BACK TOP

01:閃光−ひかり− 02

突然の切原の行動に、一瞬は目が点になる。
しかし、すぐに今の状況を――真田と二人きりにされたこの状況を認識し、はっと意識を取り戻す。

(ちょ……! 切原君、ー!! )

何を話したらいいのかすらわからないのに、真田と二人きりだなんて、どうしろというのだろう。
焦る気持ちがどんどん加速していく。

(き、切原君……もしかして本気で私が真田先輩のこと好きになっちゃったと思ってるんじゃ……)

先ほどの切原の言葉が脳裏に蘇り、の緊張は頂点に達した。

「アイツは全く騒々しいヤツだな」

隣にいた真田が呆れたような声で呟いたが、の耳には届いていない。
何を話せばいいのかという疑問が頭の中をグルグル周り、焦りと混乱での心はめちゃくちゃだった。
二人の間に少しの沈黙があり――ややあってから、先に言葉を発したのは真田だった。

「……赤也と同じクラスの……、といったか」

真田が自分の名前を呼んだ瞬間、思わず心臓が跳ねた。
そんな心境を一生懸命抑え、落ち着けと何度も言い聞かせながら、は返事をする。

「は、はい!」
「休日だというのに、わざわざクラスメイトの応援のために登校するとは、感心なことだな」
「いえ、今日は何も用事なかったですし! せっかく誘ってもらったので!!」
「そうか」

真田の声は、少し低くて、とても大人っぽい。切原も含めて、自分が知っている男子達とは、全く違うタイプの声だ。

(なんていうか、すごく落ち着いてて大人っぽい……)

がそんなことを思って何故かドキドキしている隣で、彼はその声で冷静に言葉を続ける。

「それにしても、赤也は落ち着きがなくてなっとらんな。……クラスでも、あのような感じなのか?」
「あ、はい……いつもあんな感じです」
「やはりか。……まあ、容易に想像できるな」

呆れたように言って、彼が溜息を吐く。
そしてまた、少しの沈黙が二人の間を流れた。

(私と二人きりになんかなっちゃって、真田先輩も困ってるんじゃ……)

そんなことを思いながら、は隣にいる彼の顔をそっと見上げる。
ぴんと背を伸ばした彼は、腕を組み、真っ直ぐな瞳で切原の去った方向を見つめていた。
その様子に、思わず胸がどくんと鳴る。

(うわ……背、高い……)

中学生にしては、きっと大分高い方だ。
それに、普段から鍛えているのだろう、体つきもとてもガッシリしている。
あんなにすごいプレイができるのだから、当たり前なのかもしれないけど。
そしてなにより、独特の雰囲気を纏っていて、なんだかとても――

(……かっこいい……かも……)

がそんなことを思った、その瞬間。
視線を感じたのか、ふと真田がの方を向いた。
彼の真っ直ぐな視線が、の視線と交錯する。

「……どうした?」

彼に問い掛けられた瞬間、の胸が今までよりずっと早く脈動し始めた。

「い……いえ! あの……」
「俺の顔に、何かついているのか?」

少し不審そうに見る真田の顔に、耐えられずは視線を逸らす。
しかし、なんとか声だけは振り絞ることができた。

「そ、そういうわけではないです……」

そこで、言葉が止まる。しかしここで止めてしまっては、真田の中で自分は変な人物として残るのではないだろうか。
それはなんだか嫌だと、は思った。

(な、何か言わないと……)

息を吸い、再度途切れ途切れには言葉を綴り始めた。

「あの、さっきの試合、ずっと見てまして、テニス部の人って、すごいんだなあと……あの……素人ながらに思ったりしたもので……どんな人なのかと……」

自分がなんとか言葉を発していることはわかる。しかし、ちゃんと意味のある言葉になっているのだろうか。自分では、それすらもうよくわからない。

「先輩の試合も、あの、見てたもので……」
「俺の試合も、見ていたのか」

真田が意外そうな声をあげる。慌てて頷き、は言葉を続けた。

「は、はい。一応、最初から最後までずっと見てましたから、最後の先輩の試合も見ていました」
「そうか。てっきり、赤也の試合だけを見に来たのかと思っていたが、俺の試合まで見ていてくれたとはな。……ありがとう」

