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07:たからもの 01

まだ少しドキドキする胸をなんとか落ち着けながら、は女子更衣室で着替えを済ませた。
そして鞄を手にすると、そのまま更衣室を後にしようとしたが、ふと気になったことがありその足を止める。

(……明日の朝練って、七時に部室に集合すればいいのかな……)

七時から朝練だという話は聞いたが、それが練習を開始する時間なのか、それともその時間に集合して準備を始めればいいのか分からなかった。勿論どちらにしろ少し早く来るつもりではいるが、はっきりした時間が分かっているのと分からないのとでは、心の余裕が全然違う。
誰か残っているうちに確認しなければと、は慌てて部室へと足を向けた。
すると、部室に向かう途中の道で、見知った顔が向こうから歩いてきた。――だ。

「あ、!」

の姿を見つけたは、笑顔で手を振った。同じようにも手を振り、に駆け寄る。

、今終わり?」
「うん、今部活終わってね。もしかしたら一緒に帰れるかなって、テニス部の部室に行こうと思ってたとこ」

は、そう言って笑う。

「あ、そっか、も部活やってるんだから、これから一緒に帰れるんだ!」

今までは帰宅部だったから、自分が遅くまで残るかが部活を休まない限り、帰りが一緒になることなんて無かったけれど、これからは帰りの時間が重なることだって充分に有り得るのだ。

「うん、時間が合えば、一緒に帰ろ!」
「うん!」

部活を始めたことで、思ってもいなかった楽しみが増えた。嬉しくて、満面の笑みでは頷いた。

「あ、でも、明日の練習のことで聞いておきたいことがあるの。今から部室に戻って聞いてくるから、ちょっと待っててくれる?」
「うん、じゃあ、正門のとこで待ってるよ」
「オッケー! 用事済んだらすぐ行くから!」

そう言って、は一目散に走りだした。

◇◇◇◇◇

テニス部の部室の前で、は足を止めた。息を吸って呼吸を整えると、軽くドアをノックする。
ややあって「はいよ」という声とともにドアが開き、顔を覗かせたのは切原だった。

「ん? じゃん」
「あ、切原君。お疲れ様!」
「おー、お疲れ! どうしたんだ? 忘れモンか?」
「ううん、そうじゃなくて、ちょっと聞きたいことがあったの。明日の朝練のことなんだけど、七時に部室に集合なの? それとも、七時には練習を始めるの?」

部室のドアを挟んだまま、は切原に尋ねた。
すると。

「ちょっとすみません、空けてもらってもいいでしょうか」

切原の背後から声が聞こえて、二人はそちらを見やる。そこには帰る準備を終え、荷物を手に部室を出ようとしていた柳生と仁王がいた。

「あ、先輩たちお疲れっス」

そう言って、切原が一歩引いて場所を空ける。同じように、も邪魔にならないよう数歩引いてドアの前から退いた。

「お疲れ様です、柳生先輩、仁王先輩」

と切原に、柳生は軽く「ありがとうございます」と会釈をする。

「お疲れ様でした、さん。明日からも頑張ってくださいね。ああ、朝練の時間ですが、七時には練習開始ですよ。ですから準備の時間を考えるともう少し早目に登校していただかないといけません。気をつけてくださいね」

話を聞いていたらしい柳生は、切原の代わりに答えると、そのまま部室を出る。

「そうじゃ、少なくとも五分前には準備しとらんと、真田に大目玉じゃ」

笑ってそう言いながら、仁王も部室を出た。

「切原君、あなたも遅れないように。では」
「じゃあ、また明日な」

そう言い残して、二人は軽く手を上げ、帰って行った。

「はい、さようなら!」
「さいならっす〜」

と切原は、去って行く二人を見送って、また向き合う。

「……七時には、練習開始なのね」
「そ。仁王先輩の言うとーり。五分前には準備終わってねーと真田副部長に『たるんどる!』って言われんぜ」

そう言って、切原は悪戯っぽく笑う。彼の言い方が面白くて、もまたつられるように笑みを零した。

「わかった、ありがと。じゃあ、また明日ね」

彼に手を振り、部室から去ろうとしたその時――の頭の中に、ふとある考えが浮かんだ。
歩みを進めていた足を二、三歩戻し、はもう一度切原の顔を覗き込む。

「……ねえ、切原君。切原君って、どっち方面に帰るの?」
「俺? 俺は駅方面のバスだけど」
「ほんと? あのね、実は私今そこでと会ってね。一緒に帰ることにしたんだけど、私たちも駅方面なのね。もし良か……」

そこまでで、の言いたいことがわかったのだろう。
切原は、すごい勢いでに食いつくように身を乗り出した。

「おう、帰る帰る! てーかむしろ頼む!!」

そう言って、切原は目を輝かせる。
今日のお礼のつもりで、彼の協力になればと思ったのだが――正直ここまで喜んでくれるとは思わなかった。彼の勢いに驚きながらも、その輝くような表情に、は自分までなんだか嬉しくなる。

