書道展を後にし、二人はそのまま近くのファーストフード店に入った。
軽く食事を取りながら、たくさんのおしゃべりをする。
大会の話、部活の話、私生活の話。
付き合い始めてからも、大会練習などのお陰でこんな時間はあまり取ったことが無く、二人にとってはそれだけで新鮮だった。

しかし、小一時間ほど話していたところで、店が混みだして来た事に気付いた。
余り長々と居座るのは迷惑だろうかと、二人は店を後にする。

「どうする? 電車の時間を考えてもまだもう少し時間はあるが……用事は終わってしまったな」
「……でも、まだお別れするのは嫌ですよ」

照れたように顔を赤く染めながら言い、それをごまかすように彼女はふふっと笑う。
そんな彼女が可愛らし過ぎて、思わず真田は視線を逸らした。

「……う、うむ。俺もまだ……別れたいとは思わん」

らしくないほど小さな声で呟いて、真田は帽子のつばを目深に下げた。
彼女に聞こえただろうかと不安になったけれど、ちらりと視線をにやると、彼女の頬が更に赤くなっていたので、多分聞こえたのだろう。
ほっとしたような、恥ずかしいような気分になりながら、真田はごほんと咳払いをした。

「と、とりあえず、一度地元に戻るか?」
「そうですね、東京に居てもしょうがない気はしますね」

そう言いながら、二人は駅へと続く、住宅街らしき道を歩いていた。
――その時。

「あー、立海大の真田さん! しかも彼女連れ!!」

頭上から、大きな声が降って来た。
一体何事かと2人が足を止めて見上げると、歩いていた歩道の右手に伸びる石段の最上部に、人影が見えた。
どこかで見たような顔だと、真田は目を瞬かせる。

「先輩、あれって確か、青学の……」
「ああ、確か青学二年の――」

二人が記憶を辿ってその声の主の名前を思い出そうとしていると、声の主の周りが更ににぎやかになった。

「真田クン? どこどこ?」
「あぁん、真田だと?」
「真田が彼女連れだって?」

そう言って現れたどの顔も、見たことのある顔ばかりだった。
最初の声の主は、青学二年の桃城。
あのオレンジ頭は、山吹中の千石。
そして氷帝の跡部に不動峰の橘。
更に、桃城が後ろを向いて誰かに声をかけているところを見ると、他にもきっとまだ誰かいるのだろう。

「……この辺りは、あいつらの生活圏だったのか……」

予想外の出来事に呆気にとられながら、真田は誰に言うでもなく呟く。
そんな真田の様子に気付きもせず、山吹中の千石清純が、こちらに向かって笑顔で手を振った。

「真田クン、今からみんなでストリートテニスやるんだけど、一緒にやらない? 勿論、そっちの可愛いお嬢さんも一緒にね」
「ストリートテニス? 今日は俺はラケットを持っていないぞ!」

石段の上の彼に向かって、真田が叫ぶ。
テニスをする予定は全く無かったから、当然ながらラケットなど所持してはいなかったのだ。
しかし、千石は軽い調子で笑って叫び返してきた。

「それくらい貸してあげるって! ただのお遊びなんだし、真田クンなら人のでも大丈夫でしょ〜?」

その言葉に、真田はむう、と声を上げる。
ストリートテニスをするのはいい。
しかし、彼らには既に少し前の合同合宿で、との仲の事を知られていた。
二人で居るところを見られてしまったのだから、どうせきっと冷やかされたりするのだろうと思うと、自然と眉間に皺が寄ってしまう。

「ううむ……しかし……」

思い悩むようにぶつぶつと呟く。
しかし真田は、テニスに関しては殊更負けず嫌いだった。
冷やかされるのも不快ではあるが、このまま帰ったとして、彼らに逃げたと思われるのはもっと腹立たしい。

「先輩、どうしますか?」
「逃げると思われるのは癪だ。すまんが、一勝負してきても構わないか?」

ぎらりと目を光らせながら、真田は言う。
そんな真田を見つめ、は微笑ましそうにくすりと笑うと、首を縦に振った。

「はい、勿論私は構いませんよ」
「そうか、すまんな」

そんな言葉を2、3交し合い、2人は石段に足を向けた。


石段を登った先にあったストリートテニス場は、思ったよりもずっと綺麗なコートだった。
コートが1面あり、その周りを、見知った顔の者が数名、ぐるりと取り囲んでいる。
先ほど目にした桃城たちのほかにも、青春学園の越前もいた。
もう1人、女生徒がいるが――あれは確か、不動峰の橘の妹だっただろうか。

「お前達が、休日に落ち合って仲良くテニスをするような仲だとは知らなかったな」

少し皮肉めいた言い方で、真田が言う。
すると、仲が良いと思われるのが心外だとでも言わんばかりに、跡部がその表情を歪めた。

「あぁん? 偶然だ、偶然。俺もお前と一緒で、たまたま通りがかったところを捕まったクチだ」
「最初にこのコートを使っていたのは俺と妹だったんだがな。青学の桃城と越前が来て、その後で千石が来て、最後に跡部が通りがかったわけだ」

