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13:部長のお見舞い 1

全国中学生テニストーナメント、神奈川県大会。
天候にも恵まれ、大会は予定通り――いや予定の時間よりも早く、終了を迎えた。
試合結果は、誰もが予測した通り立海大附属中学がその頂点に立ち、関東大会行きの切符を手にした。
そして、結果発表と表彰式を終えた立海大附属中学レギュラー陣は、喜ぶというより当然という表情で試合会場を後にしたのだった。


ガタン、ガタンと電車の揺れる音が響く。
試合が終わった後、レギュラー全員とマネージャーのは、一般部員たちと別れてそのまま電車に飛び乗っていた。
当初の予定通り、入院している幸村に今日の試合結果を報告しに行くためだ。
電車の中は、混んでいるというほどではないが決して空いているわけでもなく、座席のほとんどは埋まっている。皆はつり革やドア付近のポールにつかまって立ち話をしながら、目的の駅に着くのを待っていた。

数駅を過ぎたところで、真田や柳の目の前の席に一人分の空きが出来た。
すると、柳が立っていたに声を掛ける。

、ここが空いたぞ。まだ数駅はあるから座るといい」

しかしは、笑って首を横に振った。

「いえ、私はいいです。先輩達こそ、試合終わったばかりで疲れてるでしょう? どうぞ座ってください」

そんなの言葉を聞いて、柳の隣に立っていた真田もまた、優しい口調で言う。

「気にするな、。遠慮なく座れ。あの程度の試合くらいでは、俺達は大丈夫だ」

それに続けるように、切原がははっと笑って頷いた。

「そーそー、普段の練習の方が何倍もつれーっての」
「切原君も大丈夫なの?」
「ああ。あんな試合より、普段の副部長のシゴキの方が、よっぽどつれーよ」

真田に聴こえないよう、小さな声でそっと耳打ちしながら、切原は悪戯っぽく笑う。
そんな彼を、真田はじろっと睨みつけた。

「……聞こえているぞ、赤也」
「じょ、冗談っすよ冗談!」

そう言うと、切原はわざとらしく笑いながら、真田の側を離れて少し向こうの丸井たちのいる方へと行ってしまった。
そんな切原を苦笑しながら見ているに、真田が気を取り直してもう一度声を掛ける。

「本当にお前が座っていいぞ。どうやらとても緊張していたようだしな。疲れただろう」
「……本当に、いいんですか?」

は、窺うように真田と柳を見つめた。
そんなに、二人は優しく頷く。

「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

そう言うと、にこりと笑っては真田と柳の前に回りこみ、空いていた座席に腰を下ろした。
本当のことを言うと、確かに少々疲れを感じていたのだ。

「先輩達、すみません。ありがとうございます」

は、そう言って座ったまま二人を見上げた。
そんなに、真田は優しく首を振る。

「気にするな。幸村の入院している病院の最寄り駅までは、もう少しあるからな」
「駅からは近いんですか?」
「ああ、そんなに離れてはいない。どんなにゆっくり歩いても、十数分といったところだろう」
「じゃあ、すぐですね。あの、その途中にお花屋さんとかってありますか?」

の質問に、真田と柳は顔を見合わせた。
そして、真田はつり革を持っていない方の手を顎の下に当て、じっと考えながら呟く。

「花屋……か。どうだったか……」

ややあって、今度は柳が口を開いた。

「まあ、大きな病院の近くには大抵あるものだからな。間違いなくあるとは思うが……精市に花でも買っていくのか?」

柳の問いに、は笑って首を縦に振る。

「はい、初めてお会いするので、ご挨拶代わりにお花でも持っていこうかなと思って。いいですか?」

無邪気な顔で尋ねるに、真田はつられるように笑みを浮かべ、首を縦に振った。

「勿論だ。では駅に着いた後、花屋が無いか少し注意して見てみよう」
「ありがとうございます!」

笑顔で礼を言う彼女を見つめ、真田はまた、微笑ましそうにふっと笑った。

◇◇◇◇◇

目的の駅に到着し、真田達は電車を降りた。
改札を抜け、慣れた足取りで迷いもなく進んでいく皆の後を、は必死で着いて行く。
そして、商店街に差し掛かった時、何かに気付いた柳がに声を掛けた。

