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14:思いがけない1日 7

真田は持っていたコーヒーの缶を口に運びながら、横目でちらりとを見つめた。
先ほどから、彼女は一心不乱にクレープを食べている。なんだかとても可愛らしく思えて真田は思わず笑みを零したが、それを先ほど自分も一口食べたのだと思った瞬間、ふいに脈が加速度を上げた。

――気にするようなことではないだろう。

自分に言い聞かせるようにそんなことを思いながら、大きく息を吐く。
丸井などは、日常的にそんなやり取りをよくしているではないか。ジャッカルや他の連中相手にうるさく騒ぎながら、買った菓子を一口やるだのよこせだの、そんな言い合いをしている姿をよく目にする――きっと、それと同じなのだ。
彼女にしてみれば、美味しいと思ったものをおすそ分けしたかったというだけなのだろうから、気にするほうがおかしいのだろう。
そんなふうに思ってはみるものの、何故か自分の脈が落ち着く気配はない。
先ほどの買出しの時に感じた不整脈といい、なんだか今日の自分はやはりどこかおかしい気がする。
胸の中に生まれたもやもやしたものを振り払うように、真田は残っていたコーヒーをぐっと飲み干した。
空になったコーヒーの缶を片手に、また彼女を見る。彼女の手にあるクレープも、もう残りは少なそうだ。これならもう数分と経たずに食べ終わってしまうだろう。

(そういえば、幸村からの連絡はまだだろうか)

ふと幸村のことを思い出し、真田はポケットに入れていた携帯を引っ張り出した。
着信履歴がないかとディスプレイを覗き込んだが、その形跡はまるでない。どうやら、まだ連絡は入っていないらしい。
携帯を手にしたままふうと息を吐くと、隣から彼女の声が聞こえた。

「……幸村先輩からは、まだ連絡来てませんか?」
「ああ、そのようだ」

そう答えながら、真田は携帯を再度仕舞いこんで彼女の方を向く。
すると、空っぽになったクレープの包み紙を折り紙のように折りたたんで、小さくしている彼女の姿が目に入った。

「全部食べたのか?」
「はい、無くなっちゃいました」
「そうか」

真田の言葉に彼女は笑って頷きながら、手持ち無沙汰なのか、小さくしたクレープの包み紙をその手で弄んでいた。
掛ける言葉も思いつかず、そんな彼女の様子をただ横目で見つめる。
少しの間、二人はそうやって黙り込んでいたが――やがて。

「これ、捨ててきます。先輩の缶も、空っぽなら捨ててきますよ」

そう言って彼女は立ち上がり、その手を真田に差し出した。

「あ、ああ。頼む。ありがとう」

真田は、そう言いながら持っていた缶を彼女に手渡す。
それを笑顔で受け取ったは、近くのゴミ箱まで一目散に駆けていった。
――別に急ぎはしないのだから、歩いていけばいいのに。
そんなことを思いながらも、いつも全力な彼女らしいとも思い、真田は思わず頬を緩めながらその背中をじっと見つめる。

それにしても、これからどうしたらいいだろうか。
幸村からの電話はまだ無いが、これからどれくらい掛かるのかも全く分からない。
ここで彼女とずっと座って待つというのも一つの手かもしれないが、無目的で何もせずにただ連絡を待っているというのは、時間が勿体無い気がする。この時間に、何か出来ることはないだろうか。
口元に手を当てながら、じっと考え込む。
そして、ふとあることを思い出した。

(そういえば、いつものテニス雑誌の今月号が、そろそろ出ているはずだったな。……よし、少し書店に寄らせてもらうか)

そう決めて顔を上げると、走って戻ってくるの姿が目に入った。
立ち上がり、真田は彼女を出迎える。

「おかえり、
「はい! お待たせしました、先輩」

少し荒い息を吐きながら、彼女は笑った。

「俺の分まで捨ててきて貰って悪かったな。ありがとう」
「ついでですから、気にしないで下さい」

そう言ってくれた彼女に、真田は優しく笑いかけてから、言葉を続ける。

、この後だが、少し書店に寄りたい。付き合ってもらっても構わないか?」
「書店ですか? はい、いいですよ」

真田の言葉に、が笑顔で即答する。
そして。

「ありがとう、では行くか」

そう言って、二人はその公園を後にし、メインストリートに戻って歩き出した。

◇◇◇◇◇

迷いもなく道を進む真田に、隣を歩いていたが問い掛ける。

「本屋さんって、この近くにあるんですか?」

の言葉に真田は頷いて、少し前方を指差した。

「ああ。あのデパートの七階に本屋が入っていたはずだ」
「そうなんですか。先輩、何か買いたい本でもあるんですか?」
「テニス雑誌だ。今月のを、まだ買っていなかったからな」
「あ、前もテニスの雑誌買ってましたもんね」

