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06:初仕事 02

ロードワークから全員が戻り小休止を挟むと、次の練習に入る前に真田はコートの中で全部員に号令を掛けた。その声ですぐに部員全員が決まった位置に理路整然と並ぶ。
そしてが簡単に一般部員に紹介された後、間髪入れず彼らに練習の指示をして、一般部員を解散させると、真田はレギュラーメンバーだけをその場に残した。どうやら、別に指示を出すらしい。

「……赤也以外のレギュラーは、いつものメニューをやってくれ。赤也は、前後ダッシュ六十本と腕立て腹筋背筋スクワット各百セットをやったあと、レギュラー練習に合流だ」

クリップボードに挟まれたメモを見ながら、真田が淡々と言う。
しかし、真田のその言葉に切原の顔が引きつった。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!! 前後ダッシュ六十本に腕立て腹筋背筋スクワット各百セットぉ!? 一体何事なんすか!? なんで俺だけ……!!」

突然降って湧いた自分だけの特別課題に対して強い調子で異議を唱える切原。そんな彼に、真田は一瞬だけ冷たい視線を向ける。しかし、すぐにボードに視線を戻し、表情も変えずに彼に言い放った。

「ほう、今朝の朝練を丸々さぼった奴が口答えか。いい度胸だ、倍にしてやろうか?」
「前後ダッシュ六十本から行ってくるっす!」

切原の顔も見ずに冷静に言い放つ真田と、明らかな作り笑顔で即答して走っていく切原。対照的な二人が妙におかしくて、はくすりと笑う。
そうしていると、真田がの側にやってきた。

「待たせたな。お前にも次の指示を出すから、着いて来てくれ」

そう言うと、真田はそのまま部室へと足を向ける。
慌ててもその後を追いかけ、二人は部室に入った。

「そこに座れ」

真田が指示する通りに、はミーティング机の椅子に腰掛ける。真田は続けて備品が入っている引出しや本棚を探りながら、に話し掛けた。

、テニスのことはどの程度知っている?」
「そ、それが……」

言いにくそうには口篭もる。
テニスの試合を見たのは昨日が初めてというレベルのには、ラケットを使ってボールを打ち合うゲームという程度の認識しかなかったのだ。

「全く――です」

小さな声でそう言って、は、恥ずかしそうに顔を伏せた。

「知識ゼロ、か。まあいい」
「……すみません」
「これから覚えればいいだけの話だ。それは気にしなくていい」

真田は本とファイル、そして数枚の書類を手にし、ミーティング机の上に載せると、の向かい側の椅子に腰掛けた。

「とはいえ、なるべく早く覚えてもらわねば困るがな。少なくとも、最低限のルールは今日明日中には覚えてもらうぞ」
「は、はい!」
「テニスのルールは、後で実際試合を見せながら教える。そちらの方が解りやすいだろうからな。ルールブックなどの資料はそちらの本棚に何冊か入っているから、必要ならば好きなときに読むといい。それから……」

そのまま、真田の話は延々と続いた。テニス部の練習時間の説明、学校が休みの土日の練習のこと、これからある県大会、関東大会、そして全国大会の話。

「我が立海大附属中学テニス部は、全国三連覇がかかっている。その為には、どんな妥協も甘えも一切許されない。マネージャーになるなら、お前もそれは肝に銘じておいて欲しい」

そう言って見据える真田の目はとても真っ直ぐで、彼がテニスとテニス部を何よりも大切に思っていることが、痛いくらいに伝わってきた。

「……ここまでで、何か質問はあるか」

一区切りついたのか、彼がそう言って手を止める。

(質問……そうだ……)

には、先ほどからずっと疑問に思っていることがあった。
いくらに部活経験がないとは言っても、部活においての長は「部長」であるということぐらいは、一般常識として知っている。しかし、「副部長」という肩書きは何度か耳にしたが、誰かが「部長」と呼ばれているのは、まだ一度も聞いていないのだ。
一体、誰が部長なのだろう。
おずおずと手を上げて、は真田に問い掛けた。

