買い物を終えた二人が柳生達のところへ戻ると、お菓子を買いに行っていた丸井や切原達も既に戻っていた。
「お待たせしました!」
がそう言って手を振ると、道端で談笑をしていた皆が一斉にこちらを向いた。
並んで歩いてくる真田とを微笑ましそうに見つめながら、柳が二人に声を掛ける。
「お帰り。思ったよりも早かったな」
「先輩達も早かったんですね、何を買ったんですか?」
そう言いながらが皆の側に駆け寄り、その後を数歩分だけ遅れて、ゆっくり真田も合流する。
近寄ってきたに、丸井は持っていた菓子箱を見せるように高く上げた。
「シュークリームにしたぜ! ケーキとどっちにしようか迷ったんだけどな。どっちもめっちゃ美味そうでよー。なあ、赤也」
「確かに、ケーキも捨てがたかったっスよね」
「あそこのケーキ、俺大好きでさぁ。でも前はケーキにしたし、たまにはシュークリームってのもいいかなと思ってさ」
へへっと笑いながら、丸井が自分の持っていた箱を嬉しそうに見つめると、ジャッカルが苦笑して突っ込みを入れた。
「おいおい、だからお前らのオヤツ買ったわけじゃねーだろっての」
「いいじゃん、かたいこと言うなって!」
「そうっすよ、幸村部長は絶対皆で食べようって言ってくれるに違いないっす!」
そう言って彼らが賑やかに言い合っていると、真田が苦い顔で一喝を飛ばした。
「おいお前達、こんな往来で騒ぐな。迷惑になるだろう! 全く……」
真田は腕組みして溜息をつくと、顔を引きつらせた丸井達相手に説教を始める。
しかし、そんな光景がなんだかとても仲の良い証拠に思えて、は遠巻きに見つめながら微笑ましそうにくすりと笑った。
「まあそれくらいにしておけ、弦一郎。精市も待っているだろうし、そろそろ精算して向かうとしよう」
「ああ、そうだな。値段だが、花は確か3000円丁度だったはずだ。……、そうだったな?」
真田はそう問い掛けて、の方に視線をやる。
頷きながら、は口を開いた。
「あ、はい。そうです。お金は、一旦私が払いました」
の言葉を受け、柳がふむと頷く。
「なるほど。菓子の方は俺が立て替えておいたので、皆が俺とにそれぞれ返すという形にしようか」
「そうだな。少し計算がややこしそうだが……蓮二、計算を頼めるか?」
「勿論だ」
真田の言葉に、柳はもう一度軽く頷いて少し考え込み、無言であっという間に計算を終える。
そして、柳の言う通りの金額を各々と柳に渡すと、改めて病院へと向かって歩き出した。
◇◇◇◇◇
商店街を抜けて、皆で病院へと向かって歩く。
しかし、最初は順調だったものの、総勢八名もの人数で歩いていると、どうしても歩みの早い者と遅い者で差が出てしまうものだ。
丸井や切原は、おしゃべりをしながらもどんどん進んでいくのだが、それに比べるとの歩みは遅かった。
いつの間にか一番後ろになりながらも、花のバスケットを手にしたが一生懸命着いて行っていると、ふいに真田がくるりと振り向き、手を差し出した。
「、重くないか。持とうか」
そう声を掛けて、真田は足を止める。
そして、が隣に来ると、それに合わせてまた歩き始めた。
彼が自分を気にしてくれたことが嬉しくて、は少し頬を染めて笑いながら、首を横に振ってその気遣いを笑顔で断る。
「いいえ、大丈夫です、ありがとうございます」
「遠慮しなくていいぞ」
「ほんとに大丈夫ですよ。そんなに重くないですし。それに綺麗だから持っていたいんですよ」
そう言ってが笑うと、真田は微笑ましそうに目を細めて、横目でを見つめた。
彼のその表情に思わずドキドキしながらも、は視線を前へ向ける。
すると、他の皆と更に間が空いていることに気がついた。
(……もしかして真田先輩、私の歩く速さに合わせてくれてるのかな)
彼の歩みなら前方の集団から遅れるわけがないから、やはり彼は遅れている自分に気を遣ってくれているのだろう。
嬉しさと緊張で、思わず心臓の速度が上がる。
(やっぱり先輩って優しいなあ)
これ以上遅れないようにと、意識をして少し歩む速度を上げながら、はそっと彼の横顔を見上げる。
すると真田もまだこちらを見ていたようで、彼と目が合ってしまい、の心臓がどくんと大きな音をたてた。
(うわ……!)
