一方、真田と柳は駅のホームにいた。
幸村の入院している病院は電車で数駅離れた場所にあり、そのための電車を待っていたのだ。
「それにしても弦一郎、今日はお前の誕生日だろう。家で誕生日祝などするんじゃないのか? このままだと、帰りは七時を過ぎるぞ」
「ああ、一応父と母には幸村のところに寄ってくることを話してはいるが、まあ今日ばかりはあまり長居はできんな。俺はもうこの歳で誕生日祝などしなくてもいいのではとは言ったんだが……母が、そういう記念日だのもてなしだのが好きな人だからな」
そう言って、真田は大きく息を吐き、言葉を続ける。
「そういえば、また皆をもてなしたいから、レギュラー達をまとめて連れて来いと言っていたな。全く、今はそんな暇はないと言っているのに……」
「はは、おばさんらしい。そういえば、今年の春先に皆でお前の家に行ったときにご馳走になった散らし寿司は、本当に美味かったな。またそのうちお邪魔させてくれ」
「ああ、伝えておこう」
そんな他愛ない話を続けているうちに、やがて電車がホームに入って来た。それに乗り込み、二人は入ったドアの丁度向かい側にあるドアの前に立つ。
すると、ドアの窓の向こうに、地上にあるバスターミナルの様子が見えた。
この駅のホームは地上よりも高いところにあり、駅前の景色が見下ろせるようになっていたのだ。
「……ん、あれは赤也とじゃないか?」
ふと柳がそんな声を上げ、窓の外を指差す。つられて真田が彼の指先を目で追うと、その先には、立海の制服を着た男女が並んでベンチに座っている姿があった。
確かにそれは、先ほど別れたばかりの後輩達のようだ。
「確かに、赤也と、だな」
ここからだと、さすがに何をしているかまでは分からない。確認できるのは、二人が並んでベンチに座っていることだけだ。
「……あの二人は、仲がいいようだな」
「ん、赤也とか? ……まあクラスメイトなのだし、もともとは赤也の紹介だっただろう」
「そういえば、は以前学校であった練習試合でも赤也の応援に来ていたんだったな……」
真田がそうぽつりと呟いた瞬間、ドアが閉まって電車が動き出した。すぐに駅前の景色ともども二人の姿は見えなくなってしまったが、見えなくなった後も、真田はじっと窓の外を見つめている。
「どうした、弦一郎。気になるのか?」
柳はどこかからかうように笑って、真田を見た。しかし、真田はその言葉の意味が分からずに、きょとんとした顔を柳に向ける。
「気になる? 何がだ」
「……いや、いい」
目の前の親友の反応に、柳は思わず苦笑を浮かべた。そんな彼に、真田は怪訝な顔をする。
「一体何なんだ、おかしな奴だな」
そう言って、真田はまた正面の窓を見つめた。
柳は、そんな親友の様子を横目で見つめながら、目的の駅に着くまで興味深そうに何かを考えていた。
時計が六時を回った頃、真田と柳は、やっと幸村の入院している総合病院へと到着した。
二人は慣れた足取りで病院へと足を踏み入れ、一直線に幸村の病室に向かう。
そして、目当ての病室の前に着くと、足を止めて軽くドアをノックした。
「どうぞ」
柔らかい声で、病室の主が返事をする。それを聞き、真田はゆっくりドアを押し開けた。
「やあ、真田、柳、いらっしゃい」
二人が何か言うより早く、病室の中にいた彼――幸村が笑って声を掛ける。真田はそれを見てどこか安堵したような表情を浮かべながら、彼に返事をした。
「幸村、失礼するぞ」
「精市、気分はどうだ」
「うん、悪くないよ。ありがとう」
ベッドから出てその縁に腰掛けた幸村とそんな会話を交わしながら、二人は病室の中に足を踏み入れ、静かにドアを閉める。
そして、真田は持っていたラケットバッグを部屋の隅に置くと、一枚の紙を小脇に抱えながら、ベッドの側にある丸椅子を幸村の前に引っ張ってきて腰を下ろした。
同じように柳もラケットバッグを置き、真田の隣に椅子を置き、座る。
「来週のオーダーが決まったので、報告だけしておこうと思ってな」
真田は、持っていた紙切れを彼に差し出した。幸村はそれを受け取ると、興味深そうに中を覗き込む。そしてややあってから、うん、と顔を上げた。
「……まあ、ほぼ予想通りのオーダーかな」
