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14:思いがけない1日 4

真田は、その場に残ってじっと彼女の後姿を見つめていた。
――なんだろう、この感じは。
先ほど店に入るまでは決して気分は悪くなかったのに、彼女とあの男性店員がとても親しげに話していたのを見てから、何故か妙なイライラが止まらない。
世話になったと言っていたが、一体どんな世話になったと言うのだろう。
そんな些細なはずのことが、真田はなんだか気になって気になって仕方がなかった。

しかも、見慣れているはずの彼女の笑顔にも、微妙な感情を抱いた。
部活中などに、ふいに彼女があの笑顔を向けてくれるととてもあたたかい気持ちになれるから、彼女の笑顔は決して嫌いではないのに。
それが、先ほど彼女があの店員と話していたときに見せていた笑顔には、あたたかい気持ちなど微塵も感じることが出来なかった。それどころか、なんだかもやもやした感情さえ覚えたような気がする。
何故なのか、理由は全くわからないけれど。

考えれば考えるほど、微妙な感情が心を支配する。
気持ち悪い、と思ったその時だった。

「どうかなさいましたか?」

ふいに横から声を掛けられ、真田ははっと顔を上げる。
すると、先ほど彼女と話していたあの店員が、彼女に見せていたのと寸分違わぬ笑顔を浮かべて、そこに立っていた。

「いえ、別に」

視線を逸らしながら答えて、真田はの方を見る。
彼女は、レジで他の店員に相手をして貰っているようだ。
じっとその背中を見ていると、彼がくすりと笑った。

――いったい、何がおかしいというのだ。

なんだか自分が笑われたような気になり、真田はむっとして睨むように彼を見る。
しかし彼は、真田の視線などものともせず、どこか楽しそうに言った。

「実は私、以前ウチであの子が商品を選んでいた時に、少々手伝わせて頂いたことがあるんですよ」

そして、その店員はもう一度の方を見ると、「ただそれだけなんですけどね」と付け加え、笑う。
何故そんなことを言うのかと思いながらも、気になっていたことではあったので、真田は少しだけ心が落ち着いたような気がした。

「ああ、世話というのは、そういうことですか」
「はい、そうです。会うのも今日で二度目です。だから安心してくださいね」
「はあ……」

返事はしたものの、彼のその言葉に真田は内心首を捻る。
一体、何を安心しろというのだろう。
訳が分からず瞬きをしていたその時――ポケットに入れていた真田の携帯が、急に音をたてた。

「電話か?」

そう呟いて、真田はポケットから携帯電話を取り出す。
すると、携帯に付いていたストラップの鈴が、ちりんと音を立てた。
それを見た瞬間、その店員が小さな声を漏らす。

「あ、それは……」

そう言うと、彼は「やっぱり」と呟き、笑った。

(一体、先ほどから何だと言うのだ)

真田は怪訝に思いながらも、気になって彼をちらりと見る。
しかし、手の中で自己主張するように鳴り響く携帯を、そのままにしておくわけにもいかなかった。
慌てて視線を彼から携帯に移し、そのディスプレイを覗き込む。そこには、「幸村精市」という文字が表示されていた。

「幸村か?」

店の中で通話をするのは自身のマナーに反するので、真田はその店員に軽く頭を下げ、店の外に出る。
そして、おもむろに通話ボタンを押した。

「もしもし、真田だが」
『ああ、真田? 俺だけど』

携帯の向こうから、親友の明るい声が聞こえてきた。
その声からすると、どうやら今日は調子が良いようだ。
ホッとしながら、真田は言葉を返す。

「すまない、幸村。今は用事の途中でな。後でこちらから掛ける」
『あ、そうなんだ。うん、分かったよ。――じゃあ』

そう言って、彼は一旦電話を切ろうとしたが、すぐに慌てて付け加えるように声を発した。

『あ、真田さ、今さんと一緒なんだよね? 部の買出しって聞いたんだけど』
「ん? ああ。よく知っているな。蓮二から聞いたのか?」

真田が尋ね返すと、「まあね」と言いながら、電話の向こうの親友はふふっと笑う。
そして、彼は言葉を続けた。

『あのさ。さんが急いでいないなら、彼女と別れる前に電話してくれないかな。彼女にもちょっと用事があるんだ』
「ああ、分かった」
『悪いけど、よろしくね。じゃあ』
「ああ、また後でな」

真田がそう答えると、今度こそ電話は切れた。
一体何の用事だったのだろうと思いながら、真田は携帯を手に、また店内に戻る。
彼女のほうは終わっただろうかと、ふとレジの方を見てみると、彼女はまだレジで店員と話しているようだった。
その背中を、真田がじっと見つめていると。

「あの」

背後から声を掛けられ、真田は振り向く。
すると、そこには先ほどの男性店員がいた。

「……何か?」

まだ用があるのだろうかと思いながら、真田は彼に向き合う。

「あの、貴方の携帯に付いているそのストラップなんですが――もしかして、あの女の子から誕生日のプレゼントにって貰ったものではないですか? タオルと一緒に」

そう言って、彼はにこにこした表情を浮かべながら、軽く人差し指でレジにいるを指した。
いきなりそんなことを言われたので、思わず真田は眉間に皺を寄せる。
なんでそんなことをこの店員が知っているのかと、しかもそれを自分に尋ねてどうしたいのかと思いながら、真田は訝しげな視線を彼に向けた。

