくれるのだが、真田はそれにも上手く答えることはできなかった。「ああ」や「そうだな」といった具合の、短い相槌程度の言葉が精一杯だ。
なんだか、声のトーンだけでも自分が極限まで緊張しているのがばれそうな気がして、真田は下手に会話を続けることすら怖かったのだ。

そうしているうちに、やがて彼女の方もまた、どんどん言葉少なげになった。
その代わり、何かを気にするように時折ちらちらと真田を見上げてくる。彼女も、流石に様子がおかしいと気付き始めているのだろう。しかしそんな視線を感じるたびに、やはりどうしていいのか分からなくなって、さらに真田の頭は混乱した。

「あの、先輩」

ふいに、彼女がまた口を開いた。
どきっとした自分を抑えるように、真田は思わず掌を握り締める。

「……何だ」
「先輩……もしかして気分でも悪いですか? さっきから、少し様子が変かなって……」

心配そうに、は言う。
真田は、彼女にこんな心配を掛けさせてしまったことが、情けなくて恥ずかしかった。しかし、どうしても上手い言葉が見つからない。

「お前の、気のせいだ」

この緊張が伝わらないようにと思うあまり、返事はまた極端に短くてぶっきらぼうなものになってしまった。
優しく気遣ってくれた彼女に、こんな言い方はないだろう――真田は自分の不器用さに苛立ち、思わず眉間に皺を寄せる。

「でも、先輩」
「俺はなんともない」

二度目の返事は、彼女の言葉を遮るような形になった。
その瞬間、彼女の肩が震えた――ような気がした。
ちゃんと彼女の方を見ることができなかったから、はっきりとは分からないけれど。

「……そうですか。なら、いいんですけど……」

ほんの少しだけ間があってから、少し元気の無い様子でそう返事をすると、彼女は黙り込む。
そして、それ以上はもう何も言ってこなかった。

今のやりとりは、きっと彼女を傷つけただろう。本当に、自分は何をやっているんだと思いながら、真田はぎゅっと拳を握って大きな溜息を吐く。
せめて「きつい言い方になった、すまなかった」と一言謝ろうと思ったのだが、それさえも上手くいきそうになかった。
歩きながら心の中でずっとそんなことを考え続けていたが、気がつけば幸村の入院している病院はもう目の前だった。
病院の外観を見上げて、真田は帽子のつばをそっと持ち上げる。
そして。

「着いたな」

彼女の方を見ることはできなかったが、やっと真田は、自分から話し掛けることができた。

「あ、やっぱり駅から近いですね」

そう言いながら、彼女が真田を見上げる。
やはりそんな視線ですら、平常心で受け止めることが出来ない。
どくんと跳ねた心臓を、真田は大きく息を吸って抑えた。

「ああ」

そっけない返事をして、そのまま真田は歩き出す。
ややあってから、意を決してほんの少しだけ彼女の方に視線をやると、少し後ろをためらいがちに着いてくる彼女が目の端に見えて、また心が痛んだ。

病院に入り、二人は無言のまままっすぐ幸村の病室へと向かった。
そして病室の前に着くと、真田は躊躇せずにドアをノックする。

「どうぞ」

病室の中から、幸村の声が聞こえた。
真田は、ゆっくりとドアを押し開く。

「入るぞ、幸村」
「失礼します、幸村先輩」

真田との声が重なり、二人は病室の中に目を向ける。
その途端、二人はとても驚いた顔で足を止めた。
ベッドの淵に座る幸村の側に、予想していなかった人物――柳の姿を見つけたのだ。
ベッドの側に置いている丸いすに座りながら、柳はにっこりと笑ってこちらを見つめていた。

「今日はお疲れ様だったな、二人とも」
「いらっしゃい、わざわざ来てくれてありがとう。ごめんね、遅くなっちゃってさ」

そんなことを言って、幸村と柳はドアを開けたまま動きを止めた二人に笑いかける。
面食らったような顔のまま立ち尽くす真田とに、幸村達は更に声を掛けた。

「思ったより遅くなっちゃったけど、客はもう帰ったからさ。悪かったね」
「二人とも、そんなところに止まっていないで、入ってきたらどうだ」

柳の言葉に、真田は気を取り直して頷くと、病室の中へと足を踏み入れる。
それに続いて、後ろにいたも病室の中へと入った。

「蓮二、来ていたのか」
「ああ、用事があってこちらの方まで来たものだから、ついでに精市の顔でも見て帰ろうかと思ってな」

自分の座っていた椅子を少し端に寄せながら、柳は真田の問い掛けに答える。
続けて、が柳に言葉を掛けた。

「柳先輩が来てるなんて思ってなかったから、びっくりしましたよ」
「はは、俺の顔を見た瞬間、二人とも鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたものな」

柳はそう言うと、またくすりと笑った。

「だって、本当にびっくりしましたもん。柳先輩はいつ来たんですか?」
「俺も今さっき来たばかりだよ」

澄ました顔つきで、柳はの問いに答える。
そんな柳を疑う様子もなく、は質問を重ねた。

「あ、じゃあ幸村先輩の親戚の方には会われました?」
「ああ、そうだな。丁度帰られるところだったので、会ったというほどのものでもないがな。なあ、精市」
「うん、少し顔を合わせたくらいだよね」

