どこか遠くで、お気に入りの曲が鳴り響いていた。大好きな曲のはずなのに何故かとても煩わしい気がして、その音を遮るように、は手にしていた布団を被る。
しかし、小さく聞こえていた音はやがて少しずつ大きくなっていって、仕舞いには自分の神経全てに響き始めた。
(……これって、もしかして……携帯のアラーム!?)
その音の正体に気付いた瞬間、はものすごい勢いをつけてがばっと飛び起きる。
「……な、何時!?」
そんなことを口走りながら、慌てて時計を見る。まだ、八時を五分ほど過ぎたところだった。
思ったより遅くはなく、はほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ、ゆっくりしていい時間ではない。ベッドから降り、置いていた携帯を手に取ってアラームを止めると、カーテンを開けて日の光を浴びた。
その光はまだ眠い目には刺激が強く、は痛みすら感じて一瞬目を閉じたが、それをこじ開けるように両眼をこすって大きく伸びをする。
(よしっ、今日も頑張るぞー!!)
いつもよりどこか力の入った決意をして、は顔を洗う為に部屋を出た。
準備をし、予定通り九時に家を出て、バスに飛び乗る。
休日の朝ということもあって、駅行きのバスは人もまばらだ。
は空いている席に座るなり、大きなあくびをひとつ漏らした。
(結局、昨日なかなか眠れなかったもんね……)
昨晩は、プレゼントのことやどうやって渡せばいいかなどを考える余り、本当に眠れなかった。
薄ぼんやりとした記憶の中で、階下の居間にある時計の深夜一時を知らせる音を聞いたような気がする。
そんな時間まで眠れないことなんて今までなかったのに―― そんなことを考えていると、また大きなあくびが出そうになった。それを必死でかみ殺して、涙目になっている目を擦る。
こんな調子で今日の部活は大丈夫だろうかと不安になりながら、はバスの窓に寄りかかり、頭を預けた。
「――次は駅前バスターミナル、終点です」
ふと、そんなアナウンスが聴こえて、は慌てて頭を上げる。
先ほどバスに乗ったばかりのはずなのに、今のアナウンスではもう終点だと言っていた。
と、いうことは。
(も、もしかして……私寝てた?)
は、頭を預けていた窓に視線をやる。窓に映る自分の頬には、圧迫されて赤くなった跡がついていた。
咄嗟には跡がついている頬を片手で抑える。
(うわ……! もう、恥ずかしいなあ……)
早く消えて欲しいとただひたすら願いながら、は大きな溜息を吐く。
そうしているうちに、バスは駅のターミナルへと入っていった。
時間は九時半の少し前――ほぼ予定通りだ。
バスを降り、これからどうしようかと辺りをぐるりと見渡した。
駅前の店のほとんどは、開店準備に追われている。
プレゼントが買えそうな店で、まだ開いているところは無さそうなので、は駅前のベンチに座りながら、何がいいかと考えてみることにした。
お金のかかったプレゼントなんかは、やっぱり気を遣わせてしまうだろう。
誕生日のお祝いと、いつもの感謝の気持ちを伝えるためのプレゼントなのに、気を遣わせてしまったり負担に思われたりするのでは意味がないから、出来れば気軽に受け取ってもらえそうなものがいい。
そうなると、やっぱり食べ物や日用品だと思うのだが。
(食べ物は、先輩の好みが分からないし……)
万が一嫌いなものを渡してしまっては目も当てられないから、やっぱり食べ物は却下だ。だとすると、文房具などの日用品か、雑貨か――あとはテニス関係の物くらいだろうか。
でも、使う物に拘りがあったりすると、逆に貰っても困るだろうし。
そんなことを考えているうちに、九時半が過ぎた。
通りにある店が少しずつ開店し始めるのを見て、は立ち上がる。
(とりあえず、いろいろ見てみよう。何かピンとくるものがあるかもしれないし)
