NEXT TOP

11:5月21日 01

「それじゃ、おやすみなさーい」

階下の両親にそう告げ、は部屋のドアを閉める。
今の時間が気になって部屋にある時計を見ると、針は二十二時過ぎを指していた。
テニス部のマネージャーを始めてから、これくらいの時間には必ず電気を消して就寝するようにしていたが、明日が日曜日のため、今日はつい遅くなってしまった。
勿論、県大会を目の前にしたテニス部に休日などある訳はなく、明日も当然、学校で部活動はあるのだが。
それでも、レギュラーのみ参加の特別練習日で、開始時間が昼から――十三時からだったので、いつものように早朝に起きる必要はなかった。
いつもより数時間の余裕がある分、もう少しだけ起きていて本でも読もうかな、などと思ってもいた。
にとっては、久しぶりにゆっくり出来る夜――のはず、だった。

「ええと、明日は何時に起きようかな」

独り言を言いながら、は携帯のアラームをセットするために、机の上に置いてあった携帯を手に取る。
するといつの間にか、メールが入っていたのに気がついた。

「あらら、いつの間に。……かな?」

のメールの相手は、親友のが一番多い。
だから今回も彼女だろうと、なんとなくそんなことを思いつつ、片手でボタンを押して受信メールを確認する。しかし、メールの主はではなく、切原だった。

「え、切原君? 珍しいなあ、どうしたんだろ」

は、少し驚いたように目を瞬かせる。
そういえば、マネージャーに就任した後、何かあるかもしれないからと、一応切原とメールアドレスを交換したのだった。
しかし、交換した際に間違っていないかの確認のため簡単なメールを送り合うことはしたけれど、その後実際にやり取りしたことはなく、このメールが実質彼からの初めてのメールだった。

一体何の用だろう。部活の連絡か――それとものことだろうか。
そういえば昨日、彼はのことで嬉しい出来事があってとても喜んでいたから、またそのことかもしれない。
と名前で呼び合うようになったのだと、満面の笑みを浮かべとても嬉しそうに語っていた彼を思い出して、は思わず笑みを零す。
その彼の喜びようは、昨日今日の彼のテニスの調子にも明確に現れていて、なんと今日の練習試合では柳相手に3ゲームも奪ったほどだ。

(本当に嬉しそうだったな、切原君)

の心を確認したことはないけれど、彼女が男の子を名前で呼んでいるところなんて見たことがないから、きっとも満更ではないのだろう。
は、切原とがどんどん仲良くなっていくのが、まるで自分の事のように嬉しかった。
二人ともとてもいい人たちだし、大好きな二人が仲良くしているというのは、見ていてなんだか自分まで嬉しくなってしまうのだ。
そんなことを思いながら、は指の先で携帯のボタンを押し、メールの詳細を表示させた。
――しかし。
予想とは大幅に外れた彼のメールの内容に、次の瞬間、は大絶叫する羽目になったのだった。

「うっそぉ!!」

携帯の画面を見てつい大声を出してしまったが、慌てて今の時間を思い出し、は口を抑える。
そして、もう一度携帯の画面を凝視した。
「そういえば」――そんなタイトルで始まった彼からのメールは、挨拶もなく、用件のみのあっさりとしたメールだった。

『わりぃ、言おうと思ってすっかり忘れてた。明日5月21日って、真田副部長の誕生日なんだわ。なんかお祝いでも用意したらいいんじゃねーか?』

そんな、ワンスクロール分もないくらいの短いメール。しかしは、その短い内容を何度も何度も目で追った。
――彼の誕生日が、明日。
なんて唐突なことを言ってくれるんだろうと思いながら、は困ったように眉をひそめる。
彼の誕生日だと聞いたからには、勿論何かしらお祝いをしたいとは思う。マネージャーになってからずっと、彼にはお世話になりっぱなしなのだ。
彼は毎日、自分の練習の時間を削って仕事を教えてくれたり、出来ているかを確認してくれたりする。
テニスのルールブックだって選んでもらった。あの本がなければ、こんなに早くルールを覚えることは出来なかっただろう。
そんな彼に、少しでも「ありがとう」の気持ちを返せる絶好のチャンスだ。
しかしそうは言っても、何をすればいいのか皆目見当もつかないというのが正直なところだった。
しかも、誕生日は明日――いや、もう実質今日のようなものだろう。何かを準備するにも、誰かに相談するにも、時間が足りない。

(な、何をすればいいんだろう……)

