――本当は、自分でもちょっとわからない部分がある。
真田先輩のこと、どう思ってるのか。
昨日先輩がテニスしている姿を見てすごいなって思ったのは本当で、先輩が笑いかけてくれたことや、今朝見た夢にドキドキしたのも確かだ。
だけど、私は真田先輩という人を昨日初めて知ったわけで。
しかも、たったテニス一試合分の真田先輩しか知らないのだ。
その後話はしたけれど、ほんの数分あるかないかのとても短い時間だった。
あれだけで、先輩という人を知れるわけがない。
すごい人という印象はある。
とても真面目な人だっていうのも判った。テニスに関しては、特に。
それから、きっとテニスプレイヤーとしては、かなりすごい部類に入るんだろうと思う。
今、真田先輩について分かっているのはこれだけだ。
これだけしか分からないのに、好きとか惚れたとかっていうのは、まだまだ早い気がする。
でも、なんなんだろう、この感じは。
何も考えないでいようと思っても、真田先輩のことを考えてしまってる自分がいる。
私、なんでこんなに真田先輩のことばっかり考えてるんだろう……?
いろんな思いが浮かんでは消えて、の心を波立たせていく。
おかげで、午前中の授業はさっぱり身に入らないまま時は過ぎ、あっという間に昼休みになった。
昼休みはいつも、とは教室でお弁当を食べている。
しかし、今日はの提案で日当たりのいい中庭で食べることにした。
ポカポカした春らしい陽気の中、少し心配そうな声でが口を開いたのは、お弁当を食べ始めて少し経ってからのことだった。
「ねえ、なんか今日、ちょっと元気なくない?」
は、の言葉に少し驚いた表情を見せ、弁当を食べていた手を止める。
そして、ややあってから、小さなため息をついた。
「……そう見える?」
「うん。授業中も、休み時間も、ずっとうわの空って感じだったしさ」
親友の言葉に思い当たりがないでもないは、無言で苦笑を浮かべた。
そんなを見て、は眉をひそめ少し何かを考えるように黙り込んでいたが、やがておもむろに口を開いた。
「あのさ、もしかしてなんだけど。昨日とか今朝とかに、私と切原君がのことからかったから……かな?」
親友のその言葉に、はどきっとして目を瞬かせる。
は申し訳なさそうに俯きながら、言葉を続けた。
「がむきになるのが面白くて、ついからかっちゃったけど……もしあれのせいでに嫌な思いさせてたんだったら、ごめん」
そう言って、は弁当を膝に置いたまま頭を垂れた。
「……」
――もしかして、朝からずっと、気にして様子を窺ってくれていたのだろうか。
自分の態度が親友に心配をかけさせる結果になってしまったのだと気付き、は逆に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ううん、私が元気ないのはのせいじゃないよ。気にしないで」
笑いながら軽く片手を振り、は言った。
その言葉に、が顔を上げる。
「でも……」
は、まだ気にするように表情を曇らせていた。
その表情から、本気で申し訳ないと思ってくれている気持ちや、心配してくれている心遣いが痛いほど伝わってくる。
は、のこんな素直で優しいところが大好きだった。
これ以上大切な親友に心配を掛けたくない――そう思って、は自分の今の素直な気持ちを吐露し始める。
「本当だってば。……まあ、全く関係がないって言えば嘘になるけどさ、それはきっかけっていうか……のせいで嫌な思いしてるとかじゃないからね、本当に」
「きっかけ、ってことは、やっぱり真田先輩のことで悩んでるの?」
間髪入れずに問い返されて、は言葉に詰まる。
確かにその通りなのだが、本当のことを言うのはやはり気恥ずかしかった。
けれど、もう中途半端に明かしてしまったのだし、ここで隠してもに更なる心配を掛けるだけだ。
は、今の自分の気持ちを正直に話してしまおうと決めた。
「……うん。そう、真田先輩のこと」
ほんのりと頬を染めながら小さな声で頷いて、気持ちを落ち着けるように息を吸う。
そして、はたどたどしく話を始めた。
「あのね、真田先輩のこと、惚れたとか好きとかじゃないの。それは本当。だって、昨日初めて真田先輩のこと知ったわけだしさ」
話したのだってほんの少しだしね、と付け加えて、は苦笑する。
そんなの話を、は真剣な眼差しで黙って聞いてくれていた。
「特別な意味で『好き』になれるほど、私はまだ真田先輩のことを知らないと思う。だけど、なんか気になるのも確かなんだよね」
は大きくため息をつき、言葉を続けた。
「だから、自分で自分がわからなくて。それで頭ん中ぐちゃぐちゃになっててさ」
「そっか……」
小さな相槌を打ち、はじっと何かを考え込む。そして、ややあってから顔を上げた。
「……、真田先輩のこと好きじゃないって言ったよね。でも、嫌いなわけじゃないよね?」
――嫌い。
その言葉に驚いて、は素っ頓狂な声で叫ぶ。
「そ、それはないない! あくまで、特別な『好き』じゃないだけ!」
