体育行事に力を入れている立海大附属中学。
その中でも、本日行われている「体育祭」は、体育系行事の中では一番の中心行事である。
全校生徒が赤白2チームに分かれ、各組の団長を中心に全力で戦うのだが、「優勝」に拘るその心意気は、どちらのチームも勝るとも劣らない。
代々受け継がれてきた優勝旗を手にするために、誰もが全力を尽くすのが立海大附属中学体育祭の姿であった。

ロミオとジュリエット


昼ごはんも終わり、体育祭も佳境に入ってきた。

「白組ふぁい、おー!!」

白組応援席にいたは、大声を張り上げ、応援団の掛け声にあわせて必死に手を叩いていた。
すると、背後に人の気配がして、ゆっくり振り返る。
そこには、競技を終えて戻ってきた、同じ白組のと切原が立っていた。

「ただいまー
「はー、疲れたー!!」

先ほど短距離走でそれぞれ見事1位を獲得した二人は、そう言って額にかいた汗を軽く拭った。

「二人ともお帰り〜!お疲れ様!!」

は、自分の側に置いておいた荷物を片付け、二人分の場所を空ける。
応援の時に座る席は、大体はクラス毎に区画されていたが、細かく席が決められているわけではない。
場所はしっかり確保しておかないとすぐに誰かが座ってしまうので、二人が帰ってきてもすぐに座れるようにと、は自分の側に二人の席を確保しておいたのだ。

「ありがと、

にこっと笑って、の側に腰を下ろすと、切原もその隣に続く。
そして、持っていたペットボトルに口をつけ、一気に飲み干した二人を、は微笑ましそうに見つめた。

「ほんとお疲れ様、二人とも。1位おめでと! 応援席、すごく盛り上がってたよ」
「1位くらい当たり前だって!」

ペットボトルのキャップを締めながら、切原はへへっと笑う。
そんな彼を横目に、が大きな溜息をついた。

「そりゃあ、赤也は足速いし体力あるからチョロイかもしんないけどね。私は死ぬ思いだったんだから……」
んとこは、足速い子集まってたもんね」
「そうよ、なんで運動部の子とかの中に、しがない美術部の私なんかが放りこまれてんのよ。あれはないわ」

そう言って、はまた大きな溜息をつき、足を抱える。
は、そんなの顔を笑顔で覗き込む。

って文化系の部にしては足速いもん。リレー選手に選ばれるくらいだしさ、しょーがないよ。それに、結局1位取ってるし。すごいじゃん」

の言葉に、は少し照れたように笑う。
そんな親友を可愛らしく思いながら、はぽんぽんと背中を軽く叩いた。

「あと、リレー残ってるんでしょ。それまでゆっくり休んでなよ」
「うん、ありがと、

がにこりと笑い合った、その時――わあっと周囲が湧いた。
得点ボードの入れ替えが行われたのだ。

赤組は、1038点。
対して、たちの白組は――982点。

歓声が響き渡った赤組応援席とは対照的に、白組応援席のあちこちから、重苦しい溜息の音が漏れる。

「まだ追いつけねーか。せっかく俺達が1位取ったのによー」

切原が悔しそうに舌打ちをすると、もまた、ふう、と大きく息を吐いた。

「うん、もしかしたらこれで追いつくんじゃないかって思ったけどね。今年の赤組、やっぱ強いなー」
「引っ繰り返せねー点差じゃねーのにな」

二人の会話を小耳に挟みながら、はまた得点ボードを見上げる。
開催前から、今年は陸上部部長やテニス部副部長、サッカー部のエースなどを抱えている赤組優位と噂されていたが、やはりその下馬評通りだった。
今日は午前の部からずっと一定の点差を保ったまま赤組が白組を抑えており、白組が赤組を上回ったことは一度たりとも無い。
おかげで、白組陣営は少々ぴりぴりとしており、1年生などは怯えている子もいるくらいだ。
幸いと言おうか、参加予定の全ての競技を午前中に終えていたは、今はもう自軍の応援のみに力を注げば良かったので、この空気の中でも少しは気が楽だったのだが。

「うん。強いねえ、赤組」

はぼそりと呟いて、視線を思わず赤組応援席のほうに向ける。
しかし――その瞬間目の端に過ぎった「あの姿」に心臓がどくんと鳴り、慌ててその視線を戻した。

(……だ、ダメだってば、あっちは見ちゃいけないの!)

