「皆、ただいま!」
持っていた二本の缶をまとめて片腕に抱え込みながら、幸村は笑顔で自分の病室のドアを開ける。
すると、ベッド周りで話していた皆の視線が、一気にドアの方に注がれた。
続いても病室に入り、ドアを閉める。
「あ、やっと戻ってきた」
「待ちくたびれたぜぃ」
二人の姿を見るなり、切原と丸井が笑いながら言う。
そんな二人に「ごめん、ちょっとね」と笑いかけながら、幸村は持っていた缶を適当にシュークリームの箱の隣に並べた。
「幸村、飲み物を買ってきただけにしては、いやに時間が掛かったのではないか?」
そう言ったのは、真田だった。
しかし、彼らしいいつもの仏頂面の奥に、ほんの少し何かを気にする様子が窺えた。
(ふふ、俺とさんが何をしてたのか、ちょっと気になってるのかな? まあ、きっと無自覚なんだろうけど)
そんなことを思って、幸村はくすりと笑う。
――そして。
「あ、うん。ちょっと彼女口説いててさ」
表情も変えず、あっけらかんと言い放った。
「くどっ……!?」
「ちょ、幸村先輩! 何言ってるんですか!?」
幸村がからかったつもりで言った言葉に、真田とがそれぞれ反応した。
顔を真っ赤にしながら慌てて声を荒げるとは対照的に、真田は言葉を詰まらせ、目を見開いて固まっている。
一方、他の皆は冗談ということが分かっているのだろう。
面白そうに笑いながら、幸村の言葉に乗ってきた。
「なんじゃ幸村。みたいなタイプが好みじゃったんか」
「それは知りませんでしたね」
冗談に乗りながら軽い調子で面白そうに笑う他の皆と、真田の様子は明らかに違っていた。
その反応を面白がりながら、幸村は無言で笑う。
「嘘ですよ、嘘! 嘘ですから!! そんな話全然してませんから!!」
真っ赤な顔をしたは、冗談を聞きながら笑う皆に、必死で否定の言葉を繰り返す。
仁王は、そんな彼女をからかうように笑った。
「おうおう、照れなさんなって」
「ち、違いますってば!」
そう言うと、はくるりと幸村の方を振り向いて、声を荒げた。
「ゆ、幸村先輩、全然そんなことしなかったじゃないですか!! もう、からかわないでください!!」
焦るの顔が、どんどん真っ赤に染まっていく。
そろそろやめておいた方がいいだろうか。
幸村は、くすりと笑った。
「あはは、ごめんね。冗談だよ」
幸村がそう言った途端、呆気にとられながらその成り行きを見ていた真田が、眉根を寄せながら片手でその額を覆って大きな息を吐いた。
「幸村は、相変わらずだな……」
独り言のように呟いた真田を、幸村はくすりと笑って見つめる。
俺が彼女を口説いたら、何かマズいの?――なんてからかいたくなる気持ちを、ぐっと抑えた。
一方はで、そんな真田の様子に気付くこともなく、顔を真っ赤にしたまま言葉を漏らす。
「もう、幸村先輩、変なこと言わないでください……」
「はは、ごめんね。でも、必死になっちゃってかわいいね、さん」
明るく笑って、幸村は言う。
「まだからかうんですか?」
がまた反応して口を尖らせた、その時。
「――幸村、をからかうのはそれくらいにしたらどうだ」
唐突に、真田が幸村との間に割って入ってきた。
幸村の顔を見てそう言った彼は、くるりとの方を向いて言葉を続ける。
「、こいつは人をからかうのが趣味のようなところがあるから、気にするな。むきになればなるほど面白がるぞ」
「あ、は、はい」
はまだ若干顔を赤く染めながら、真田の言葉に頷いた。
「あ、ひどいなあ、真田」
そんなことを言いながらも、咄嗟に彼女を庇った真田を嬉しそうに見つめ、幸村は笑う。
すると、シュークリームの箱の側に座っていた丸井が、しびれを切らしたように口を開いた。
「なーどうでもいいから、早くシュークリーム食べようぜー」
その言葉に、切原が同調するように首を縦に振る。
「そうっすよ、腹減ったっすー」
「はは、ごめんごめん。じゃあ、食べようか」
幸村が頷くと、丸井は嬉しそうに拳を振り上げる。
「よっしゃ! 食おうぜ!!」
そして、そう言ってシュークリームの箱に手をかけた。
◇◇◇◇◇
部活の話や県大会の話、そして学校や先生の話など、たくさんの話をしながらシュークリームをみんなで頬張る。
その日、人で溢れかえっていた病室から、話し声が絶えることはなかった。
――そして、二時間ほど経っただろうか。
「……む、もうこんな時間か」
真田がふと、そんな言葉を漏らした。
それにつられるように、皆も病室の時計を見る。
時間はもう、六時半を過ぎていた。
「あ、ほんとだ。こんな時間になってたなんて、全然気付きませんでした」
「これはいかんな。そろそろ帰るか」
真田はそう言うと、立ち上がって自分のラケットバッグに手を伸ばす。
すると、丸井が少し不満そうな声を上げた。
「六時半だったらまだいいんじゃねぇの? 面会時間、まだ大丈夫のはずだぜ」
「俺たちだけならばまあいいが、今日はが一緒だからな。あまり遅くなってはいかんだろう」
真田のその言葉に、の表情が曇った。
彼が自分のことを心配して言ってくれているのは分かるが、自分のせいで皆が早く帰らなければいけないなんて、申し訳なさ過ぎる。
「あ、あの、私なら大丈夫ですけど」