「今回は、そう奇抜なオーダーは組んではいないからな。まあ、いろいろ考えてはみたんだが、県大会如きでそう凝ったオーダーにする必要もないだろうという結論になってな」
幸村の呟きに真田が答えると、続けて柳が説明を加える。
「県大会では優勝までに四校と当たる。当然全てストレートで勝つとして、一校目のみ五試合で、後は三試合。考慮したのは、この十四試合をなるべくレギュラー全員が均等に出られるようにするという程度だ」
「うん、このオーダーでいいと思うよ。来週は頑張ってくれよ」
そう言って微笑む幸村に、真田と柳は自信に満ちた目で頷いた。
「当たり前だ。県大会など通過点に過ぎん。心配は無用だ」
「そうだ、精市。何も心配はいらない。お前は身体を治すことだけを考えればいい」
二人の言葉に、幸村は無言で目を細める。そして、そのままそっと目を閉じ、呟くように言った。
「ああ。……俺も、全国大会は皆と一緒に戦いたい。それまでには、必ず……」
言葉はそこで掻き消えたが、幸村は何かを思うように力を込めてぎゅっと掌を握り締める。真田と柳は、ほんの一瞬だけ沈痛な面持ちをしたが、すぐに力強く微笑んで、目の前の親友を見つめた。
「……なに、全国大会までにはまだ二ヶ月もある。ゆっくり治すといい」
「ああ。待っているぞ、精市」
二人がそう言うと、幸村は目を開いてそっと天井を仰いだ。そして、強い眼差しで再度二人の目を見つめる。
「ありがとう、俺は必ず全国大会までには戻る。約束だ」
「ああ。俺達は、お前が何も心配しなくていいよう、全国まで無敗でお前の帰りを待とう。……約束だ」
真田の言葉に同調するように、柳も強く頷く。そしてまた、幸村もにっこり笑って頷いた。
◇◇◇◇◇
「そういえば、話は変わるけど……今日は真田、誕生日じゃなかったかい?」
思い出したように、幸村が口を開いた。
「ああ、今日は確かに俺の誕生日だ。よく憶えていたな」
「やっぱり。入院してると日にちの感覚が無くなっちゃうんだけどさ、もうそろそろだったとは思ってたんだよね。……とは言っても、何かプレゼントがある訳でもないんだけどね」
幸村は、軽く苦笑して続ける。
「……そうだ、貰い物になっちゃうけど、お菓子があるから持って行くかい?」
そう言ってベッドから立ち上がり、枕元にある棚に手を伸ばした彼を、真田は慌てて制止した。
「いい、そんな気は遣うな」
その言葉に幸村は手を止め、苦笑しながらベッドの端に座りなおす。
「そうか、君には苦労を掛けてるし、何かあげられないかなと思ったんだけどね」
「だから、気を遣ってくれるな。その気持ちだけで充分だ」
「はは、了解。……ところで、柳は何か真田にあげたの?」
「俺は歴史小説を贈ったよ。弦一郎が好きそうなものがあったからな」
「ああ、タイトルだけちらりと見たが、なかなか面白そうだ。ありがとう、蓮二。読ませてもらう」
「ふうん。じゃあ、他の皆は?」
幸村の言葉を聞いて、真田は思い出すように鞄をちらりと見やる。
「……仁王と柳生、丸井、ジャッカルからはそれぞれ個別にプレゼントを貰ったな。丸井はアイツがいつも食べているガムや菓子の詰め合わせで、ジャッカルからはグリップテープと、あとジャッカルの家のラーメン桑原のタダ券が付いていた。仁王は……知恵の輪みたいなものだったか。頭が堅いから柔らかくしろとか抜かしておったが……。柳生は、蓮二と同じく本だったな」
「赤也は?」
「赤也は……貰ったと言っていいのか分からんな。本人いわく、『真心』がプレゼントだそうだ。その返礼に、俺も今日の赤也の練習メニューを、真心込めて倍にしてやったがな」
そう言うと、真田はどこか楽しそうにくくっと笑った。つられて、幸村と柳も笑う。
「はは、それはいいお返しだね。大会前だし、赤也も丁度いい練習になったんじゃない?」
幸村のその言葉に、真田も「そうだろう?」と笑った。
――その時。同じように笑っていた柳が、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「……ところで弦一郎、プレゼントと言えば、からも何か貰ったと言っていたな」
その言葉を聞いた瞬間、真田は目を見開いて、隣にいる親友の顔を見る。そして、何度か瞬きをしてから、少々間を置いて頷いた。
「あ、ああ、まあな」
そんな二人の様子を見た幸村は、不思議そうに軽く首を捻って呟く。
