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14:思いがけない1日 6

駅を出て、二人はそのままメインストリートに足を向ける。
休日の昼間、しかも天気がとてもいいということもあり、街はとても賑やかだ。
仲の良さそうな親子連れや、自分たちと同じくらいか、それより上の私服姿の学生っぽい友達連れなど、たくさんの人が楽しそうに休日の午後を楽しんでいる。

(うわーこういうの、久しぶりだなあ)

そんなことを思いながら、はきょろきょろと辺りを見渡した。
テニス部のマネージャーを始めてからずっと、平日も休日も関係なくテニス部の練習に明け暮れていたから、こんな風に誰かと一緒に私服で繁華街に遊びに出掛けるといったことが、なんだかとても久しぶりに思える。
しかも、その久しぶりの相手が――まさか彼になろうとは。

そう思うと、また鼓動が早くなった。
先ほどから、真田のことを意識しないように一生懸命取り繕っているのに、ふとしたことですぐに胸がドキドキして、なかなか平常心が保てない。
本当に今日無理はしていないかと心配してくれた優しさも、練習は早朝に済ませてきたとなんでもないように言ってのけたあの姿も、幸村と電話する横顔も、こちらを見てたまにふっと口角を上げ目を細めて零してくれる笑みも。
には全てが心臓に悪いくらい刺激が強く、その度に自分の感情を抑えるのに必死だったのだ。
彼のほんの些細な一挙一動だけでこんな風になってしまうなんて、一体何故なのだろう。異性と二人っきりでどこかに出かけるということが自分にとって初めての体験だから、ただ単に緊張してしまっているだけだろうか。それとも――その相手が彼だから、なのだろうか。
そんな疑問が一瞬脳裏を掠めたが、それをあまり深く追求してはいけないような気がして、は考えるのを止めた。

(……とにかく、先輩に変に思われないよう、落ち着かないと)

心臓を軽く抑えて、息を吐く。
今のところ、努力の甲斐あって、緊張はなんとか表面には出ていないと思う。
この調子でなんとか今日一日彼と普通に過ごせますようにと、祈るように思いながら、は隣を歩く真田を見上げた。
すると視線を感じたのか、真田もの方に視線を落とし、二人の視線がかち合う。
はまた一瞬ドキッとしたが、それをなんとか心の中で抑え込み、ごまかすように笑みを作って彼に話し掛けた。

「人が多くて、すっごくにぎやかですね」
「あ、ああ、さすが休日の昼間といったところだな」

真田がそう言って、会話が止まる。
ほんの少し沈黙したのち、今度は真田が思いついたように口を開いた。

、そういえば、昼はどうした?」
「あ、来る前に家で食べてきました」
「……そうか。いや、もし食べてないのだったら、何か食べられるところにでも入るかと思ったんだが」

真田は、そう言って軽く眉間に皺を寄せた。きっと、どうやって時間を潰すか一生懸命考えてくれているのだろう。
自分も何か考えなくてはと思いながら、は考え込むように口元に手を当て、口を開く。

「えっと……先輩も、お昼は済まされてますよね?」
「ああ、自主練の後で腹も減っていたからな。昼は家で済ませてきた」
「ですよね」

頷きながら、は再度辺りを見渡す。
すると、この通りのもう少し行った先に、なにやら人だかりが出来ているのが見えた。

「……先輩、あれ、なんでしょう?」
「ん?」
「あそこ、なんだか人がいっぱいいるみたいなんですけど」

そう言ってが指をさすと、真田はその先を追うように視線を向けた。

「ああ、本当だな。なにやら人が集まっているようだが……」

真田は呟くように言うと、被っていた帽子のつばをほんの少し上げる。
そして、ややあってから、に尋ねた。

「どうする、行ってみるか?」
「はい!」

真田の問いに即答して、は笑う。
すると、真田も微笑ましそうに「よし」と頷いて、二人はその人だかりに向かって歩き出した。

◇◇◇◇◇

やがて、二人はその人だかりの近くまでやってきた。
集まっている人のほとんどは、自分たちと同じくらいか、それ以上の年頃の人ばかりだ。
そして、その人だかりの中心にあったのは、一台のワゴン車だった。

「……何か売ってるみたいですね。食べ物、かな?」

軽く背伸びをして人だかりの中心を覗き込みながら、は言う。自分の背では、こうしないと奥の方が見えないのだ。

「ああ。どうやら移動販売車のようだが――」

真田がそう呟いたのを聞いて、は隣にいる彼を見上げた。

(先輩、背高いから、きっと奥の方までちゃんと全部見えてるんだろうなあ)