自分にそう言い聞かせても、目にした「あの姿」は、の心臓を加速させるには抜群の効き目だ。
顔はどんどん熱くなり、心臓はドキドキと速さを増していく。
は、体育座りのまま、自分を落ち着けるように一生懸命顔を膝に埋めた。

「何してんの、

ふと隣から訝しむような声が聞こえて、ははっと顔を上げる。
すると、や切原が自分を覗き込んでいるのが見えて、は目を瞬かせた。

「え、あの、……はは、ほ、本当に強いね、赤組」

そう言って、はまだ熱いままの顔で、ははっと笑う。
――しかし。

「なんかお前がソレ言ってもな。なんだかなーって感じだよなー」

意味深な言い方をして、切原がにいっと笑みを浮かべた。
それに続けて、もまたからかうように笑う。

は別に赤組が勝ってもいいもんねー」

ねえ、と二人は顔を見合わせる。
そんな二人の言葉に、は「またか」とむっと口を尖らせた。

「もう、またそれ言うの!? そんなこと無いってずっと言ってるでしょ!」
「無理すんなって。本当はお前、副部長のいる赤組になりたかったくせに」
「ねー。しかも真田先輩、赤組の応援団長やってるんだもんね」

そう言って、切原とはからかうように笑い合う。
わざとらしい言い方に、の顔がまた一層熱くなった。

――そう。
体育祭の花形とも言える応援団――その中でも一番目立つ応援団の長を、今年は誰でもない真田が務めているのだ。
がなるべく赤組応援団席を見ないようにしていたのは、それが理由だったのである。

ブレザー制服のこの立海大附属中では、絶対に拝むことの出来ない黒の長い学ランを身にまとい、真っ白な手袋を着けて、チームカラーの真っ赤な長いハチマキを風にたなびかせている彼は、文句のつけようが無いほど絵になっていた。
ちらりと見るだけでも胸が高鳴り、すぐに直視できなくなってしまうが、やはり気になってチラチラ見てしまって――どうしても挙動不審になってしまう。
「目の毒」という言葉がこれほど合う光景もないかもしれないと思うほど、にとっては、彼の応援団姿は刺激的だった。
少しでも視界に入れてしまうと全く何も考えられなくなってしまうので、はひたすら見ないように努めていたのだ。
どうせ後で学校新聞などに写真が載るだろうから、それで堪能すればいいと言い聞かせて。

「……二人とも、人の苦労も知らないで……」
「はは、ごめんごめん。でも、正直なトコ、赤組が勝ったっていいって思ってるでしょ?」

そう言って、はくすくす笑う。

「もう! 私だって白組が勝って欲しいって思ってるよ!!」
「お、いいのか? 赤組が負けたら、応援団長の真田副部長は責任追及されるかもだぜ」

切原の言葉に、はうっと言葉に詰まった。
せっかくの年1回の体育祭、勝ちたいという気持ちは嘘ではないけれど、彼が責められる姿はあまり見たくない。
しかし、自分だってそれなりに負けたくないという気持ちはあるし――でも、彼が負けてしまったら、例え周りから責められなかったとしても、応援団長という立場上、彼は自分がふがいないせいだと思いかねない。

勝ちたい。けれど、彼が負ける姿も見たくない――
頭が混乱してきて、は頭を抱えた。

(もう、そもそもなんで先輩と違う組になっちゃったんだろう……)

それは、組み分けが発表されてから、何度も何度も考えたことだった。
今年の春先に1つ年上の3年生の彼と知り合ったので、今回が中学時代最初で最後の一緒の体育祭だったのに。
応援団長だから話す暇などないにせよ、堂々と先頭に立つ彼を見つめながら、彼が率いるチームで、一緒の気持ちで戦えたなら、どんなに嬉しかっただろう。

