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16:溢れる 3

真田は昼ご飯を食べた後、屋上へと向かった。
四時間目が始まる前の休み時間、移動教室の途中で会った柳に「少し話したいことがある」と言われ、昼食後二号館の屋上で待ち合わせをしていたのだ。
階段を上がり終え、突き当たりにある扉に手を掛ける。
少し開いた瞬間、差し込んできた光に一瞬目を瞑ったが、そのまま真田は扉を押し開けた。

外に歩み出ると、辺りをきょろきょろと見渡す。
二号館の屋上は屋上庭園のある一号館の屋上とは対照的で、剥き出しのコンクリートと事故防止のフェンスのみが広がる殺風景な場所だ。
そのため、一号館屋上よりも圧倒的に人気ひとけは少なく、今日は誰の姿も見えなかった。

「まだ蓮二は来ていないようだな」

そう呟いてフェンスの側に近寄ると、真田は大きな溜息をついた。

――こんなところに呼び出して、一体何を言おうというのだろう。

親友を待ちながら、漠然とそんなことを思う。
しかしなんとなくではあるが、真田にはひとつだけ予感があった。
もしかしたら――彼女とのことではないだろうか。
最近の自分の彼女に対する態度は自分自身でも酷いと思うほどだから、部を共に取り仕切る仲間として、そして何より友人として、そのことを諌められるのではないだろうかと。

実は、今までにも何度か柳に「彼女と何かあったのか」と尋ねられたことはあったのだ。
しかし、真田はその度に「何もない」とだけ返してきた。
彼は納得はしていなさそうだったが、今まではそれ以上深く突っ込まれることはなかったし、何か言われそうになる前にその場を逃げてやりすごしてきたのだ。
だが、今日は人気ひとけのない屋上に呼び出しまでしたのだ。問いただすつもりなのではないだろうか。
そう思うと、心臓が嫌な感じに高鳴る。

(い、いや、もしかしたら試験明けの練習のことかもしれんし、関東大会のことかもしれん)

しかし、それならばわざわざこんな所に呼び出す必要などない。
部室や教室でも充分事足りるはずだ。
やはり、その可能性が高い気がする――そう思って、真田は思わずぎゅっと掌を握り締める。

もし予想通りだとしたら、どうすればいい。
あの親友はとても鋭く、頭の回転も尋常ではないほどに速い。
一瞬でも隙やとまどいを見せたら、一気に自分が抱いている彼女への想いに気付くだろう。
そしてそうなってしまえば最後、もう自分がどう頑張っても言い逃れなど一切通用しないだろうことは、容易に想像がつく。
もしごまかし続けるつもりなら、最初からその覚悟で望まなければならない。
しかし、例え自分がその覚悟で望んだとしても、本当にごまかしきれるかどうかは怪しいものだが。

(……ならば、いっそのこと……蓮二に話を聞いてもらうか?)

柳ならきっと、自分が真面目に悩んでいると知れば、笑うことなく相談に乗ってくれるだろう。
他の誰にもこんな話は出来ないが、長い付き合いもあり、自分のことをよく分かってくれている彼になら出来るかもしれない――そう思った瞬間だった。
がちゃりと扉が開く音がして、柳が屋上に現れた。

「すまない、遅くなったな」

そう言うと、柳は真田がいるフェンスの側に歩み寄ってきた。

「いや……」

そう答えながら、真田は視線を逸らしてフェンス越しに外を見つめる。
そして、おそるおそる真田は柳に問い掛けた。

「話とは、なんだ?」

柳は真田の側まで来ると、軽くフェンスに寄りかかり、呼吸を整えるように小さく息を吸う。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「弦一郎、一体と何があった」

その言葉が発せられた瞬間、真田の心臓がどくんと鳴る。

――やはり、その話か。

頭を垂れ、少しの間黙り込んでいたが、やがて真田は顔を伏せたまま重苦しい口をゆっくり開いた。

「……何も、ない」

らしくない小さな声でそう返し、真田はフェンスの網をぎゅっと握り締める。
しかし柳は、到底納得出来なさそうな顔で、そんな真田に言葉を重ねた。

「嘘をつくな。確かに一ヶ月程前までは、お前とはとても仲が良かったはずだ。楽しそうに話をして、笑い合う姿も何度も見ている。しかし最近は顔を合わせることすらしていないだろう。それもお前がかなり不自然にを避けている。俺が気付かないとでも思っているのか?」
「……本当だ。何もない」
「何もないなら、あそこまで執拗に避ける必要はないだろう。それとも、理由もなく悪戯に彼女を傷つけているだけか? 俺の知っているお前は、そのような下らない人間ではなかったはずだがな」