「オッケー」

くすくす笑って、は頷いた。

「じゃあすぐ鞄取って来るわ、ちょっと待っててくれな」

そう言うと、切原は慌てて部室の中に戻っていく。そして、中から勢いよくロッカーが開け閉めされる音が聞こえたかと思うと、次の瞬間響いたのは、真田の怒声だった。

「赤也! 備品を乱暴に扱うなといつも言っておろうが!!」

その声に驚いて、は思わず開け放たれたままのドアからちらりと中を覗いてしまった。すると、制服に着替え終え、帰る準備をしていた真田の姿が目に入る。
――の心臓が、とくんと鳴った。

「このロッカーはお前の物ではなく、あくまでも備品を貸し出しているだけだと何度言ったら分かるんだ! もっと丁寧に扱わんか、たわけが!!」

しかし切原は、真田の説教などどこ吹く風だ。

「すんません、じゃ、お疲れっス!!」

叫ぶようにそう言って、すぐに部室の入り口の方へと走り出した。

「こら、赤也!」

再度怒声を発しながら、その切原を目で追う真田もまた、部室の入り口に目を向ける。そして、と真田は目が合った。
内心はひどく慌てたが、極力平静を装って、会釈するように軽く頭を下げる。

「お、お疲れ様でした」
「ああ、か。また明日な」

――また、明日。
彼が返してくれたそんな他愛ない言葉が何故かものすごく嬉しく感じてしまって、の心臓の速度が、また増した。心なしか顔も赤くなっているような気がして、それが彼に悟られないように、今度は深深と頭を下げる。

、行こうぜ!」

切原の声が聞こえて顔を上げると、いつの間にか、嬉しそうな顔をした彼が自分の目の前に立っていた。
思わずがドアの前をどくと、切原は勢いよく外へと飛び出した。

「先行ってるぜ!」
「あ、待って切原君!」

そう言っては切原を追いかけようとしたが、はっと気付いてもう一度部室の中に顔を向け、中に残っていた真田や柳に、再度深深と頭を下げる。
そして今度こそ、切原の後を追いかけた。


道の途中で、は切原に追いつき、二人は歩調を合わせる。

「もう、切原君……楽しみなのはわかるけど、ちょっとくらい待ってよね」

そう言うと、は呆れたように溜息をついた。

「あ、悪かったな。お前ももっと副部長と話したかったか?」
「そ、そんなんじゃないってば」

彼の言葉に少し頬を染めながら、は口を尖らせる。そんなの反応に、切原はからかうようににいっと笑った。
それに気付いて、はまた「もう」と溜息を吐く。

「それにしても、いきなりと一緒に帰れるなんてなー!! さんきゅーな、。やっぱお前に正直に話して良かったわ!」

そう言って笑う切原の横顔を、は微笑ましそうに見つめる。

「協力って、こういうことでいいの?」
「ああ、もー充分!! ほんと、サンキュ! また俺も何か協力すっからな!」

彼の「協力」という言葉に、はどきっとして頬を染める。しかし、彼のその好意を明確に受け入ることも辞退することもできないまま、は曖昧に苦笑してお茶を濁した。
そして、二人はの待つ正門へと速足で向かった。



、お待たせ!!」

は、正門で待っていた親友を目に留めると、笑顔で声を掛けた。

「あ、! お疲れ……え、切原君?」

振り返ったは、思いがけないクラスメイトの姿に一瞬だけ驚いた表情をする。その反応にどきっとして、はフォローするように言葉を付け加えた。

「あの、切原君も駅の方に向かうバスに乗るんだって。だから、ね」
、俺も一緒でもいい?」

自分を指さしながら、切原は無邪気に笑う。そんな彼に、も笑顔で頷いた。

「そうなんだ。うん、いいよ。みんなで帰った方が楽しいしね」

の答えを聞いた途端、切原の顔が更に嬉しそうにほころぶ。そんな彼の様子に、彼の想いを知っているもまた、なんだか嬉しくなって笑みが零れた。

(良かったね、切原君)

心の中で切原に声を掛けながら、は目線を親友に移した。は特にこの状況に疑問を持つ様子もなく、笑顔で切原とお喋りをしている。

(やっぱり、って切原君のこと悪くは思ってないよね。……むしろ、脈ありなんじゃないのかな)

ちらちらと二人の顔を見る。楽しそうに話している二人の姿を見ていると、なんとなく自分も嬉しい。
この二人がうまくいけばいいなと、は笑った。

「何してるの、。行くよー!」
「あ、うん!!」

は慌てて返事をして、先を歩く二人に走って追いついた。

初稿:2006/08/05
改訂:2010/03/04
改訂:2024/10/24

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