自分は必死に背伸びをしてやっと少し覗けるくらいなのに、彼は普通にしているだけで、全部見えるのだろう。
力強くて大きい彼の姿に、羨ましさとは違う何かを感じて、の心臓がまたその速度を速める。

、売っているのはクレープだそうだ」

そう言って、彼はの方を見た。
彼のことを考えている最中にふいに視線が合ったものだから、はドキっとして目をぱちぱちと瞬かせた。

「ク、クレープですか?」
「ああ。どうやらテレビで紹介されたこともあるらしいな。側の看板に、自慢がましく書いてあるぞ」
「へえ、だからこんなに人がいっぱい集まってるのかな」

そんなに美味しいのだろうかと、はまた背伸びをする。今度はもう少しよく見えるように、全力を出して奥の方を覗き込んだ。

「……見えるか?」
「はい、ちょっとだけなら、なんとか。……クレープかあ。いいなあ」

別におなかが空いているわけではないのに、なんだかとても口寂しくなって、興味を惹かれた。
それに何より、クレープという言葉がとても心をくすぐるのだ。こんなに人を集めているのだから、きっと美味しいに違いないだろうし――などと、そんなことをが思っていると。

「食べたいのなら、食べてもいいんだぞ」

ふいに彼がそう言い、は隣にいる彼を見る。
すると、彼はくすりと笑った。

「食べたいのだろう? ほら、お前の好きな『菓子』だぞ」

彼のその言葉と表情に、は思わずドキッとした。一週間前に電車の中でしたあの他愛のない会話を、彼は覚えてくれているのだ。
そんな想いをごまかすように、ほんの少しだけ熱くなった頬を、はぷうっと膨らませる。

「……先輩、私のこと、またお子様だとか思ってるでしょう?」

そう言って、は視線をふいっと明後日の方向に逸らす。

「今日は別にそんなことは言ってないだろう? 全く、そういうところが子どもっぽいというんだ」

真田は軽く苦笑すると、言葉を続けた。

、せっかくだし、食べたいなら無理せず食べたらどうだ。もう、後残り少しのようだぞ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、もうすぐ売切れだと言っている」

彼の言葉に、はぱっと顔を上げる。
耳を澄ましてみると、確かに彼の言った通り、売り子をしている若い女性がもうすぐ売切れだと声を張り上げているのが聞こえてきた。

「急がないとなくなるぞ、いいのか?」
「……た、食べます!」

焦るようにがそう言うと、真田はまたくすりと笑う。
――そして。

「よし、なら行って来い」

そう言って、彼は微笑ましそうに笑いながら、の頭を優しくぽんと叩いた。
彼のその動作に、の心臓は一気に高鳴りを増す。

「は、はい、行ってきます!!」

きっと赤くなっているであろう顔を彼に見られないように、咄嗟には視線を逸らした。
そして、持っていた鞄をぎゅっと握り締め、クレープを売っているワゴン車へと慌てて足を向ける。
しかし、彼は食べないのだろうかと思い、くるりと真田の方を向き直した。

「どうした、やめるのか?」
「いえ、食べます! けど、あの、先輩はいいのかなって……」
「……俺か?」

真田は少し驚いたように目を瞬かせてから、苦笑いをした。

「いや、俺はいい。お前だけで食べるといい」
「いらないんですか?」
「ああ」
「そうですか」

真田の返答に、はほんの少し残念そうにしながら頷く。
自分だけが食べるというのも気が引けるけれど、彼が要らないと言うなら仕方ない。
そんなことを思いながら、は今度こそクレープ屋の列の最後尾についた。

列に並びながら、自分の番がいつ来るかと、前のほうを覗き込む。
まだまだ前にはたくさんの人が並んでいる。ここまで来てもし買えなかったらどうしようと、は少し心配になった。

(私の番までに売り切れたりしないよね……)

買い終えて列を離れていく客や、ワゴン車のなかで一生懸命焼いている店主らしき人を見ていると、の中でクレープへの期待がどんどん高まってきた。テレビで紹介されたこともあるというのだから、きっとものすごく美味しいのだろう。
本当に彼はいらないのだろうかと思い、は真田がいるはずの後方を向いた。
すると、腕を組んでこちらをじっと見つめていたらしい真田と目が合う。
彼は一瞬少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに優しく笑いかけてくれた。
その笑顔の優しさには思わず顔を熱くしたが、それをごまかすように自分も笑顔を作り、彼に向かって手を振る。
すると、彼は優しく微笑んだまま組んでいた腕を解いて、応えるように片手を上げ、軽くひらひらと左右に揺らした。

