真田とは、病院の手前で立ち止まって待ってくれていた他の皆に追いついた。
二人の姿を確認した丸井やジャッカルが、笑顔で二人に手を振る。
「ごめんなさい、途中ではぐれちゃって」
そう言って詫びるに、皆は気にする風もなく笑って返すと、揃って病院に入った。
皆は、病院の中を慣れた足取りで幸村の病室へと向かう。
しかし勝手の分かっている皆とは違い、は何も分からなかったので、そんな皆の後を後ろからただ一生懸命着いて行っていた。
エレベーターを降り、病院の独特の香りがする廊下をまっすぐ歩いて、ある病室の前で皆は歩みを止める。
(着いたのかな?)
一番後ろをついていっていたは、ドキドキしながら少し爪先立ちになって、皆の向こうにあるドアを覗き見る。すると、ドアの側に付いていたプレートに、「幸村精市」と書かれているのが見えた。
――やはり、ここのようだ。
先頭を歩いていた切原が軽く握った拳でそのドアを叩くと、中から柔らかい声で「どうぞ」と声が返って来たのが聞こえた。
そして、切原は勢いよくドアを開けた。
「部長、お久しぶりっす! 県大会、優勝したっすよ!!」
元気よく言いながら、そのまま先頭を切って切原が病室に入る。菓子箱を持った丸井や、ジャッカルも嬉しそうにそれに続いた。
「久しぶり! 遊びに来たぜぃ」
「よお、幸村。元気か?」
後ろで立ち止まっているには病室の中は見えなかったけれど、声の様子から、三人がとても嬉しそうなことが窺える。
――そして。
「ふふ、いらっしゃい、みんな。県大会、お疲れさま」
開いたドアの向こうから、聞き馴れない声がの耳に届いた。
男の人にしては少し高めで、落ち着いた優しい声だった。
これが、幸村先輩の声――思わず、の心臓が速度を増した。
「調子は良さそうですね」
「顔色もいいようじゃな」
「うん、ここ最近はずっと調子がいいんだよ」
続いて入った柳生と仁王がそう声を掛けると、あの優しそうな声の主が嬉しそうに答える。更に、柳と真田も続く。
「でも無理は禁物だぞ、精市」
「そうだぞ、幸村。お前はたまに信じられん無茶をするからな」
そんなことを言いながら、皆はどんどん病室の中に入って行く。
あっと言う間に、小さな病室は人でいっぱいになってしまった。
しかし、は何故か中に入るのがためらわれた。
でも病室の中への興味はどうしても抑えきれなくて、ドキドキしながら開け放したドアの外から、そっと中を覗き見る。
すると、嬉しそうな皆の隙間から、見慣れない顔が見えた。
少しウエーブがかった髪に、まるで女の人のような綺麗で整った顔立ち――部室にあった写真で見た通りの人が、あたたかな微笑みを浮かべて、皆の輪の中心に佇んでいた。
(あの人が、幸村先輩……)
彼はベッドの縁に座り、周りで立っている皆の顔を嬉しそうに見上げている。
微笑みながら皆と話している彼を、は遠巻きにじっと見つめた。
――その瞬間。
「彼」が、ふいにこちらを見た。
いきなり合った視線に焦って、は思わず頬を染め、目を瞬かせる。
そんなに、彼はにっこりと笑いかけた。
「君が噂のさん、かな? そんなところに立ち止まっていないで、入っておいでよ」
そう言って幸村がに手招きをすると、彼を取り囲んでいた皆も同じようにの方を向く。
ドアの陰からこっそり覗き込んでいるを見た皆は、おかしそうに笑った。
「そんなとこで何しとんじゃ、。入ってきんしゃい」
「お前さあ、そんな風に覗いてたらどっかのドラマに出てくる怪しい家政婦みてぇだぜ?」
丸井の言葉に、は少し顔を赤くして目を瞬かせる。
「す、すみません」
小さな声で恥ずかしそうにそう言いながら、はドアの側から離れた。
そんなを見て、幸村は微笑ましそうにくすりと笑う。
「ふふ、別に取って食ったりしないから、遠慮せずに入っておいで。大丈夫、俺は歴代でも一番優しい部長って評判だからね」
――しかし、彼がそう言った途端、皆が一瞬しんと静まり返った。
そんな皆の反応に、幸村は不服そうに口を尖らせながら皆の顔を見回す。
「……何、皆。その反応」
そんなことを言う彼に、皆は苦笑して視線を逸らす。
誰もが目を逸らして何も言わない中、小さな声で呟いたのは切原だった。