そう言って、幸村と柳は顔を見合わせて笑う。
そんな三人の会話を小耳にはさみつつ、真田は部屋の隅に重ねてあった丸椅子を二つだけ取り上げて、柳の椅子の隣に並べた。
すると、それを見たが、はっとして嬉しそうに声を弾ませ、真田に笑いかける。

「あ、先輩ありがとうございます!」
「あ、ああ」

彼女の笑顔に、また胸が跳ねた。それを直視出来ずに、真田は視線を逸らす。
すると、また彼女の眉が少し下がったような気がした。

――また、傷つけてしまっただろうか。

情けなさがつのって、真田はぐっと奥歯を噛み締めた。

「……弦一郎、。どうかしたのか?」

柳の声に、はっと二人は顔を上げる。
すると、柳と幸村が、少し妙な顔つきで二人の顔を見比べるように見つめていた。

「あ、い、いえ」
「いや……別に何でもない」

笑顔を作って首を振ったと、無表情のまま視線を宙にやった真田。
柳と幸村は、そんな二人に訝しげな視線を向ける。
病室の中に、妙に張り詰めた空気が流れた。
――しかし次の瞬間、その雰囲気を打ち破るように、が「あっ」と思い出したような声を上げた。

「そういえば、柳先輩、今日お誕生日だって聞いたんですけど!!」
「ん? ああ、そうだよ」

柳はの問いに答え、首を縦に振る。
するとは、どこか嬉しそうに頬を緩めながら、両の掌をぱちんと合わせた。

「あ、やっぱりそうなんですね! おめでとうございます、柳先輩!」
「ありがとう、。……弦一郎に聞いたのか?」

優しく笑いながら、柳はと真田の顔を見比べるように交互に見つめる。
その視線を感じた真田は、少し視線を逸らしながら、首を縦に振った。

「ああ、そうだ。誕生日おめでとう、蓮二」
「ありがとう、弦一郎」

親友からの祝いの言葉に、柳は嬉しそうな表情で微笑む。

「あ、そうだ。あの、これ……」

はそう言うと、持っていた包みを袋のまま柳に差し出した。

「さっき真田先輩から話を聞いて、買ったばかりなんですけど。よかったら貰って下さい」
「プレゼントまで用意してくれたのか。わざわざ悪かったな。ありがとう、

の手にある袋を受け取りながら柳が言うと、は自由になったその手を広げて、軽く横に振った。

「いえ。柳先輩にはいつもお世話になってますし」
「はは、お前は本当に律儀だな。ありがたく戴くよ」

柳はそう言うと、袋から中身を取り出した。
ラッピングされたままのそれをじっと見つめて、柳は言葉を続ける。

「ふむ。この形状からして、中身は本か?」
「あ、流石ですね、柳先輩。正解です」
「やはりそうか。開けてもいいか?」
「はい、どうぞ!」

が笑って首を縦に振ると、柳はその包みに手を掛けた。
やがて、中から出てきた本を目にした途端、彼は「おや」と小さな声を上げた。

「この本は、確か弦一郎が……」

そう言うと、柳は真田の方を見る。
ずっと無言だった真田は、その視線に気付いてはっと顔を上げた。

「あ、ああ。俺が約束していたのは、上巻の方だっただろう。それは下巻のはずだ」

少し慌てたように言う真田に続いて、もまた慌てて言葉を続ける。

「あの、もしかしてもう持ってますか? 真田先輩のお話を聞いて、下巻はまだかなって思ったんですけど」

二人の様子を見て、柳はくすりと笑う。
そして、改めてがくれた本をまじまじと見つめた。

「ああ、まだ下巻は買っていないよ。ありがとう」
「そうですか、良かった!」

の顔が、安心したように緩む。それを見て、柳はふっと笑った。

「とはいえ、まだ上巻も読んでいないから、これを読ませてもらうのはまだ先になりそうだな」

柳の言葉を聞いて、真田は少々眉を寄せながら困ったように言う。

「すまないが、今日は持ってきていないぞ。今日お前に会うとは全く思っていなかったからな。明日学校で渡すから、それまで待ってくれ」
「分かっているさ、明日を楽しみにしているよ。……それにしても、同じタイトルの上下巻を二人で一冊ずつに分けてプレゼント、か」
「ふふ。実質、真田とさん、二人でひとつのプレゼントみたいなものだね」

柳と幸村は、そう言うと顔を見合わせてなんだか嬉しそうに笑う。
しかしその瞬間――その言葉を聞いた真田が、思い切り大きく咳込んだ。

「どうかしたのか、弦一郎」
「い、いや別になんでもない」

真田は、そう言うと被っていた帽子のつばを下げ、表情を隠すように更に目深に被りなおす。
幸村はほんの少しその様子をじっと見つめていたが、やがて視線をに移して、にっこりと笑った。

「ねえ、柳へのプレゼント、今さっき買ったって言ったよね。二人で相談して買ったのかい?」
「え、えっと、相談っていうか、アドバイスしてもらったっていうか……本屋で時間を潰してた時に、柳先輩の誕生日の話になったので、真田先輩にちょっといろいろ聞いて教えてもらっちゃいました」

はそう言うと、真田の方を見て言葉を続けた。

「あの、本当にありがとうございました、真田先輩」
「……あ、ああ」

言葉ではそう返したものの、真田はと一切目を合わそうとはしない。
それに気付いたの表情が、また少し曇った。

初稿:2007/09/16
改訂:2010/03/24
改訂:2024/10/24

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