とはいえ、クラス別に分けられるので、完全に「運」であり、自分の力ではどうしようもないことだ。
何度も仕方が無いと言い聞かせたはずなのに、それでもこうやって考えてしまうなんて、なんて自分は諦めが悪いんだろう。
は、大きな溜息を吐き、無意識にまた赤組の方を覗き見る。
その瞬間、小さく映った彼の姿に、再度胸がドキッとした。

(……何やってるんだろ、私……)

自分の行動がものすごく間抜けに思えて、情けない。
しかし、彼の応援団姿はかっこよくて、彼が負ける姿もやはり見たくはないと思ってしまった。

(ひ、引き分けが一番いいのかも……)

「ん? 引き分けだってぇ?」

ふいに、頭上で切原のものでものものでもない声がした。
がはっとして顔を上げると、学ラン姿の丸井が目に飛び込んできた。
達は、驚いて目を見開く。

「わ、ま、丸井先輩!!なんでこんなところに!?」
「丸井センパイ、応援団でしょ。こんなとこで何やってんすか?」
「お前達がちゃんと声出してるか、チェックしに来てやったんだよ。感謝しろぃ」

そう言って、丸井は人懐っこい笑みを浮かべ、ガムを膨らませる。
丸井はたちと同じ白組で、彼もまた、白組の方ではあったが応援団に所属していたのだ。
ただでさえ丸井はテニス部レギュラーの中でも人気があり、普通にそこにいるだけでも注目を集めるのに――そんな格好でこんな2年生の応援席まで入り込んできていたら、いやでも注目を集めてしまう。
視線を集めているのを感じて、たちはとりあえず応援席から出た。

応援席の後方で、4人は話を再開した。
ここでもある程度の視線は集めてしまうが、2年生の応援席のど真ん中よりはマシというものだ。

「お前ら、ちゃんと声だしてんのか? 負けてるからって怠けてねーだろーな」

丸井の問い掛けに、と切原が笑顔で応える。

「ちゃんと出してますって」
「はい、白組がんばれーって、思いっきり力を込めて叫んでますから」
「よっしゃ、お前達は合格だ」

腰に手を当てて満足そうに頷き、丸井は言う。
――しかし。
次の瞬間、丸井は膨らませたガムをパチンと弾けさせると、「でも」と呟きの顔を覗き込んだ。

は、ダメダメだな」
「えー!!? なんでですか!?」

その言葉に、は思わず声を上げる。
声の大きさに関しては、誰にも負けないくらい出しているつもりなのに――

「私、ちゃんと出してますよ、声!!」
「声は出てても、お前の場合、気持ちがアウトだろぃ」

の反論に、丸井は冷静に言い返してまたガムを膨らませた。

「気持ちって……」
は、心の中では赤組応援してンだろ」

そう言って、丸井はニッと笑っての顔を指差した。
はっきりとは言わないが、丸井もまた、暗に真田のことでからかっているのだろう。
むっとして、は頬を膨らませる。

「そんなことないですよ! 私だって白組勝てばいいなーって……」

「じゃあ、さっき『引き分け』とか言ってたのはなんだったんだよ」

丸井の言葉に、の心臓がどくんと鳴る。
どうやら、心の中で呟いたと思っていた言葉は、うっかり口からも漏れていたらしい。

「……や、あの、それは……」
「ほーれみろ。アウトだアウト! 裏切り者ー」

にやにやと笑い、丸井は囃し立てるように言う。
そして、や切原までもが面白がって彼に続いた。

の裏切り者ー」
「裏切り者ー」
「そ、そんなことないもん!私だって、白が勝てばいいなって思ってるもん!!」

顔を真っ赤にしながら、はむきになって声を荒げる。
すると。

「ほう、弦一郎があちらにいてもか?」
「無理せんでええよ、

また新たな声が聞こえて、そちらを向くと――今度は柳と仁王が現れた。
彼らは応援団には所属していないが、同じ白組である。
大方丸井の姿が目に入り、その側にからかえそうなたちもいたので、退屈しのぎに会話に混ざりにきたのだろう。