――ありがとう。
とてもありふれた言葉なのに、どうして今、こんなに「嬉しい」と思ってしまったんだろう。

(……どうしたんだろう……これじゃ、まるで本当に……)

心臓がどんどん速度を上げる。自分の感情が、高鳴っているのが分かる。
一体自分はどうしちゃったんだろう、などと考えていると、彼が苦笑を浮かべ、口を開いた。

「しかし、今日はいろいろと調整しながらプレイしていたので、本気を出していなかったからな。……見ていて退屈したのではないか?」
「……えぇっ!?」

は、真田のその言葉に、驚かずにはいられなかった。
あの、の心に強烈な印象を残した圧倒的なプレイ――あれで、本気ではなかったというのだろうか。
驚いて目を見開きながら、は思わず真田に問いかけた。

「あれ、本気じゃなかったんですか?」
「ああ、パワーリストの重りもいつもよりかなり重くしていたからな」
「パワーリスト?」
「ああ、腕に巻いているこれだ。重りを中に入れることで負荷をかけられるようになっていてな」

自分の手首に巻いている、黒いリストバンドのようなものを見せながら、真田は続ける。

「通常の倍くらいの重りを入れていたから……まあ、大体普段の七……いや、六割程度といったところだろうか」

彼のその答えに、の驚きは更に大きくなった。

(あれで、六割……? 半分ちょっとくらいなの……?)

普通の人間が言えば、ハッタリとしか思えなさそうな言葉だ。
しかし、彼が言うとなんだかとても真実味があるような気がした。
それにしても、あれで全力ではないというなら、全力を出したらどんな試合を見せてくれるのだろう。
そう思うだけで、の心臓はどんどん高鳴っていく。
そんなの心中など知る由もなく、真田は苦笑して言葉を続けた。

「つまらないプレイを見せてしまったな」

つまらないなんて、そんなことは絶対にない。テニスに興味の欠片も無かった自分が、あの圧倒的な試合にどんなに釘付けになったか――。

「そんなこと……!」

が慌てて、彼の言葉を否定しようと首を振った、その時。

「弦一郎!」

再度、何処かから誰かの声がした。
すぐに真田はその声のした方向に首を向け、「蓮二か、どうした」と言葉を返す。
どうやら、「弦一郎」というのは彼の名前らしい。

(真田先輩って、名前、弦一郎って言うんだ)

今時珍しい、少し古めかしい名前だったけれど、彼にはなんとなく合っている気がする。
そんなことをが思っていると、真田を呼んだテニス部らしき男子生徒――真田に「蓮二」と呼ばれた彼が近寄ってきて、更に言葉を続けた。

「来週の練習内容について、相談したいことがある。ちょっと部室まで来てくれないか」
「わかった、今行く」

頷きながら言うと、真田は視線をに戻した。

「赤也が戻って来るまで待っているつもりだったのだが、仕方ない。すまないが、赤也が戻ってきたら、部室まで戻るように伝えてもらえるだろうか」
「は……はい!」

真田の頼みに、が大きく頷くと、真田もまた頷き返した。
そして。

「よろしく頼む。では、失礼する」

彼はそう言うと、踵を返して歩き始めた。
――行ってしまう。
そう思った瞬間、は、彼に無意識に声をかけていた。

「あ、あの!」
「……なんだ?」

の声に不思議そうな顔で振りむき、真田が足を止める。
しかしは、つい声を掛けてしまった自分の行動に、内心思い切り焦りを感じていた。

「あの……え、と……」

本当は、彼に伝えたかったのだ。
今日の真田の試合は、決してつまらなくなどなかったと。とてもすごくてドキドキして、目が離せなかったほどだと。
しかし、上手く言葉に出来なかった。
彼が自分を見つめていると思うだけで、何故か声が出ない。こんな経験は、生まれて初めてだった。

