「確か、タオルが入っていると言っていたが……」
昼間に彼女が言っていたことを思い出しながら、包みを手にベッドの側に戻る。そして椅子に座りなおすと、真田は持っていた包みを見つめた。
とても丁寧に包装されたそれを見ていると、なんだか妙に緊張して、心臓の脈打つ音が速度を上げる。
なんだかんだ言っても、異性からプレゼントを貰うということが自分には不慣れな出来事であり、多少なりとも照れくさいと思ってしまうのは事実だった。
「……開けないの? 真田」
横から幸村の声がして、はっと顔を上げる。
「い、いや今開ける」
そう言って、真田は慌てて包みに手を掛けた。破らないように気をつけてゆっくりとテープを剥がし、包装を解くと、中からどこか見慣れた色のタオルが顔を覗かせる。その瞬間、心臓がまた速度を増した。
こんなにも緊張してしまうのは、プレゼントを開けているこの手元に二人が視線を注いでくるからだろうか――そんなことを思いながら、真田は半分剥がした包装紙からタオルを取り出した。
「やはり、スポーツタオルのようだな」
そう呟きながら、真田は空になった包装紙を幸村が座っているベッドの布団の上に置き、手の中に収まっているそれをまじまじと見つめた。
とても軽くて柔らかい、手触りのいいタオルだった。しかも、このとても見慣れた色は――。
「あ、この色ってもしかしてうちの部の……」
幸村が呟いた言葉に、柳が頷き、続けた。
「ああ、部のジャージと同じ色だな。ここまで同じ色のものを、よく見つけたものだ」
そんな二人の会話を耳に挟みながら、真田はじっと手の中のものを見つめる。
きっと彼女は、「この色」に拘って選んでくれたのだろう。
そのことがなんとなく嬉しいような気がして、真田はほんの少しだけ顔をほころばせた。
「弦一郎、包み紙の中に、まだ何か残っているぞ」
そんな柳の声が聞こえて、真田は顔を上げる。すると、柳が置いてあった包装紙を拾い、その中からなにやら取り出しているのが見えた。
「まだ何か入っていたか? すまない蓮二、ありがとう。気がつかなかった」
やがて柳は包装紙から何かを取り出すと、それを掌の上に載せ、真田の目の前に差し出した。
「ほら、これだ」
そんな彼の言葉と共に真田の目に飛び込んできたのは、ミニチュアサイズのラケットだった。
「……なんだ、これは。ラケットのおもちゃか?」
真田は、親友の掌に乗っていたそれを手にとった。その瞬間、ラケットのミニチュアに付いていた革紐のようなものがぶらんと垂れ下がり、一緒に付いていた鈴が小さな音をたてる。
「おもちゃっていうより、携帯ストラップ、かな? これは」
幸村の声に、真田は顔を上げた。
「携帯ストラップというと……携帯電話に付けるやつか」
「うん。別に携帯に限らないけどね。最近では、デジカメとか携帯ゲームとかに付けてる人もいるよね」
真田は、手に持っていたストラップに再度視線を戻しながら、尋ねる。
「これは、携帯を装飾するためのものか?」
「本来の目的としては、落下・紛失防止という意味合いが大きいだろう。とはいえ、ほとんどの者は装飾を目的として付けているのだろうがな」
「ふむ」
(ストラップか――そういえば、丸井などは携帯に何やらじゃらじゃら付けているな)
柳の言葉に頷きながら、そんなことを思ってそのストラップを尚もじっと見つめる。
ラケットのミニチュアは、かなり精巧に出来ていた。一緒に付いている小さな鈴は、テニスボールを模しているのだろうか。
しかし、このラケットはなんだかどこかで見たことがあるような気がする――ふとそんなことを思い、真田はラケットのミニチュアに、更に視線を近づけた。
そして。
「……ああ」
何かに思い当たったように、真田は呟いた。