「……や、そんな評判あったかなー? ってか……なんつーかある意味、ウチで一番怖えーのは部長っつーか……」
微妙そうな表情で、苦笑いを浮かべながらそんなことを言った彼を、幸村は満面の笑みで見つめて言葉を返した。
「ふうん、そういうこと言うんだ、赤也。じゃあそのお言葉どおり、俺が復帰したら赤也にはスペシャルメニューを組んでプレゼントすることにしようか」
不気味なくらいに笑顔のままで、幸村はそう言い放つ。
その言葉に焦り、切原が慌てて口を開いた。
「ぶ、部長、勘弁して下さいよ〜!! いやもう、ほんと部長って優しいなあ〜!! 歴代イチ! い、いや、宇宙イチっす!!」
「もう遅いよ、赤也」
「はは、赤也。お前は口は災いの元という言葉を覚えた方がいいな」
柳がそんな事を言って、病室の中は皆の笑い声で包まれた。
少し離れてそんな光景を見ていたも、思わずくすりと笑う。
――ああ、皆、本当に仲がいいんだなあ。
そう再確認せずにはいられないくらい、皆の表情は今までが見た中で一番楽しそうだった。
こんなに明るい笑顔で喋り合うレギュラーメンバーなど、がマネージャーになってから初めて見た気がする。
先程、真田からは幸村への想いを聞かせてもらったけれど、きっと他の皆も同じような気持ちでいるのだろう。
この皆の関係って、ほんととても素敵なんだな――改めて、はそう思った。
すると。
「」
真田に名前を呼ばれて、ははっとする。
「は、はい」
慌てて真田の方を向くと、彼はくすりと笑いながら、言葉を続けた。
「いつまでそこにいるつもりだ。早く入って来い」
そう言って、真田が優しく笑う。
そんな彼の表情にどきりとしながらも、は頷いて病室へと足を踏み入れる。
が一歩中に入ると、幸村の側にいた丸井やジャッカルがその場所を空け、輪の中央にいた幸村もまた、笑顔で再度手招きをした。
皆が笑顔で自分を呼んでくれている、その光景を目の当たりにして、は思わず胸がいっぱいになった。
――ああ、私もこの素敵な輪の中に入れてもらえるんだ。
皆が、この場に笑顔で呼んでくれていることが、そしてこの中に自分もテニス部の一員として混ぜてもらえることが、本当に嬉しかった。
その嬉しさを抑えきれずに、思わず顔をほころばせて、は幸村の座るベッドの側へ近寄った。
「初めまして、幸村先輩。です」
そう言って、は深々と頭を下げる。
そんなに、幸村はもう一度優しく微笑みかけた。
「さん、初めまして。俺は幸村精市。今は入院してるけど、一応、立海大附属中テニス部の部長をやってる。さんの噂は皆から聞いてるよ。とても頑張ってくれてるんだってね、ありがとう」
「いえ、まだまだ先輩たちや切原君や、他の部員の皆に助けられてばかりで……。せめて足引っ張らないようにしなくちゃって思ってます」
苦笑しながらが言うと、柳が笑って口を開いた。
「いや、は充分頑張っているよ。なあ、弦一郎」
「ああ、大分助けられている」
「え……本当ですか? お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます……!」
こんなにストレートに褒めてもらえるとは思っていなくて、は少しはにかみながら、嬉しそうに頬を染めた。
少し後ろからを優しく見つめていた真田も、彼女の笑みにつられるように、目を細める。
そして。
その笑顔が連鎖するように、そんな二人の様子を見た幸村もまた、にこりと笑って柳と目を合わせた。
「あ、そうだ」
ふいに、思い出したようにが声を発した。
「これ、お見舞いのお土産にと思って買ってきたんです。貰って頂けますか?」
そう言って、は持っていた花のバスケットを胸の高さまで上げる。
「勿論! ありがとう、嬉しいよ。すごく綺麗だね」
笑顔で幸村はそれを受け取り、ベッドの側にあるサイドボードの上に置いた。
開いていた窓から風が吹き込み、ふわりと花を揺らすと、幸村は嬉しそうに笑った。
「ふふ、やっぱり花があるといいね。俺、ガーデニングも趣味でね、よく花植えたりしてるんだ。本当に嬉しいよ。ありがとう、さん」
「そうですか、良かったです! でも、これ私だけじゃなくて、皆からですよ。皆でお金を出し合って買ったんです」