そんな会話を交わしているうちに、二人はやがて目的のデパートに着いた。
人の出入りが激しい正面入り口をくぐり、そのままエスカレーターに乗る。
そして、七階まで上がるとすぐに、書棚がたくさん並んでいる光景が目に入った。
ここに来るのは久々だったが、やはり相変わらず大きい店だと思いながら、真田は辺りを見渡す。
すると、隣に居るが少し驚いて声を上げた。

「わあ、本当に大きい本屋さんなんですね。もしかして、七階全部本屋さんなんですか?」
「いや、七階の半分だけだ。向こうの半フロアは、確か催し物会場になっている。それでも、本屋としてはかなり大きな部類には入ると思うがな」
「へえ〜」

彼女は目を丸くして驚きながら、どこか感心したような声を漏らすと、真田を見上げて口を開いた。

「テニスの雑誌だったら、スポーツ雑誌のコーナーですよね」

そう言うと、彼女はきょろきょろと首を回して何かを探し始めた。
やがて、目的のコーナーを見つけたのだろう、その表情がぱっと笑顔に変わる。

「先輩、あっちみたいですよ!」

そう言って、彼女が笑顔で一点を指差す。
実は、真田は何度かここに来たことがあるので、目的のものがどこにあるのか知っていた。
しかし、それを彼女に言うとこの無邪気な笑顔が曇るような気がして、敢えて知らないふりをしながら、笑顔で彼女に礼を言う。

「そうか、ありがとう」
「はい! じゃあ、行きましょう。売り切れてないといいですね」

はそう言って真田に笑い返すと、足をスポーツ雑誌のコーナーに向けた。
真田もまた、そんな彼女の後をゆっくりと追った。

スポーツ雑誌の棚の前で、先に着いたが足を止め、じっとその棚を見つめる。
からやや遅れて真田が着くと、彼女が小声で話し掛けてきた。

「……先輩、テニスの雑誌いっぱいありますけど……どれですか?」
「ああ、これだ」

の後ろから腕を伸ばし、目的の一冊を棚から抜き取ると、真田は彼女にその表紙を見せる。
表紙には、プロの選手と思われる男性が、コートの中でラケットを握っている姿が写っていた。彼女は、それをじっと見つめる。

「『月刊プロテニス』かあ……へえ。先輩、これ毎月買ってるんですか?」
「ああ。テニス雑誌の中では、一番自分に合っている気がしてな」

そう言って、真田は手にしたその雑誌をぱらぱらと捲る。そして、破れなどがないか軽く確認していると、隣にいた彼女がふいに笑みを零した。

「どうかしたか?」

思わず真田が彼女の方を向いて問い掛けると、彼女は慌てて目を瞬かせる。
どうやら、つい笑ってしまったのを真田に気付かれたことに少々慌てたらしかったが、すぐに彼女は苦笑しながら言った。

「あ、いえ……あの、先輩達も、いつかこういう雑誌に載るのかなって思ったら、つい……」

そう言って、彼女は人差し指で頬を軽く掻く。
そんな彼女を見ていた真田は、少し何かを考えてから、そっと口を開いた。

「……既に載っている、と言ったら驚くか?」
「えっ!?」

真田がそう言った途端、が思わず大きな声を上げた。
しかし次の瞬間、自分の声の音量にしまったと思ったのか、ぱっと口を抑える。

彼女のことだから、こんなことを言ったらきっと素直に驚いてくれるのだろうなと思い、そんな姿を見てみたくて言っただけだったけれど。自分の想像以上に驚いてくれた彼女の反応がなんだかとても嬉しくて、真田はつい笑みを零した。

「そんなに驚いたか?」
「は、はい……すみません」

彼女は顔をほんのりと赤く染めながら謝ると、今度は周りに迷惑にならないよう、先程より小さな声でこそっと囁いた。

「あの、本当に載ってるんですか?」
「ああ。この雑誌はジュニアテニスの大会などもよく特集しているからな。勿論トップ記事になったりすることはないが、大会の前後には大抵載っているぞ。この雑誌の担当記者の井上さんとは顔見知りだしな」
「え、この雑誌の記者さんとお知り合いなんですか!?」
「ああ、井上さんは立海うちに直接取材にくることもあるからな」
「うわあ……すごいなあ。さすが先輩達……」

