店を出て、は携帯で時間を確認する。
思ったよりもずっと早く、まだ十時を過ぎたところだった。
(あらら、結構早く決まっちゃったんだなぁ)
時間までに何も決まらなかったらどうしようなんて思ったりもしていたけれど、こんなに早く決まるとは予想外だった。
部活が始まる時間まで、まだ三時間弱もある。どこかで時間を潰そうかとも考えたが、三時間もの時間を街でぶらぶらして過ごすのは、なんだか勿体無い気がした。
(もう学校へ向かっちゃおうかな)
掃除や備品数チェックなど、一人でも出来る仕事はたくさんある。
それらを練習前に終わらせておけば練習の間は練習補助だけに専念できるし、それに今日はレギュラーだけの練習だから、きっと試合形式の練習も多いだろう。
いつもよりスコア取り練習のチャンスも多いかもしれないから、やはり、可能な限り仕事は終わらせておいた方がいろいろと好都合のような気がする。
「……うん、もう学校行っちゃおうっと」
昨晩寝る直前に予定を変えたため、今日は弁当を用意していなかったから、途中のコンビニに寄ってお昼ご飯を買う。その後、すぐにバスに乗って学校へと向かった。
バスに揺られていると、先ほど駅前に出たときと同じように何度もウトウトしそうになったが、先ほどとは違って降りるのが終点ではないので、は必死で眠らないように意識して目を開ける。
しかし、それでも瞼は重い。
このままではもたないような気がして、は眠気を吹き飛ばすために、鞄を開けて先ほどの包みを取り出し、じっと見つめた。
綺麗に包装されたプレゼントが、なんだかとても気恥ずかしい。
(これ、ちゃんと渡せるかな。それに、もしちゃんと渡せたとしても、先輩、喜んでくれるのかなあ……)
タオルはともかく、ストラップは勢いで追加してしまったけれど、良かったのだろうか。
タオルのように、いろいろと使い道があるような物でもないのに。
(先輩が困らないような物をって、思ってたのになあ……)
ストラップなんて、携帯などに付ける以外の活用方法など皆無と言ってもいい。
彼が自分の持ち物にそういう装飾を付けているところは見たことが無いし、そういうものを使わない拘りなどがあったとすれば、これは邪魔な不要物以外の何者でもないだろう。
とはいえ、こんなに綺麗に包んでくれたのに、ストラップだけを取り出してまた包み直すなどということも出来ないし、もうこのまま渡すしかないのだけれど。
(うう、ちょっと失敗しちゃったかな……私の馬鹿……)
そう思って、は眉をひそめる。
いらないと思われてしまうのは仕方ないが、せめて彼が自分に気を遣ったり、気にしたりしてくれなければいいのだけど。
は、溜息をついて祈るようにそんなことを思った。
そうしているうちに、バスは学校前の停留所に到着した。
プレゼントの包みをまた丁寧に仕舞い直し、バスを降りる。
そして、校門をくぐって一直線に部室へと向かうと、いつものように軽くノックをした。
しかし、中からの返事はない。
(あー、当たり前だよね。まだこんな時間だもん)
今の時間は、まだ十時半になろうとしているところだ。
部活が始まるのは十三時だから、まだ二時間半もある。
一番早いのはきっと真田か柳あたりだろうが、それでもせいぜい十分から二十分前といったところだろう。
は一応試しにドアノブを回してみたが、やはり鍵が閉まっており、開くことはなかった。
「職員室に、鍵保管してあるって真田先輩言ってたよね。借りに行かなきゃ」
以前真田に教えてもらったことを思い出し、は職員室のある校舎に足を向けた。
下足室を通るのが面倒だったので、靴を脱ぎ捨てて靴下のまま校舎の廊下へと上がり、職員室へと向かう。
日曜といえども、一部の運動部が練習を行っているので、グラウンドの方や体育館などからは威勢のいい掛け声が聞こえてくるが、校舎の中はそれとは対照的だった。
誰もいない廊下はとても静かで、靴下越しに感じるひんやりとしたコンクリートの感触とあいまって、なんだか怖いくらいだ。
少し早足になって、は職員室へと入った。
「失礼します。テニス部の部室の鍵、お借りしまーす」
職員室には、休日出勤と思われる数人の教師がいた。
は誰ともなしにそう声を掛けてから、キーボックスに掛かっているテニス部部室の鍵を手にし、そそくさとその場を後にする。
そして、元来た道をまた早足で戻り、靴を履きなおして部室へと戻った。
持ってきた鍵で開錠し、ゆっくりとドアノブを回す。そして、しんと静まり返った誰もいない部室に入ると、はドアを閉めた。
「さて、と」
荷物を机の上に置いて、ふうと息を吐く。
部活が始まる時間までは、まだ二時間以上ある。その間に、どれだけのことが出来るだろう。
「とりあえず、着替えようかな」
そう呟いて、ジャージの入った袋を鞄から取り出す。いつもなら女子更衣室で着替えるのだが、こんな早く誰かが来るわけでもないし、ここで着替えてしまってもいいだろうか。
(……うん、いいよね)
一人で結論付けて、少し緊張しながらも、慌てては着替えを済ませる。