「……?」
幸村は、話に出ている人物が誰のことか分からない様子だ。それを感じ取った真田は、再度幸村の方を向いた。
「……ああ、お前には言っていなかったが、新しいマネージャーが入ったんだ。もう二週間ほど前になるが」
真田の言葉に、幸村は謎が解けたかのように、「ああ!」と笑った。
「噂の新しいマネージャーか! そういえば、さんって名前だったね。二年生なんだっけ?」
「知っていたのか?」
その名前を幸村が知っていたのが予想外だったのか、真田は目を丸くして彼を見た。そんな彼とは対照的に、幸村は笑って頷く。
「うん、真田以外の皆からはもうとっくに聞かせてもらってたよ。なかなかいい子なんだってね」
そんな二人のやりとりを見ていた柳は、少し呆れたように真田を見た。
「なんだ、弦一郎。まだ精市に言っていなかったのか?」
「いや……俺は新しいマネージャーが物になるかどうか、見極めてからと思ったんでな。すぐに辞めるようなら、報告の必要はないだろう?」
「はは、真田らしいね。……で、君の口から聞けたってことは、その子はマネージャーとして合格点ということでいいのかな?」
その言葉に、真田はためらうことなく首を縦に振った。
「ああ、悪くない。最初は何をするにもたどたどしかったし、テニスのことは何も知らなかったが……最近はなかなか、さまになってきているぞ。やる気もあるし、努力もする。というか、やり過ぎで少し心配になることもあるほどでな」
どこか嬉しそうな表情を浮かべながら、真田は言う。そんな彼を見た幸村は、興味深そうに、へえ、と小さく声を漏らした。
「まあ、たまに間の抜けたことをしたり、落ち着きがなくなったりはするが……まあ、あれはあいつの元来の性格からくるものだな。別に仕事に支障があるわけではないから、問題は全く無い。むしろ見ていて面白いくらいだ」
そう言いながら、今日彼女が頭を打ったことを思い出し、真田はくくっと笑う。
「……ふぅん、そんなにいい子なんだ」
幸村は、少々意外そうな顔で小さく相槌を打つと、真田の横にいた柳の方に何か言いたげに視線をやった。
それに気づいた柳は、何かを含むようにふっと笑い、頷く。
そして、柳は真田の方を見て、口を開いた。
「それで弦一郎、そのがくれたという、プレゼントの中身は見たのか?」
「いや……あれはまだ、開けていないが」
他のメンバーがくれたものはその場ですぐ確認できたのに、真田は何故か彼女からもらったものだけは、あの場で包装を解くことができなかった。
(まあ、受け取ってすぐ蓮二が来てしまったし、開けるチャンスを失ったというのはあるんだが……)
それでも、後から確認するチャンスはあったはずなのだが、不思議となんだかあの場で雑に開けるのを躊躇ってしまったというのはある。その理由は、真田にはよく分からなかったけれど。
そんなことを思いつつ、真田はちらちらとプレゼントが入っている鞄の方を見る。すると、興味深そうに身を乗り出して、幸村は言った。
「何をくれたんだろうね。ちょっと興味あるな。……真田、開けてみてよ」
その言葉に、真田は、少し驚いた顔つきで目を見開いた。
「ここでか?」
「うん」
好奇心に溢れた表情で、即答して頷く幸村。そんな親友とは対照的に、真田は渋るように唸る。
「しかし……」
いくら相手が気心の知れた親友とはいえ、贈ってくれた彼女に了承も得ず、人の目に晒すような真似をするのはいかがなものだろう――そう思って、真田は困ったように眉間に皺を寄せる。
すると、その様子を黙って見ていた柳が、ふっと笑みを浮かべてわざとらしい言い方をし始めた。
「精市、弦一郎の気持ちも汲んでやれ。せっかくの女子からのプレゼントだからな、家に帰ってから一人でこっそり見たいのだろう」
「……べ、別に、俺はそういうつもりでは!」
ガタンと大きな音を立てて、真田が立ち上がる。その表情は、薄っすらと赤く色づいていた。
「そうじゃないなら、いいじゃないか。開けてみようよ」
にっこりと笑って言う幸村の顔を見て、真田はまた小さく唸る。
やがて、観念したような表情をすると、立ち上がって鞄の側に歩み寄った。
鞄を開けると、すぐに彼女からのプレゼントが顔を覗かせる。真田は、包みを潰さないように、そっと鞄から引っ張り出した。