「もう、柳先輩に仁王先輩まで……いい加減にしてください!」

訴えるように言いながら、は熱くなった顔で口を尖らせる。
そんなを見て、3人の先輩は声を上げて笑った。

「しかし、正直なところ赤組だったら良かったと思っているだろう?」
「真田の側の方が嬉しかっただろぃ?」

そう言って、柳と丸井がの顔を覗き込む。
二人の先輩の問い掛けに、は全力で首を振る。

「そんなことないですってば!」

必死で否定するに、今度は仁王がにやっと笑った。

「ほーお。じゃあ、真田のあの応援団長のカッコを見ても、はどうにも思わんのか?」

そう言って、仁王はの肩を掴み、真田がいる方向に向ける。
途端に彼の姿が目に入り、また胸がドキッとした。

「ど、どうにもって……なんとも、お、思いませんけど」

そう口では言ってみるものの、顔がどんどん熱くなる。
瞬きが多くなって、視線を思わず逸らしてしまった。

、脈が速くなっているのではないか?」
「ほれほれ、もっとじっくり見てみろぃ!」

冷静な柳の声に、茶化すように言う丸井。
は、完全に3人の先輩達のおもちゃになってしまっていた。
恥ずかしさが頂点に達して、はとうとう爆発する。

「もう、先輩たち!! いい加減にしてください!!!」

――すると。

「先輩たち、その辺でそろそろ許してやってくださいね」

側にいたが、苦笑して助け舟を出した。
その声に、3人の悪戯好きの先輩達は、顔を見合わせてくくっと笑う。

「はは、そうじゃの。お前さんにこんなことしたなんて、真田にばれたら殺されるダニ」

そう言って仁王がから手を離すと、は頬を膨らませて仁王を睨んだ。

「おお、怖いのぉ。退散じゃ」
「退散退散!」

けらけら笑って、仁王と丸井が去って行く。

「先輩達の、意地悪!」

べーっと舌を出して、がその二人を見送る。
すると、まだその場にいた柳が、くすりと笑った。

「……柳先輩も、『意地悪』ですからね」
「はは、俺もか」
「そうですよ。柳先輩だって、からかったじゃないですか」

が口を尖らせると、柳はまた、くすくすと笑う。

「それはすまなかったな。でも、元はといえば、お前が分かり易いのが悪いとも言えるぞ。弦一郎のあの姿に、本気で参ってしまっているだろう」
「う、そ、それは……」

――違う、とは言えなかった。

「だって、しょうがないじゃないですか……」

小さな声でなんとかそれだけを言ったを見て、柳はぽんぽんと頭を優しく叩く。

「正直で可愛いな、お前は。褒美に、いいことを教えてやろう」

そう言うと、柳は少し背をかがめて、の耳の近くに口を寄せた。

「先ほど、昼休憩の際に精市から聞いたんだが――弦一郎も、お前と同じ組になれなかったことを悔しがっていたそうだぞ」
「え……そ、そうなんですか?」

思わず、の頬がほんのりと赤く染まった。
柳は、くくっと笑って頷く。

「ああ。何せ応援団長という立場上、敵対する組のお前が競技に出ていても、応援は勿論、目で追うことも許されないだろう?お前が競技に出るたびに、思い切り複雑そうな顔をするもので、とてもからかいがいがあると精市が笑っていたよ」

微笑ましそうに言う柳の言葉に、の心臓が高鳴りを増した。

――どうしよう。……嬉しい。

「良かったじゃん、
「副部長らしいよな」

話を聞いていたと切原が、ぽんとの背中を叩く。
にいっと笑う二人を見つめ、はまた恥ずかしそうに――でもどこか嬉しそうに、頬を染めた。

「ところで、もうお前たちは競技には出ないのか?」
「あ、私はもう終わりです。午前中に全部終わっちゃった。と切原君は、まだあるよね」
「うん、私はもうひとつ、リレーが残ってます」
「俺も最後にリレーあるっすよ」

たちは、口々に応える。
そんな後輩たちに、「そうか、頑張れよ」と笑って返すと、「では」と軽く手を振って、柳は3年の応援席に消えていった。