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「幸村部長、手術してももうテニスはできないかもしれないなんて、嘘ですよね!?」

そう言って縋りついてくる切原に、幸村の母は何も言えずに顔を伏せた。

「だって、部長言ってたじゃないですか! 手術決まったって!! 全国大会には、必ず間に合わせるって!! 手術したら、大会一緒に出られるんすよね!? そうっすよね!!?」

半狂乱になりながら、切原が叫ぶ。
そんな切原を、真田が一喝した。

「やめろ赤也!! おばさんを困らせるな!!」

そう叫んで、真田は切原の首根っこを引っ掴む。
そして、幸村の母から引き剥がすと、その身体を力任せに後ろへ投げた。

「ッ……」

背中を部室の壁にぶつけ、切原が小さく唸る。
外からその様子を見ていたは、慌てて部室の中へと足を踏み入れ、切原の元へと駆け寄った。

「切原君、大丈夫!?」

しかし、駆け寄ったのことなど気にも留めず、切原は両手で顔を覆って、「嘘だろ……」と声にならない声を吐き出す。
そして、いつの間にか部室の外にいたレギュラー全員が、引き寄せられるように集まっていた。
部室に集まった皆の顔を複雑そうに見つめ、真田は大きく息を吐く。
そして、彼は口を開いた。

「……お前たち、いったんこの場を離れろ。これでは落ち着いて話もできん。後で必ずお前たちにも報告するから、今は練習に戻るんだ」

顔を伏せ、怒るでもなく諭すでもなく、感情の読めない静かな声で彼は言う。
その言葉に、他のメンバーは無言で部室から離れて行った。
切原も、もう何も言わず、素直にそれに従う。

は、去っていく皆の姿と、真田の姿を交互に見た。
自分も出て行かなければならない。それは分かっている。
しかし、真田の様子が気になってしょうがなかったのだ。

(真田先輩……)

顔を伏せているので彼の表情は見えないが、彼が今どんな気持ちでいるのか、想像するだけでも胸が張り裂けそうだ。
例え自分にできることは何もなくても、真田の傍にいたい。
そうは思うものの、今自分がしなければならないことは、彼の傍にいることではない。
自分もまた、皆と同じように黙ってこの部屋から出ていくことに他ならないだろう。

は、ぐっと掌を握りしめる。
そして、何も言わず、皆の後を追うように部室のドアを閉めた。



部室の中に残った真田と柳以外は、コートに出てそれぞれ練習を開始した。
皆は、決められた練習内容をただひたすらこなしていく。
しかし、不気味なくらい、誰も一言も口を開かなかった。

――それから、どれくらい経っただろうか。
部室の方からゆっくりと歩いてきた人影に気付き、練習をしていた皆は一斉にその手を止める。
そして。

「……待たせたな。みんな、部室に集まってくれ」

そう言った柳に、レギュラーメンバーは無言で頷いて、部室へと足を向けた。


皆が部室に向かう背中を、は無言で見送る。
自身も聴きたい気持ちは勿論あったが、選手ではない自分がその場に呼ばれているのかが分からず、動けなかったのだ。
そんなに、柳が気付いた。

、どうした?」
「いえ……私、行っていいのか分からなくて」

そう言って俯くの頭を、柳はぽんぽんと叩くと、優しく微笑って、口を開いた。

「勿論お前も聴く権利があるさ。おいで」
「……いいんでしょうか?」
「ああ、お前だって気になるだろう? 精市のこともだが、……弦一郎のことも、な」

柳の言葉に、は胸がどくんと鳴った。
さすが柳だ。自分の考えなど、見透かされている。
は、胸の前でぎゅっと手の平を握りしめ、小さく頷いた。

「……はい」

振り絞るような声で答え、は柳とともに、部室へと向かった。



と柳が戻り、部室に全員が集まった。
既に幸村の母は帰った後らしく、その姿は見えない。
全員の姿を確認すると、真田は淡々と話を始めた。

幸村の病状は、今は落ち着いていて、手術は確かに今月末に行われること。
その手術とリハビリさえ終われば、通常の生活に戻れる可能性は高く、場合によっては、2学期から復学できるだろうということ。

――ただ。
手術が終わっても、彼が激しい運動ができる身体に――テニスができる身体に戻れる可能性は、かなり低いかもしれない、ということ――

そんな話を、真田はまるで教科書でも読み上げるように、感情の読めない声で告げた。
そして。

「医者の説明では、手術をしてみないと分からないが、テニスに関しては覚悟はしておいてほしい、と言われたそうだ。おばさんは、全国大会に出られない可能性が高いので、俺達には告げておく必要があると判断して、知らせに来てくれたらしい。……話は、以上だ」

