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関東大会の一日目が終了し、翌日からはまた学校が始まった。
とはいえ、授業内容は1学期のまとめと称した消化試合のようなものばかりで、後は数日後の終業式を待つのみだ。
ほとんどの生徒が夏休みの予定に沸いている中、テニス部のメンバーは週末にある関東大会第二試合に向けて、着々と練習を重ねていた。

特に、レギュラー達の気迫はすさまじいものがあり、第一試合前よりもずっと増しているようだ。
それは第一試合が不戦勝という結果に終わり、不完全燃焼だったこともあったが、何よりも大きかったのは、半年間不在だった部長の幸村の復帰の見通しが立ったこと――手術の日程が決定し、全国大会には戻ってくると、彼自身の口から聞かされたことだった。
彼が何の不安もなく数週間後の手術に向かえるように、彼が戻って来た時に自分たちの結果を胸を張って示すために、そしてそこからまた全員揃って三連覇を成し遂げるために――無敗で関東大会を勝ち抜くことは絶対条件。
皆改めて言葉にして確認し合ったわけではないが、それが全員の共通認識であることはその表情を見れば疑いようのない事実だった。


――関東大会2日目まで、残り5日。
今日から短縮授業も始まり、午後からは丸々部の練習時間に当てられた。
とはいえ、夏の日差しが照りつける中での長時間ぶっ通しの練習は命に関わる。
そのため、夕方に皆で小休止を取っていた、その時のことだった。

最初に、校長室の窓から見えるその人に気づいたのは、切原だった。
コート脇に足を投げ出して水分補給用のドリンクを飲みながら、彼は誰ともなしに尋ねる。

「……あれ、部長のおばさんじゃないっすか? ほら、校長室ンとこにいるの」

その声に、皆の視線が校舎の窓の方に集まる。
そして、柳が頷いた。

「ああ、確かに精市のおばさんのようだな」
「校長と話してんですかね。いったい何の話なんだろ」

不思議そうに切原が言う。

「ふむ、精市は1学期は全然出席していないわけだから、出席日数のことや、病院での院内学校の学習進度の話など、まあいろいろ学校側と話すこともあるだろう」

そんな柳の言葉に、嬉しそうに食いついてきたのは丸井だった。

「それに手術決まったんなら、正式に2学期から戻って来るの決まったんじゃねえ? そういう手続きとかも、あるかもしれねぇよな! なあ、ジャッカル!」
「ちと早かねぇか? そういうのって普通手術終わった後とかじゃねえのか」
「早いに越したことはねぇだろぃ!」

そう言って、丸井はぷうっとガムを膨らまし、切原と「なあ?」と顔を見合せて笑った。
柳生と仁王もまた、その話に加わる。

「そうですね、正式に復学見込みが立ったのなら、ありえなくはないかもしれません」
「今日しか時間が取れなかったという事も考えられるからのう」

推測の範囲でしかない話を、彼らはとても嬉しそうに言い合う。
ここ最近、かなり殺気立った練習をしていた彼らが、休憩中とはいえこんな和やかに話をしている姿を見るのは久しぶりのことだった。

「ところで、柳先輩。出席日数とか、2学期からでも大丈夫なんすか? もしかして俺と同じ学年になったりってことないっすよね」
「2学期から復学すれば出席日数は大丈夫だろうが、多少課題などはあるかもしれないな」
「うへー……部長カワイソー……」

まるで自分の前に課題が積み上げられたように、切原は眉をしかめる。
そんな後輩に、柳はくくっと笑みを零すと、その背後から真田が呆れた声を上げた。

「お前と幸村を一緒にするな。あいつは課題如きで弱音を吐くような男ではないぞ」
「いやいや、部長だって喜んではやらないっしょ」

切原がそういうと、真田はまた、「たわけ!」と一喝する。
そして、周囲は笑いに包まれた。

それは本当に、和やかで幸せそうな光景だった。
あともう数週間もすれば、この輪の中に幸村も加わるのだ。
彼らの傍らで同じように休憩していたもまた、そんなことを思いながら、嬉しさの余り頬が緩んだ。
すると、真田がそれに気づいたらしい。
彼らの話から抜けての方に数歩近づくと、ふっと笑って問いかけた。

「……何を笑っている?」
「あ、真田先輩」

急に彼に話し掛けられ、の脈が少しだけ早くなる。

「いえ、皆嬉しそうだなあって」
「確かに皆浮かれているな。今は大切な時だというのに、たるんどる」

真田はそう言うと、腕組みをして息を吐く。
しかし他人事のように言うその彼自身が、には一番嬉しそうに見えた。

(……きっと、自覚無いんだろうな、先輩)

なんだか無性に、彼がとても可愛く見えてしまった。
は、くすくすと声をあげて微笑みながら、真田に言う。

「そういう真田先輩が、いちばん嬉しそうですよ?」
「……そう見えるか」
「はい、とっても」
「そうか」

否定はせず、真田はごまかすような咳払いを零す。
そんな彼が本当に可愛くて、なんだかとても愛おしい。

――ああ、もう真田先輩ほんと可愛いなあ。……大好き。

ふと、そんなことを考えてしまった。
そんな自分に気づいて、は顔が熱くなる。

(もう……私が一番たるんでるんじゃないの?)