頭の中は、完全に真っ白だった。どうしたらいいだろうと半ばパニックに陥りながら、は必死で考えてみるが、考えれば考えるほど何も出てこない。
大体、父親以外の男の人の誕生日を祝うなど、よく考えれば初めてのような気がする。
これが女友達の誕生日なら、何か一緒に食べに行って奢るとか、手作りのお菓子やその子が好きそうな可愛らしいグッズをプレゼントするとか、いくらでもなんとでもやりようがあるのだけれど、彼に対して一緒にどこかに行って奢るなど出来るはずもないし、手作りのお菓子なんて重くて引かれる可能性が高い気がする。
そもそも、手作りだろうが市販だろうが、彼が菓子類を好んで食べるかどうかもわからないのだ。
そうなると、やはり何か買ってプレゼントするしかないだろうけれど――それにしたって、どんな物がいいのか全くわからない。

(ふ、深く考えないで、いつもみたいにすればいいんだ! 女友達の時みたいに、その人の好みに合わせて喜びそうな物を選べば――)

そう思っては顔を上げる。しかし、その瞬間、はたと気付いた。
――彼の好きな物って、何だろう?
そういえば、何も知らないのではないだろうか。彼の好きなものも、苦手なものも、何も。
彼の雰囲気から、甘い洋菓子なんかは余り好まないのではないか程度の予想はつくが、それもあくまで自分の「予想」でしかない。
確信が持てることは、何一つないのだ。

(私、先輩のこと、何にも知らないんだなあ……)

この二週間の間、彼とは一日も欠かさず顔を合わせ、話もたくさんした。
けれど、それは全て部活に関する話であり、プライベートな話は一切無い。
それらしい話をしたのは、初日の放課後に本屋で顔を合わせて、その後バス停まで歩いた時にした、あの数分だけだ。しかもそれだって、どんなバスで帰るのかだなんて、たったそれだけの話で。

知り合ってからずっと、ただひたすら彼にマネージャーとして認められることだけを目標に頑張ってきた。
私的なお喋りをする暇があれば、仕事をしなければと思ったのも、自分自身だ。
だから、彼の私的なことを全く知らないのは当たり前なのかもしれないけれど――この寂しい感じは一体何なのだろう。

(……こんなこと考えてても、仕方ないや)

やりどころのない寂しさで染まりそうになった心を振り切るかのように、は首を振った。
知らないのは仕方がないし、今そんなことを考えていたって、彼のことを知れるわけでもないのだ。
落ち込むより、今は考えるべきことがある。

「とにかく、今は明日の先輩の誕生日!」

そう自分に言い聞かせて、はもう一度考え始めた。
とにかく、自分の「ありがとう」の気持ちが、少しでも伝わればいいのだ。
プレゼントも、そんな大したものじゃなくていい。逆に、仰々しいものは引かれるだろうし。
あまり高くないようなもので、彼が気を遣うことなく、気軽に使えるようなものが理想だろうか。
幸い、明日は昼からの練習だ。午前中にゆっくり時間を取って、何か買いに行く余裕もある。

「よし、明日部活が始まる前に何か買いに行こう!」

ひとりきりの部屋で、は両手を握り締めながら決意するように言った。

「えっと、駅前の店が開くのは九時半だから……そうすると、家を九時前に出たらいいかなあ。じゃあ、起きるのは八時前くらいで……」

指折り数えて時間を計算しながら、ふと時計を見る。すると、いつの間にか時刻は二十二時半を回っていた。先ほどはもう少し起きているつもりだったが、当然予定は変更だ。

「もう寝なきゃ!!」

は慌てて携帯のアラームをセットし、電気を消してベッドに潜り込む。
いつもなら部活で程よく疲れているので、ベッドに入って目を瞑ればいつの間にかすうっと眠りについているのだが、今日はなんだか眠れそうに無かった。
何をあげればいいだろうとか、いつ頃、どういう風に渡したらいいだろうかとか、――迷惑になったりはしないかとか。
そんな思いが頭の中を何度も何度も過ぎり、の心を打ち揺らして、その目を冴えさせた。

(……もう、寝なくちゃいけないんだってば!)

は自分にそう言い聞かせながら、布団を頭まで被ったり、寝返りを打ったりを繰り返し、何度も寝ようと試みる。
しかし頭の中は明日のことでいっぱいで、その日はなかなか寝付くことが出来なかったのだった。

初稿:2006/09/26
改訂:2010/03/06
改訂:2024/10/24

NEXT TOP