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11:5月21日 06

「あ、それ、もしかして来週のオーダー表ですか?」
「ああ。まだちゃんと決まっていないから、そろそろ決定しなければと思ってな」

そう言いながら、目線を落として真面目な顔つきでオーダー表に集中する真田を、は向かい側の椅子に座ってじっと見つめる。しかし、その内心は「あのこと」でいっぱいだった。

(早くプレゼント渡さなきゃ……)

二人きりで、他に誰もいない部室。それはが思い描いていた通りのシーンで、プレゼントを渡すのには絶好のチャンスといえた。
なのに、今一歩が踏み出せないのだ。
ただ「誕生日おめでとうございます」と言って、机の下に置いてある鞄から買ってきたものを取り出し、それを差し出すだけでいいのに――そんな簡単なことが、先ほどから何故かどうしても出来ない。
そして、その代わりと言わんばかりに、心臓の音が自分の中でうるさいほどに鳴り響いていた。

(早く渡さないと、誰かが来るかもしれないのに……もう、私ってばなんでこんなに意気地がないんだろう)

情けなくなって、は机の上の掌をぎゅっと握り締めて俯く。
その時、彼がふとに問い掛けた。

、本当にもう寝ていなくていいのか?」

真田の口から飛び出した言葉に、は顔を上げる。
彼はまだ心のどこかで、が疲れているのではないかと心配しているようだ。
転寝ひとつでこれほどまでに心配してくれるなんて、なんて優しいのだろうと思うと同時に、本当に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。

(転寝してたのは、疲れてるからじゃないんだもんね……)

事実を思うと、彼に気にしてもらうのが申し訳なさ過ぎた。
なんとか彼の誤解を解きたくて、は心の底から自分が情けなくなりながら、おずおずと口を開いた。

「あの……すみません。さっきの転寝は本当に疲れてるとかじゃないんですよ。ちょっと昨日寝るのが遅くて……。本当なんです」
「そうなのか。何かしていたのか?」

そう言って、真田が顔を上げる。
視線が合い、は恥ずかしくなって咄嗟に目を逸らしてしまったが、そのまま言葉を続けた。

「はい、えっと、昨日はちょっと……」

しかし、そこまで言いかけて、の声は止まってしまった
真田にこれ以上気を遣わせないようにと思って、素直に寝られなかったことを言ったのはいいものの――その理由を彼に言えるわけがない。

(……先輩の誕生日のことが気になって眠れなかった、なんて先輩本人に言えるわけないよ……!!)

昨日の夜のことを思い出すと、なんだか妙に顔が熱くなる。
そして、その誕生日のプレゼントすら緊張して渡せない自分が、は本気で情けなかった。

(ほんと何やってんの、私……)

そんなことを思いながら、は吐くように苦笑を漏らす。
すると、言葉が途絶えたを不思議に思ったのだろう、真田が更に問い掛けてきた。

「どうした?」

このまま黙っていれば、挙動不審以外の何者でもない。
何か良い言い訳はないかと、は盛んに目を瞬かせながら慌てて考え――そして、脳裏に浮かんだ言葉を、咄嗟に口にした。

「べ、勉強です! そう、昨日はですね、勉強やってたんです! 期末テストの!!」
「期末の? ……まだ一ヶ月以上あるのにか?」
「えっとですね、中間の結果が思ったより良くなかったんで、今からやっとかなきゃやばいかなって思いまして!」

は、わざと笑顔を作って大袈裟に笑う。

「それは感心なことだが、今から夜更かししてまで勉強する必要はないだろう」

どこか呆れた顔をすると、真田は続けた。

「今は毎日の授業をしっかり聞いて、帰ってから一時間程度復習しておけば充分だ。そして、十日ほど前から集中的にやるといい。試験直前五日間はテスト期間で部活も強制的に休みに入るしな」
「先輩は、そういう風にやってるんですか?」
「ああ。一年のときからずっと、その方法で今までやってきた。さすがに蓮二や柳生には負けるが、そこそこ上位の方と言えるぞ」

そう言って、真田は少し自慢気に笑う。
自分の嘘から始まった会話と言うことも忘れ、は感心して溜息をついた。

「すごいですね……でも私が同じことやったって、無理ですよ。頭の作りが違うんですから。先輩達は一時間程度で復習終わっちゃうかもしれませんけど、私は一時間じゃ終わりませんよ。きっと始めてすぐ詰まって、頭抱えてうんうん唸ってるうちに、一時間なんかあっという間です」