思わずあからさまに逸らしそうになった視線をなんとか保ちながら、はごまかすように笑って彼に話しかけた。
「あの、病院はもうすぐですか?」
「あ、ああ。そ、そうだな、もう五分ほどで着くと思うぞ」
真田もいきなり合った視線に驚いたのか、ほんの少しだけ声がどもっていた。
しかし、自分の緊張をごまかすのに必死だったは、そのことには気がつかずに会話を続ける。
「本当に駅から近いんですね」
「そうだな、急いで行けば駅から十分もかからないくらいだからな」
「そうなんですか」
そこで会話は途切れた。
皆から少し離れて、二人で並んで歩いているのに、会話がないと言うのは妙に緊張してしまう。
少し焦りながら、は彼と何を話そうかと思案する。
(あ、そういえば――)
はふと、今までずっと聞きたくても聞けなかったことを思いだした。――幸村の病気のことだ。
他人の病気のことを軽軽しく聞くのはどうかと思っていたし、それに何より、あの初日の日、部長は入院中だと言った真田の雰囲気には、なんとなく踏み込めないものがあったのだ。
それに、彼や立海テニス部にとって幸村という人はとても大切な人物で、テニス部に入ったばかりの新参者の自分が軽軽しく聞いていいようなことではないとも思った。
だから今までずっと、は幸村の病気のことには触れなかった。
しかし、あの時の踏み込めなかった雰囲気は、今の彼からはもう感じられない気がした。
それに、こうやって幸村のお見舞いに行けることになった今、逆に聞いておいた方がいいのではとも思うのだ。
何も知らずに無神経なことを言って、傷つけるようなことがあってはならないから。
は、ゆっくりと息を吸って、おそるおそる彼に尋ねた。
「あ、あの……真田先輩。幸村先輩のこと、お聞きしてもいいですか?」
「ん? ……ああ、何だ?」
「ご病気だって聞いたんですけど、一体どんな病気なのか、聞いてもいいでしょうか」
その問いかけに、真田は意外そうな表情をする。
そして、驚いたように、口を開いた。
「話したことはなかったか?」
「はい、まだお聞きしたことが無いです」
「そうか、もうとっくに話したと思っていたが……まだ話していなかったか」
そう言うと、真田は大きく息を吐き、一拍置いてから話し始めた。
「幸村の病気は、免疫系の病気でな。少しずつ身体が麻痺し、その自由を徐々に奪われていく――そういう病気だ」」
「……え」
思っていたよりずっと深刻そうなその内容に、は思わず立ち止まってしまった。
そんなを見て、真田も同じように足を止める。
「今はまだ、全く動けないというような事態になってはいない。しかし、いつそのような事態になるかは、全く分からない」
そう言って、彼は遠い目で空を見上げた。
そんな彼に、は震える声で尋ねる。
「治るんですか……?」
「治る」
即答だった。
だけども、今の話を聞く限りではそう簡単に治るようには聞こえない。
だからこそ、今の彼の力強い答えがなんだか痛々しかった。
は胸が痛くなり、俯いて唇を噛む。
――すると。
「……そんな顔をするなら、見舞いには連れて行かんぞ」
真田のそんな声が聞こえて、は顔を上げる。
「確かに幸村の病気は辛い病気ではあるが、幸村自身は乗り越えようといつも頑張っているし、笑っている。当の本人がそうしているのに、俺達があいつの病気の事で悲痛な顔をすることには何の意味もない。それどころか、本人の前でそんな顔を見せてしまうようなことがあれば、逆にあいつの頑張ろうという想いを削ぐことにもなりかねん」
彼の言葉に、ははっとして息を呑む。
確かに、彼の言う通りだ。
何も知らない自分が、その病気の事であれこれ思って胸を痛めたところで、そんなものはただの同情であり、何の意味もない。
それどころか、かえって本人を傷つけてしまうかもしれない。
「……すみません」
そう呟いて、は頭を垂れる。
「幸村に今必要なのは同情などではなく、あいつの頑張りを少しでも支えてやれる環境だと、俺は思っている」
真っ直ぐな瞳でそう言うと、彼は言葉を続けた。
「俺達は、あいつの身体には何もしてやれない。医者のように治療ができるわけではないからな。しかしその代わりに、あいつの心を支えてやる事は出来るはずだ。俺は、あいつがいない間もテニス部という場所を変わらず守り続けることや、あいつが自分の身体に専念できるよう、少しの不安も与えないことで、その支えになるのではと思っている。勿論、俺とお前ではまた出来ることも違うだろうが、お前なりにあいつを支えてやれる事があると思う。同情などでは無い、何かがな」
その言葉ひとつひとつに、彼の幸村への真摯な想いが篭っているような気がして、は胸を打たれた。
返せる言葉もなく、何故か胸が一杯になって泣きそうな気持ちになりながら、真田を見つめる。
すると、真田がその視線に気付いて、ふっと笑った。