(わわ……っ)

まさか、彼が手を振り返してくれるとは思わなかった。ドキドキして、は思わずその動きを止めて完全に固まる。
すると、彼がなにやら苦笑して指を指してきた。どうやら前を見ろという意味らしいと気付き、がくるりと振り返ると、自分の前に一人分の空間が出来ていた。いつの間にか、列が進んでいたのだ。
は慌てて前を向き、列に合わせて歩みを進めたが、自分の心臓はしばらく収まってくれなかった。

やがて、自分の番が回ってきて、は財布を取り出す。売り子の元気なお姉さんから、お金と引き換えにクレープを受け取って列を離れ、貰ったクレープを見つめた。

(うわあ、本当に美味しそう)

持っている手に、焼きたてのクレープの温もりが伝わってくる。フルーツとクリームがたっぷり入っているクレープはとても美味しそうで、見ているだけでもなんだか嬉しくなって、頬が緩んできてしまう。
つい、その場でかじりつきたくなった気持ちを抑えて、は真田の元に戻った。

「お待たせしました、先輩」
「どうやら買えたようだな。良かったな」

そう言って笑う彼の手には、缶コーヒーがあった。どうやら、がクレープを買っている間に、彼も買ったらしい。

「先輩も、コーヒー買ったんですね」
「ああ、自動販売機が目についたのでな。……では、どこか座れる場所を探して一休みするか」
「はい!」

真田の言葉に、は笑顔で頷いた。

◇◇◇◇◇

やがて数分後、二人は近くにあった公園に入り、空いていたベンチを見つけた。

「そこが空いているな。座るか」

そう言って、真田が先にベンチに腰を下ろす。続いて、もその隣に座った。

(……なんだか緊張しちゃうなあ)

彼が隣に座っていると思うだけで、心臓がその速度を上げる。
それをごまかすように、は持っているクレープに口をつけた。

「あ、ほんとに美味しい」

フルーツとクリームの甘さが口の中に広がった瞬間、は思わず笑みを零す。
まだほんのりとあたたかいクレープは、思っていたよりずっと美味しかった。
口の端についたクリームを指の先で取って、それを軽く舐めると、その甘さにまた頬が緩む。

「……美味いか?」
「はい!」

ふいに隣から聞こえてきた声に、は反射的に頷いてそちらを見上げる。
その瞬間、コーヒーを片手に微笑んでいる彼の顔が目に入り、の心臓が跳ねた。

「あの看板に偽りはなかったか、良かったな」

そう言って、彼は持っていたコーヒーの缶を口に運びながらも、優しく微笑ってじっとを見つめた。

「そ、そうですね、さすがテレビに出ただけありますよ!! とても美味しいです」

が大袈裟に笑って言うと、彼もまた、ふっと笑う。
その表情に、自分の脈がどんどん速度を上げるのを感じながら、は言葉を続けた。

「先輩は、クレープ本当に良かったんですか?」

その言葉に、真田は苦笑した。

「ああ、俺はいいんだ。別に甘いものが嫌いなわけではないが、その大きさともなると、ちょっとな。ひと口やふた口ならともかく、流石にそれをまるまる一つは食えん」

――ひと口やふた口。
その言葉に、の手が止まる。

(ひと口なら、先輩、食べるのかな……)

このクレープは、本当に美味しい。
ひと口やふた口あげるくらい全く構わないし、美味しいものは誰かと共有した方が自分も嬉しくなるから、むしろ食べてもらいたいくらいなのだけれど。
でも彼に対して「ひと口どうぞ」と言うのは、どうなのだろう。

(先輩、そういうの気にしないかなあ)

もし隣にいるのが真田でなく、や他の女友達だったりしたら、躊躇うことなくひと口どうぞと言っていただろう。
けれど、彼にはなんとなく言いだしにくい。
そんなことを思って、が食べる手を止めていると。