「確かに、そうですが……それが何か」

少しイライラした声で、真田は答える。
しかし、それとは対照的な優しい笑みを浮かべて、彼は言った。

「実はですね、以前私があの子の商品選びを手伝ったと言うのは、それのことなんですよね」

店員は微笑ましそうにの背中を見つめて、言葉を続ける。

「あの日、朝一番に店に飛び込んで来たので、よく憶えているんですが……。とってもお世話になっている人だから、この機会に少しでも感謝の気持ちを返したいんですって、とても一生懸命選んでいましたよ」

その言葉に、真田はどきりとして目を見開き、全ての挙動を止めた。

――あの日、そんなことがあったのか。
店員が記憶しているほど、彼女はとても一生懸命心を込めて、俺のためにあの品を選んでくれていた――

途端、真田はかあっと顔が熱くなったのを感じ、思わず片手で口元を覆った。
心拍数もどんどん上がってきている――これは一体、なんなのだろう。

「あ、でもこのことはここだけの話にしてくださいね」

そう言って、その店員はとても楽しそうに、尚且つとても微笑ましそうに笑う。
しかし真田は自分の心身の変化に焦り、「はあ」と小さく返事するのがやっとだった。
その時。

「先輩、お待たせしました! 終わりましたよ」

ふいに、彼女の声が聞こえた。
ぱっと顔を上げると、が軽く手を振って、こちらに向かってくるのが見えた。
その顔を見た途端、真田の心拍数がまた急激に上昇する。

(一体、なんなんだ)

分からなかった。
あの店員に彼女の話を聞いてから、明らかに自分の心身に変化が起きているのは間違いないのに、その理由が全く分からない。
ただ間違いないのは、今の自分はほとんど動いてすらいないのに、まるで軽いトレーニングでもしたかのように、心拍数が上がっているということだけだ。
いや、トレーニングのときとは少し違う気がする。
肉体的な疲労感は全くなくて、ただ心臓が早く動いているだけというか、心臓に妙な負担が掛かっているだけというか――

「……先輩? どうかしましたか?」

はっと気がつくと、彼女が側で不思議そうな顔をしているのに気がついた。
慌てて、真田は返事をする。

「あ、ああ。すまない、ちょっと待ってくれ」

声を掛け、彼女から視線を逸らして天井を見つめた。
そして、深呼吸をするように、真田は大きく息を吐く。

――よし、大丈夫だ。

まだほんの少し脈は早いが、どうやらなんとか落ち着いたと一安心し、真田はに視線を戻した。
目を瞬かせながら、彼女が不思議そうに自分を見上げている。
彼女の瞳を見つめると、ほんの少しまた脈が加速度を増したけれど、先程のようにおかしな不整脈というほどではなかった。
真田は、咳払いをして彼女に話し掛けた。

「すまない、少しばかり考え事をしていてな。……領収書はちゃんと受け取ったか?」
「はい、これです。領収書なんて貰うの初めてだから、なんだか緊張しちゃいました! これであってますか?」

そう言って、は一枚の紙切れを差し出す。
それを受け取って、真田はざっと目を通した。

「ああ、これで大丈夫だ。ちゃんと形式通りになっている」
「そうですか、良かった!」

その言葉に、は安心したように頬を緩める。

「ではこれは、明日会計の蓮二に渡してくれ」

真田は、手にしていた領収書をに返した。

「はい、分かりました!」

元気良く頷きながら、それを両手で受け取って、は自分の財布に仕舞いこむ。
彼女が財布を仕舞い終わるのを待って、真田はに話し掛けた。

「それでは、行くか」
「そうですね」

二人がそう言い合うと、あの店員はにっこり笑って「ありがとうございました!」と二人に声を掛けた。

◇◇◇◇◇

――出て行った二人を見ながら、男性店員はくすりと笑う。
そんな彼に、同僚の店員が声を掛けた。

「なあ、いやに楽しそうに話してたけど、知り合いだったのか?」
「知り合いってほどのもんじゃないかな。いや、あの女の子と前に少し話したことがあってさ。それであの子と話してたら、男の方が俺のことものすごい顔つきで見てきたんだよ。こりゃ完全に誤解っつーか、嫉妬されてるなーと思って、お節介を少しばかりな」
「え、わざわざその子との関係を説明してやったわけ? 優しいなあ、お前」
「まー男の方が一方的に嫉妬してるだけなら、別に勝手に勘違いでもなんでもどうぞって感じだけどさ。あの女の子の方も明らかにあの男のこと好きっぽかったからなあ。万が一あの男が誤解してたとしたら、あの子が可哀想かなって思ってさ」
「なるほどね。いやーいいねー、青春だねえ」
「だな」

二人の店員は悪戯っぽく笑いながらそう言うと、それぞれまた通常の仕事に戻ったのだった。

初稿:2007/05/31
改訂:2010/03/20
改訂:2024/10/24

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