親友の声は、明らかに責めるような声だった。
真田は、フェンスを握り締める手に更に力を込める。

「彼女との間に、何かがあったということはない。それは本当だ。……ただ、俺が彼女を避ける理由なら……ある」

そう言って片方の手をフェンスから離し、高鳴る心臓を抑えると、真田は大きく息を吸った。
――そして。

「俺がを避けるのは――」

そこまで言って、言葉に詰まる。
真田は、自分自身を落ち着かせるようにもう一度ゆっくり呼吸をすると、小さな声でようやく続きを紡ぎ出した。

を避けるのは、……俺が彼女を、好きだからだ」

少しの間、沈黙が流れた。
柳は、何も言わずにじっと真田を見ている。
そんな親友の視線をとても恥ずかしく感じてしまい、真田は熱くなった顔を片手で覆って俯いた。
そして、そんな恥ずかしさをごまかすように、振り絞るような声で言葉を吐く。

「柄でもないと言うのだろう? そんなことは俺自身が一番分かっている。……分かっているんだ」
「弦一郎……」
「俺だって、あいつを避けたいわけじゃない。だが、今はを見ていると行動や感情が全く制御できなくなる。緊張して思考が動かなくなって、どんな顔をすればいいのか、何を言えばいいのかも分からない。そんな状態で、今までのように笑って言葉を交わすことなどできるわけがないだろう。……蓮二、俺は自分がどうしたらいいのか分からないんだ」

真田は、そう言って黙り込んだ。
そんな真田の背中を、柳はぽんと叩く。

「……弦一郎、落ち着け。俺はお前が恋愛感情を抱くことを、柄でもないなどと言うつもりはないさ。いくら少し浮世離れしているとはいえ、お前だって健全な中学生だ。恋くらいするだろう」

そう言って柳はふっと笑うと、付け加えるように言った。

「だいたい、俺は大分前からお前のへの慕情に気付いていたしな」

柳がそう言った瞬間、真田は驚いたように目を見開き、ぱっと顔を上げた。

「な、何だと!?」

顔を真っ赤に染めながら、真田はあたふたと柳に尋ねる。

「本当なのか!?」
「ああ、本当だ。だから、俺としてはやっとお前も自分の気持ちに気付いたのかと思うことはあっても、今更柄でもないと思うことはないな」

柳はそう言って苦笑する。そんな彼とは対照的に、真田はどんどんその焦りを露にしていった。

「……い、いつだ! いつ気づいた!」

慌てている真田の様子がおかしいのか、柳はくくっと笑みを漏らしながら、彼の問いに答える。

「最初にそうではないかと思ったのは、お前の誕生日の時だな」
「俺の誕生日だと……そんなに前なのか!? 俺はその頃は別に……」
「あの日、精市に初めてのことを話しただろう。あの時のことを覚えているか? お前とは長い付き合いだが、あんなに優しく且つ穏やかな顔で他人のことを語るお前など初めて見たし、彼女から貰ったプレゼントを見つめるお前は、本当に嬉しそうだったからな。かなりの確率でお前がに特別な感情を抱いているのではないかと思ったんだ。同時に、お前自身は全く自覚していないだろうとも思ったがな」

柳がそう言うと、真田の顔は更に赤くなった。
――否定出来ない。
確かに今思えば、あの頃既に自分は彼女に惹かれ始めていたと思う。
赤い顔を情けなさそうに覆って、真田は頭を垂れる。
そんな彼に、柳はくすりと笑いかけて言葉を続けた。

「ああ、言っておくがあの日の時点で精市も勘付いていたぞ。追い討ちをかけるようなことを言ってすまないが」
「ゆ、幸村もか……」

もう疑うこともせず、真田は真っ赤な顔を更に紅潮させた。

「それで弦一郎、お前が自分の気持ちに気付いたのはいつだ?」
「……と、買出しに行った日だ」

頭を垂れたまま、真田は言う。

「やはりあの日か」
「あの日、たまたま会った千石に、彼女が好きなのだろうと言われた。それで、気付いた」
「千石と言うと、山吹中の千石清純か?」

柳の言葉に、真田はこくりと頷く。
――そして。

「あいつに言われなければ、もしかしたら今でも気付かなかったかもしれない。……今となっては、気付かなければ良かったと、思う」

そう言うと、真田はぎゅっと目を閉じた。
そんな真田に、柳は眉をひそめて問い掛ける。

「どうして、そう思うんだ」
「気が付かなければ、今でもと普通に話せたはずだ。避けて彼女を傷つけることもなかっただろう」

真田は、自分を責めるように言葉を吐き捨てた。

「傷つけたいと思っているわけじゃない。彼女と今までのように接することが出来るなら、それがいいとも思う。でも、そう出来る自信がないんだ。情けない話だが、今は彼女と視線を合わせるだけでも顔が熱くなるのが分かる。……話をしようとすれば、俺の想いなどすぐにでも彼女本人に勘付かれてしまうかもしれない」
「弦一郎……」
「そうなれば、今度はきっとが俺を避ける。……俺は、それが怖いのだと思う」