首にかけていたタオルで、恥ずかしさをごまかすように顔を拭く。
休憩中とはいえ、今は部活の最中なのだ。
こんな腑抜けたことを考えていてはいけない、こんなのでは王者立海のマネージャーとして落第点だと自分に言い聞かせる。
そして、大きく息を吐いてもう一度顔を上げると、何故か、彼の顔がほんのり赤く染まっていることに気づいた。

「……先輩? どうかしましたか?」

不思議そうに目を瞬かせながら、は問いかける。
すると、彼は咳払いをして、その視線を逸らした。

「い、いや……いまは、その、休憩中とはいえ、部活中だからな。そういうことは、その、後で、だな」

そう言って、彼は明らかな動揺を見せた。

「……え?」

彼の言っている意味が分からない。
きょとんとした顔で、は真田の顔を見上げる。

「だから、その……そう言ってもらえるのは、嬉しくないわけでは、ないんだがな。やはり、部活中はな……」

彼の顔がどんどん真っ赤に染まって行く。

「そう言ってもらえるのは」、ということは。
先ほどつい思ってしまったあのたるみ切った考えを、もしかして――彼の前で、実際に口にしてしまっていたのだろうか。

「私、もしかしていま口に出して……た……ですか……」

は、恐る恐る彼に問いかけた。
すると彼は、真っ赤な顔のまま、の方を見て苦笑を浮かべた。

「なんだ、気づいてなかったのか? ……そうか。そういえば、お前はそういうところがあるな。全く、人を動揺させるのも大概にしてくれ」

無意識中のことだと分かり脱力したのか、真田は仕方なさそうに笑みを零す。
しかし、はまさかあれを実際口にしていたとは思わず、恥ずかしさは頂点に達した。
真っ赤な顔で、は頭を下げる。

「ご、ごめんなさい!! 部活中に私なんてことを……!! 真田先輩、本当にごめんなさい!!」
「あ、ああ、いや。今後は、気を付けるように。……とはいえ、動揺してしまった俺も偉そうなことは言えないが。お互い、もう少し気持ちを引き締めないといかんな」

そう言って、彼はまた苦笑を重ねた。
そんな彼の言葉に脈拍を上げながらも、は強く頷く。
そして、自分を叱咤し戒めるように、両手でばちんと自らの両頬を叩いた。

(もう、こんなんじゃ駄目だよ。本当に、反省しなきゃ。私は「王者立海」のマネージャーなんだから!!)

もうすぐ幸村だって戻って来るのだ。
立海テニス部が完全な形となり、3連覇に向かって本当のスタートを切る日はもうすぐだ。
その時、自分も王者立海のマネージャーとして、皆を少しでも支えられるようになりたい。
そのためにも、今以上に気を引き締めてかからなければと、は改めて決意する。

は、皆より一足先に休憩を上がることにした。
そうだ、今日の分のテニス部の郵便物をまだ確認しに行っていない。
テニス部に届く郵便物はまとめて顧問の机に置かれるから、それを一日一回職員室まで確認しに行くのはマネージャーの仕事のうちの一つなのだ。

「先輩、今日の分の郵便物まだ確認しに行っていないので、ちょっと職員室行ってきますね」
「ああ、よろしく頼む」

の声に、真田が頷く。
それに頷き返して、は速足で職員室へと向かった。



駆け上がるように階段を上り、職員室に一目散に駆け寄る。
そして、職員室のドアをノックしてから、「失礼します。テニス部です」と所属を告げ、横引きのドアを引いた。
どうやら先生は不在のようだったが、特に気にすることもなく顧問の先生の机に近づいて、レターボックス代わりにしていたプラスチックの籠の中身を手に取る。