そう思って、は通りへと足を向けた。
が最初に足を踏み入れたのは、小さな雑貨屋だった。
がよく行く店で、の誕生日の時には、ここで可愛らしいティーセットを買って渡したこともある。
しかし、店内を軽く一周していろんな商品を見て回ってみたが、全くぴんと来るものがない。
真田に渡すには、どれも可愛らしすぎるものばかりなのだ。
(……ちょっと、店自体が真田先輩向けじゃない、か)
苦笑して、はそそくさと店を出た。
女友達に渡すのではないのだから、いつも自分が寄っているような店では駄目なのだろう。
は、再度辺りを見渡した。
彼に合いそうな店はないかと、必死であちらこちらに視線をやる。するとスポーツ用品を専門に扱っている店が目に入り、は視線を止めた。
「あ。あそこなら、何かいいのあるかも……」
そう呟き、はその店に向けて一目散に走っていった。
は、開店したばかりの、まだほとんど客のいないその店に勢いよく飛び込むと、おもむろに店内を見渡す。
店の中には、いろいろなスポーツ用品が種目ごとにまとめて配置されているようだ。
すぐにテニスのコーナーを見つけ、は目を輝かせて近寄ると、その辺りをいろいろと見始めた。
テニスラケット、ラケットバッグ、ボール、ガット、シューズ、ウェア、キャップ、グリップテープ――二週間前までは、目にする機会なんて全くなかったもの――しかし今では、見ない日なんてないくらい日常となってしまったそれらのテニス用品が、所狭しと並べられていた。
テニス用品の名前がわかったり、何に使う物なのかがすぐに理解できたりする自分がなんだか嬉しくて、思わず顔をほころばせながら、は商品を夢中で見た。
しかし、今は彼へのプレゼントを探しているのだということを思い出し、はっと我に返る。
(そ、そうだ。何がいいんだろう)
ラケットやシューズなんて、貰っても困るだろう。まあそれ以前に、自分の小遣いで買えるような値段ではないのだが。
値段的に見れば、グリップテープやリストバンド辺りが手ごろだと思ったが、彼ほどのテニスプレイヤーならそういう用品には拘りがあるだろうから、やはりやめておいた方が無難だろうか。
そんなことを思いながら、あれこれ手にとってはみるものの、やはり「これ」というものは見つからなかった。
結局、何も決まらなさそうだ――は困り果てて大きな溜息をつき、顔を上げた。
「何か、お探しですか?」
背後から優し気な声が聞こえて、は後ろを振り返る。すると、そこにはショップの男性店員が、微笑みながら立っていた。
「あ、いえあの……」
突然のことだったので、びっくりしては反射的に首を振る。
しかし、すぐに思い直してその店員を見上げた。
「あ、あの、誕生日のプレゼント、なんですけど。男の人で、その……どんなのがいいか全然分からなくて」
少々どもりながらも一生懸命尋ねるに、店員は笑顔で相談に応じ始めた。
「プレゼントですか。お相手の方は、テニスをやってらっしゃるのですか?」
「はい、テニス部に所属してるんです」
「なるほど――その方のテニス歴はどれくらいですか? 結構長い感じですか?」
「長いと思います、かなりレベルの高い人なので……」
そこまで聞いた店員は、「ふむふむ」と頷くと、顔を上げて店内を見渡した。
「そういう方でしたら、テニス用品はかえってやめておいた方がいいでしょうね。きっと、道具一つ一つに自分なりの拘りがあると思うんですよ」
「やっぱりそうですよね。よく分からない私が選んでも、きっと困るだけですよね。……どうしよう」
困り果てて、は眉をひそめる。すると、その店員は微笑ましそうに言った。
「……もしかして、彼氏へのプレゼントだったりします?」
――彼氏。
その言葉に、の手が、思考が止まる。しかし、すぐに顔がかあっと熱くなって、は我に返った。