「まあ、お前はまだ幸村に会ったことがないのだから、分からないのは当然かもしれないな。きつい言い方をしてすまなかった。ただ、本当に同情はしないでやってくれ。そんなものよりも……そうだな、お前のその明るさで、あいつを楽しませてやって欲しい。きっと、そうすればあいつも喜ぶだろう」
そう言って、彼は笑った。
「……はい」
それに応えるようにも微笑むと、どこか嬉しそうに真田は頷く。
「では、そろそろ行くか。皆と少し離れてしまったな。スピードを上げるぞ」
「あ、はい、遠慮なく行っちゃってください! 頑張って先輩に着いて行きますから!」
はバスケットを持っていない方の手で、気合を入れるように拳を作り、顔の高さに上げた。
そんなを見て、少し苦笑したように真田が口を開く。
「まるで、今からランニングでもするような気の入れようだな」
「先輩とは足の長さが全然違いますからね。一歩一歩の距離が違うので、その分頑張らなくちゃいけないんですよ」
真顔でそんなことを言うに、思わず真田はくくっと笑みを漏らす。
「……お前は本当に面白い奴だな」
「え? わ、私、今面白いこと言いました?」
驚いたように、は目をぱちくりさせる。
真田は、またくすりと笑った。
「ああ。お前は普通にしているだけで充分面白い。幸村に会っても、その調子で頼むぞ」
「ええ? その言い方は、なんだか引っかかるなあ……」
真田の呟きに一瞬だけ複雑な顔をしたが、すぐには歩き始めた彼を追いかけ、隣に並ぶ。
そして、そっと彼を横目で見上げた。
(お見舞いに行く前に、先輩の口から幸村先輩の話を聞けて良かったな。とっても大切なこと、聞けたような気がする)
そんなことを思いながら、はそっと笑った。
◇◇◇◇◇
一方、先に進んでいたメンバーは、いつの間にか真田とが姿を消していたのに気が付いて、足を止めた。
きょろきょろと首を回しながら、丸井が言う。
「おい、の奴、いねぇじゃん。どこ行ったんだ?」
切原もまた、同じように首を振って辺りを見回しながら、苦笑を浮かべた。
「あー、結構歩くのトロいから、遅れちゃったんすね。気が付かなかったっす」
「そういや、真田もおらんのう」
仁王の言葉に続けて、ジャッカルが少し心配そうに言う。
「真田は病院の場所知ってるからいいけどよ。は確か今日が初めてだろ。どこに行けばいいのか、知らねぇんじゃねえのか? 大丈夫かよ」
すると、彼とは対照的に、落ち着き払った様子で柳が言った。
「大丈夫だ。最後に振り返った時、弦一郎と話しているのが見えたからな」
そう言って、柳はなにやら含むような笑みを浮かべる。
「では、真田君と一緒にいるのですね。ならば大丈夫でしょう、すぐに追いついてきますよ」
ほっとしたように言った柳生に、柳は無言で頷いて返した。
――すると、その時。
ふと、丸井が呟くように言った。
「真田とねぇ……なんか最近、あの二人よく話してねえ? 結構、仲いいよな」
「そうか?」
ジャッカルが尋ね返した隣で、仁王は顎の下に手を当てて、思い出したように言う。
「そうじゃな、確かに最近よく話してるのを見るのう」
「あいつ、真田が怖くねーんかな。ぶっちゃけ、今までのマネージャーが辞めた理由の半分は、真田だろぃ?」
「半分というのは言い過ぎですが、真田君が苦手だという理由で辞められた方も、確かにいらっしゃいましたね」
苦笑して、柳生は言葉を続ける。
「真田君の言うことは決して間違ってはいないのですが、如何せん彼の言い方は厳しいですからね。慣れないうちは辛いのでしょう。それに、幸村君のことがあってから真田君は以前にも増して厳しくなりましたから、辞めてしまった方の気持ちもわからなくはありませんが……。まあ、さんが真田君を怖がっている様子はありませんし、真田君も彼女のことは認めているように見受けられますから、彼女が真田君を理由に辞めることはないと思いますよ」
柳生の言葉に、仁王やジャッカルが軽く笑いながら頷く。
「そうじゃな、もすっかり真田に慣れたようじゃから、大丈夫じゃろ」
「、このままマネージャー続けられそうだよな。良かったな、これでずっと不在だったマネージャーの穴が埋まりそうだぜ」
「ええ、本当に。さんが真田君に慣れて下さって良かったですね」
そんな彼らの言葉をどこか楽しそうに聞いていた切原は、柳に近寄り、こっそり彼に話し掛ける。
「――が『副部長が苦手だ』なんて理由で辞めるなんてこと、ぜってぇ無いっすよね」
「ああ」
事情を分かっている唯一の二人がそんなことを言い合っていると、丸井がまた、なんともなしに呟いた。
「でもマジで、真田にしてはあれだけ女子と話すのって珍しいと思うんだけどさ。まさかあの二人、デキてるってこたぁねーよな?」
「ねえってねえって! あの真田だぜ?」
丸井が口にした言葉に、ジャッカルが間髪入れずに突っ込み、ありえないと笑った。
また、言いだした丸井自身も「やっぱあるわけねーか」と返し、けらけらと笑みを零す。
――しかし。
切原と柳はそんな会話を聞きながら、どちらからともなく目線を合わせて、再度意味深にニッと笑った。