彼女から拒絶を示されるのが、怖い。
そんなことを思いながら、真田は握っていた手に力を込めた。

そんな親友を見つめ、柳は大きな溜息を吐く。
そして。

「好きだと勘付かれるよりも、嫌っていると誤解される方がマシなのか?」

柳はそう言うと、呆れるような視線を真田に向けた。

「今のままお前が避け続けていれば、確かにお前の恋愛感情がに知られてしまうことはないだろう。その代わり、彼女はお前に嫌われたのだと誤解し続けるぞ。お前は本当にそれでいいのか? 本末転倒だと俺は思うがな」

真田は眉間に皺を寄せ、唇を噛む。
何も言い返すことが出来ない――そう思っていると。

「大体、どうして拒絶されることが前提なんだ」

柳が言ったその一言に、真田の動作がぴたりと止まった。

「そ、それはどういう意味だ」

少し震えながら真田が言葉を吐く。
そんな彼に、柳は苦笑しながら更に言葉を掛ける。

「つまり、だ。彼女の方もお前を好きだと言う可能性について、考えたことはないのかということだ」

――彼女が、俺を?

一瞬、真田の思考が停止する。
しかしすぐに我に返ると、真田は首を振った。

「……有り得ないな」

小さな声で呟き、真田は自嘲気味に笑う。

「どうしてそう言い切れる。お前が彼女を避けるまでは、彼女がテニス部で一番親しくしていたのも、一番頼りにしていたのも、間違いなくお前だと思うが」
「それは俺が副部長で、彼女がマネージャーだからだろう。だいたい、自分が女子に好意を寄せられるような人間かどうかは、自分が一番よく分かっている」

真田はそう言って、ふいっと顔を背ける。

「好意を寄せていなければ、誕生日にプレゼントを送ったり、部活の用事とはいえ、二人っきりで休日に出かけることを承諾したりはしないんじゃないか?」
「誕生日のプレゼントなら、お前も貰っただろう。それに、休日に出かけたのは彼女のマネージャーとしての責任感からだ。……例え相手が俺でなくとも、きっと同じだった」

そう、彼女にとっては深い意味などないに違いないのだ。
自分自身に言い聞かせるように思いながら、真田は吐くように言葉を綴る。
そんな真田を見つめ、柳はやれやれと苦笑した。

「こんなに自信のないお前は珍しいな。なかなか新鮮だよ。テニスでは皇帝と名を馳せるお前も、こういう分野では不慣れということだな」
「茶化すな、蓮二」

顔を染めながら、むっとして睨んできた真田に、柳はまたくくっと笑う。

「いや、茶化したつもりはないんだが……。悪かったな、では本題に戻ろうか」

そう言うと、柳は真面目な顔で真田を見据え、言葉を続けた。

「お前は結局、どうしたいと思っているんだ。と交際したいと思うのか?」

その言葉に、真田の顔が一気に赤く染まる。
「交際する」という現実的な行為を突きつけられて、なんだかとても恥ずかしくなってしまったのだ。

「こ、交際、などと……」
「交際したいとまでは思わないのか?」
「……そんなこと、有り得るわけがないだろう」
「有り得るかどうかを聞いているんじゃない。お前の気持ちを聞いているんだ」

少し強い調子で柳は言う。
すると、真田の動きが完全に止まった。

――と、交際。
その答えを肯定してしまうのは、なんとも言えず恥ずかしかった。
自分が男女交際をする柄かと問われれば自分自身違うと思うし、そもそも今まで男女交際など自分たちの歳では尚早だとも思っていたのだ。
しかし彼女と交際できるとすれば、今の自分はきっと、それを「嬉しい」と思ってしまうだろう。
今まで散々交際などまだ早いと主張しておきながら、そんな感情を知ってしまった途端に掌を返したようにそう思ってしまう自分が現金だとは思うけれど――副部長としての自分ではなく、一個人としての自分の傍らに彼女がいて、あのあたたかい優しさと笑顔を自分のためだけに向けてくれるなら、それはきっととても幸せな時間に違いないと思う。

「……そうなれば、嬉しいとは……思うだろう、な」

そう言いながら、真田は柳から視線を逸らす。
そして、熱くなった顔を隠すように片手で口元を覆った。
そんな真田を、柳はどこか嬉しそうに笑って見つめる。
親友の無言の笑みは、真田の恥ずかしさを更に加速させた。