そう呟いて、彼女はぱちぱちと目を瞬かせた。
その表情から、彼女が心から自分達を感心しているのが伝わってくる。
真田は少し照れ臭く思いながらも、そんな彼女の表情に思わずくすりと笑う。

「あ、じゃあ、これにも載ってるんですか?」
「ん? いや、今月号はどうだろうな。次の号には、関東大会出場校の情報が載るだろうから、確実に載っているとは思うが」
「そうなんですか。じゃあ、来月は私も買おうかなあ」

独り言のように呟いて笑うと、は真田を見上げた。

「あ、でも先輩、もし今月号にも載ってたら、教えてくださいね。私も欲しいです!」
「……欲しいのか?」
「はい!! 先輩たちが載ってるなら、絶対欲しいです!!」

そう言って、は無邪気に笑った。その言葉と笑顔に、どきっとして少し脈が早まる。
真田は小さく咳払いをしてその感情をごまかしてから、彼女に頷いた。

「ああ、分かった。もし載っていたら、お前にすぐに教えよう。……それでは、俺はこれを買って来る」
「はい、じゃあ私、小説のあたりとか適当に見てますね」

そう言って笑った彼女に軽く笑いかけ、真田はレジへと向かった。

◇◇◇◇◇

休日のせいか、レジは少々混んでいた。
数分ほど待って会計を済ませると、袋に入った雑誌を受け取って、真田は辺りを見渡した。

(そう言えば、小説の辺りを見ていると言っていたな)

彼女の言葉を思い出し、文芸書や小説のあるコーナーへと向かう。
すると、レジからそう遠くない文芸書の売上ランキングのコーナーの前に、彼女がいるのを見つけた。

、待たせたな」

近づいて、そっと声を掛ける。
するとは、真田に気付いてその頬を緩めた。

「あ、先輩。お会計、終わったんですね」
「ああ。……どうだ、何かいい本はあったか?」
「うーんと、そうですね……読みたいなって思う本はあるんですけど、ほら、こういう本って高いじゃないですか。図書館待ち、かなあ」

苦笑しながら、は続けた。

「まあ、図書館でもなかなか順番が回ってこないんですけどね。これとか、売り出されたの去年なのに、今でも図書館で普通に棚に並んでるの見ないですもん」

そう言って、彼女は一冊を手に取る。
それは、去年の秋頃に流行り、今でも文芸書のランキングの上位に留まっている小説本だった。
彼女の手の中にあるその本に見覚えがあり、真田はふむと呟きながら、その表紙をまじまじと見る。

「……ああ、それか。それはまあまあ、面白かったぞ」
「先輩、読んだことあるんですか?」
「ああ。流行り出してすぐぐらいにな。蓮二に借りたんだ」

真田は余り流行りの小説は読まないほうではあったが、扱っている題材に少し興味があり、持っていた柳に借りて読んだことがあったのだった。

「あ、柳先輩が持ってるんですか」
「ああ。読みたいのだったら頼んでみろ、貸してくれるだろう。あいつは読書が趣味と言うだけあって、他にもいろいろなジャンルの本を持っているから、読みたい本があるのなら声を掛けてみるといいぞ」
「そうなんですか、じゃあ今度頼んでみようっと」

彼女は、嬉しそうにそう言って笑う。
そして、手にしていたその本を売り場の平台に戻しながら、言葉を続けた。

「柳先輩は、読書が趣味なんですね。なんか、『らしい』なあ」
「一番好きなジャンルは純文学らしいがな。幅広く知識を取り入れるために、なるべくいろんなジャンルの本を、満遍なく読んでいるのだそうだ。だから俺もあいつの誕生日のプレゼントは毎年本ばかりを選んでいるんだが、あいつの読んでなさそうな本を選ぶのは一苦労でな。今年の奴の誕生日は、何を読んで何をまだ読んでいないのか、事前に聞いてしまったぐらいだ」

そう言って苦笑した真田に、が目を瞬かせる。

「あ、柳先輩の今年のお誕生日、もう済んじゃってるんですね。いつだったんですか?」
「ああ、六月四日……そういえば、今日だ。だから正確には、済んではいないな」
「ええ!? 今日ですか!?」

真田のその言葉に、はまた驚いたように声をあげる。
そして、まだ店の中だと言うことに気付き、先ほどと同じようにまた慌てて口を押さえた。

「……す、すみません」

恥ずかしそうに頬を染め、小さな声で言うと、彼女は驚いた顔のまま言葉を続けた。

「あの、本当に今日なんですか?」
「ああ。蓮二と俺は、誕生日が丁度二週違いでな。確かに今日が蓮二の誕生日で間違いないぞ。……知らなかったか? 」
「はい、初耳です……」

