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14:思いがけない1日 5

店を出た二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。

「……終わったな」
「終わっちゃいましたね」

そんなたった二言で、二人の会話は止まってしまった。
なんだか妙に気まずくなって、真田は思わず目線を逸らす。

「と、とりあえず駅の方へ戻るか」
「あ……はい、そうですね」

彼女の返事を聞き、真田は駅の方へと歩き出した。

、今日は休日だと言うのに、本当にお疲れ様だったな」
「先輩こそ、お疲れ様でした」

彼女と並んで歩きながら、まるでこのまま別れてしまいそうな会話をする。
しかし、真田の心中は複雑だった。
今日の唯一の目的であった、部の用事はあっさりと済んでしまった。これでもう目的は達したのだから、もう彼女とは別れるのが当然だ。これ以上一緒にいても何もすることは無いのだし、そもそもせっかくの久々の休日だったのだから、早目に彼女を家に帰してやって休ませてやった方がいいに違いない。
頭ではそう思っているのに、「これでもう別れる」という選択肢を、何故か素直に選べない。
待ち合わせて彼女と顔を合わせてからまだほんの三十分ほどしか経っていないのに、もうこれで別れるのかと思うと、なんだかあっさりし過ぎているような、どこか物足りないような、勿体ないような――なんというか、とても空虚な感覚がする。

(だが、これ以上一緒にいても、することなど何もないのだしな……)

そんなことを思って、真田が溜息にも似た息を吐いた、その時。

「……先輩、これからどうされるんですか?」

ふいに彼女から話し掛けられて、真田は慌てて我に返る。

「あ、ああ――そうだな」

この後一体、自分はどうするのだろうと思いながら、真田は考え込むように口元に手を当てた。
正直なところ、今彼女と別れようが別れまいが、この後特に何の予定も無いことには変わりがないのだ。
返答に詰まり困ったように眉間に皺を寄せていると、彼女が更に問いを重ねてきた。

「帰って、テニスの練習をするとか?」

そう言って、彼女は笑う。

「いや、今日の分の自主練は午前中に済ませてきた」
「え、そうなんですか?」
「午前中の方が、心身ともに引き締まった練習ができるからな。丸一日部の練習が無く、家で自主練をする時には、大抵早朝から午前中に集中して済ませてしまうことが多いな。無論、午後にも基礎練や筋トレ程度はするが」
「わー、なんていうか、さすが先輩……!!」

そう言って、は心から感心したような声を上げる。そんな彼女から、真田は少し照れ臭そうに視線を逸らした。
なんだかくすぐったい気持ちを一生懸命自分の中でごまかして、真田は咳払いをする。

そうしているうちに、駅が近づいてきた。
やはりこれでもう別れなければならないだろうなと思った、その時――ふいに、真田は先ほど受けた幸村からの電話のことを思い出した。

(そういえば、彼女と別れる前に電話してくれと言われていたな)

真田はポケットから電話を取り出し、彼女に声を掛けた。

「すまない、。先ほどお前がレジでお金を払っている間に、幸村から電話を貰っていたんだった。後で掛けなおすと言って切ったので、今掛けてもいいだろうか」
「あ、そうだったんですか。はい、勿論どうぞ!」
「すまないな、ちょっと待っていてくれ」

そう言って、真田は携帯を操作し始める。
着信履歴から電話番号を呼び出し、指の先で発信ボタンを押すと、そのまま携帯を自分の耳に押し当てた。
一体、何の用事だろう。確か、彼女にも用事があると言っていたが―― 携帯の奥に響くコール音を聞きながらそんなことを思っていると、唐突に単調な音が途切れ、耳に聞き慣れた親友の声が届いた。

『もしもし、真田? 用事は終わったのかい?』
「ああ、俺だ。待たせてすまなかったな、用事は済んだ。一体どうしたんだ?」
『えっと、さんはまだ一緒?』

彼の口から飛び出した彼女の名前に少々ドキっとしながら、真田は電話口で頷く。

「ああ、まだ一緒にいるが……どうした? もしかして、俺ではなく彼女に用があるのか?」

そういえば、幸村は彼女の携帯番号など知らないはずだ。だからもしかして、本当は自分ではなく、自分を介して彼女に用があったのかと真田は思ったのだ。
隣にいる彼女をちらりと一瞥しながら、真田は幸村に問いを重ねる。