「有り得ない事だとは思うがな」

そう言って、フンと鼻を鳴らしそっぽを向いた真田を、柳は真面目な顔で見据えた。

「そうだな、お前の言う通りだ。有り得ない」

その言葉に、真田の表情が止まった。
自分自身でも言った言葉とはいえ、他人にそれを言われるのは、心に刃を刺されたような気分に陥る。
眉間に皺を寄せ、真田は唇を噛んだ。

「……ああ、有り得ないとも」

まるで自分自身に言い聞かせるように反復したその時――柳がその言葉を遮るように口を開いた。

「お前の態度が今のままならの話だがな」

柳がそう言った瞬間、真田がぱっと顔を上げた。
そんな真田の目を見据えながら、柳は畳み掛けるように言葉を重ねる。

「お前が今のままを避け続けるなら、確かにそんな未来は絶対に有り得ないだろう。は今、お前に嫌われたのだと思い込んでいるからな。しかしお前がその態度を改め、とちゃんと向き合って話をすれば、決して有り得ない話ではないよ」

そう言って、柳は真田の肩を叩いた。

「どうやらお前は全く自信がないようだが、はお前のことをとても慕っているよ。だからこそ、お前に露骨に避けられてあんなにも落ち込んでいるんだ。だからもしお前が自分に好意を寄せていると知っても、喜びこそすれ引くことは絶対にないだろう。断言してもいい。弦一郎、勇気を出せ!」

真剣な顔で力強く言い、やがて彼はふっと笑う。

「俺がお前に言えることは、これくらいだな。後はお前次第だ。……ではな」

踵を返し、柳は校舎内へ戻る扉に足を向ける。
しかし、思い出したように足を止めてくるりと振り向き、もう一度口を開いた。

「ああ、弦一郎。精市から伝言だ。『馬鹿真田、俺の入院おれのことを理由にして自分の気持ちを押し殺したりなんかしたら絶対許さない。入院してる俺にこれ以上心配掛けさせるな』、とね」

そう言った柳を、真田は無言で見つめ返す。
そんな真田をくすりと笑いながら見つめ、柳は付け加えるように言葉を重ねた。

「それから、これは俺と精市二人からだ――『頑張れよ』」

そう言い残し、今度こそ柳は校舎内へと戻っていった。
扉が閉まり親友の姿が消えると、ひとり残された真田は、そっと仰ぐように空を見上げる。
少し熱くなった自分の顔を冷ますように、風が頬を掠めた。


◇◇◇◇◇


――全く、世話の焼ける奴らだ。
そんなことを思い苦笑しながらも、どこか安心したような気持ちで柳は階段を下りる。

後輩の切原と、の親友であるに、「もう見ていられない、どうにかならないだろうか」と相談を受けたのは今日の二十分休みの話だ。
後輩二人に携帯のメールで呼び出されて真剣な顔で打ち明けられたのだが、柳自身もいい加減どうにかしたいと思っていたことだったので、その場で幸村にも電話を繋ぎ、四人で相談をして――その結果、各々で相手と話をするよう説得することになったのだった。

正直言って、彼女のほうはともかく、真田には発破をかけることすら賭けに近かった。
自分の恋愛感情が周囲にばれているということを知った真田が、どう反応するのか。
認めるか、突っぱねるか――もし万が一突っぱねられてしまえば、そのまま態度が更に硬化し、余計に彼女に対して冷たい態度を取るようになる可能性も少なくはなかった。
だから先ほど真田の方から自分の恋心を打ち明けてくれた時は、内心どれほどほっとしたことか。

(弦一郎の方は、これでなんとかなると思うんだが……あとはの方が上手くいっているかだな)

柳がそう思った時、ポケットに入れていた携帯が勢いよく震えた。
思わず立ち止まり携帯を取り出すと、携帯にはメールの着信を示すマークが表示されていた。
無言で携帯を操作し、その内容を確認する。メールの送信相手は切原だった。

「……ふむ」

そう呟きながら、用件だけの短いメールに目を通す。
そして、柳は安心したように笑みを浮かべ、こちらも短いメールでさっと返信して携帯を仕舞った。

昼休みはもう終わる。
となると、部活の前にはそんな話をする時間など取れないだろうし、放課後部活が終わってからが正念場だろうか。
あの二人のことだから、今日中にちゃんと話が出来るかどうかは怪しいところだが、時間が経ってしまえばまた決意も揺らぐだろう。
どうにか今日中に話が出来ればいいが――柳は祈るようにそんなことを思いながら、また苦笑して階段を下りていった。

初稿:2008/01/22
改訂:2010/03/27
改訂:2024/10/24

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