、花屋があったぞ」

そう言って、柳が前方の一点を指す。
つられてが柳の指した方を見ると、可愛らしい佇まいの花屋が目に入った。

「あ、ほんとだ。行ってきていいですか?」

その時、と柳のやりとりを聞いていた切原が、ふいに口を挟んだ。

「何? 花でも買ってくんの?」
「うん、幸村先輩のお見舞いのお土産に買っていこうかなって思って」

そんなに、今度は丸井が笑いながら言う。

「花かー。花もいいけどよ、やっぱ見舞いには食いもんだろぃ。あっちの通りにある洋菓子屋、美味いんだぜ」
「あ、俺もそっちの方にサンセーっす!」

悪戯っぽく笑いながら、切原も同調するように手を上げる。
そんな二人を見て、ジャッカルが苦笑を浮かべた。

「そりゃーお前達の希望だろーが」
「それなら両方持っていけばいいんじゃないですか。八人もいるわけですから、人数で割れば大した額にはならないでしょうし」

冷静な声でそう言ったのは、柳生だ。
その言葉に、は驚いて顔を上げた。

「え、いいんですか? 私が勝手に言いだしたことなのに」
「勿論ですよ。さんだけに出させるわけにはいかないでしょう? ねえ、真田君」

柳生に同意を求められ、真田は軽く頷き、口を開いた。

「ああ、俺は当然出すつもりだったが、そうだな。どうせなら、全員で出した方がいいだろう。――お前達、いいな?」

そう言って、真田は他の皆の顔を見やる。
すると、全員ためらう様子も無く首を縦に振った。

「あまりたくさんは持ってねぇが、ま、なんとかなるだろ」
「全員で見舞いに行くのは、久々のことじゃしな」

ジャッカルや仁王の言葉に、は嬉しそうに笑みを零す。
もともとは自分が勝手に考えた計画だったので、他の先輩達にお金を出してもらうのは悪い気もするが、自分一人名義のプレゼントより、皆名義の方が幸村もより喜ぶに違いない。
は、満面の笑みで「ありがとうございます!」と頭を下げた。

「うむ。それでは、花と菓子と、二手に分かれて買いに行くか」

真田がそう言った瞬間、丸井が勢いよく手を上げた。

「オレ、菓子ね!」
「あ、オレも菓子見に行くっす!」

続けて切原も手を上げる。
すると、柳がふむと頷いて口を開いた。

「ああ、では、ブン太と赤也……ジャッカルも菓子の方へ行ってくれ。花のほうは、当然だな」
「はい、了解です!」
「それでは、私はここで荷物を見ていましょう。あまり大勢で行っても仕方ないですし」

くいっと眼鏡を上げながら、そう言ったのは柳生だ。
そんな彼の言葉に、仁王が頷く。

「そうじゃな、俺も柳生に付き合おうかの」

そう言うと、柳生と仁王は、通行の邪魔にならないよう道の端に自分達のラケットバッグを下ろした。
そんな二人に頷いて、柳は続ける。

「よし、では柳生と仁王は荷物番を頼む。では……弦一郎と俺は、に着いて行くとしようか。それでいいか、弦一郎」
「ああ、構わん」
「柳先輩、金額はいくらくらいにしたらいいすかね?」

自分のラケットバッグを肩から下ろしながら、切原が問い掛ける。
柳は、少し考えてからその問いに答えた。

「まあ、一人350円前後のものが無難だろうな。九人分で3150円で、花の方もその程度だとして、全部で6400円内に納められれば、一人頭800円程度で無理がないだろう」

そんな柳の言葉に、切原よりも早く反応したのは丸井だった。

「よっしゃ、一人350円くらいまでなら何買ってもいいんだな? オッケィ! じゃあ行くぜ、赤也!」
「はいっす!」

顔を見合わせてそう言った途端、丸井と切原はラケットバッグを投げ捨てるように柳生達の側に置き、勢いよく走りだした。
そんな二人を見て、慌ててジャッカルもラケットバッグを下ろす。