「あの」
「なんだ」
「真田先輩は、副部長なんですよね。あの、部長はどなたなんですか?」

が何気なくしたその質問に、真田の表情が一瞬止まる。
そして。

「……そうだったな、部長のことをまだ説明していなかった」

そう前置きすると、彼は大きな息を吐いて、続けた。

「部長は、今は不在だ」

どこか遠い目で、真田は呟くように言う。
しかし、その言葉の意味がよくわからず、は瞬きをした。

「不在? 辞められたんですか?」
「そういう意味ではない。部長はちゃんと在籍している」

そう言うと、真田は立ち上がって壁に掛けられていた写真の額のうちのひとつを外した。

「これは、去年の全国大会優勝時のものだが……」

に写真を見せながら、真田は自分の隣で優しく微笑む人物を指差し、続ける。

「幸村精市……彼が現在の立海テニス部の部長だ。とある病気の治療のために入院していて、今は休学中なんだ」

どことなく儚げにも見える写真の彼を、真田は何かを思うように見つめた。

「入院中……なんですか」
「ああ。しかし、幸村は全国大会までには戻ってくる。……必ず、な」

付け加えるように言った「必ず」という言葉は、真田の願いだろうか。
どんな人なのだろうとか、どんな病気で入院しているのだろうとか、まだまだ聞きたいことはあったけれど、はもうそれ以上聞くのを止めた。真田の様子を見ていると、何故か聞けなかったのだ。

「とにかく、俺たちは全国大会への切符を手に幸村の退院を待てばいい。幸村が不在の間は、俺が部長の代わりを務めているので、聞きたいことなどがあれば俺に聞いてくれ」
「わかりました。幸村先輩が帰って来たとき、雑用に気を取られずすぐにテニスに打ち込めるように、私も頑張って仕事を覚えます!」
「……ああ、頼むぞ」

真田は、の言葉に頷いて、手にしていた写真の額をそっと元あった所に戻す。

「話が長くなったな。次は備品に関する仕事だ」

真田は気を取り直すように椅子に座ると、手元のファイルを開き、説明を再開する。
もまた、頭を切り替えて彼の話を真剣に聞いた。


◇◇◇◇◇


その日、は一日でいろいろな仕事を教えられた。
最初のドリンクやタオルの準備に始まり、備品整理、そして足りなくなった時の発注方法。
そして、基本的な掃除や洗濯。これは、真田ではなく、二年生の一般部員に教えてもらうこととなった。
テニス部には、レギュラー専用部室兼ミーティング室である第一部室と、一般部員の着替えや備品置き場がある第二部室があり、掃除も単純作業とはいえなかなか大変なのだという。
また、汗拭き用のタオルは毎日の持ち帰りの手間を減らすため部室で全員分をまとめて洗っており、それも毎日の仕事の一つだということだった。そのためのテニス部専用の洗濯機と乾燥機も設置されており、量が多く洗濯と乾燥に時間がかかるから、なるべく早めに洗濯機を回して、洗濯が済んだ後はすぐに乾燥機に移し、終わったら手早く片付けること。そうしないと下校時刻に間に合わなくなる――とは、仕事を教えてくれた一般部員の人の言だ。
それを頭に置きつつ、は時間を計りながらそれらの仕事を行った。

(これは、上手く時間配分して考えて動かないと、時間が足りなくなっちゃうな……)

そんなことを思いながら、が部室で仕上がったタオルの山をたたんでいた時、バタンと勢いよくドアが開いた。
その音に驚いて顔を上げると、そこには三年レギュラーの丸井の姿があった。

「……おうい、マネージャー。真田が呼んでるぜ。とりあえずここは置いといて、コートまで来いってさ」
「は、はい!」

返事をして、慌てて立ち上がる。真田の名前を聞くだけで緊張が走り、なんだか胸がどきりとした。

(また次の仕事かな……頑張らなくちゃ)

そんなことを思いながら、メモと筆記具を手に、は丸井の後を着いていった。

初稿:2006/07/06
改訂:2010/03/02
改訂:2024/10/24

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