「どうした、食べないのか?」

手が止まったを不思議に思ったのか、真田がの顔を覗き込むようにして、不思議そうに問い掛けてきた。
慌てて、は彼の顔を見上げる。

「い、いえ」

首を振って、もう一度クレープに視線を落とし、ふた口目を食べる。
やっぱり、とても美味しい。彼が嫌でなければ、食べてみてもらいたい。
は、恐る恐る顔を上げた。

「あの、先輩」
「なんだ?」

手にしていたコーヒーをぐいっと飲んで、彼はの方を見る。
その視線にドキドキしながらも彼を見つめ返し、はおずおずと話を切り出した。

「あの……もし良かったら、ひと口だけでも、どうですか?」

そう言って、はクレープを彼の方に向ける。
――その瞬間、明らかに彼の表情が止まった。
やっぱり彼に対してこんなことを言うのは、馴れ馴れしくて失礼だっただろうか。

「あ、あの、すみません、コレ、本当に美味しいんで、先輩も良かったらと思ったんですけど……!!」

は、慌てて捲し立てる。

「ごめんなさい、なんか私、女友達にやるのと同じような感覚で言っちゃいましたけど……先輩に言うようなことじゃないですね! ごめんなさい、気にしないでください」

そう言って、はその場をごまかすように、大袈裟に笑った。
顔が熱い。
彼が引いているのではないかと思うと、彼の顔を見るのが怖かった。
やっぱり、こんなこと言わなければ良かった――そう思った時だった。

「い、いや、違うんだ!」

彼の慌てた声が聞こえて、は顔を上げた。
真田は、少しだけ赤い顔を片手で覆いながら、照れたように言葉を続ける。

「すまない、あまりそういうことを言われた経験がないもので、少々驚いてしまっただけだ。別に俺は」

そこで一旦言葉を止め、咳払いをしてから、彼は言葉を続けた。

「――俺は、気にしない……が」

そう言った真田を、そっとは見つめる。

「ほんとですか?」
「ああ、お前がくれると言うなら、貰おう」
「じゃあ……どうぞ」

そう言って、はクレープを真田に差し出した。
彼は持っていたコーヒーの缶を自分が座っているベンチの側に置くと、少し躊躇いがちに手を出し、それを受け取る。

「あの、こっちの方はまだ口つけてませんから!」

は、そう言って手付かずのまま残っている片側を指差した。

「あ、ああ」

頷きながらも、彼は少しの間そのクレープをじっと見つめていたが、やがてゆっくりとそれを口にした。
その瞬間、何故かの心臓が跳ねる。

「あの、美味しいですか?」

ドキドキしながら、彼が食べている様子をじっと見つめる。
彼は無言で目を瞬かせながら口を動かしていたが、やがて、ごくりと飲み込んだ。

「……ど、どうですか?」
「――ふむ、確かに美味いな」

呟くように、彼が言った。
その言葉に、は思いっきり顔をほころばせる。
自分が美味しいと思ったものを、彼も美味しいと言ってくれたことが、なんだかとても嬉しかった。

「本当ですか? 良かったあ!」

そう言って、とても嬉しそうにぱちんと手を合わせたを、真田は微笑ましそうに見つめた。

「まあ、少し甘過ぎのような気もするが、フルーツの酸味のおかげで甘ったるいというほどでもないし、美味いと思うぞ。ありがとう、

そう言いながら、真田は持っていたクレープをに返す。
それを受け取って、は笑った。

「いえ、良かったです!」
「なんだか、いやに嬉しそうだな」
「はい、嬉しいですもん! だって、自分が美味しいって思ったものを、他の人にも美味しいって思ってもらえるのって、嬉しくないですか?」
「はは、お前らしいな」

そう言って、彼は置いていたコーヒーの缶を手に取りながら、優しく笑った。
その言葉と表情に、の心臓がドクンと鳴る。

「あ、そ、そうですか? あ、あと、自分の味覚はおかしくなかったんだーっていう安心感もあるのかもしれないです」

急に高鳴った心臓をごまかすようにが言うと、真田はくくっと笑った。

「なんだそれは。やはり、お前はおかしな奴だな」
「す、すみません」
「あ、いや、別に悪い意味ではなくてだな」

が謝ったからか、彼は少し慌てたように言う。
少しの間、彼は何かを考え込み、言葉を探していたようだったが――やがて、彼は持っていたコーヒーの缶を口に運んでから、言った。

「……ただ、お前といると退屈しないと言いたかっただけだ。すまない」

その言葉に、顔が熱くなった。
ドキドキも止まらない――それどころか、際限を知らずどんどん高鳴っていくのを感じる。
落ち着けと自分に言い聞かせながら、は自分の手に戻ってきたクレープを食べた。
やはり美味しい。美味しいのだけれど、どうしても気持ちが集中出来ない。

(ああ、もう……!)

彼にとってみれば、今の言葉に特別な意味など微塵もないだろうに、こんなに動揺してしまう自分がなんだかとても恥ずかしかった。そんな感情をごまかすように、はただひたすらに残っていたクレープを食べた。

初稿:2007/06/20
改訂:2010/03/21
改訂:2024/10/24

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