「は、ここから更にバスだったな」
真田の言葉に、は頷く。
「はい。真田先輩もバスでしたよね?」
「ああ。しかし、俺と蓮二はこれから幸村の見舞いに行って来るのでな。この後は電車だ」
幸村――未だ会ったことがない、テニス部の部長の名前だ。は、部室に飾ってある写真を思い出した。
「幸村先輩って、確か入院されてるんでしたよね。今からお見舞いに行くんですか?」
「ああ、県大会のオーダーが決まったから、その報告もかねてな」
「そうなんですか」
は、前から幸村という人物に一度挨拶をしたいと思っていた。
写真で見せてもらっただけの、まだ見ぬテニス部の部長。
入部して二週間以上経った今も、病気で入院しているという彼の深い話を、はなんとなく誰にも聞く事が出来なかった。軽軽しく聞いていいことだとは、どうしても思えなかったからだ。
けれど、皆の様子を見ていると、部員達が幸村という人物に全幅の信頼を寄せていることが伝わってくる。――そして、早く彼に戻ってきてもらいたいと思っていることも。
皆からこんなに慕われて信頼され、帰還を待ち望まれる彼は、きっととてもいい人なのだろう。テニスの腕もすごいと聞いた。
前前からもし機会があれば一度会ってみたいと思っていたし、一言挨拶するだけでもいいから、今から彼らに着いていくことは出来ないだろうか。
は顔を上げて、おそるおそる真田に問い掛けた。
「……あの、私も連れて行ってもらえませんか」
のその言葉に、真田は僅かに眉を動かした。やはり駄目だっただろうかと思いながらも、は必死で言葉を続ける。
「あ、あの、幸村先輩に一度ご挨拶したいだけなんです。先輩達の邪魔は絶対しませんし、幸村先輩に挨拶だけしたらすぐに帰りますから……だ、駄目でしょうか」
「別にいかんことはないが……」
真田は着けていた腕時計をじっと見つめ何かを考えていたが、ややあってから、息を吐いてに視線を移した。
「やはり、今日はやめておけ。帰りが遅くなってしまう」
「そうですか……」
彼の返事に、が顔を曇らせて俯く。すると真田は、少し慌ててに言った。
「決して連れて行くのが嫌なわけではないぞ、。今からだと帰りがとても遅くなってしまうだろう? 今の時間が問題なだけで、またそのうち連れて行ってやるから、今日はやめておけ、というだけだ」
少し焦りながら、真田はをフォローをするように言う。
いつもの落ち着いた彼とは違うその様子が少し面白かったのと、何より自分を傷つけまいとしてくれている彼の気持ちが伝わってきて、は思わずあたたかな気持ちになりながら笑みを零した。
「はい、わかりました。あの、それじゃ、幸村先輩によろしく伝えてください」
「ああ、分かった。必ず伝えよう。では、また明日な」
そう言って、真田は駅に向かって歩き出したが、すぐにふと何かを思い出したように立ち止まる。そして、くるりと振り向いて、もう一度に声をかけた。
「ああ、。プレゼント、本当にありがとう」
真田は、そう言うと優しく微笑み、軽く会釈をするように片手を上げた。
「は、はい!! 先輩も、お誕生日本当におめでとうございます!!」
いきなりの彼の礼と笑みに驚きながらも、はぺこりと頭を下げる。
「ああ。、気をつけて帰れよ。赤也もな」
「では、二人ともまた明日」
真田と柳は、そう言って軽く手を振る。そして、今度こそ二人は駅へと足を向けた。
「さようなら!」
「さよならっすー」
と切原も彼らに手を振り――やがて、真田と柳の姿は見えなくなってしまった。
彼らの行った方向をじっと見つめ、が余韻に浸るように駅の方を見つめていた、その時。
「……なあ」
切原の声が聞こえて、は彼の方を向き、尋ね返す。
「え、何?」
「お前さあ、いつの間に副部長とそんな仲良くなったワケ?」
唐突な切原の問いに、思わずは顔が熱くなった。
確かに今日のことで少し彼との距離は縮まったような気はするけれど、はたから見ても仲良くなったように見えるのだろうか。嬉しいというより、はなんだか気恥ずかしいような気がした。
「べ、別に変わんないと思う……けど」
「いんや、昨日までと絶対違うって。お前もだけど、副部長の態度が全然違う。あんな優しそうに微笑う副部長、俺初めて見たっつの」
切原は頭の後ろで手を組み、言葉を続けた。
「それに、プレゼントがどうとか言ってたけど、いつの間に渡したんだよ。一体今日何があったのか、全部素直に吐いてもらうぜ」
そう言って、切原はからかうような目つきでにいっと笑った。
◇◇◇◇◇
場所を変え、駅前のベンチに座って、と切原は話を始めた。
なんだかとても恥ずかしいけれど、誕生日のことは彼が教えてくれなければ知り得なかったことだ。お礼の意味も含めて、彼には話す義務があるかもしれないと思い、は今日あったことを包み隠さず全て話した。