に換わった方がいいのなら、このまま換わるが……」

しかし、幸村が彼女に用事があるのだとしたら、一体どんな用なのだろう。いつの間にか、自分の知らないところで個人的に用ができるほどの繋がりが二人の間に生まれていたのだろうか。
そんなことを考えてしまい、真田が胸の中になんだか妙にもやもやしたものを感じた、その時。
電話の向こうの親友が、明るい声で思いがけない言葉を返した。

『あ、別に換わらなくてもいいよ、キミが伝えてくれれば。用があるのは、キミと彼女、両方だからね』
「両方?」

予想外の言葉に、真田は思わずおうむ返しに問う。すると、幸村はふふっと笑って言葉を続けた。

『うん、あのさ。もう用事は終わったんだろ? だったらさ、今から俺のとこに遊びに来る気ないかい? ……二人一緒にさ』
「……二人一緒に? 今からか?」

まさか見舞いの誘いだったとは思わなかった。
あまりにも思いがけない言葉に、真田は面食らって言葉が止まる。

『うん、今俺すっごく暇してるんだ。駄目かい?』
「いや、俺は別に構わん。しかし、には聞いてみないとわからんな……」

そう呟いて、真田は側にいるにもう一度視線を落とした。
彼女は何度か自分の名前が出ていることが気になっているようで、不思議そうに瞬きを繰り返しながら、その目をじっと真田に向けている。

『じゃあ、聞いてみてよ。どうせなら、キミとさん二人で来てくれたほうが楽しいしさ』

真田は幸村の言葉に小さく「ああ、分かった」と頷いて、携帯を一旦耳から離す。
そして、携帯の送話口を軽く手で抑えながら、に問い掛けた。

、幸村がこれから見舞いに来ないかと言っているんだが」
「お見舞い? 幸村先輩のですか?」
「ああ。暇をしているらしくてな。話し相手でも欲しいのだと思うが」

真田がそう言うと、は迷う様子もなく、嬉しそうに笑みを浮かべて頷いた。

「そうなんですか。はい、私も行ってもいいのなら是非!」
「本当にいいのか? もし用事があるなら、無理しなくともいいんだぞ」
「大丈夫です、私、この後何にも予定とか無いので!」

そう言って、はまた微笑んだ。その表情に、真田の胸が跳ねる。

「そ、そうか、分かった。では幸村に伝えよう」

何故か急にまた脈が加速度を上げたことに内心慌てながら、真田は携帯を耳に戻し、幸村に返した。

「もしもし。幸村、も特に予定は無いそうだ。今から二人でそちらに向かおう」
『ほんとかい? ありがとう! それじゃ、二人が来るのを楽しみに待っているよ』

そう言って、電話の向こうの幸村はとても嬉しそうに笑う。

「ああ。そうだな、ここからだと三十分ほどは掛かるだろうが、少し待っていてくれ。……では、また後でな」

電話を切り、真田はその携帯をポケットに仕舞いながら、に尋ねる。

「本当にいいのか?」
「はい、大丈夫です。本当に用事とかないですし。むしろ誘って頂けて嬉しいくらいです!」

そう言うと、彼女は笑った。
これでもうしばらく一緒に行動できるのだなと、何気なくそんなことを思いながらも、真田もまたほんの少しだけ頬を緩める。

「そうか、ならば行くか」
「はい!」

真田の言葉に、彼女は嬉しそうに頷く。
そして、二人はそのまま駅に向かって歩き出した。

◇◇◇◇◇


電車に乗り、やがて目的の駅に着いた。
他愛のない話をしながら、人通りの多い駅のプラットホームを歩いていた時――突然、が足を止めた。

「どうした、

そう言って、真田も彼女に合わせるように足を止める。

「いえ、何か音が……」

彼女は呟くように言うと、耳に掛かっていた髪を掻き上げた。そして、その手を耳に添えるような仕草をして動きを止める。
ややあってから、彼女は口を開いた。

「やっぱり。この音、先輩の携帯の音じゃないですか?」

そう言って彼女は顔を上げ、音の鳴っている方――真田のポケットを見つめた。

「携帯?」

驚きながら、真田はポケットから携帯を取り出す。すると、彼女の言う通り、確かに携帯が鳴っていた。

「全く気がつかなかった。ありがとう、

いつから鳴っていたのだろうと思いながら、真田は自分の携帯のディスプレイに視線を落とす。
そこにあったのは、先ほど電話を掛けてきた幸村の名前だった。

「ん? また幸村か」

少々驚きながらそう言って、真田は人通りの邪魔にならないところに移動し、通話ボタンを押した。

「もしもし、真田だが」
『ああ、真田。何度もごめん、俺だけど。……今、どこ?』
「つい先ほど駅に着いたところだ」

そう言って、側にあった駅の時計を見上げた。
電車に乗る前に幸村に電話をしてから、約二十分ほどが経過している。このまま向かえば、先ほどの電話で彼に宣言した通りの時間には着くことが出来そうだ。

