一学期も後半となり、初夏の薫りも漂い始める、六月。
先週末に行われた県大会を難なく優勝した立海大附属中学テニス部は、その余韻に浸ることなく、既に照準を来月末の関東大会に合わせて練習を行っていた。
今日も土曜日で本来ならば学校は休みだが、そんなことは関係ないとばかりに休日練習に精を出している。
勿論、それはマネージャーのも例外ではない。
は、止まった洗濯機から洗濯物を取り出し、それを乾燥機に移している作業の途中だった。
ただでさえ人数が五十名を越えるこの部活では、毎日出る洗濯物の量は半端ではない。しかも今日みたいな丸一日練習があるような日は、午前と午後一回ずつ回しても足りないほどだ。
特に明日日曜日は珍しくも部活が一日休みだったため、今日はなるべく洗濯物を残さないで帰らねばならないという事情もあり、今はまだ昼を過ぎたばかりだというのに、この作業でもう三度目だった。
しかしこんな作業の繰り返しですら、は楽しいと思えた。例えどんな些細な雑用でも、部員皆のサポートが出来る――それが本当に嬉しかったのだ。
作業の手を止めないまま、は遠くに見えるコートをちらりと一瞥する。するとレギュラー・非レギュラー関係なく、全力で力を尽くしている部員達の姿が目に映り、思わずは頬を緩めた。
「皆、すごい頑張ってるなあ……」
まだ関東大会までは一カ月以上あるというのに、県大会優勝に微塵も浮かれることなくただひたすら練習に打ち込む皆を、心から尊敬してしまう。彼らがもっともっと練習に打ち込めるように、何かもっと出来ることは無いのだろうかと、最近いつも思うのだ。
しかし、考えても考えても何も思いつかないのもまたいつものパターンであり、は自分が情けなくなって苦笑を漏らす。
(駄目だなー私。ほんと、まだまだだ……)
そんなことを思いながらも、は洗濯物を乾燥機に移し終えた。そして勢いよく乾燥機の蓋を締めると、時間をセットし、運転のボタンを押す。
「さて、と」
乾燥機が動きはじめた音を聴きながら、はパンパンと軽く両の掌を叩く。
乾燥機が止まるまでの間は、皆の練習補助に回ろうか――そんなことを思っていた、その時。
「さーん、ちょっと」
部室の方から、誰かの声が自分を呼んだ。
「はーい、今行きます」
慌てて返事をして、は小走りで部室の入り口へと向かう。
すると、部室の前で非レギュラーの二年生の男の子が、を手招きしていた。
彼の足元には、大きなダンボールがいくつか置かれている。
「何か届いた。たぶん備品の補充だと思うけど、片付けお願いしていい?」
「了解! えーと……」
は、近寄ってダンボールに貼ってある伝票を覗き込み、発送元の会社名を確認した。この会社なら、スポーツドリンクと水と、あとテニスボールくらいだろうか。
そういえば、一週間ほど前に発注したものがそろそろ届いてもいい頃だ。
「うん、備品の補充みたい。私片づけとくね!」
そう言って、はダンボールを持ち上げようとその一つを手に掛ける。しかし水やペットボトルが大量に詰まっているらしい箱はかなり重く、なかなか上がらない。
その様子を見た彼は、何人かを呼んでくると皆で手分けして備品保管場所の第二部室へとダンボールを運び込んでくれた。
「ごめんね、皆、ありがとう」
皆と共にダンボールを運び終え、は頭を下げる。
作業を終え練習に戻っていく彼らを見送ると、はダンボールと向かい合った。
練習補助に回ろうと思ったけれど、先にこちらを整理しなければならないようだ。
「よっし! やるぞー!」
勢いよくそう叫んで、は一つ目のダンボールに手を掛け、作業を始めた。
「えっと……水が四ケースっと」
伝票を見ながら中身と数を確認し、備品チェック用のノートの数を修正して、それぞれ決められた備品棚に収納する。
そんなことを延々と繰り返し、作業は何の問題もなく順調に進んだ。
――しかし。
最後のダンボールを開けた瞬間、の手が止まる。
「……あれ?」
思わずそう呟いて、何度も目を瞬いた。
ダンボールの中には、テニスボールの入った缶が綺麗に並べられている――が、明らかに数が少ない気がするのだ。
この時期は練習もハードになるし、ボールを使った練習や試合形式が主流になってくるから、特に多めに発注しておいてくれと真田や柳に言われていた。だから自分が一週間前発注作業をした時、いつもの倍ほど発注したはずだ。
なのに、これではいつもより少ないくらいではないだろうか。
震える手で、は同梱されていた伝票を確認する。
伝票の文字は手書だったこともあってなんだか数が読み辛く、とある位の数字が「1」とも、「7」とも読めるような書き方だった。
眉根を寄せながら、はその伝票とダンボールを何度も見つめたが、そうしていても埒はあかない。
とりあえずは、一旦数を数えてみることにした。
「……2、3……」