そう言うと、はくるりと後ろを振り向き、「ね?」と言いながら、同意を求めるように皆に笑いかけた。
皆はその言葉に答えるように、笑って頷く。
そんな皆に、幸村は嬉しそうに言った。
「そうか、みんなありがとう。綺麗な花だね。バラとガーベラと、カーネーションかな? なかなか素敵なセンスだね」
ふふっと笑って、幸村は花を見つめる。そんな彼に、柳生が言った。
「それを選んだのはさんと真田君ですから、お二人のセンスが良かったんでしょうね」
その言葉に、真田が少々苦笑しながら口を開く。
「いや、一人が選んだようなものだ。俺もに着いては行ったが、見ていただけでな。正直あれだけたくさんあると、何がなんやら分からんな」
「え、でも私も結構店員さんに薦められるままだったじゃないですか。センスがいいのはあのお店の店員さんですね、きっと」
真田とのそんな会話に、幸村が興味深そうに反応する。
「へえ、二人で買いに行ったんだ」
「ああ。余り時間がなかったのでな、分担したんだ。花と、菓子と、荷物番というふうにな――そういえば、菓子はどうした?」
そう言って、真田は丸井を見る。
すると、思い出したように丸井が声を上げた。
「ああ! そだそだ、これもお土産な!」
丸井はそう言うと、持っていた洋菓子の箱を幸村に差し出した。
それを両手で受け取り、幸村は笑う。
「ありがとう、ケーキ?」
「いんや、今日はシュークリーム!」
得意そうに言って、丸井はへへっと笑った。
「そっか、シュークリームか。じゃあ、せっかくだし皆で食べようか。皆、大会が終わったばかりでお腹も空いてるだろ?」
幸村が笑顔でそう言った途端、丸井と切原が嬉しそうに拳を振り上げた。
「おっし! 待ってました!!」
「さっすが部長、話がわかるっすよね!」
そんなことを言って親指を立て合う二人を、真田とジャッカルは少々呆れ気味に、他の皆は微笑ましそうに見つめた。
「じゃあ、皆がお菓子を持ってきてくれたんだから、飲み物くらいは俺が提供しようかな」
幸村は持っていた菓子箱をサイドボードの花の側に置くと、ベッドから降り、備え付けの小さなワンドアの冷蔵庫に手を伸ばす。そんな彼の背中に、真田が声を掛けた。
「幸村、気を遣わなくていいぞ」
「優勝祝いくらいさせてよ、真田。それにほとんど貰い物ばかりだから、気にしないで」
そう言いながら、幸村は取り出した缶ジュースを次々腕に抱える。
それを見たは、側に駆け寄って横から手を差し出した。
「幸村先輩、持ちます」
「ありがとう、さん」
幸村はにこりと笑って、抱えていたジュースをに手渡す。
そしてまた、開いた両手で冷蔵庫の中を探り出した。
「えっと、今何人いるんだっけ?」
幸村の言葉にいち早く反応した切原が、人差し指で一人一人を指しながら、人数を数える。
「えーっと……七、八……九人っすかね」
「九人か。じゃあ、四本ほど足りないのかな。どう? さん」
そう言いながら、幸村は冷蔵庫の扉を閉め、くるりとの方を振り返った。
「えっと、そうですね。今、五本ですから、人数分だとすると四本足りないです」
手の中にある缶ジュースを見つめながら、が言う。
その言葉に、幸村は困ったように呟いた。
「ふうん、思ったより無かったな。後四本か」
幸村は少し考え込むように口元に手を当てたが、すぐに何かを思いつき、ぱっと顔を上げた。
「じゃ、俺ちょっと下の売店の自販機で買ってくるよ」
笑顔でそう言うと、財布を取り出そうとしているのか、幸村はベッドの側にある棚を探り始めた。
そんな彼に、真田と柳が少し慌てて声を掛ける。
「幸村、別にそこまでしなくとも……」
「そうだぞ精市、五本もあれば分けて飲める。お前がそこまでする必要はない」
「いいってば。俺からの県大会優勝祝いなんだからさ、素直に奢られておいてよ」
真田や柳が止めに入るのを笑顔で流しながら、幸村は財布を取り出して、くるりと振り向いた。
「じゃ、ちょっと行ってくる。すぐに帰ってくるから、皆ちょっと待ってて」
ベッドの端に掛けてあった上着を軽く羽織り、幸村が言う。
こういう時の幸村は絶対に譲らないのだと知っていた皆は、仕方なさそうに苦笑した。