――そうだ。どこかで見たことがあると思ったら、自分のラケットに似ているのだ。一番愛用している、あのラケットに。
そんなことを思いながら、真田は隅に置いていたラケットバッグをちらりと見やる。
すると、それに気付いた幸村が、不思議そうに問い掛けてきた。
「真田、どうしたの?」
「いや……似ていると思ってな」
「似てるって、何に?」
その時、そんな二人のやり取りを聞いていた柳もまた、思い出したように「ああ!」と声を発した。
「このラケット、なんとなくどこかで見たような気がしたんだが――確かに、お前がよく使うあのラケットに似ているな」
「ああ。やはり蓮二もそう思うか?」
そう言って真田は立ち上がると、おもむろにラケットバッグを開け、件のラケットを取り出した。
ストラップを持っていた手と反対の方の手にラケットを持ち、全くサイズが違う二つのラケットを並べてみる。
「うん、確かに似てるね」
「ああ。こうやって並べると、余計にそう思うな」
親友たちが話す声を聞きながら、真田はじっと二つのラケットを見比べた。
やはり、確かに似ている。流石に全く同じというわけではないが、カラーリングなどはかなりそっくりだ。
「偶然、か?」
真田がぽつりと零した呟きに、柳が苦笑した。
「偶然にしては似過ぎだな。きっと、も意識してこれを選んだのだと思うぞ」
「うん、俺もそう思うな。じゃないと、君に携帯ストラップなんて贈らないんじゃない? 似てるって思ったからこそ、選んだんだと思うよ」
「そ、そうだろうか」
真田の心臓が、どくんと跳ねた。自分がいつも使っているこのラケットに似たものを、彼女はわざわざ選んでくれたのだろうか。
そんなことを思って真田が心を揺らしていたその時、幸村が笑って口を開いた。
「みんながそれぞれいろんなラケットを持ってるから、ごちゃごちゃになりそうなものなのにね。個人のラケットを、ここまでちゃんと記憶しているっていうのはすごいなあ。その子、部員のことをしっかり観察できる子っぽいね。マネージャーとしては、確かに期待できる人材だな」
そんな幸村の言葉に、真田の心臓がまた大きく跳ねる。
部活の時間はいつもあんなに必死で仕事を頑張っているのに、彼女はちゃんと部員一人一人のことも、見ているということなのか。
(俺のことも……?)
そう思うと、何故か心臓の速度が増した。訳のわからぬ不整脈に戸惑いを感じながらも、真田はなんとなく照れくさいような、でもどことなく嬉しいような、そんな気がした。
それはとても不思議な感覚で、こんな気分は初めてだった。
真田は、持っていたラケットをベッドに立てかけて置くと、すぐに自分のポケットを探り始めた。やがて自分の携帯電話を取り出し、それともう一方の手にある彼女からの贈り物を、じっと見比べる。
――そして。
「……これは、どうやって付けるんだ?」
誰に言うともなく、そう呟いた。
「え、真田、付けるの?」
「……携帯に付けるものなのだろう?」
きょとんとした顔で、真田は幸村に問い返した。そんな彼に、幸村は驚いた顔をして目を瞬かせる。
「まあ、そうなんだけど……いや、君が携帯ストラップを付けるなんて思わなかったからさ」
「い、いや、確かに自分で金を出して買おうとは思わんが、せっかく貰ったのだし、付けてもいいかと思ったのだが……お、おかしいか」
目の前の親友の反応に焦ったのか、まるで言い訳するように真田は言う。
「丸井や赤也のようにジャラジャラ付けるのは好かんが、これ一つくらいなら別にあっても邪魔ではないし……」
更に言葉を重ねているうちに、何故かすごく恥ずかしくなってきて、真田は頬を赤らめた。そんな真田を見て、柳はくすりと笑う。
「いや、おかしくなどないさ。弦一郎、貸してみろ。付けてやろう」