「いや、ここからいつもの駅に戻るまで、更にまだ時間がかかるだろう。今から戻っても、地元の駅に着いた頃には七時を回る。流石に、未成年の女子が一人で外をうろうろする時間ではない」
「……真田は相変わらず堅ぇな」
苦笑しながら、ジャッカルがぼそりと呟く。
しかし、耳聡くそれを聞きつけた真田は、眉間に皺を寄せジャッカルを睨みつけた。
「何を言っている。こういうことは、気をつけるに越したことはない。万が一何かあってからでは遅いのだし、俺たちを信用して入部を許してくださった彼女の親御さんにも申し訳が立たんだろう」
「そ、そうだな。すまねぇ」
そう言って頭を掻くと、ジャッカルも立ち上がり、自分のラケットバッグに手を掛けた。
つられるように、皆もどんどん帰る準備をし始める。
その成り行きを見守っていたは、ぎゅっと掌を握り締めた。
真田の気持ちは嬉しいが、自分一人のために皆が一斉に帰らなくてもいいのでは――そう思いながら、は恐る恐る口を開いた。
「あの、私一人で帰れますから、先輩達はまだゆっくりしててください」
「いや、お前一人を帰すわけには」
「本当に大丈夫ですから!」
真田の言葉を遮るように、思わずとても大きな声を出してしまい、はっとしては真田の顔を見上げる。
すると、その勢いに驚いたのか、病室にいた全員が少し驚いたようにを見つめていた。
――勿論、真田もその例に漏れず、目を見開いてを見つめている。
(あ、真田先輩、私のことを心配して言ってくれたのに……)
失礼な言い方をしてしまったと思いながら、は頭を下げ、言葉を続けた。
「あ、あの、ごめんなさい。先輩が私のこと心配して下さるのは嬉しいです、だけど、私に気を遣って先輩たちの行動まで制限されちゃうのは……その、すごく申し訳ないなって思うんです……」
は、眉をひそめながら言葉を綴る。
そんなを見つめ、真田は少々困ったような表情をした。
「……しかしだな」
「彼女の言う通りだと思うよ、真田」
何かを言おうとした真田を、今度は幸村が遮った。
「真田の言うことも分かるけど、これじゃ、彼女が辛いんじゃないかな。自分ひとりのために全員が何かを我慢するっていうのは、結構辛いものだからね。ね、さん」
幸村の言葉に、はこくんと頷いた。
そのやり取りを見ていた真田は、「む……」と小さな唸り声を上げる。
は再度視線を真田に戻し、申し訳なさそうに見つめながら、言葉を続けた。
「先輩が私を心配してくださっているのは勿論分かりますし、先輩のお気持ちは、本当に嬉しいんです。でも、ここは駅から近くて人通りもありますし、地元駅まで戻ったらすぐにバスに乗りますし、本当に大丈夫だと思うので、先輩達はどうかゆっくりしていって下さい」
はにっこり笑い、自分の鞄を手に取った。
「それじゃ、私は先に帰りますね。先輩達、今日はお疲れ様でした」
そう言うと、は笑顔で軽く手を振り、一人で病室を出て行こうとした。
しかし、その瞬間――背後から幸村の声が聞こえた。
「ちょっと待って、さん」
「え」
その声に足を止め、が少し驚きながら振り向く。
幸村は、真面目な顔でを見つめて、言葉を続けた。
「あのね、確かに俺は君の言うことに同意したけど、真田の言うことももっともだと思うんだ。もう日も落ちかけてるし、女の子が一人で帰るのは賛成しないよ」
「で、でも」
幸村の言葉に、は戸惑いながら言いよどむ。
そんな彼女を見つめてくすりと笑うと、幸村は真田に視線を移した。
――そして。
「ねえ真田。キミが彼女を送ってあげなよ。一緒に帰るのが真田だけなら、さんもそんなに気を遣わなくて済むんじゃないかな」
おもむろに言った幸村のその言葉に、は思わず驚いて声を上げた。
「え!?」
目を見開き、がその挙動を止める。
しかし、そんなの驚きなど気付く様子もなく、真田は幸村の言葉に納得し、頷いた。
「……ふむ、そうだな。それはいい考えかもしれん」
呟くようにそう言うと、真田は自分のラケットバッグを担ぐ。
「は俺が一人で送っていこう。しかし皆もあまり遅くはならないようにな。特に赤也。明日の朝練、遅刻するなよ」
「へいへい、分かってますって!」
真田の言葉に切原が笑う。
そして、一旦は帰ろうと立ち上がった他の面々は、またそれぞれ腰を落ち着けながら、ドアの付近に立っている二人に声を掛けた。
「真田君、さん、お気をつけて」
「弦一郎、彼女を頼むぞ」
柳生と柳の言葉に、真田は軽く頷く。
そして。
「ああ、ではな。――行くぞ、」
そう言うと、真田はドアの側に立って固まっていたの肩をぽんと叩き、病室を出た。
「え、あ、あの、真田先輩……!?」
事の成り行きに驚きながらも、は出て行った真田を追いかけようと足を外に向ける。
しかし、気付いたようにくるりと病室の中を見て、頭を下げた。
「あ、先輩達、今日は本当にお疲れ様でした!」
そんな彼女に、病室にいた残りの皆が笑顔を向ける。
そして、丸井やジャッカル、仁王が口々に挨拶をした。
「おう、もお疲れ!」
「また明日な、」
「、気ィつけて帰りんしゃい」
そして、最後に幸村が嬉しそうに笑いながら言った。
「また来てね、さん」
その言葉に、も笑ってこくりと頷くと、手を振っては真田の後を追いかけた。