そう付け加えて、話を終えた。

「……真田。幸村は、そのこと知ってんのか……」

ジャッカルが問いかける。
それに、真田は首を横に振って答えた。

「今のところは知らないそうだ。おばさんは手術前には言うつもりはないと言っていた。それを知った時、幸村が結果を恐れる余り、手術を受けないと言いださないとも限らないから――と」

手術さえすれば、ある程度元の生活には戻れる。
しかし、今の幸村は、普通の生活に戻るためというより、またテニスをするために――立海テニス部の部長として全国大会に出るために手術を受けるつもりでいるのだ。
その結果が不透明なものだと知ったら、幸村は手術を恐れるのではないか。
場合によっては手術を拒否するのではないか。
彼の母はそれを危惧していると、真田は語った。

「だから、絶対に本人には言ってくれるなと、強く口止めされている。お前たちも同様だ。手術前に幸村の前で口を滑らすことが無いよう、皆細心の注意を払ってくれ」

淡々と真田は説明を重ねた。
しかし、皆真田のその言葉に頷くことすらできない。
誰もすぐに内容を理解できずにいるのか、それとも理解することを頭が拒否しているのか――皆は何の反応も示さず、その挙動は完全に止まっている。
その静寂は痛々しいほどで、どれくらいの時が流れたのか、それとも時間としてはほとんど経過していないのか、その感覚すら失われてしまうほどだ。

そして、もまた、皆と同じく全てが停止して何も考えられなかった。
辛い話になることは覚悟していたけれど、想定以上の事態に震えが止まらない。
どうしたらいいのか分からないまま、はその震えを抑え込むように、両手で自分の身体を抱きしめた。

誰も何も言えないまま、ただ時間が過ぎ――その静寂を打ち破ったのは、真田だった。

「もう、質問はないようだな。では、俺は練習に戻る。……無駄に時間を浪費しすぎた。お前たちも、戻るように」

表情も変えずにそう言って、真田は部室の外へと足を向ける。
そんな真田に、皆が目を見開き――次の瞬間、叫んだのは切原だった。

「こんな状態で、練習なんてできないっすよ!!」

そう言って、彼は悔しそうに手近にあった壁を思いきり拳で殴った。
ものすごい音が響き渡り、空気が揺れる。
真田は、そんな切原を一瞥し、冷たく言い放った。

「……ならば聞くが、今練習以外に俺達ができることがあるというのか?」
「副部長はなんでそんな普通なんすか!? 幸村部長、戻ってこれないかもしれないんですよ!? そんなのありなんすか!? 部長、全国大会からは戻って来るってあんなに嬉しそうに言ってたじゃないすか……!!」

悲痛な声で切原が叫ぶ。
その言葉に、部室にいた他のメンバーは何かを思うように目を伏せた。
更に切原の言葉は止まらない。
ただひたすらぶつけるように、彼は続けた。

「副部長は心配じゃないんですか!? 幸村部長のこと、心配じゃないんすか!!」

切原の感情に任せたその言葉に、ははっと顔を上げる。
そんなの、平気なわけがない。きっと真田は、誰よりも辛いに違いないのだ。
切原も気が動転しているのだろうが、そんな言い方をして、彼を責めるのは全くのお門違いだ。

「切原君、やめ――」

が、咄嗟に切原を止めに入ろうとした、その時だった。

「――それでは、ここで嘆いていれば何か変わるのか!?」

真田が、切原の胸倉を掴み、迫るように叫んだ。

「ここで今の状況を悲嘆し、足を止めていることが、幸村のためになるというのか!? そんなことは幸村だって望みはしないだろう!」

切原を強く睨み付け、真田は咆哮する。
そんな真田を落ち着けるように、柳が割って入った。

「弦一郎、落ち着け!」

柳の言葉に、真田ははっとしてその手を緩める。
そして切原の身体を離すと、真田は強い口調で続けた。

「奴がテニスに復帰できる可能性は、数値としては低いのかもしれないが、決してゼロではない。ならば、幸村は必ず、全国大会までには戻ると言ったあの約束を守る。あいつは約束を破ったりはしない男だ。俺はそう、信じている」

そう言って、真田は右の掌を見つめ――その手首を左手でぐっと強く握り締めた。
そして。

「だから、俺達もまた、どんなことがあっても無敗で幸村の帰りを待つと言った、あの約束を守らなければならないんだ。何があっても、どんなことをしても、だ。その為にも、今はこんなところで無駄に時間を浪費している暇などない。無敗の誓いを守るためにも、今できることを全力でやらねばならんのだ」