「お、おい、待てって! お前ら、幸村に持ってくってこと分かってんだろうな!」

心配そうに言うと、ジャッカルは少し遅れて二人の後を追いかけていった。
走っていく三人の後姿を見ながら、真田は眉間に皺を寄せ、大きな溜息をつく。

「……全く、落ち着きのない奴らだ。あいつらだけに任せておくのは、少々心配だな」
「そうだな」

苦笑を浮かべ、柳も頷く。
しかしややあってから、柳はまるで何かを思いついたように笑い、口を開いた。

「ふむ、あの三人だけでは確かに心配だ。俺は花の方へ行くつもりだったのだが、仕方ない、あの三人の後を追うとしよう。弦一郎、花の方は頼むぞ」

そう言うと、柳は自分のラケットバッグを丸井達のバッグの側に置き、そのまま三人の向かった方へとゆっくり歩いて行ってしまった。

「……まあ、蓮二が行けば大丈夫か」

呟くように言い、真田は自分のラケットバッグを肩から下ろす。
そして、皆が纏めて置いているところへ置いた。

「では、仁王、柳生、すまないが荷物を頼むぞ。……では、俺達も行くか」
「あ、はい!」

慌てながら、は真田の近くへと駆け寄る。
一生懸命ぱたぱたと近づいてくる様子が微笑ましかったのか、真田はほんの少し目を細めた。

「別に慌てなくてもいいぞ、すぐそこなのだからな」
「そ……そうですね、すみません」

走ったからなのか照れているからなのか、頬を少し紅潮させたに、真田は再度ふっと微笑い掛ける。
そして、二人は花屋へと足を向けた。


と共に、真田は花屋の中へと足を踏み入れた。
店の中に入った途端、隣にいた彼女が目を輝かせて置いてある花の近くに駆け寄る。
そんなの少し後ろで、真田はぐるりと店内を見渡した。
バケツやら筒やらに入れられた、多種多様な花。
奥の方のカウンターにある、包装紙やリボンなどのラッピング材。
どこを見ても色とりどりの店内はとても可愛らしく、自分のような無骨な男には少々合わないような気がして、なんだか妙に落ち着かなかった。

そういえば、花屋など滅多に入ったことはないなと、真田は思った。
通りすがりに外から眺めることはあっても、こうやって実際中に入ったことなど、少なくとも記憶にはない。
幸村の見舞いに何か持っていく際は大抵食べる物や本などが多く、花を持っていくという発想は今までしたことがなかったし、見舞いに一緒に行った他のメンバーからも、そんな言葉が飛び出したことはなかった。
やはり、こういう点が男子と女子の思考の差というものなのだろうか――そんなことを思いながら、真田はに視線をやった。
彼女は、きょろきょろと首を動かし、視線をあちこちにやって、楽しそうに店内を見ている。

「わ、あれも綺麗。何ていうお花なんだろう」

そんなことを呟きながら、少し頬を紅潮させた彼女は、心から楽しそうだ。
そんな彼女を見ていると、真田自身もなんだか楽しいような気分になって、思わず笑みが零れた。
――その時。

「先輩、どうしましょう。こんなにもいろいろあったら迷っちゃいますよね。何かいいお花とかありますか?」

彼女がくるりと振り返り、今まで花に向けていた笑顔を真田に向けた。
ふいに彼女がこちらを向いたので、少しだけどきりとしてしまい、真田は瞬きをする。

「あ、ああ。そうだな……すまないが、正直俺は何がいいのか全く分からん。お前が選んでくれ」
「そうですか……。うーん、私は幸村先輩にお会いしたことがないから、私が選ぶよりは先輩の方がいいかなって思ったんですけど」
「誰が選んでもそうは変わらんだろう」
「そんなことないですよ、好きな色とか雰囲気とかあるじゃないですか。やっぱり渡す相手を少しでも知っている人のほうが、きっとその人の好みにあったものを選べると思うんです。どうせなら、少しでも喜んでもらいたいですしね」