「えと、今日はダイレクトメールばっかりかな……」

数通の手紙を揃えながら、が軽く確認をしていた、その時だった。

!」

ふと、背後から声を掛けられた。
が反射的に振り向くと、校長室のほうから出てきたらしい顧問の先生が近づいてくるのが見えた。

「あ、先生。レターボックスの回収に来ました」
「ああ、ご苦労さん。いいところに来てくれたな」
「……え、何か用事でもありました?」
「ああ、ちょっとな」

この顧問の先生はあまり部活動に口を出してくる先生ではなく、用事を言われることもほとんどない。
思いもよらぬことを言われ、は目を瞬かせる。
すると、顧問の先生は後ろを振り返り、自身の背後にいた人物に話しかけた。

「すみません、丁度いいところにテニス部のヤツが来たので、部室まで案内させますよ」
「そうですか、ありがとうございます」

そう答えたのは、先ほど校長室の窓から見えた、あの女性――幸村の母だった。
二人は程なくして、の側までやって来た。

、こちらは幸村のお母さんだ。用事があって、今日は学校までいらっしゃっていてな」
「はい、病院でお会いしたことあります。こんにちは!!」

が笑顔で頭を下げると、その女性も、笑って頭を下げた。

「ええ、こんにちは。テニス部のマネージャーさん……だったかしら。いつも精市がお世話になっています」
「とんでもないです、幸村先輩にいつもお世話になってるのはこちらの方ですから!!」

が慌てて両手を振ると、彼女はくすくすと微笑みを零した。

「いえいえ、皆が来てくれた日は精市本当に嬉しそうだから。いつもお見舞いに来てくれてありがとう」

そう言って、再度幸村の母は頭を下げた。
つられるように、もまた深々と頭を下げる。

、実は幸村のお母さんが、真田たちに少し話があるそうなんだ。すまないんだが、俺はこの後会議が入っていてな。俺の代わりに、部室まで案内して真田たちに事情を話してもらえないか」
「あ、はい、わかりました」

が頷くと、3人は連れ立って職員室の外へ出た。
そして、廊下で幸村の母は顧問に深々と頭を下げる。

「先生、今日はありがとうございました」
「いえいえ。……お母さん、これから大変な事も多いと思いますが、どうかお母さんもご無理のないようにしてください。精市君にも、よろしくと……頑張れと伝えてください」

神妙な面持ちで顧問が言うと、幸村の母は言葉に詰まり、無言で頷いた。
その様子に少しただならぬものを感じたが、は黙って二人を待つ。

「それでは、今日はこれで失礼します。……、それじゃ、頼んだぞ」
「はい、わかりました」

は頷いて、幸村の母に視線を移すと、「こちらです」と声を掛ける。
そして、二人は部室に向かって歩き出した。



「ごめんなさいね、忙しいでしょうに」

幸村の母が、申し訳なさそうに言う。
それには笑顔で首を振った。

「いえ、今ちょうど休憩中ですから、大丈夫だと思います」
「そう。なら良かった。テニス部のみんなの練習を邪魔したら、精市に怒られちゃうから」
「そんな、邪魔だなんてとんでもないですよ! お話って、幸村先輩の復帰予定のお話とかですよね? そんなの、邪魔なわけないです! みんな、すっごく幸村先輩が戻って来るの心待ちにしてるんですから!! さっきだって、皆で幸村先輩の話ばかり――」

がそう言った瞬間――隣を歩いていた幸村の母の足が止まった。

「おばさん?」

急に足を止めた彼女の様子を不思議に思い、は顔を覗き込む。
すると、幸村の母は取り繕うように笑って顔を上げた。

「……ごめんなさい、行きましょう」

そう言って、彼女はそのまま歩き出した。
はその様子になにやら普通ではないものを感じ、胸がざわつくのを感じたが、それ以上は何も聞けないまま、部室へと向かったのだった。



外に出るとすぐ、は休憩から上がろうとしていたメンバーの中から真田を見つけて声を掛けた。
振り向いた真田は、の側に幸村の母の姿があるのを見ると、帽子を取ってゆっくりと頭を下げ、深くお辞儀をする。
その真田の様子で客が来たのが分かったらしい皆も、幸村の母の姿を目に止めた途端、口々に「こんにちは!」と明るい調子で挨拶をした。

「みんな、こんにちは」

幸村の母がそう言って笑うと、真田が二人の方に歩み寄ってきた。

「こんにちは、おばさん。学校に用事ですか」
「……ええ、少し先生方と話すことがあって。……それで、あのね、真田君」

少し躊躇いがちに、彼女が何かを切りだそうとしたその瞬間、駆け寄ってきた切原が、息を弾ませて話の中に割って入る。

「それって、やっぱ部長の復帰の話ですよね!?」

とても嬉しそうに笑いながら、切原は飛びつかんばかりの勢いで幸村の母に食いついた。

「幸村部長、いつから帰ってこれるんすか!? 関東大会は流石に無理っすよね、全国大会からっすかね!?」
「こら赤也、いきなり話に入って来るな!! おばさんが困っているだろう!!」