真田の強い意志のこもった言葉に、切原の瞳が見開かれた。
いや、切原だけではない。それは、レギュラー全員の心を奮い立たせたようだ。
皆の瞳に何かが灯ったことが、の目にも分かった。

「……では、俺は行くぞ」

そう言って、真田は今度こそ部室を出て行く。
もう、その姿を止める人間はいなかった。
皆も立ち上がり、部室を出る準備を整え始める。

皆の活気が戻る中、ジャッカルと丸井が真田を心底感心したように言う。

「さすがだな、真田は」
「俺も、あいつのああいうとこ、ほんとすげぇと思うわ。……強ぇよな」

それに同調するように、柳生もふっと微笑って口を開いた。

「私達も見習わなければなりませんね。あの強さを」
「そうじゃな。……のう、赤也」

仁王から話を振られ、切原は何も言わず視線を逸らしたが、彼もまた、真田の強さを否定はしなかった。
そして、皆は何かが吹っ切れたように、真田の後を追って部室を出て行った。

皆、真田のことを強い、流石だと言い、尊敬のまなざしで見る。
しかし、ただ一人、その様子に違和感を覚え、動けないままでいる者がいた。――だ。

彼は強い。確かに、強い。
もまた、閃光のようなその強さに惹かれたからこそ、今ここにいると言ってもいい。
けれど――彼は本当に、強いだけの人だっただろうか?

(……違う。先輩にだって、弱いところはある……)

初めて気持ちが本当に通じ合ったあの夜、彼はに言った。
本当の俺は弱い、と。
そう、彼は決して強いだけの人ではないのだ。
ならば――彼は今、強い「ふり」をしているだけなのではないだろうか?

真田と幸村がどう出会って、どんな絆を築いてきたのか、は知らない。
しかし、真田が幸村の復帰を誰よりも心待ちにしていたことも、復帰を聞いた時どれだけ喜んでいたかも、とてもよく知っている。
そんな彼が、幸村が戻ってこれない可能性があると聞いて、ショックでないわけがない、と思う。
を好きになったと気づいた時、彼は拒否されることを恐れて自己保身のためにのことを避けたと言った。
真田だって「可能性」に恐れる普通の人間なのだ。

そうは思っても、今自分にできることなどあるのだろうか。
そもそも、彼が強い「ふり」をしていたとして、彼に弱さを吐き出させることが、果たして本当に正しいことなのかもわからない。
もしかしたら、自分が崩れないように、必死に「ふり」で自分を保っているかもしれないのに。

そう、結局はここで立ち止まって彼を心配し何かを思ったところで、出来ることなど何もない。
自分の無力さが本当に嫌になるが、先ほど彼が言った「今できることを全力でやらなければならない」と言う言葉は、確かにいまは一番正しいだろう。
自分にできること――マネージャーとして皆のサポートをすること。
は、自分にそう言い聞かせて、コートへと戻った。




しかし、は、その日ずっと仕事をしながらつい真田の様子を追ってしまっていた。
いつもと変わらないように見えたが、やはり違う。
なんというか、いつもよりずっと荒々しいような気がするのだ。
いつもなら小休止を入れていそうな場面でも休むこともなく、途中でパワーリストの重りを最大限まで増やした姿も見た。
1試合の調整や決められたトレーニングの間だけ最大限入れている姿を見ることはあったが、通常練習の間ずっと入れるのは、初めてではないだろうか。
汗の量も尋常ではない。
流石に心配になり、は新しいタオルとの交換を口実に、彼に声を掛けた。

「あの、先輩」
「……何か用か」

汗だくの彼が、無表情で返事をする。
声色はきつく、はそれに怯んでしまった。
すると、真田がそれに気づいたのか、ぐっと目を瞑り、息を吐いた。

「すまない。少し、気が立っていた。……どうした?」
「……いえ、タオル、交換した方がいいのではないかと思って。お邪魔してしまってすみません」

そう言って、は笑顔をつくる。
やはり、今の彼に掛けられる言葉など思いつかない。
自分が本当に情けなくなりながら、は手にしていたタオルを彼に差出し、「無理は、しないで下さいね」と笑う。
それが、今言える精一杯だった。