「仕方ないですね、では、ありがたく戴くとしましょう」
「そうじゃな」
柳生と仁王の言葉に、皆が頷く。
そして、真田も大きく息を吐くと、額に軽く手を当てながら仕方なさそうに言った。
「分かった幸村、ならば俺が買いに行くから、お前はここで待っていろ」
「いいよ、下の売店ぐらい俺が行くよ。そんな距離があるわけでもないし、病院の中は俺の方がずっと詳しいだろ」
心配そうに言う真田の言葉を軽く一蹴して、幸村は笑う。
しかし、納得いかなそうな表情で真田は唸った。
「しかしだな……」
「ほんと、真田は相変わらず心配性だね。……分かったよ、じゃあさんに着いてきてもらうよ。それでいいだろ?」
「え、私ですか?」
唐突に出た自分の名前に、は思わず驚いて目を丸くする。また、真田も驚いたように目を見開いた。
そんな真田をちらりと見てふふっと笑ってから、幸村はの方を向く。
そして、に再度にこりと笑いかけて、幸村は言った。
「うん、さん着いてきてくれる?」
「あ、はい。私でよければ」
まだ少し驚いた表情を残しながらも、は頷いた。
「じゃあ、行こうか」
そう言って病室を出ようとする幸村に、は慌てて着いて行く。
しかし、真田は尚も微妙そうな顔をしながら、出て行こうとする幸村に声を掛けた。
「幸村」
「着いてきちゃダメだよ? 俺、さんと二人っきりでデートしたいんだから、真田、邪魔しないでよね」
何かを言いかけた真田を制止するように、幸村が言う。
すると、その言葉に驚いたは、少々慌て気味に口を開いた。
「え、デ、デート?」
頬を染めたを微笑ましそうに見つめ、くすりと笑うと、幸村はちらりと真田を見る。
ほんの一瞬だけだったが、彼が幸村とを見つめていたその目を見開いたのを、幸村は見逃さなかった。
どうやら「デート」という言葉に、ほんの僅かではあるが反応を示したようだ。
真田の心の奥には、やはり少なからず彼女への特別な感情がある――そう確信して、幸村は笑う。
「はは。デートって言うのは、ま、冗談だけどね。でもいい機会だし、マネージャーに皆がちゃんと練習してるか聞いてみようと思ってさ。誰かが着いてきたら、さんが本音で喋られないだろ? だから皆ついてきちゃ駄目だよ」
笑顔でそんなことを言う幸村に、数名の顔が引きつった。
ジャッカルが焦って呟くように言葉を漏らす。
「お、おい、マジかよ……」
更に、切原がつつっとの隣に寄り、そっと耳打ちするように言った。
「おい、。例え冗談でも余計なこと言うなよ? 部長、優しいように見えてほんとに怖……」
「ほんとに赤也は学習しないね」
いつの間にか、切原の後ろに幸村がいた。
天使のような笑顔でそう言い放つ幸村に、切原は思わずびくっと肩を震わせる。
「……って、ジャッカル先輩が言ってたのを聞いたんすよ!」
「おい、俺かよっ! なんでも人のせいにすんな、赤也!」
「ま〜たまた〜! 言ってたじゃないすか。ほら、あの時」
「言ってねぇ! 自分の失言を人になすりつけんな!」
切原とジャッカルが、賑やかに言い合いを始めた。
そんな二人に、真田が目を吊り上げて一喝する。
「こら、お前達! ここは病院だ、静かにせんか!」
突然落ちた雷に、二人は決まり悪そうに口を抑え、顔を見合わせた。
「全くお前らはなんでそう落ち着きも分別も足りないんだ。立海テニス部のレギュラーとしてそんなことではいかんといつも……」
とりあえず静かになった二人を見て、真田は呆れたようにぶつぶつとお小言を続ける。
すると。
「副部長の声が一番うるさいっす……」
とても小さな声で、切原がぼそりと呟いた。
しかし、かすかに聞こえた小さな呟きを聞き逃さなかった真田は、じろりとその発言者を睨みつける。
「……何か言ったか、赤也」
「い、いえ、何にも!」
そんな賑やかなやり取りを見て、はふふっと笑う。
すると、その瞬間、幸村と目が合った。
幸村もまたその光景を微笑ましそうに見つめていたようだったが、と目が合うと、ドアの方を指差しにこりと笑った。
「じゃ、うるさい奴らは置いといて、俺たちは行こうか」
そう言って歩き出そうとする幸村に、は笑顔で頷く。
そして、二人は病室を後にした。