真田にプレゼントを買ったこと。転寝をして、それを彼に見られてしまったこと。彼に体調を心配されたこと。電話番号と、メールアドレスを交換したこと。いろいろあったけれど、なんとかプレゼントを渡せたこと。そして、机の裏で頭を打ってしまったことを心配して気遣ってくれた彼が、保冷剤を用意し、彼自身の予備タオルまで貸してくれたことも。
「……で、先輩から『ありがとう』ってメールもらって、……それくらいかな」
思い出すたびに、なんだか嬉しくてくすぐったくて、ドキドキした。
やはり今日は、とてもいろいろなことがあったと、改めて思っていると――最初は話すたびに聞こえていた切原の相槌が、いつの間にか消えていることに気付いた。
不思議に思ったがふと切原の方に首を向けると、目を見開いたまま、言葉を失っている彼が目に入る。
「き、切原君?」
今の話に、何かまずい点でもあったのだろうか。
は少し焦って切原に呼び掛けた。すると、切原がはっと我に返り、何か信じられない話でも聞いたような表情で口を開く。
「……それ、全部マジ話?」
「こんな嘘ついて、私に何の得があるの?」
「相手、真田副部長、で合ってるんだよな?」
「勿論。さっきからずっと、真田先輩の話しかしてないってば」
の答えを聞き終わると、切原はへえーと興味深そうに声をあげた。
そして、今度はぶつぶつと独り言を呟き始める。
「あの真田サンがメールで礼、ねえ……うわ、ちょっと信じらんねぇ……」
全く意味がわからない言葉と、はっきりしない態度に、は少しむっとして声を荒げた。
「もう、一体何が言いたいの?」
しかし、その問いに切原は答えない。もう一度興味深そうに「ふーん」と声を漏らすと、彼はにやにやと笑った。
は、思わせぶりなことばかりを言いながら何も答えてくれない切原の態度に、業を煮やして口を尖らせる。
「ねえ、切原君てば!」
「ところで、お前副部長に何あげたわけ?」
急に言葉を遮られ、はやや面食らって目をぱちぱち瞬かせる。
「い、いきなり何?」
「副部長にプレゼントあげたんだろ? 何渡したんだよ」
「えっと、スポーツタオルと、携帯のストラップ……」
「ストラップぅ? ……タオルはともかく、ストラップ? 副部長に?」
の返答を聞いた切原は、再度目を丸くして驚きを露にする。
そんな彼の様子を見て、は不安そうに口を開いた。
「先輩にストラップって、そんなにおかしい?」
「いやー別にいいけどよ。あの副部長がストラップなんか使うかね? 想像できねぇな」
「う……や、やっぱ使わないかなあ?」
「少なくとも、今は携帯に何かつけたりはしてねぇよな。鞄とかにも何か付けたりしてるのも見たことねーし」
切原の言葉に、は不安そうに俯く。しかしそんなを励ますように、切原は、ははっと笑った。
「ま、でもわかんねーぜ? もしかしたら使うかもしれねーしさ」
「……気休め、ありがと」
はそう言って苦笑すると、気を取り直して話を続けた。
「そういえば、私の話ばっかりじゃなくて切原君の話も聞かせてよ。いつも私が居なくなった後、と二人っきりだよね。何やってんの?」
「べっつに。特に何かしてるって訳じゃねーよ。ほとんどはそのままバイバイ。一、二回だけ、コンビニで買い食いすんの付き合ってもらったこともあるけどな」
思い出すように言いながら、切原は頭の後ろで手を組む。
「それはそれで満足してるし楽しいけど、お前みたいに特別なことは何にもねーな」
そう言って、切原は苦笑する。
は、自分の話を引き合いに出され、思わず頬を染めた。
「もう、私だって別に特別なことなんてないってば。……でも私、正直は切原君のこと満更じゃないと思ってるんだけどな」
は、を一番の親友だと思っている。そして、にとっても自分が一番の親友だと言える自信があった。そんな自分が、切原に何の私情も交えず客観的に考えても、やはりの切原に対する態度には好意が感じられるのだ。
「、今まで男子を名前で呼んだりしたことないしさ。切原君だけだよ?」
の言葉に、切原が頷いた。
「俺も、正直嫌われてるなんて思っちゃいねーし、あいつだって満更じゃないかもとも思っちゃいるんだよ。でもと話してると、たまになんつーかな……壁を感じる時があるんだよな」
「壁?」
「ああ。なんかこう……肝心なとこで深く踏み込んでこようとしねぇっていうか。なんか上手く言えねーんだけどさ」
切原は大きな溜息をつき、言葉を続けた。
「こっちから頼んだわけでもねーのに名前で呼んでくれるようになったし、気のせいかなとも思うんだけどなー」
「うーん……」
彼の話を聞きながら、は首を捻る。が壁を作っている――あの彼女に限って、そんなことがあるのだろうか。もしそれが本当なら、一体理由は何なのだろう。
「や、でも悪いようには思われてねー自信はあるんだわ。ま、ちょっとずつ行くさ」
「そうだね」
頷き合って、二人は立ち上がる。
そして、と切原は別れた。