「ありがとう、

彼はそういうと、自分の首にかけていたタオルを引き抜き、に渡す。
そして、から受け取った新しいタオルで無造作に汗を拭きながら、また練習に没頭した。



――そして。
部活が終わり、いつも通り彼はを送ってくれた。
しかし、バスに乗っている間も幸村の話題は出ない。
普通に学校の話をして、部活の話をして――彼は痛々しいくらい、「いつも通り」だった。
彼に何か言葉を掛けたいが、やはりうまく言葉にならなかった。
そんな自分が本当に情けなくて、歯がゆくて、は何度も泣きたくなった。

駅前のバスターミナルに到着し、の乗り換えを見送るまでが、いつもの二人の日課である。
今日も普段と変わりなく、彼はの乗るバスが来るまで、傍についていてくれた。
やがて、乗り場にバスがやってくると、彼は立ち上がった。

「……来たようだな」
「そうですね」
「今日も疲れただろう。帰って、ゆっくり休んでくれ」

そう言って、彼は笑う。
彼に何か言える、今日最後のチャンスだった。
は、真田の顔をじっと見上げる。
けれど、やはり言葉は出てこない。

――ああ。彼にいつもあれだけ愛情をもらって、大切にされているのに、こんな時に何も返せない自分が悔しい。私は何故こんなに無力なんだろう――

考えろ。
彼に今一番必要な言葉は、なんだ。
彼が本当は不安に思っているのだとしたら、今一番彼が欲しい言葉は――

は、ぐっと掌を握りしめる。
そして。

「あの、真田先輩。幸村先輩は大丈夫です!」

真田に向かって、そんな言葉をぶつけた。
途端に、彼が目を見開いて驚いたようにを見る。
その表情に、は自分の言葉選びは間違いだったかとふと不安になったが、もう後には引けないとばかりに、言葉を続けた。

「幸村先輩は、とっても強い人だから。絶対に、手術成功させて、帰ってきます!! だから、今日真田先輩が言った通り、私たちは無敗で幸村先輩の帰りを待ちましょう!!」

の言葉が途切れると、少しの間、真田は無言でを見つめていた。
もしかしたら、自分は全く見当はずれのことを言っているのではないかと怖くなって、はその視線を逸らして俯く。
しかし、次の瞬間、は頭に優しい感触を感じた。
それが彼の手だと分かると、はもう一度、ゆっくりと彼を見上げる。
すると、目が合った彼は、を見つめて優しく微笑った。
そして。

「ありがとう、

小さな声でそれだけを言った彼は、の頭をとても優しく、そしてとても愛おしそうに撫でた。





彼女を乗せたバスが小さくなっていく。
それが見えなくなるまで見送ると、真田は大きく息を吐いた。

――幸村先輩は大丈夫です!

彼女が言ってくれたその言葉が、頭の中で何度も木霊する。
唐突に彼女がそんなことを言い出したのは、きっと自分を心配してのことだろう。
やはり、彼女には全部分かっていたのだ。
真田自身がどこかで、不安を抱いていることに。

勿論、今日皆に言った言葉は全て本心だ。
幸村は必ず約束を守ると信じている。それも確かだ。
しかし、心のどこかに不安があるのも、否定できない事実だったのだ。

先日の電話でも、幸村は受話器を落とした。
本人は手が滑っただけだと言ったが、今思えばやはりあれは病気の症状だったのではないだろうか。
彼の母の言葉を聞きながら、そんなことを思いだし、どんどん怖くなっていく自分が居ることに気づいた。
しかし、それが他の部員たちに伝わってしまえば、皆の不安を更に煽ることになるだろう、というのは想像に難くない。
だから、真田はその不安を押し殺して、あの啖呵を切った。
それは皆の不安を吹き飛ばすのは勿論、自分にも言い聞かせるためだった。

おかげで、皆の士気は上がった。赤也などは、単純だからやる気も数倍になったようだ。
しかし、情けないことに、自分自身の不安を完全に拭い去ることはできなかった。
それを無理な練習で抑えつけて、自分を必死にごまかした。

けれど、彼女には全部分かっていたのだろう。
本当は幸村のことが心配でたまらないことも、それをみんなに隠していることも。
その上で、彼女はそれを直接問うのではなく、ああいう形で励ます形を選んでくれた。
彼女のあたたかい気遣いが、そして全く根拠は無くても力強く言ってくれたその言葉が、どれほど嬉しかったことか。

自分には勿体無いほどの愛情をくれる彼女が、真田は本当に愛おしいと思った。
彼女の為にも、幸村の為にも、自分は何があっても負けるわけにはいかない。
親友との誓いも、彼女のことも、絶対に守らなければならない。

真田は、改めて自分自身に言い聞かせ、帰路に付いた。



初稿:2018/05/04

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