そして、今まで着ていたものを袋に入れて、部室の隅に置いた。
「よっし、じゃあ活動始めますか!」
気合を入れるように叫ぶと、は外に出て腕まくりをする。
まず昨日の夕方以降に出て洗えなかったタオル類を洗おってしまおうと、洗濯機を回した。
続いて掃除道具を引っ張り出し、部室の掃除を始める。先にレギュラー専用の第一部室を済ませ、次は第二部室を綺麗に掃いた。
そしてその後は、そのまま休むことなく備品の数のチェックへと回る。普段は数を数えるだけだが、今日は時間もあったので綺麗に整理もしなおした。
がマネージャーになって二週間が経ったが、毎日やっているこれらの雑用は、さすがにもう慣れてしまっていた。全ての雑用を終えるまで、時間にして一時間弱といったところだろうか。
マネージャーを始めた頃は、同じ作業でも今より三十分以上は長く掛かっていたから、それに比べれば大分進歩したような気がする。
マネージャーとして、少しは成長できているということだろうかと、は思わず頬を緩めた。
(あとは、やっぱスコア取りだよね。……うう、来週までに完璧に取れるように……はさすがに無理かなあ)
一番の課題であるスコア取りは、まだやっと五割といった状態だった。来週にある県大会に間に合うようにと、自分としては全力を尽くしているつもりだったが、実際問題結果はついていっていない。
「で、でも、まだ時間あるし! 完璧は無理でも、少しでも完璧に近い形にするんだから!!」
ぐっと掌を握り、は自分自身に言い聞かせるように叫んだ。
「さーそのためにも、雑用は今のうちに終わらせなくちゃね!」
は洗濯機のところに戻り、洗いたてのその中身を乾燥機に移すと、乾燥機のタイマーをセットしてまた部室に戻った。
これで、今出来る仕事は全て終えたはずだ。
(あとは、先輩たちが来るのを待つだけだけど……)
時間を確認すると、部活が始まるまでまだ後一時間半ほどもあった。
とりあえずお昼ご飯でも食べようかと、は先ほどコンビニで買ってきたお昼ご飯を食べ始める。
(ゆっくり食べてれば、一時間くらい経たないかなー)
残った時間をどうやって潰せばいいかわからなかったので、はなるべくゆっくり食べていたが、それでも十数分ほどで全てを食べ終えてしまった。
また時計とにらめっこをして、は溜息を吐く。
「ああもうどうしよう……何かできることないのかな……」
そんなことを口にしながら、きょろきょろと辺りを見渡す。その瞬間、隅に置いていた自分の鞄が目に入った。
そういえば、今日も「あの本」を持っていたはずだ。
「そうそう、あの本があったんだった! こんなに時間があるなら、たっぷり『勉強』出来るよね!」
立ち上がって部室の隅に置いていた自分の鞄を手に取ると、そのまま元の椅子に座り直す。
そして、おもむろに鞄を開いた。
しかし本より先に、買ったばかりの真田へのプレゼントが顔を覗かせる。
それを目にした途端、の心臓が跳ねた。なんだか妙に気恥ずかしくなりながら、はそれをそっと手に取る。
(……いつ、渡そうかな。ていうか、渡せるのかなあ……)
あまり気負わずに渡すことができればいいと思いつつも、もう既にかなりのプレッシャーを感じていた。
それに、他の先輩達に見られている中で渡すというのはなんだか恥ずかしいから、出来れば二人きりの時を狙って渡してしまいたい。
(真田先輩が一番に来てくれるといいな。それでぱっと渡しちゃえれば……)
そんなことを思いながら、二人っきりの部室で真田にプレゼントを手渡す自分を想像し、何故か顔が熱くなる。
は慌てて鞄から目当てだった本を手に取ると、代わりにプレゼントを鞄の奥に仕舞い込んだ。
足元に鞄を置き、改めて本に向かい合うと、はその本――真田が選んでくれたテニスの本を、じっと見つめた。
もう、何度読んだか分からない。それは、本の状態を見れば一目瞭然だった。
にとっては宝物も同然だったから、なるべく丁寧に扱ってはいたのだが、なかなか覚えられないところやよく読むページには付箋紙を挟んだり印やラインを入れたりしていたし、何より読み過ぎたために開き癖がついてしまい、本を閉じても僅かにページが浮くほどで、買った時よりはかなり傷んでしまっていた。
彼に選んでもらった本だから余り傷めたくはなかったけれど、こればかりは仕方ない、傷んだ分だけよく読んだ証拠なのだからとは自分に言い聞かせていたのだった。
部活が始まるまで、まだまだ時間はある。
これならばしっかり勉強出来るだろうと、はその本のページをゆっくりと捲りだした。
――しかし。
数ページ進めたところで、ふわあ、と大きなあくびが漏れた。
よく動いたあとにお昼ご飯を食べて、おなかがいい具合にいっぱいになったものだから、先ほどまでどこかへ飛んでいた眠気が再び戻ってきたのだ。
(……やば……)
落ちてきた瞼を片手で擦って、必死の抵抗を試みる。しかしそれは無駄な努力となった。
片手で頬杖をつき、もう片手で本を抑えながら、はいつの間にかそのまま眠りに落ちていった。