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+Plus+ 09

関東大会1日目が終了した。
初日の立海の成績は――なんと不戦勝だった。
緒戦で当たるはずだった銀華中のメンバーが、全員食中毒になって救急車で運ばれたらしく、ノーゲームの不戦勝で駒を進めることになってしまったのだ。
救急車も駆けつけ、会場が騒然とする中、結局1試合もしないまま今日の大会日程を終えることになってしまった立海テニス部員たちは、そのまま来たバスに乗って帰宅することとなった。



帰りのバスに揺られながら、じっと窓の外を見ているは、先ほどから無言で口をとがらせている。
そんなに、隣に座っていた真田が声を掛けた。

「……、一体どうしたんだ?」
「え?」

真田の声に、ははっとして彼の方を見る。

「いや、なんだか珍しく機嫌が悪そうだと思ってな」

そう言って真田が苦笑すると、もまた、「そう見えます?」と軽い苦笑を返した。

「なんだか、拍子抜けしちゃって」
「試合のことか?」
「はい、まさか今日まったく試合なしで終わると思わなかったから」

の言葉に、真田も「まあな」と頷く。
するとは、とても残念そうに息を吐き、呟くように言った。

「緒戦だから、先輩たちの試合全部見られると思ってたのになあ……。この先は、きっともう3戦までしか見られないでしょう? せっかくの機会だったのに、悔しいなあって」

そう、この先は3戦連勝すれば残りの試合は行われずに終わってしまう。
だからこそ、彼女は無条件で全ての試合が見られるこの緒戦を、楽しみにしてたということらしい。

「……そんなことで悔しがっているのか?」
「だって5戦全部できるのって緒戦だけですし、先輩たちの試合、全部見たかったんですもん……。でも、相手の人たち食中毒らしいからあんまり文句言うのも悪いですし、なんかもやもやしちゃって、どうしていいのかわかんないんです」

そう言って更に口をとがらせ、は複雑そうに息を吐く。
しかし、試合が観られないなんてその程度のことを彼女が本気で悔しがってくれている――それが、真田はなんだかとても嬉しかった。

(本当に、可愛いことを言ってくれる)

思わずふっと微笑い、真田はの頭に優しくぽんと手を置く。
すると、急に触れられたことに驚いたのか、は目を瞬かせて真田を見上げたが、目が合うと少し頬を染めて下を向いてしまった。
そんなところもまた可愛くて、更に真田も頬を緩める。
――すると。

「お前は真田副部長の試合が観られなくて残念なんだろ!!」

突然そんな声が聞こえて、慌てて真田はの頭から手を放す。
次の瞬間、切原が前の席から身を乗り出してその顔を見せた。
幸い、真田が彼女に触れていたことは彼には気づかれなかったらしいが、からかわれた当のは顔を真っ赤にして切原に食って掛かる。

「も、もう! 切原君!! またそーいうこと言う!!」
「照れんなよ、本当の事言われて怒るもんじゃないぜ」
「照れてない!! もう、そんなこと言うなら二度と宿題見せて上げないから!!」

は、興奮して立ち上がり、身を乗り出した。
そんな彼女を、真田が窘める。

、バスが動いているのに立ち上がるな。危ないだろう」

真田がそう言った瞬間――バスが信号で停止した。
その勢いではバランスを崩して前につんのめり、直後その反動で自分の席に思い切り尻餅をついた。

「……いったぁ……」
「大丈夫か? 全く、だから危ないと言っただろう。赤也も騒ぐんじゃない!!」
「は、はい……すみません」
「スンマセーン」

恥ずかしそうなの声と、ふてくされたような切原の声が重なる。
そして、は腰を軽くさすりながら、体勢を整えて座り直した。

「痛むか?」
「あ、いえ、大丈夫です」

そう答えて、は少し恥ずかしそうに頬を染め苦笑すると、そのまま窓の外に顔をやる。
彼女をからかった切原も、これ以上自分に火の粉が飛んでこないようにだろうか、もう何も言ってはこない。