真田は興奮を隠せない後輩を一喝すると、「おばさん、申し訳ありません」と再度頭を下げた。
そんな真田に幸村の母は小さな声で「……いいえ」と首を振ったが、その様子はなんだか尋常なものではなかった。

「……おばさん、なにかあったのですか」

真田の問い掛けにも、俯いて返事を返せない。
それを見ていたは、真田の側に駆け寄ると、職員室で顧問から頼まれたことを――幸村の母が真田に話があることを伝えた。


それからすぐ、真田は幸村の母を部室へと促した。
切原も共に話を聞きたがったが、それは強い調子で制止し、彼は柳だけを呼ぶ。
そして、気にするように取り巻く他のメンバー達には練習に戻るように言うと、三人で部室へと入っていった。

しかし、残された他のメンバー達は、部室の側から動くことができなかった。
練習に戻れと言われても、幸村の母のあのような様子を見て、気にならないわけがない。
あの表情、挙動。
もしかしたら、いい話ではないのではないか、というのは、その場を目撃した誰の脳裏にも掠めた予感だった。

少しの間、そこにいた全員が動くこともできず静まり返り、ただ立ち尽くして部室の様子を遠巻きに見守っていた。
――しかし。
とうとう、我慢できないとばかりに切原が部室へと足を向けた。

「切原君!?」

は、慌てて彼を止めようと走って彼の腕を掴む。

「駄目だよ、切原君!」
「別に中に入ろうってんじゃねえよ、ちょっと聞くだけだ」

どこかイライラしながらも抑えめの声でそう言って、彼はが掴んだ腕を乱暴にふりほどく。
そして、閉ざされた部室のドアに近寄ると、隙間にそっと耳を寄せた。

「だめだよ、立ち聞きなんて……」
「うっせえそう思うならお前はどっか行っとけ」

静かな声でそう言った切原は、が知る、いつもの彼とは様子が違っていた。
そのギャップに戸惑い、は反射的にその手を引く。

そうしているうちに、いつの間にか丸井やジャッカルも側に寄ってきていた。
仁王と柳生も、立ち聞きはしないものの、部室のかなり近くまで距離を詰めてきている。
皆、やはり中で何を話しているのか気になるのだ。

そしてそれはも同じだった。
あの尋常ならざる幸村の母の様子を思うと、どうしても話の内容が気になってしょうがない。
しかし、真田が自分と柳だけで話を聞く形にし、他のメンバーには練習に戻るように言ったのは何かしらの意図があってのはずだ。
それなのにこんな形で勝手に盗み聞きをするなんて、真田の信頼を裏切ることにもなりかねない――そう思うと、胸のあたりがぎゅうっと締め付けられるような思いがして、は少しだけ、切原たちから距離を取る。
けれど、完全にその場を離れることは、どうしても出来なかった。

(どうしよう……)

ドアにぴったり張り付く切原と、その背後に中腰になる丸井とジャッカル。
それよりもう少し後ろで、は立ち尽くす。

しばらくの間、その場にいた全員は息を呑み、耳を傾けていた。
どんな小さな音でも聞き漏らさないようにと、ひたすらに静寂を保ち続けている。
しかし、の位置では、中から何かしら話している様子は窺えるものの、話の内容までは分からなかった。

切原たちは何か聴こえているのだろうか。
一体、中ではどんな話をしているのだろう。
きっと幸村の話には違いないだろうけれど、もしかして手術が延期になったとかで、全国大会の初戦には間に合わない可能性が出てきたとかだろうか――何もわからないまま、いろんな思いがの頭を巡る。

(でも、幸村先輩、こないだ会ったときはあんなに元気だったんだし、きっとそこまで悪い話じゃないよね。せいぜい、少し復帰が遅れる程度、だよね。きっと全国大会の途中からは、一緒に参加できるよね……)

がそう思って、祈るように両手を組んだ、その、瞬間だった。

「――嘘だッ」

閉ざされたドアの一番近くで耳を澄ませていた切原が、大声を上げてそのドアを押し開けた。
中にいた三人が、驚いてその眼をこちらに向ける。

「……お前たち!!」

咎めるように叫んで立ち上がる真田には見向きもせず、切原は幸村の母の側に駆け寄って行く。
そして。

「幸村部長、手術してももうテニスはできないかもしれないなんて、嘘ですよね!?」

彼は、縋るように叫んだ。



初稿:2018/02/28

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