「ち、違います!! あの、部活ですっごくお世話になってる先輩なんです!!」
真っ赤になりながら、は大袈裟に手を振って慌てて否定する。
「本当に、いつもとってもお世話になっている人なので、少しでもこの機会にお返しできればって思っただけなんです。か、彼氏だなんて……そんな……!!」
そう、あの人に感謝の気持ちを少しでも返したい。ただ、それだけのことだ。
まるで自分に言い聞かせるようにそんなことを思いながらも、なんだかとても恥ずかしくなって、はその店員から視線を逸らす。
そんなに、店員は苦笑して軽く頭を下げた。
「そうですか、変なことを言ってしまいましたね、申し訳ありません。それじゃ、何がいいでしょうね」
「あの、あまり気を遣わずに受け取ってもらえるような、普段気軽に使えるようなものがいいかなって思ったんですけど……」
そう言いながら、はまたあちこち見渡し、商品の物色を始めた。
部活のスコア取り練習の時のように、きょろきょろと必死で首を動かして辺りを観察する。
その時――視界の中に、目が醒めるような「虹」が飛び込んできて、は目を止めた。
「あれ……タオル、ですか?」
そう、それは虹などではなかった。まるで虹を描くように、カラフルなタオルたちが綺麗に並べられて、壁にピンで留めてあったのだ。
「ああ、あれは新商品なんです。スポーツタオルなんですが、多色展開されていて、色のバリエーションがとても多いんですよ。綺麗でしょう」
の問いに、その店員は笑顔で答える。そして、はっと気がついたように言葉を続けた。
「あ、タオルなんかいいかもしれませんね。スポーツされる方は必ず使うものですし、何本あっても困るものではないですしね」
そう言うと、「案内いたしますね」と付け加えて、店員は虹の丁度真下にある平台へとを連れて行ってくれた。
「うわぁ……本当に綺麗!」
商品の前にたどり着くなり、は思わずそんな言葉を口にし、感嘆の息を吐いた。
色とりどりのタオル一つ一つが、丁寧に折られて隙間なく並べられており、とても美しくディスプレイされている。
そして、注目すべきはその色のバリエーションだ。虹の七色どころではない、一体何色あるのだろう。まるで絵の具や色鉛筆のセットを見ているようだ。
ついそんなことを思ってしまうほど、とても種類が豊富で、見ているだけでも飽きない。
目を輝かせて商品を見つめるに、案内をしてくれた男性店員が後ろから声をかける。
「色も綺麗ですけど、抗菌性や吸水性にもとても優れていて、タオルとしても本当にいい品なんですよ。その割にはお値段もお手ごろですから、プレゼントにはいいと思いますよ」
「触ってもいいですか?」
「はい、勿論」
店員の返事を聞いて、は試しに手元にあった青いそれを手に取ってみた。
タオルのふんわりとした柔らかくあたたかい感触が、掌に触れる。抗菌性やらはよく分からないが、手触りは抜群にいい。
そして、とても軽い。首に掛けてランニングなどをしても、これなら余り気にならないのではないだろうか。
それに、タオルなら生活必需品でもあるから、テニスに限らず、家で他の用途にも使ってもらえるかもしれない。
そんな考えが頭の中を駆け巡って、は納得したように頷いた。
「うん、これにしようかな」
そう言って、は嬉しそうに微笑む。
「色はどうします?」
「えーと……どうしようかな」
最初に手に取った青いタオルを丁寧に元にあった場所に戻し、やや中腰になって、は端から一つ一つ吟味するように見ていった。
見ているだけで楽しくなりそうなほど、たくさんある色――そんな中で、ある色を目にした瞬間、の視線が止まった。
(あ……)
形容するならば、少しくすみがかった柔らかい黄色、といったところだろうか。
いやそれより、毎日彼が身を包んでいるテニス部のジャージの色、と言った方がわかりやすいかもしれない。