「そうだな、あと十分もあれば病院に着くぞ」

真田の言葉に、幸村は小さな声で「そうか」と呟くと、続けて話を切り出した。

『……あのさ、真田。悪いんだけど、どこかで一時間くらい、時間潰してきてくれないかな』
「……何?」

幸村のその言葉に驚いて、真田はほんの少しだけ目を見開く。すると、側にいたが、どうしたのかと真田の顔を見上げてきた。

「どうかしたんですか、先輩」

小声でそう話し掛けてきたに、真田は携帯を耳に押し当てたまま軽く首を捻って、「よく分からない」というジェスチャーを返す。
そうしていると、電話の向こうの幸村が、申し訳なさそうな声で言った。

『実は、今から親戚が来ることになってさ。俺、ちょっと相手しなくちゃいけないみたいなんだ。こっちから遊びに来ないかって言っておいて、本当に悪いんだけど』
「なるほど、そういうことか。ならば仕方ないな。しかし、それなら俺達は帰ったほうがいいのではないか? 俺達のことなら気にしなくていいんだぞ」

幸村に気を遣わせないようにと、真田は言う。
しかしそうなると、このまま何もせずにとんぼ帰りするということか。それはそれで、せっかく彼女と共にここまで来たのに少し勿体無いような気もするが――まあ、仕方がないか。
そんなことを思って少し残念な気分になりながら、真田はに視線を落とす。
彼女は、全く意味がわからなそうに目をパチパチと瞬かせていた。
電話の中身が聞こえていないのだから意味が分からないのは当然なのだが、その不思議そうな表情が可愛らしくて、真田はついくすりと微笑った。

『いや、そんな親しい親戚でもないし、すぐ帰ると思うんだ。もしかしたら三十分ほどで帰るかもしれないし、出来れば近くで時間潰して待ってて欲しいんだけど……ダメかな』
「俺は構わんが……今日は俺一人ではないからな……」

そう呟いて、真田は困ったように眉根を寄せる。
自分一人だけの問題ならば、三十分だろうが一時間だろうが時間を潰して待っていることなどお安い御用だが、今日は彼女もいるのだ。彼女まで付き合わせるのは、可哀想ではないだろうか。

さん、この後特に予定はないんだよね?』
「ああ、先ほどはそう言っていたが……」
『じゃあ、ちょっと聞いてみてよ。もしさんが難しいようなら、勿論無理にとは言わないからさ』

幸村の言葉に「ああ」と小さな声で頷くと、真田は携帯を耳から離す。
そして、先ほど幸村が言っていた話を、そのまま彼女に繰り返した。

「……というわけで、幸村がどこかで時間を潰して待っていて欲しいと言っているんだが」
「あ、そういうことだったんですか。はい、いいですよ」

真田の言葉に、は躊躇わずに即答した。

「いいのか? 別に帰ってもいいんだぞ?」
「いえ、本当に私、この後何にも予定とかないんですよ。家に帰ってしたいこともないですし、このまま一緒にお付き合いさせて下さい」

笑顔で、彼女は言う。
その彼女の顔を見ていると、無理をしているとか、気を遣っているとか、そんな様子は全く感じ取れない。ならば、もうそれ以上自分が何も言うことはないだろうと、真田は笑みを浮かべ頷いた。

「よし、分かった」

そう言うと、真田はもう一度携帯を耳に押し当てた。

「幸村、も付き合ってくれるそうだ」
『そうか、良かった。真田、さんにどうもありがとうって伝えておいて』
「ああ、分かった。では、一時間後に病院に行ったらいいか?」
『うーん、多分それくらいだと思うけど、はっきりとは分からないから、親戚が帰ったらまたこっちから電話するよ。悪いけど、それまではどこかで時間潰して待っててくれるかい?』
「承知した。電話を待っているぞ。……ではな」
『うん、本当にすまないね。それじゃ、また後でね』