そう言って、柳は手を差し出した。真田は、まだ少し恥ずかしそうにしながらも、平静を装って彼の手に携帯とストラップを乗せる。
柳はそれを受け取るなり、早速丁寧に真田の携帯にストラップを付け始めた。
――そして。
「付けたぞ、弦一郎」
程なくして完成したそれを、柳は真田の手に返した。
戻ってきたその携帯を、真田はじっと見つめる。
いつも使っている見慣れたはずの携帯なのに、小さなストラップがたった一つ加わっただけで、なんだか違うものに見えるのは気のせいだろうか。
「……真田?」
幸村の声が聞こえて、真田ははっと我に返る。
顔を上げると、幸村と柳がじっとこちらを見つめていた。なんだかまた恥ずかしくなって、真田は慌てて立ち上がり、咳払いをする。
「あ、ああ、そうだ。ちょっと家に連絡を入れてくる」
そう言って、真田は携帯を握り締めたまま、そそくさと病室を後にした。
ドアが閉まる音がしたと同時に、残された幸村と柳は、顔を見合わせる。
「ねえ、柳。俺、あんな真田初めて見たよ」
「そうだな。俺も初めてだ」
そう言いながら、二人はくすりと笑う。
「真田さ、もしかしたら……もしかするんじゃないの?」
幸村は、嬉しそうに呟いた。柳は、それにふむと頷いて続ける。
「確かに、その確率は高いと俺も思う。……しかし、あいつは多分、自分自身ではまだ分かっていないだろうな」
先ほどの電車の中での一件を思い出して、柳は苦笑を浮かべた。
切原と彼女が二人で並んでいた姿を、何やら気にしてじっと見つめていた真田。そんな彼を少しからかってやろうかと思ったが、真田はその意味が全く分かっていない様子で、眉間に皺を寄せて首を捻ったのだ。
あれはどう考えても、自覚症状は全く無いと言っていいだろう。
そのことを話すと、幸村は「真田らしいね」と言いながら笑った。
「さっき、すっごく嬉しそうな顔で、彼女のこと褒めたり、じっと彼女からのプレゼントを見つめたりしてたよね。絶対その子のこと、気になってるんだと思うんだけどなあ」
「あいつは浮世離れしているからな。こういった感情には、特に疎いのだろう」
「ほんと、真田らしいよ。……ところで、彼女のほうはどうなの? プレゼントを渡すくらいだから、悪くは思ってないんだろうけどさ」
「そうだな……」
幸村に言われて、柳は彼女のことを思い出した。今日まで余り気にしたことはなかったが、そういえば彼女の真田への態度も、どこか引っかかるものがある気がする。
例えば、今日のバスの中での彼女――真田に褒められた時の彼女は、尋常ならぬほど照れてはいなかったか。
厳しいと有名なあの副部長殿に褒められたのだ、喜んだり多少照れたりするのは当たり前かもしれない。
しかし、顔を薄っすらと赤く染めて、はにかみながら俯いたあの様子――厳しい先輩から褒められただけにしては、照れ方が大袈裟過ぎやしないだろうか。
「……ふむ。の方も、可能性はゼロではないな。むしろ、高いかもしれん」
柳は面白そうに呟き、続けた。
「赤也が何か知っているかもしれないな。彼女は赤也の紹介でマネージャーになったんだが、クラスメイトということもあり、赤也ととても仲がいいんだ」
「そうなの? ……それって、赤也といい感じってことはないの?」
「いいや。赤也と仲がいいのは間違いないんだが、そういう感じではないな。あくまでも俺の主観だが、赤也もも、どちらかというと同性の友人に近いものを感じる」
柳の言葉に、幸村はどこか安心したような顔をする。
「良かった、もしその子と赤也がいい感じだったら、どうしようかと思ったよ」
ほっと胸を撫で下ろし、幸村は真田の出て行った扉をじっと見つめながら、言葉を続けた。