そう言って、彼女は笑った。
こんな見舞いの品一つでも、彼女は相手のことを思い、どうしたらより喜んでもらえるのかを一生懸命考えているようだ。
真田はなんだかとてもあたたかいものを感じ、思わず目を細めながらも、首を横に振る。

「……いや、俺にはやはり分からん。まあ、幸村は確か園芸や土いじりなんかも好きだったから、花はなんでも喜ぶと思うぞ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、だからお前がいいと思うものを買えばいい」
「はい、分かりました!」

真田の言葉に、は笑顔で頷くと、すぐにまた迷うように店内をきょろきょろと見渡した。

「うーん。じゃあ、どうしよう……やっぱり店員さんに聞いてみようかな」

首を捻って少し考え込むと、彼女は顔を上げて、作業をしていた店員に声を掛けた。
そして、一生懸命身振り手振りを加えながら、こちらの事情を伝え始める。

「……はい、お見舞いなんです。えっと、なんていうのかな。部活仲間一同から、みたいな感じで、えっと……」

店員は笑顔で頷きながら彼女の話を聞く。
その後、その店員とは店内のあちこちを見渡しながら、あれはどうかこれはどうかと話を始めた。
そんなを、真田は少し後ろから見守っていた。

本当に一生懸命で、尚且つとても楽しそうな表情だった。
幸村に少しでも喜んでもらいたいという先ほどの言葉は、心からの本心なのだろう。
その時、真田はふと、一週間前の自分の誕生日のことを思い出した。
あの時も、彼女はこんな顔をしながら選んでくれたのだろうか。
こんな風に、少しでも喜んでもらいたいなどと思いながら、自分のことを思って一生懸命探してくれたのだろうか。

――真田がそんなことを思っていた、その時。

「……って。どう思いますか? 先輩」

いつの間にか、彼女がこちらを向いて、自分に語りかけていた。
はっとしながら、真田は慌てて彼女に言う。

「す、すまない、もう一回言ってくれ」
「あ、はい。あの、店員さんが、お見舞いだったら、切花じゃなくてアレンジメントにしたら良いんじゃないかって。ほら、あの棚に飾ってあるようなやつで、小さなバスケットに入ってるから、花瓶とかに入れなくてもそのまま飾れるんですって」
「ふむ、なるほど。そのまま飾れるというのは便利だな」
「でしょう? でね、こちらの予算で作ってもくれるそうなんですけど、少々時間が掛かるんで、3000円だったら棚の右端に飾ってあるのが丁度それくらいの値段だから、どうかって言ってくれてるんですけど、どう思います?」

そう言って彼女が指差した先には、パステルカラーの花が詰まった小さなバスケットがあった。

「先ほども言ったが、俺は正直よく分からん。あれで充分だとも思うが、お前はどう思う?」
「うーん、新しいのを作ってもらうのもいいんですけど、もう夕方ですし、他の先輩達や幸村先輩も待ってるでしょうし……。あれすっごく可愛いし、いいかなあって思うんですけど……」
「ふむ、ならばあれにするか。確かに時間的なことを考えると、今すぐもらえた方がありがたい」
「ですよね。それじゃ、店員さんにお願いしてきますね」

そう言って、彼女は踵を返し、店員に声を掛けた。
すると、すぐさまその店員は笑顔で棚に近寄り、そっとバスケットを手に取る。

「それでは、こちらにお願いします」
「はい!」

彼女は嬉しそうに頷くと、店員と話をしながら奥のカウンターへ進み、支払いを済ませた。

「お待たせしました、先輩」

お金を払い、店員からバスケットを受け取ったが戻ってきた。

「見てください、とっても綺麗ですよ!」

無邪気な笑顔を浮かべながら、彼女はバスケットを顔の高さに上げる。
そんな彼女を見ていると、何故か真田の心拍数が上がった。

「あ、ああ、綺麗だな。きっと幸村も喜ぶだろう。……それでは、行くか」
「はい!」

彼女が、笑顔で元気よく返事をする。
そして、二人はそのまま店を後にした。

初稿:2007/02/15
改訂:2010/03/16
改訂:2024/10/24

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