幸村がそう言って、通話が切れたのを確認してから、真田は携帯を耳から離す。
そして、ボタンを押して自分も通話を切りながら、に話し掛けた。

、幸村が『ありがとう』と言っていたぞ」
「私もこの後何もやることが無くて困っていたくらいなので、こちらこそありがとうございます、なんですけどね」

そう言うと、彼女は嬉しそうに笑う。その表情につられて、思わず真田も笑みを零した。
――しかし。
次の瞬間、真田ははっとして息を呑む。

これから約一時間も、彼女と二人で一体何をすればいいのだろう。
自分一人だけなら、どうにでもするのだが――そんなことを思いながら、真田は困ったように眉根を寄せる。
すると。

「あの、先輩。それじゃあ、これからどうしましょう?」

先に彼女に問い掛けられて、真田は慌てて顔を上げた。

「そうだな、どうするか……」

そう呟いて、また真田は止まる。
――いったい、彼女と二人、何をして過ごせばいいのだろう。
ここ数年、休日のほとんどをテニス部の練習で過ごしていた真田にとって、休日に誰かとどこかへ出かけて時間を過ごすということは、滅多にあることではなかった。
大会が終わった後の秋から春先にかけてのオフシーズンの時は、部活もある程度休みが出来るので、テニス部のメンバーやクラスメイト達に誘われて、放課後や空いている休日に遊びに出かけたりすることも無いことは無い。
しかし、大抵自分は誰かが立てた予定に従って着いていくだけだ。自分で計画を立てて他人を誘うということはほとんどなかったので、こういう時に一体何をすればいいのか、皆目見当もつかなかった。
少し自分が情けなくなりながら、真田はに尋ねる。

、どこか行きたいところはあるか? すまない、普段テニスばかりしているもので、こういう時にどうやって時間を潰せばいいのか、よく分からんのだが」

真田の言葉に、も少々困ったように眉根を寄せる。

「えっと……そ、そうですね。この辺りって、何があるんですか? 私、この辺りに来たのはこの前のお見舞いの時が初めてで、余り詳しくなくて……。病院の手前に、商店街がありましたっけ?」
「ああ、確かにあの辺りに商店街はある。……しかし、反対側の出口の方が駅の正面に当たるので、いろいろと店などは多いな」
「……じゃあ、とりあえずそっち行ってみましょうか」
「そうだな」

ぎこちなくそう言い合い、二人は歩き出した。

◇◇◇◇◇

真田との電話を切り、幸村は病室のベッドの淵に座ったまま、ふふっと笑った。

(どうやら、うまくいったかな)

そんなことを思い満足そうな表情を浮かべながら、幸村は部屋の壁に寄りかかって全てを見守っていた人物に声を掛ける。

「柳、お待たせ。電話終わったよ」
「そうか。精市、ご苦労だったな」

そう言って笑ったのは、柳だった。

「どうだ、上手くいったか?」
「ああ、バッチリ。真田、全然疑ってないよ。おそらくさんもね」

――そう、幸村がつい先ほど真田達に言った言葉は、全てでまかせだった。
親戚が来る予定など、一切ない。ただ、せっかくの休日に二人で出かけることになったのだから、少しでも二人きりで過ごす時間を増やしてやりたくて、幸村と柳が考えた作戦だったのだ。

あの真田のことだ、放っておけば、用事が済んだらすぐに彼女と別れてしまうだろう。
例え心の底では彼女と一緒に過ごしたいと思ったとしても、何か特別な理由でもない限り、真田が彼女を引き止められるとは思えない。そして、彼女の方もそんなことを言いだせるような性格には見えなかった。
だから昨日の夜、幸村と柳は電話でやりとりして、あの二人が部活の用事が済んだ後も一緒に過ごせるようにするための策を考えたのだ。
二人で見舞いに来て欲しいと言えば、きっとあの二人は断らないだろう。

「ふふ、あの二人、どうやって過ごすと思う?」

嬉しそうに笑いながら、幸村は言う。
それに柳が「ふむ」と頷いて、顎の下に手を添え考えるような仕草をしながら、言葉を返した。

「弦一郎は、こういったことに慣れていないからな……せいぜい、喫茶店かファーストフードあたりでお茶でも飲めば、合格点といったところか」
「そうだね、一時間って言ってあるし、余り遠くにはいかないだろうしね。でも、それで少しでもお互い自分や相手の気持ちに気付けばいいんだけどね」
「ああ、そうだな。またと無いせっかくの機会だ、少しは進展して欲しいものだが」

そう言って苦笑する柳を横目に、幸村は窓の側へと歩み寄る。
陽射しが心地良く、とてもいい天気だった。

「今日は絶好のデートなんだし、頑張って欲しいなあ」

呟くように言って、幸村はくすりと笑った。

初稿:2007/06/10
改訂:2010/03/21
改訂:2024/10/24

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