気のせいであることを願いつつ、ダンボールから一つずつ出して、足元に並べていく。しかし、嫌な予感は見事に的中したのだった。
「……足りない……やっぱ足りないよ」
やはり、自分が発注したはずだと思っていた数よりも、大分少なかった。
伝票のあの数字は、やはり「1」だったらしい。
「もしかして、私が注文用紙に書き込む数、間違えちゃったのかな……」
送る前に何度も注文数を確認したはずなのにと思いながらも、実際問題数は少ない。
心臓が変に高鳴り、額に嫌な汗が滲み出した。
役に立つどころか、これでは自分のせいで皆の練習に支障が出ることになってしまう。どうしたらいいんだろう――の手が震えた。
その時、がちゃりと音をたてて部室のドアが開き、柳が入ってきた。
「、備品が届いたそうだな」
「柳先輩……」
「ん? どうした、。気分でも悪いのか? 顔色が優れないようだが」
柳はそう言うと、の側に座り込み、目線を合わせた。
「あの、私ミスしちゃったかもしれないです……数が」
「数? 何かおかしいのか?」
彼の言葉に、はこくんと頷き、震える声で返す。
「ボール、だいぶ少ないんです……どうしよう、私」
「落ち着け、。伝票は確認したか?」
柳の言葉に、は再度首を縦に振り、持っていた伝票を彼に手渡した。
「……汚い字だな」
むっとした表情でそう呟いて、柳は少し考え込む。
そして、思いついたように顔を上げた。
「、発注した時の注文シートは確認したか? ファックスでショップに送った時の、元の紙だ」
「いえ、それはまだですけど……」
「ならば、それも確認しよう。向こうのミスの可能性もある」
そう言うと、柳はすっくと立ち上がる。もそれに続き、二人は隣の第一部室へと移動した。
部室に入るなり、二人は書類棚に向かう。
そこには、各書類が分類毎にファイリングされて、きれいに並べられていた。はその中から備品発注用のファイルを手に取り、中を開く。
「……あ、これだ! ありました、柳先輩」
「あったか。数はどうなっている?」
「えっと……」
呟きながら、はファイルの一番上に挟まっていた、先日自分が書いた注文用紙を見つめる。
――すると。
「あ、違う!」
思わず、は叫んでしまった。
注文用紙に書かれていた数は、先ほど届いた数よりもずっと多い数――自分が書いたと思っていた通りの個数だったのだ。
「違う……ってことは……あれ?」
「ふむ、やはりな。向こうが数を間違えたのだろう。完全に向こうのミスだ」
そう言って、柳はの手の中のファイルを覗き込み、続けた。
「ここは、前にも一度こんなミスをしたことがあってな。もしやと思ったんだ」
「そうだったんですか……」
「きっと、注文用紙を受け取ってすぐ伝票を書き、その伝票を見ながら別の者が品を用意するとか、そう言った方法を取っているのだろう。……全く、せめて最後に注文用紙と照らし合わせて確認してくれれば、こんなことは起こらないはずなんだが。いくら他店より安い店とはいえ、こんなことが二度もあるようなら、少し利用を考え直した方がいいかもしれないな」
呆れたように息を吐き、柳は言う。
(私のミスじゃなかった……)
そう思って、はホッと胸を撫で下ろす。
しかし、自分のミスだろうがそうでなかろうが、実際問題数は足りないのだ。
部としては、かなり困った事態ではないだろうか。
「どうしましょう、柳先輩」
不安そうな表情を浮かべながら、は柳を見つめる。
「そうだな、とりあえずこのショップに連絡を取ろう。すぐに送り直してもらえるなら、問題はないだろう」
「あ、そっか。送り直してもらえばいいだけですね!」
安堵の息を吐き、は笑った。
その顔を見て柳も笑うと、彼はロッカーから自分の携帯電話を取り出し、ショップに電話を掛け始める。は、それを横でじっと聞いていた。
――やがて、五分ほど経っただろうか。
「……そうですか、はい。では仕方ないですね、はい……それでは、失礼いたします」
話を終えたのか、柳が電話を切った。その途端、すぐさまは彼に声を掛ける。
「先輩、お店の人はなんて?」
「ああ、向こうのミスだと認め、謝罪してくれたよ。お詫びに、代金を少し値引きしてくれるそうだ」
そう言いながらも、柳の表情は少々微妙そうだ。
どうしたんだろうとが思っていると、小さな溜息をつき、彼は続けた。
「ただ、向こうの在庫が切れていて、すぐに足りなかった分を発送するというわけにはいかないらしい。メーカーに問い合わせてからになるので、長ければ二週間ほどは掛かるかもしれないとのことだ」
「えっ」
柳のその言葉に、は思わず声を上げて眉をひそめる。
もし二週間も掛かるとしたら、それは流石に練習に支障が出るのではないだろうか。
「先輩、ボール、もつでしょうか」
がそう言うと、柳は少し何かを考えてから、「微妙なところだな」と呟いた。