今の言葉通りの自分の姿が容易に想像出来て、は情けなさそうに落胆すると、突っ伏すように自分の上半身を机の上に投げ出した。
そんなを見て、真田はくくっと笑う。

「なんだ、勉強は苦手なのか?」
「メチャクチャ苦手とは言いませんけど、得意じゃないことは確かですね」

溜息をついて、は頷く。そんな彼女を見て、真田は「ふむ」と小さな声で呟いた。
そして。

「ならば、解らないところがあれば俺のところに持ってこい。いつでも教えてやろう」

そう、真田は言った。
彼がそんなことを言ってくれるなんて、思ってもみなかった。
は驚く余り、目を見開いてがばっと起き上がる。

「え、いいんですか!?」
「ああ。安心しろ、二年の内容くらいどの教科でも教えられるぞ。なんでも遠慮せずに持ってくるといい」

どくん、との心臓が鳴った。彼の表情を見ていると、嫌々だとか、社交辞令の類だとかには絶対に見えない。
彼にそこまで気にかけてもらえるなんて――の心臓の音が、どんどん高鳴っていく。

「あ、ありがとうございます……」

嬉しくて震える声を何とか振り絞り、は頭を下げる。すると彼は、更に予想外の言葉を続けた。

「もし学校で聞く暇がなければ、電話でも構わんぞ」
「え?」
「ああ、お前は俺の番号を知らないか。緊急の連絡などもあるかもしれんし、教えなければと思ってはいたんだが。いい機会だから、俺の携帯の番号を教えておこう。……ちょっと、待ってろ」

そう言いながら、真田は立ち上がり、自分のロッカーへと移動する。そして、扉を開けると、中腰になって中に入っていたバッグを探り始めた。
一方は、この状況に頭が真っ白になっていた。
話がトントン拍子に進んでいるが――彼は一体何を教えてくれると言った?

(携帯の、番号を教えてくれる……って……?)

目を何度も瞬かせながら、が彼の背中を見つめていると、携帯を手にした真田がこちらを向いた。

「どうも自分の番号というのが覚えられなくてな……ちょっと待ってくれ」

少し恥ずかしそうに苦笑しながら、彼は自分の携帯電話を操作し始める。
そして、ディスプレイに自分の番号確認のページを表示させて、もう一度の方を向いた。

「よし、番号を言っていいか?」
「あ、はい……いえ、ちょ、ちょっと待ってください!」

は慌てて、足元の鞄の外ポケットに入れていた携帯を取り出す。携帯を掴んだ自分の手が、少し震えている気がした。

「いいか?」
「はい……お願いします」
「090の……」

携帯をぎゅっと握り締めながら、は彼の読み上げる数字を一つ一つ入力していく。やがて、の持つ携帯のディスプレイに十一桁の数字が並んだ。

「掛けてみてくれるか?」
「は、はい!」

彼に言われて、緊張しながら発信ボタンを押す。
見慣れたディスプレイが、発信を表す画面になり――直後、彼の携帯から一定のリズムの電子音が鳴り響いた。
既存曲の着メロなどではない。きっと最初から携帯にセットされている音なのだろう。
それが、なんだか非常に彼らしい気がした。

「よし、合っているな」
「じゃあ、止めますね」

指先でそっとボタンに触れ、発信を停止すると、同時に彼の電話も音を止める。
そして、は自分の携帯の発信履歴を表示した。再び、自分の携帯に見慣れない十一桁の数字が並ぶ。

「えっと……それじゃ、登録させてもらいます」
「ああ、頼む」

ボタンを操作して、番号の登録画面へと進む。ドキドキしながら、は震える指先で彼の名前を入力していった。

(……さ、な、だ、……えっと……)

しかし、彼の名前を名字まで入れて、手が止まった。フルネームを入れるのは、なんだか妙に緊張してしまう。

(真田先輩、にしておこう……)

そんなことを思いながら、が登録作業を進めていると。

、俺も登録させてもらっていいか?」

そんな声が聞こえて、ははっと顔を上げる。
すると、彼が自身の携帯を片手に、を見つめていた。

「あ、は、はい勿論どうぞ!」
「そうか、では登録させてもらうぞ」

そう呟いて、彼は手元に視線を落とす。そして、その大きな指でゆっくりと携帯を操作し始めた。
彼の指が、自分の名前を打っているのだと思うと、それだけでまたの心臓の鼓動は煩く響き出す。
そんなことでドキドキしている自分が恥ずかしくて、気持ちをごまかすようには自分の携帯に視線を戻すが、視線を落とした先に「真田先輩」の文字が並んでいるのを見て、また心臓がドクンと跳ねた。

(……ほんと、何やってるんだろう、私……)