目を瞬かせながら、彼女は言う。
そして、次の瞬間、思いついたように顔を上げた。

「あ、じゃあ私も何かプレゼント買いたいなあ」

そう言って、は口元に手を当て、何かを考えるように黙り込む。
そんな彼女に、真田は声を掛けた。

「蓮二にプレゼントを買うのか?」
「はい、柳先輩にもいつもいろいろとお世話になってますから……誕生日って分かったからには、何かしたいですね。渡すのは誕生日終わってからになっちゃいますけど」

一生懸命考え込みながら、彼女はそんなことを言って笑った。

そういえば幸村の見舞いの時も、彼女は花屋でこうやって一生懸命考え込んでいたことを、真田は思い出す。
そして、自分の誕生日の時もそうだったのだと、今日会ったあのショップ店員が言っていた。
彼女は、人に喜んでもらうのが好きなのだ。
自分や柳の誕生日、そして幸村のお見舞い。
そしてきっと、この先他のレギュラーの誕生日が来る度に、彼女は同じように精一杯相手のことを思って贈り物を選ぶのだろう。
それは彼女の優しさの表れで、とても微笑ましいと思う。
けれど、そんな彼女の優しさは皆に平等に向けられているものなのだと、真田は改めて思わされた。

(……俺の誕生日も、蓮二の誕生日も、にとっては同じなのだな)

そう思うと、何故か妙に複雑な気分になる。
彼女にとっては、誰の誕生日も平等で同じだなんてことは、いたって当たり前なはずなのに。

「あの、先輩」

ふいに彼女から声を掛けられて、真田ははっと顔を上げた。

「あ、ああ。何だ?」
「真田先輩は、柳先輩のプレゼントに本を買ったんですよね? 何を選んだんですか?」
「ああ、俺は先月発売された推理ものの小説本だ。蓮二が興味があるがまだ読んでいないと言っていたのでな」

確かランキングにも入っていたはずだと思い、真田は目の前の平台に視線を落とす。
たくさんの本が並んでいる平台から、その本を見つけると、手にとってに手渡した。

「……これだ」

重厚な雰囲気のあるハードカバーのその本を両手で受け取り、彼女は中身を確かめるように軽くパラパラとページを捲った。

「へえ……ミステリーものかあ、なんだか難しそう。さすが柳先輩……。でも確かに、内容は面白そうかも」

そう言って笑いながら本を閉じ、彼女はその背表紙を確認するように本を傾ける。
そして何かに気付いて、視線を止めた。

「……これ、上巻って書いてありますね。下巻もあるんですか?」
「ん? ああ、上下巻になっていたと思うぞ。続きは……ほら、その隣にある」

真田は、上巻の隣に並んでいた下巻を指差した。

「あ、ほんとだ。似たような表紙だから、気付きませんでした。……先輩は、これ二冊ともプレゼントしたんですか?」
「先ほどお前も言っていたが、こういう本は高いだろう。流石に二冊は無理だ。上巻のみで勘弁してもらった」

苦笑しながら真田はそう言うと、ふと思いついたように「ああ」と声を漏らした。

「そうだ、そういえばまだ下巻は買っていないだろうから、お前は下巻にしたらどうだ」

その言葉に、は嬉しそうに頷く。

「はい、私も今そう思ったところなんです。柳先輩、まだ買っていないですよね?」
「ああ、俺も買うのは買ったがまだ渡していないからな。蓮二には明日渡すと言ってあるが、上巻も読んでいないのに下巻を買うとは思えんし、十中八九まだだろう」
「ですよね! じゃあ、そうします!」

そう言ってとても嬉しそうに笑いながら、は平台に積まれていた下巻を手に取る。
そして。

「じゃあ、今度は私がレジに行ってきますね。先輩、一緒に選んでくれて、ありがとうございました!」

満面の笑顔を浮かべながら頭を下げ、彼女はそのままレジへと走っていった。
その後姿を見送りながら、真田は微笑ましそうに笑う。
先ほどは妙な気分にもなったけれど、やはり彼女が誰かを喜ばせる為にプレゼントを選んでいる姿を見るのは、悪くない。
笑顔になったり、喜んでくれるだろうかと悩みながら考え込んだり、一生懸命になっている彼女を見ていると、なんだか自分まで幸せな気分になる。
――それに、彼女が今言った、「一緒に選んでくれてありがとう」という言葉。
あれを聞いた瞬間、少々くすぐったい気分になったけれど、彼女の役に立てたのだと思うと、真田はなんだかとても嬉しかった。

初稿:2007/07/15
改訂:2010/03/22
改訂:2024/10/24

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