「……ねえ、柳。真田ってさ、いつも一人で全部の責任や苦労を背負い込むだろう? 俺がこんなことになってからは、特にさ」
「ああ」
「心配なんだよね。真田は、肉体的な休息はとっても、精神的な面で休むということを知らない奴だから、いつか潰れてしまうんじゃないかってね。いくら体を休ませても、精神的に休んだり癒されたりすることがなければ、体っていうのは持たないものだし。……入院している俺が言うのもなんだけどさ」
幸村は少々苦笑したが、すぐに気を取り直して言葉を続ける。
「だからさ。もしその子が真田を精神的に癒せるような存在になって、傍で支えてくれるなら、俺は嬉しいんだけどな」
「そうだな。この二週間見ていた限り、は悪い子じゃない。弦一郎が本当にを好いていて、も同じ気持ちなのだとしたら、上手くいって欲しいと俺も思うぞ」
「……うん、まずは二人の気持ちの確認かな」
「ああ。なるべく二人を見ていてみよう。何かあればお前にも報告する」
「うん、頼むね、柳」
そんな話を交わしながら、幸村と柳は、どこか嬉しそうな顔で笑い合った。
◇◇◇◇◇
一方病室を出た真田は、エレベーターホールの近くにある談話室で、家に電話を掛けていた。
「……はい、もう少ししたら病院を出るつもりですから、後一時間弱で帰宅できると思います。……はい。分かりました。では、また後ほど」
そう言って携帯電話を耳から離し、指先でボタンを押して発信を停止した。
その瞬間携帯が揺れ、先ほど付けたばかりのストラップに付いていた鈴が、小さな音を立てる。
真田は、その手にあるものをじっと見つめた。
何も付けていないシンプルで無機質な携帯を、疑問に思ったことはなかった。けれど、これはこれで悪くはない。むしろ、なんだかとてもいいものになったような気すらする。
なんとなく、その手で携帯をわざと軽く揺らし、再度鈴を鳴らしてみせた。その可愛らしい音に贈り主の彼女の笑顔が重なり、真田は思わずその表情を緩ませる。
ほんの少しの間真田はそのストラップを見つめていたが、やがて携帯をポケットに突っ込むと、親友達の待つ病室へと戻った。
「おかえり、真田」
「……すまない幸村、そろそろ家に帰らねばならん」
そう言いながら、真田は出したものを鞄に仕舞い、帰る準備を始めた。
「そうだな、俺もそろそろ帰るとしよう」
真田の声に柳もまた同調し、自分の鞄に手を掛ける。
幸村は、もう日の暮れた窓の外を見つめながら、笑った。
「うん、もう遅いしね。二人とも、今日はわざわざありがとう。来週は頑張ってくれよ」
「ああ、勿論だ」
「何度も言うが、県大会如き、通過点に過ぎん。幸村、心配は無用だ。来週の日曜は県大会優勝の土産を持って来るから、待っていてくれ」
そう言って、真田と柳は力強く頷いた。その言葉に、幸村もまた嬉しそうに頷く。
「ねえ、真田。その時さ、噂の彼女も連れてきてくれよ。一度会ってみたいんだ」
「彼女というと……のことか?」
「うん」
笑って首を縦に振る幸村に、真田は「ふむ」と呟いて、思い出すように言った。
「そういえば、の方も一度お前に挨拶がしたいと言っていたな。本当は今日も来たがっていたんだ。時間が遅かったから俺が止めたんだが。そういえばお前によろしくと伝えて欲しいと頼まれていたんだった。……そうだな、今度の日曜、県大会終了後にあいつの都合がつくなら連れてこよう」
「あ、そうなんだ。じゃあ、楽しみにしているよ」
「ああ」
そう言って、真田はすべてのものを鞄に仕舞い終え、そのまま鞄を担いだ。
「では蓮二、帰るか」
「ああ。ではな、精市」
「うん、二人とも気をつけて!」
真田と柳は、幸村に軽く手を振って、そのまま病室を後にする。
二人が去った後、幸村は閉まった扉をじっと見つめながら、とても楽しそうに笑った。