やがて雑然としていた車内もまた、少しずつ静かになっていった。
試合が無かったとはいえ、一日出歩いていたので疲れていた者も多かったのだろう。
どうやら寝てしまっている者も多いようだ。
隣で黙って窓の外を見ていた彼女からも、やがて小さな寝息が聞こえてきた。

(お疲れ、

心の中でに語りかけ、真田はふっと微笑う。
関東大会一日目という事もあり、どうやら随分気を張っていたようだから、彼女自身に自覚は無くとも疲れていたのだろう。
それに、あの手塚と跡部の試合は、彼女には少し、いやかなり衝撃的だったようだ。
一生懸命動揺をごまかしてはいたけれど、例え知らない選手とはいえ、あれほどの満身創痍で、それでも試合に向かおうとする手塚の姿は、彼女には刺激が強かったのだろう。――今まで、ほぼストレート勝ちばかりの綺麗なテニスしか見てこなかった彼女には。

が試合中に見せた悲痛そうな表情を思い出し、真田は胸がちくりとした。
知らない選手の試合ですら、あれほど心を痛めていたのだ。
もしそれを自分たちの試合で見せてしまうようなことがあれば、彼女はどうなってしまうのだろう。
それでも、テニスを好きだと言ってくれるのだろうか。
そんな不安がほんの少し過ぎったが、真田はそれを一笑に付した。
そんなもの、見せなければいいのだ。

そう、彼女には少しの不安も与えないでやりたい。
だからこそ、あの時手塚とのことを彼女から問われても、何も言わなかった。

――真田先輩は、あの手塚って人と、どういう関係なんですか?

おずおずと、そう小さな声で問いかけてきた
きっと、それは彼女が知らない自分の過去を、少しでも知りたいと思ってのことだろう。
その問いに、真田は答えることができなかった。

手塚とは、数年前一度だけテニスで対戦したことがある。
しかし、その時の自分が全力を尽くして、どうしても勝つことができなかった相手だった。
だからこそ、彼女には言えなかった。
は、心から真田のことを、真田の強さを信じている。
そんな彼女に、例え過去のことであっても、負けたことがあるなどと言いたくなかったのだ。

(待っていてくれ、。次に対戦するチャンスがあれば、必ず手塚を倒す。そうしたら、お前に全て話してやるから――)

手塚は負傷してしまったが、彼があのままで終わる男だとは思わない。
必ず治して、またコートに現れるはずだ。
その時こそ必ずこの手で倒し、全て終わってから、彼女に話してやろう。

真田はそう誓うと、ぐっと拳を握りしめる。
そして、何事もなく、関東大会一日目は終了したのだった。




その日の晩、自室で真田は幸村に報告の電話を掛けた。
本当なら真田一人でも見舞いに行って直接報告したい気持ちはあったのだが、昨日みんなで行った折に、結果報告は電話やメールで構わないと幸村本人に言われていたのだ。
おそらく、それは彼が気を遣っての事だろうと真田も分かっていたけれど、せっかくの気遣いを無駄にするのも気が引けて、真田はその言葉に甘えて電話で報告することにしたのだった。

『――へえ、不戦勝だったんだ。あれ、銀華って青学戦も不戦敗したんじゃなかったっけ? どれだけ運が無いんだろうね』

電話の向こうで、幸村が笑う。

「そうだな。例え試合をしていても結果は同じだが、せっかく組んだオーダーが無駄になってしまったからな。銀華、たるんどる!」

真田もまた、少し冗談めかしてそう言うと、ははっと笑った。
それに合わせて、幸村もまた、笑みを零す。

『で、他校はどうなった? 青学と氷帝は?』
「うむ、青学が勝利した」

真田の言葉に、幸村は「へえ」と意外そうに呟いた。

『青学が勝ったのか。それはちょっと意外だな。手塚が決めたのかな?』
「――いや、手塚は負けた。シングルス1で手塚と跡部が当たったんだが、手塚が負傷し、跡部が競り勝ってな。最終的には、控え選手の試合までもつれ込んで、青学が辛くも勝利を収めた形だ」
『手塚、負傷したのか』
「ああ、あれはしばらく戻って来られないだろうな。怪我の具合はかなり悪そうだ」
『そうか……』