惚れたとか恋したとか、そういった特別な「好き」は感じていないと思うけれど、だからと言って彼を「嫌い」と感じる要素など微塵もない。彼への印象をプラスとマイナスで判断するなら、勿論プラスの方が断然勝っている。
「すごい人だし、悪い人じゃないと思うし……。ていうか、いい人そうだなって思うよ。多分、だけど」
少し恥ずかしそうにが言うと、は更に問いを重ねた。
「じゃあ、好意的には思ってるんだよね」
その問いに、は少し困ったような顔をしたが、ややあってから俯いてこくりと首を縦に振った。
「……うん、まあ……」
その返事を受けて、確認するようにもまた頷く。
そして、俯くの顔を覗き込み、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、。それじゃあ、もっと真田先輩のこと、知ってみようよ」
そう言って、優しく笑いかけながら、は続ける。
「の中では、まだ真田先輩に関しての情報が少なすぎるんだよね。なのに気になるから、混乱しちゃってるわけでしょ。だったら、もうちょっと情報集めてみようよ。どんな人か分かれば、の気持ちだってもっとはっきりすると思うしさ。今はとりあえず、『なんかちょっとカッコイイ人』くらいに思ってたらいいんじゃないかな」
「……」
「は真面目だから、すぐに悩んじゃうんだよね。でももっと気楽に考えていいと思う。なんで考えちゃうのかとか、真田先輩をどう思ってるのかなんて悩むのは、先輩のこともっと知ってからでも遅くないよ」
そう言って、は笑った。
「……うん、そうだね。そうだよね。真田先輩のこと、もっと知ればいいんだよね」
少ない情報しか持っていないのに気になるから悩んでしまうのだ。
もっと彼のことを知ることが出来れば、また見方も心境も変わってくるかもしれない。
そう思った瞬間、は心が晴れた気がした。
「ありがとね、」
――心配をしてくれて、悩みも聞いてくれて、一生懸命考えて、答えてくれて。こんなに親身になってくれて、ありがとう。
やはりは最高の友達だと、は改めて思った。
「こちらこそ、ありがと。話してくれて」
そう言って、も笑った。
「これからも、なんでも話してね。真田先輩のことも、それ以外のことも」
「ん。も、何かあったら話してよね」
二人は、そう言ってまた笑い合う。そして、すっかり手が止まってしまっていたお弁当に再度手を伸ばした。
――その時だった。
「よっ、お二人さん!」
背後から思いがけない声が聞こえて、二人ははっと振り向く。
すると、そこには癖っ毛のクラスメイトが悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。
「きっ……切原君!!」
「切原君、どうしたの!?」
との驚いた声が重なる。
もしかして、との今の会話を彼に聞かれてしまっていたのだとしたら――そう思うと、さあっとの血の気が引いた。
「い、いつからそこにいたの!?」
「ちょっと前からな」
必死なとは対照的に、落ち着いた声で切原は言うと、二人の背後から正面側に回った。
そんな彼を目で追いながら、は恐る恐る問い掛ける。
「もしかして――聞いて、た?」
「ん? ああ、まあな」
にんまりと笑って、切原はあっさり首を縦に振る。
その返事を聞いた途端、は目の前が真っ暗になったような気がした。
(よりによって、切原君に聞かれた……)
今朝、切原にからかわれた記憶が蘇り、は頭を抱える。
――この話を、一番聞かれたくない人だったのに。
が落ち込んでいると、そんなの様子を察したのか、が少し咎めるような目で切原を見た。
「切原君、立ち聞きはよくないと思うけど」
「や、聞くつもりはなかったんだって! マジ!! 声かけるタイミングがつかめなくってさー」
切原は慌てて顔の前でパタパタと手を振り、先ほどとは一転して必死な口調になった。
そんな彼に、は大きなため息をついて言う。
「誰かに言いふらしたりしないでね。お願いだから」
その言葉に続けて、も顔を真っ赤にしながら、手を合わせて懇願する。
「お願い、切原くん!!」
切原はそんな二人の顔を交互に見ると、頭の後ろで両手を組み、口を尖らせた。
「俺、そんなにお喋りに見えるか? 心外だねぇ」
「うん、信じてるからね。切原君」
切原の目をじっと見詰め、微笑みながらは言う。
すると、彼は嬉しそうに笑い、「おう!」と指先で鼻を擦った。
「それにしても、今日は外で食べてたんだな。おかげで探しちまったぜ」
「探してたって……何か用事でもあったの?」
は切原にそう問い掛けながら、弁当の卵焼きを口に入れる。
まだ少し赤い顔をしているもまた、箸を口に運びつつ無言で切原を見上げた。
「ちょっとね。に、頼みたいことがあってさ」
は、口の中にあったものをごくんと飲み込んで、切原に尋ねた。
「私に? 一体何?」
不思議そうに見つめるの顔を、切原はじっと見つめる。
――そして。
「、テニス部のマネージャーやらね?」
そう言って、笑った。