悪戯好きな3年の先輩たちとの会話を終え、たちは2年の応援席に戻る。
――しかし。
自分たちのクラスの応援席に足を踏み入れ、先ほど確保していた席の辺りに戻ろうとしたその途端、だった。

さん、さん!!」

名前を呼ばれ、が何事かと顔を上げる。
すると、二人はあっという間に同じクラスの女子達に取り囲まれた。

「良かったあ、戻ってきてくれたあ〜」

一人の女子が、すがるようにの肩を抱き締める。

「え?」
「な、なになに?」

事態がよくわからず、も目を瞬かせてみんなを見渡す。
女子たちは切原には用が無いようで、彼女らの視線は完全に二人に向いていた。

は困った顔で顔を見合わせ、首を捻る。
彼女らの顔を見ていると、人気のある先輩達と話していたことを責められるとか、そういった理由ではないようだが。

「ねえ、本当にどうしたの、みんな」

肩をぎゅっと抱き締めてきたクラスメイトの顔を覗き込み、が尋ねる。
すると――周りを取り囲んでいた女子のうちの一人が、懇願するように両手を合わせ、叫ぶように言った。

「あのね、お願い! さんでもさんでもいいから、どっちか借り人競争に出てくれない!?」

彼女の言葉に続くように、周りの子達が「お願い!!」と口々に言い、手を合わせる。

「え、なんで突然!?」

思いもよらない頼みごとに、は目を丸くして驚きを露にした。
一方、事態の把握がワンテンポ遅れたも、から少し遅れて「え!?」と声を上げる。

「なんで? 競技は事前に決めた分しか、出られないはずじゃあ……」
「うん、そうなんだけどさ。ついさっき、借り人競争に出る予定だった子が、おなか痛くなってちょっと出られる状態じゃなくなっちゃって……」
「ほら、棄権にしちゃうと点数入らないでしょ。誰でもいいから代わり立てなきゃいけないみたいなの。それで、二人のうちのどっちかにお願いしたんだけど」

クラスメイトの女の子たちは、眉をひそめて困ったように言う。
は、顔を見合わせた。

「事情はわかったけど、なんで私たちのどっちかなの?」
「そうだよ、はともかく、私なんかよりもっと足速い子いるのに」

自慢ではないが、の運動能力はそんなに長けているとは言えなかった。
そのため、今回の体育祭でも、「走る速さ」が要求されるような競技にはほとんど出ていないし、事前に出場競技を決める際には、出てくれと頼まれたりもしていない。
実際、こうやって取り囲んでいる女子の中には、よりも速い子はいっぱいいるというのに、何故自分達にお鉢が回ってきたのか、にはさっぱりわからなかった。
――すると。

「私ら、こんな『負けたら許さん』的な空気漂ってる中で、ちゃんと競技できる自信ないのよ〜!!」

女子のうちの一人が、すがるように叫んだ。
それを皮切りに、他の女子も口々に続ける。

「ビリにでもなろうもんなら、応援席に帰って来れないよ!」
「ほんと怖いもん、ムリムリ無理!!」

辺りから一斉に同じような声が聞こえ、たちはまた、顔を見合わせた。

「……そ、そう言われてもねえ……どうする? 

困ったように苦笑を浮かべ、に問い掛ける。

「どうするって……それを言ったら、私だってこの空気の中で競技する自信無いってば」

条件は同じだと思いながら、は恐る恐る言う。
しかし、すぐにそれはどこか必死なクラスメイトに反論された。

「でも、さんもさんも、3年生の有名どころの先輩たちと、仲いいでしょ!? ……もし1位になれなくても、許してもらえそうじゃん!」
「そうそう、応援団の丸井先輩とも仲いいし、生徒会役員の柳先輩とも仲いい分、他の応援団の人たちも責められなさそうだし!!」
「お願い!! 私たちそんな人脈ないし、ほんと無理なんだって!!」

クラスの女子ほぼ全員から拝み倒されるように頭を下げられ、完全に断れる雰囲気ではなくなってしまった。
は、困ったように苦笑しながら、に話し掛けた。

、どうしよう?」
「そうだねー仕方ないか。みんなの気持ちはわかるしね」

息を吐き、と向き合う。
そして、の肩をぽんと叩き、笑顔で言い放った。

「よし、頑張れ! 応援するからね!!」

彼女のその言葉に、の表情が固まる。
そして――清清しいほど晴れた青空に、の大絶叫が響いた。

「ええええええ、私決定!?? な、なんでー!?」
「参加種目数、アンタいくつだっけ?」

慌てるとは対照的に、冷静には尋ねる。
その問いに、は言い辛そうに答えた。

「え、えっと、2つ……」
「はい、私4つね。それにそのうちのリレーがまだ終わってないし、体力温存しときたいのね。……どっちが出るべきかは、一目瞭然じゃない?」

にっこり笑って、は再度の肩を叩いた。
そう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。

「ワカリマシタ……」

ぐったりと肩を落として、は小さな声で頷いた。

「ありがとう、さん! 早速本部に報告してくるから!!」
「頑張って、2−D全力で応援するし!! それに、もし駄目でも私たちは絶対にさんを責めたりしないから!!」

安堵の声、励ます声、応援する声、嬉しそうな声――周囲には様々な声が響き渡っていたけれど、には、それらの全てがどこか遠くに聞こえた。





――どうしてこんなことになったのだろう。

スタートラインの側で待機しながら、は答えの無い自問自答を繰り返す。
自慢ではないが、間違っても自分は体育祭で活躍するタイプの人間ではない。
だから今年も、玉入れとか、二人三脚といったような、午前中にある、あまり目立たない競技を選んだのだ。
なのに、こんな勝負の行方を左右するような時間帯の競技に出る羽目になるなんて――今年の体育祭は、本当についていない。