本当は、この色は立海テニス部自体のイメージカラーなのだが、彼と会うのはテニス部の練習の時ばかりなので、ジャージ姿を見る機会が圧倒的に多く、にとっては彼のイメージカラーにもなっていたのだ。
それに今彼が一番大切にしているものは、確かにあのテニス部であることは間違いないのだし、彼にとってもこの色はきっと大切な色だと思う。なんとなく、だけれども。
は、その色に手を伸ばし、丁寧に取り出した。
掌にとても優しい感触が伝わってきて、つい笑みが零れる。
「これにします」
は、手にしたそれをゆっくりと男性店員に差し出した。
「はい、それではお包みいたしますね。レジの方へお回りいただけますか?」
店員は、そう言いながらタオルを丁寧に受け取ると、それを手に先にレジへと向かった。
開店して間もないこともあり、レジには会計待ちの客はいない。
の相手をしてくれた男性店員は、タオルの値札を切ってレジの係員に手渡し、自分はレジの後ろで包装の準備を始めた。
その様子を見て、慌ててもレジへと向かおうとした、その時。
レジの近くの壁に掛かっていたたくさんの小さな何かに、はふと目を奪われた。
とても小さいけれど、あれは――テニスラケット、のように見える。
(……なんだろう、あれ)
テニスラケットの形をしたとても小さなその「何か」に、はなんだか非常に興味が惹かれた。
ほんの少しだけ見てみようと、そっと近寄ってみる。
それは、テニスラケットのミニチュアが付いた、携帯電話などに付けるための小さなストラップだった。
かなり精巧に出来ているとても可愛らしいラケットのミニチュアと一緒に、テニスボールに見立てたと思われる、小さな鈴も付いている。どうやら、ひとつひとつが手作りらしい。
「うわ、これすごく可愛いかも……」
呟きながら、は手前の一つを手にとってみる。
すると、手にした物とその後ろにあった物の、ラケットの色が違うことに気がついた。よく見ると、フレームの形もひとつひとつ少し違って見えるが、これは手作りであるが故の差異レベルかもしれない。
そういうのも含めると、ラケットのバリエーションはかなりの種類があるようだ。
「へえ、いろいろあるんだ」
は手にしていたものを元の場所に戻しつつ、他にはどんなのがあるのかと、かき分けて探ってみた。
その時――あるものが強くの目を惹いた。
真田がいつも使っているラケットに、似たものがあったのだ。
(うわあ……!! これ、先輩がいつも使ってるやつにすっごく似てない!?)
慌ててはそれを手に取る。
見れば見るほど、フレームの形やカラーリングが真田が一番使用しているラケットにかなり似ており、まるで彼のラケットをそのまま小さくしたみたいに見えた。
ものすごい偶然に、はなんだかとても嬉しくなってしまった。
そして。
「すみません、これも一緒にお願いします!」
は、無意識のうちにそう叫んでいた。
二つ分のお金をレジで支払い、包装が終わるのを待つ。
待ちきれなくて、少し身を乗り出してレジの奥を覗いてみると、先ほど相手をしてくれた男性店員が馴れた手付きで綺麗に包装してくれているのが見えた。
そして程なくして、その店員は包装された包みを持って、笑顔での前にやって来た。
「お待たせいたしました」
が選んだ品は、綺麗な包装紙と可愛らしいリボンのついたシールで装飾され、とても見栄えの良い贈り物へと姿を変えていた。それを更にビニールの袋に入れ、その店員はの前に笑顔でそれを差し出す。
ぺこっと頭を下げ、は袋を受け取った。
「ありがとうございますっ!」
「お相手の方、喜んでくださるといいですね」
「はい、本当にありがとうございました!」
最後まで親身になってくれたその店員に、心からの笑顔でお礼を言う。そして、受け取った包みを潰さないように袋ごと大切に鞄の中に仕舞うと、はもう一度頭を下げた。