「えと……」

こちらをじっと見つめている、真田の視線が痛い。
とにかく何か言わなくてはと、は焦る。
しかし焦れば焦るほど、言葉にならない。

「用がないのなら、行くが……」

彼が、行ってしまう。
はもうどうなってもいいと思いながら、自分の中の勇気全てを振り絞り、彼に向かって叫ぶように言葉を発した。

「……つまらなくなんてなかったです! 先輩の試合、とてもすごかったです!!」

そのの言葉に、真田はほんの少しぴくりと目を見開いた。
しかし、それを気にする余裕もなく、は必死で続ける。

「本当に、すごかったです……今日、見に来て良かったとおもって……ます」

きっとすごい顔をしていると思った。
声も上擦ったし、聞き辛い、変な声になったかもしれない。
顔は熱いし、なんだか自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。

「……それだけです……すみません、呼び止めちゃって……」

最初の勢いは完全に失い、最後の方は、聞こえているかどうか怪しいくらい、弱弱しい、小さな声だった。

(……ダメだ……真田先輩、きっと変な子だと思ってる……)

の顔は真っ赤だった。もう、まともに正面を見ることも出来ない。
真田が怪訝そうな顔をしているのではないかと思うと、手が、足が、震えた。
――しかし。

「……ありがとう」

とても優しいトーンの、彼の声が聞こえた。
礼を言われるとは思ってもみなかったは、驚いて顔を上げる。
すると真田と目が合い、その瞬間――真田は、ふっと微笑んだ。
確かに、微笑んだのだ。

「ではな」

そう言い残し、今度こそ真田は行ってしまった。

◇◇◇◇◇

彼の姿が消え、ほどなくしてジュースを買いに行っていた二人が戻ってきた。

、お待たせ!」
「待たせたな、

笑顔で手を振りながら、が駆けて来る。続けて、ゆっくりと切原も歩み寄ってきた。

「あ……おかえり」

どこかまだぼうっとしながら、は二人を迎える。

「これ、の分ね」

切原が、手にしていたジュースのパックを差し出した。は、それを笑顔で受け取る。

「ありがと、切原君」
「ところで、真田副部長は?」

切原が口にした真田の名前に、の胸がトクンと鳴る。
そして、顔がほのかに紅潮したのが、自分でも分かった。

「あ……えと、テニス部の人に呼ばれて……行っちゃった……」
「ふーん、そーなんだ」

切原は呟くように相槌を打つと、の顔をまじまじと見つめた。
まるで何かを探ろうとしている表情に、思わずはどきっとして視線を逸らす。

「ところでさ、副部長と何か話したか?」
「うん、少しね」

彼の言葉に頷きながら、は彼がくれたジュースにストローを突き刺した。

「何話したんだ?」
「え……別に……大したことじゃないよ。今日の試合のこととか……本当にほんのちょっと話しただけだよ」

は何だか妙に恥ずかしくなって、ごまかすように切原がくれたジュースを口にする。
そんなの様子を見て、切原が意味深にニッと笑う。

「へぇ」

彼の表情に、はまるで自分の心の中を見透かされているような気分になった。
慌てて、は話題を変える。

「あ、そうだ。真田先輩、切原君に部室に戻れって言ってたよ。伝えてって頼まれたの。ちゃんと伝えたからね」

その言葉に、切原はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。

「ゲッ……。正直超だりぃだけど、次サボったら副部長に何されるかわかんねぇもんな……仕方ねーか」

大きなため息をつき、切原は自分のジュースに口をつける。
そして。

「仕方ねーから、俺、戻るわ。今日はありがとな、二人とも。じゃ、また明日な」

そう言うと、彼はジュースを飲んだまま、手を振って去っていった。
そんな切原を見送り、二人は顔を見合わせる。

「……私たちも帰ろっか、

そう言うと、はジュースを片手に歩き始めた。

「うん、そうだね」

も頷き、その後を追って歩き始める。
しかし、視線の片隅にコートが映り、は思わず足を止めた。

(……真田先輩、か……)

今日初めて知った人の名前を、心の中で呟く。
なんだかとても印象的な人だったと思いながら、は彼が居たテニスコートをじっと見つめた。

? 行くよ?」
「あ、うん!」

に声をかけられ、ははっと我に返る。
そして、二人はそのまま学校を後にした。

初稿:2006/04/05
改訂:2010/02/26
改訂:2024/10/24

BACK TOP