(せ、せめて、半分より上には入れればいいな……)

そんな甘いことを考えながら、は自分の隣に一直線に並んでいる、同じレースを走る選手たちの顔を見渡した。
やはり、午後の競技というだけあって、各クラスとも足の速そうな子を固めてきているようだ。
どう考えても、自分は見劣りしてしまう。

(やっぱ半分より上も無理かも……せ、せめて不恰好なレースだけはしないようにしよう)

クラスの皆や、応援団の人たちだって、せっかく応援してくれるのだ。
順位は低くても、せめて、その応援に恥じないような態度で臨みたい。
――それに、そういえば敵チームとはいえ、真田だって見ているのだ。
応援はしてもらえなくとも、成績は残せなくとも、全力で頑張っているところを見てもらって、やっぱり好きになったのが彼女で良かったと、思ってもらいたい。

(よし!頑張るぞー!!)

ぎゅっと両手を握り締めて、はやる気を篭める。
いつでも全力――それだけしかとりえが無いのだから、せめてそのとりえだけでも発揮して帰ろう。

が決意を新たにして、顔を上げたその時。
借り人競争の係りに当たっている体育委員の生徒が、並んでいる選手たちに向かって大声を上げた。

「それじゃー、わかってると思いますけど、一応ルールの説明をしまーす!」

元気よく、彼は説明を続けた。

ピストルの合図でスタートし、中間地点まで走る。
中間地点に紙がばら撒いてあるので、それを1枚取って、その紙に書かれている条件にぴったり合った人を連れて、その人とともにトラック半周し、ゴールへ向かうこと。
連れてくる人は、生徒でも先生でも見にきている保護者父兄でも誰でも構わない。
指定されている条件と明らかに違う場合――例えば、女子と指定があるのに男子を連れて行った場合などは、ゴールしても無効になる。
また、指定の紙を無くしても同じく失格扱いになるので、注意すること。

要点を簡潔に説明し、彼は「ご清聴ありがとうございました!」と言い残すと、ピストルを持ってスタート地点についた。
いよいよ、レースが始まるのだ。

第一レースの走者が、ライン上に並ぶ。
――そして。

『それでは、プログラムナンバー23番、借り人競争スタートです!』

場内放送が響き渡り、闘争心溢れるような速いテンポの曲が流れ始めると、辺りの空気が一転する。
張り詰めたような空気の中、高々と上げられたピストルから、第一走者スタートの合図が撃ち上げられた。

レースが始まり、第一走者が風のように走ってゆく。
はその姿を目で追い、頭の中で自分の時のシミュレーションを行いながら、彼らの姿を見守った。

(あそこで紙を拾って探すんだよね……って、うわ、あの人すごい! 条件に合う人、すぐに見つけたんだ)

が目で追っていた選手は、紙を拾うとすぐに近くの応援席に駆けて行った。
他の選手たちが迷っているうちに、彼は条件に合った人を見つけ出し、もうゴールへと走りだしている。

(そっか、借り人競争って、条件に合う人をいかに早く見つけ出すかが鍵なんだ! それなら、私にも勝機はあるかも……!!)

閃いたように、はぽんと両手を合わせた。
そうだ、それなら今のうちに条件に出てきそうな人を、一人でも多く見つけておいたらいいかもしれない。

どんな条件が書かれているのかは見当もつかないが、今のうちに一人でも多くの人を見ておこう。
は、トラックの中央で、ひたすら回りを見渡した。

髪の長い子、眼鏡をかけてる人、ポニーテールの子。
帽子を被っている人――そう思った瞬間、脳裏に真田の姿が浮かんだが、はすぐに首を振ってそのイメージを四散させた。

(ていうか、今日は先輩、応援団だから帽子被ってないし!)

自分で自分に突っ込みを入れて、は人差し指で頬を掻く。
こんな時でも真田のことを考えてしまう自分に少し情けなくなりながら、はまた辺りを見渡した。

やがて、の番が近づいてきた。
前の走者たちがスタートし、たちがスタート地点につくように指示される。

「前の人たちが全員ゴールしてからのスタートになりますから。ちょっと待ってて下さいね」

ピストルを持った係りの人の説明に頷き、はゴールの方を見る。
レースは、かなり盛り上がりを見せていた。
この後残された競技はもう数少ないので、ここでの得点は非常に重要であり、盛り上がるのも当然と言えば当然なのだが。

『第3コースの赤組の選手、ただいま3位でゴールです!』

場内放送の実況担当の生徒が、マイクを持ってゴールした選手たちに近づいていく。
そして、ゴールしたばかりの選手の持っている紙を受け取り、読み上げた。

『……ええと、指定は笑顔の優しい人、ですね。すみません、ちょっと笑ってもらえますか〜? うん、最高の笑顔ですね〜合格でーす』

実況の生徒がおどけた様子でそう言うと、場内がどっと湧いた。

(え、そういう条件もあるの!?)

は思わず目を見開いた。
指定される内容は、客観的に見てわかるような条件だけだと思っていたのに。

(どうしよう、ちょっと考えてたようなのと違ったかも……!!)

予想外の状態に、の頭はパニックに陥る。
しかし、時は待ってはくれなかった。

「それじゃー次のレーススタートしまーす」

係の人の声が響き渡り、は慌ててスタートラインにつく。

――そして。
目の醒めるような青空とものすごい熱気の中、軽快なピストルの音が高らかに響いた。