そう言って、少しの沈黙が走る。
もしかしたら、幸村は戦列を離れることになる手塚と自分を重ねてしまったのだろうか。
真田はその場を取り繕うように、会話を続けた。

「手塚のいない青学など話にならん。早く復帰するといいのだがな」
『そうだね。手塚もそう簡単に潰れる奴じゃないから、必ず戻ってくるさ。でももしかしたら、俺の方が復帰は早いかもしれないな。俺は全国から戻る予定だしね』
「そうだな、手塚よりもお前の方が早いかもしれんな」
『うん、それにさ、……っ』

その瞬間。
調子よく聞こえていた幸村の声が途切れ、電話の向こうでがたんと大きな音がした。

「幸村!? おい、どうしたんだ幸村!?」

慌てて、真田は電話に向かって声を荒げる。
――まさか、電話の向こうで彼が倒れたのではないか。
瞬間、彼がかつて目の前で倒れた――あの時の光景がフラッシュバックする。

「幸村、幸村!! 返事をしろ!!!」

何度も彼の名前を繰り返す。
やはり、電話で済ますのではなかった。直接会いに行けばよかった。――そう、真田が思ったその時。
電話の向こうで再度がたりと音がして、彼の飄々とした声が携帯の向こうから聞こえてきた。

『ごめんごめん。ちょっと、手が滑って電話を落としてしまったよ』

そう言って、幸村は笑った。
その声にホッとして、真田は空いていた手で額を抑え、大きく息を吐く。

「……驚かさないでくれ、幸村……」
『うん、ごめん。今日はちょっと、リハビリしすぎたから、疲れたのかも。みんなが関東大会で頑張ってるって思ったら、いてもたってもいられなくってね。先生にもやりすぎだって、怒られちゃったくらいなんだ』
「幸村、気持ちはわかるが、あまり無理はしないでくれ。あと少しの辛抱だろう?」
『うん、そうだね。ごめん。でも本当に大丈夫だから、心配しないで』
「あ、ああ……」

頷きはしたが、やはりどこか不安が募る。
その声のトーンで真田がまだ心配しているのが分かったのか、幸村は取り立てて明るく笑った。

『もう、大丈夫だって言ってるだろ。とにかく、俺の方は心配しなくていいってば。真田は、部のことだけ考えてればいいんだよ』
「それこそ大丈夫だ。部の方は何の問題もない。お前こそ、そんな心配はいらんぞ」
『はは、それこそ心配してないけどね。君がまとめ上げているんだから』
「もちろんだ。必ず無敗で、お前に受け渡す。だからその時まで、お前は安心して体を治してくれ」
『ああ。もうすぐ俺も帰るから。そうしたら、全国からはまた共に戦って、必ず3連覇を成そう――』

それはとても力強い言葉だった。
先ほどは本当に手が滑っただけなのだろう。
心配することはない、幸村は着々と回復している。
もう少ししたら、一緒にまた戦えるのだ。

真田はこみあげてくる熱い感情をぐっと抑え、強く頷く。

「ああ、今のメンバーならば、必ず成せる。だから幸村、今は無理せず、手術に備えるんだぞ」
『うん。それじゃ、今日はこれくらいにしておくよ。じゃあね、真田。また』
「ああ、またな」

そう言って、電話は切れた。
もう無機質な機械音だけしか聴こえなくなった携帯を耳から離し、机の上に置く。
その瞬間、携帯に付けていた、大切なラケットのストラップの鈴が、心地よい音を立てた。
思わず贈り主の彼女の顔が浮かび、真田の頬が緩む。

――ああ、全て上手くいっている。
幸村はもう少しで戻ってくるし、彼女も傍で支えてくれる。
俺自身も、仲間たちの仕上がりも万全だ。
誰が相手でも、負ける気はしない。
もう、3連覇は成したも同然だ――

真田の胸中は、そんな思いでいっぱいだった。



初稿:2017/11/30

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