名前だけでこんなに動揺している自分に情けなくなりながらも、はなんとか登録作業を終えた。
確認のためにアドレス帳のさ行のページを開いてみると、見慣れた他の女友達の名前に混じって、彼の名前がちゃんと並んでいる。
は、更に詳細を表示させた。
聞いたのが電話番号だけなので、彼のページには電話番号と名前しか表示されていない。
電話番号の下にある空欄が気になって、は手を止める。

(あ、そういえば、メールアドレス……)

以前切原が彼にメールを送っていたのを見たことがあるので、メールを全くやらないわけではないとは思うのだが――。

(メールの方が、いろいろ連絡しやすいんだけど……先輩、メールとか嫌いなのかな)

聞いてもいいものだろうかと迷いながら、はちらちらと真田を見やる。
すると、それに気付いた真田がふっと顔を上げた。

「どうした?」

いきなり合った視線に戸惑いながらも、は慌てて口を開く。

「あ、いえ……メ、メールアドレスとか、聞いてもいいですか? あの、メールの方が、何かと連絡しやすいですし、電話だと先輩にご迷惑がかかることもあるかもしれませんし」

は、まるで言い訳するように言葉を重ねた。
しかし、その言葉に、真田は少し困ったような顔をする。

「メールか……」

呟くような言葉の中に、彼の困惑の様子が感じ取れた。
彼が、僅かではあるが渋っているのが分かって、の心がちくりと痛んだ。

「あ、あの、ダメだったらいいんです。すみません」

そう言って、は落胆をごまかすように、わざと笑顔を作る。
すると、それが分かったのか、真田は慌てて口を開いた。

「いや、駄目というわけではないんだ。ただ、俺自身がメールが苦手でな。受けるのは問題ないのだが、打つのが苦手なんだ。それに、メールの着信に気がつかないことも多くてな。メールの着信音というのは、電話に比べて短くて小さいだろう? だから、返事が極端に遅れたり、電話で返したりすることもあるが、それでも構わないか?」

そう言って、彼は少し情けなさそうに眉間に皺を寄せる。
どんな時でも自信たっぷりで、堂々としている彼のそんな姿は、なんだかとても新鮮に見えた。

(わ、先輩にも苦手なものがあるんだ)

そんなことを思いながら、はふふっと笑う。

「はい、勿論構いません。確かに、メールって気がつかなかったりしますもんね」
「メールの方が、受ける相手の都合をあまり気にしなくていいから、急がない用事のときは便利なのだろうがな……分かってはいるんだが、俺はどうもメールを打つのに時間が掛かってしまってな。電話の方が楽だと思ってしまうんだ」

そんなことを言いながら、真田は携帯を操り、自分のアドレスの載っているページを表示させる。

「では、また俺がアドレスを言うから、先ほどのように送ってくれるか?」
「はい!」

は、先ほど登録した彼のページを開いて、追加登録ボタンを押した。そして、彼の読み上げるメールアドレスを、一つ一つ丁寧に打ち込んでいく。程なくして、先ほどまで名前と電話番号だけだった彼のページに、メールアドレスが加わった。

「えっと、じゃあ、今からメール送りますね」

メールの新規作成画面を開き、アドレス帳から彼の名前を選ぶ。
そして、タイトルに「です」と自分の名前を打ち、次に本文の欄を選択した。
しかしそこで、の手は止まった。

(……誕生日おめでとうございます、って送ったら……先輩、びっくりするかな)

さっきからずっと二人っきりで話しているのに、いまだに彼の誕生日のことには触れられていない。
それが、はずっと気になっていたのだ。
とりあえず、誕生日のことだけでも切り出せば、なんとかなるかもしれない――そう思って、は震える指先を一生懸命操りながら、メールを打ち始めた。

こんなに緊張するメールなんて、初めてかもしれない。
たった一言短いメールを打つだけなのに、手が震え、一文字ごとに心臓のドキドキがどんどん増していく。
いつもなら決して間違えないような些細な誤変換をしながらも、なんとかは「誕生日おめでとうございます」と打ち終えることが出来た。
そして。

「じゃあ……送信して、いいですか?」
「ああ、頼む」

彼の返事を確認して、は震える指先で送信ボタンを押した。
同時にメールの発信画面が表示され、あっという間にそれは発信完了のメッセージへと変化する。

(送っちゃった……)

鼓動がどんどん早まり、その強さを増していく。
はそれを抑え込むように、胸の前でぎゅっと携帯電話を握り締めた。

初稿:2006/11/01
改訂:2010/03/08
改訂:2024/10/24

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