橘はそう言うと、まさか真田まで通りがかるとはな、と付け加えて笑った。

「アンタ、神奈川の人じゃなかったっけ。なんでこんなところにいんの?」

生意気な口調でそう言ったのは、青春学園の1年、越前リョーマだ。
相変わらずの生意気さに、真田は少し呆れながらもその問いに答える。

「……この近くでやっていた書道展に興味があって見に来ただけだ」
「ふーん。相変わらずなんかジジくさいね」
「高尚な趣味と言ってもらおうか。もとよりお前などに理解してもらおうとは思わん」

ふんっと鼻を鳴らして腕を組み、真田はそっぽを向く。
そんなやりとりを真田と越前がしている隣で、は黙ってその会話を聞いていた。
すると、山吹中の千石清純が、突然に話し掛けてきた。

さん、こんにちは。俺のこと、おぼえてる?」

そう言って、彼は自分を指差しながら、にっこり笑う。
その笑顔に、もまたつられるように笑った。

「あ、はい、勿論! 山吹中の千石さん……ですよね?」
「はは、良かった、覚えててくれたんだね。忘れられてたらどうしようかと思ったよ。やっぱり、可愛い女の子に忘れられてたらショックだからねー」
「も、もう。千石さんって相変わらず口が上手ですね」

唐突に「可愛い」と言われたのが恥ずかしかったのか、は少し頬を染めながら苦笑した。
そんなの顔を覗き込み、千石はにこにこ笑って続けた。

「いや、可愛いってば。ほんと、真田君の彼女でなきゃ、デートに誘うんだけどなあ」

彼が、そう言った途端。

「――千石ッ!」

真田が彼を責めるように千石を怒鳴った。
その声に、千石はびくりと肩を震わせ、「冗談だって」と苦笑いをする。

「その様子だと、まだ続いてんのか。物好きだな、アンタも」

そう言ったのは、跡部だった。
は、流石に心外だとばかりに頬を膨らませる。

「それ、どういう意味なんですか」
「そのまんまだ。この老け顔野郎の、一体どこに惚れたんだ?」

暴言とも取れるような言い方で、跡部が更に質問を重ねようとすると、真田がそれを阻止するように怒鳴った。

「おい、いつまでそんな下らんことを話している!」

真田の怒声が再度コートに響き渡る。
怒鳴られた跡部もまた、真田を睨みつけると、フンと鼻で笑った。

「相変わらず、余裕のねえうるせぇ奴だな。そんなんじゃ、可愛い彼女に振られるぜ?」
「余計なお世話という奴だ、お前如きに心配してもらう必要はない。その煩い口をさっさと閉じてもらおうか」

真田も負けじと言い返し、両者の間に火花が散る。
緊迫した雰囲気の中、その間に割って入ったのは、橘兄だった。

「おいおい、落ち着け2人とも」

やれやれといった様子で、橘はため息をつく。
それに続けて、苦笑しながら千石が口を開いた。

「そうだよ、仲良くみんなでテニスやろうよ。……真田くんも参加するよね?」
「……ああ。電車の時間もあるから、そう長い時間はできないがな」
「そっか、神奈川戻んなきゃいけないもんね」

そう言いながら、千石はラケットバッグから1本のラケットを取り出し、真田に差し出す。
それを「ありがとう」と言って受け取り、片手でガットを握ってその張りを確かめながら、真田は誰ともなしに尋ねた。

「どういう順番で打つんだ」

真田の問に、すかさず答えたのは青学の越前だった。

「個人的には、アンタともう一回、一対一で打ち合ってみたいけどね」

生意気な口調でそう言い放つ越前を、真田はちらりと見やる。
越前とは、関東大会の決勝で試合をし、惜敗を喫していた。
あの借りを返すと言わんばかりに、真田の目がぎらりと光る。

「よかろう、望むところだ。この前の借りを返してやる」

そう言うと、真田は好戦的な態度で持っていたラケットを越前に向けた。
――しかし。

「ちょっと待ってよ。さっきダブルスで行こうって決めたばっかじゃない!」

不服そうな口調で口を挟んだのは、橘の妹、杏だ。

「……ダブルス?」

予想もしていなかった言葉が飛び出し、真田はついおうむ返しに問う。
怪訝そうな表情の真田に、今度は橘の兄の方が口を開いた。

「ああ、コートは1つしかないからな。ダブルスの方が、より多くの奴が打てるだろってことでな。あと、ワンセットマッチではなく、タイブレーク方式で試合しようという話になっていたんだ」

橘兄に続いて、千石が彼特有の人懐っこい笑顔を真田に向けながら説明を加える。

「そうそう、言い忘れてたけど、今さっきダブルスでチーム分けしたところなんだよね。橘クンのとこの兄妹と、青学の2人。んで、半端になった俺と跡部クンの3チーム。真田クンはどうする?」
「どうすると言われても困るんだが……」

どうすると問われたところで、他にテニスが出来る者がいない限り、どうしろと言うのだろう。
真田が思わず眉をひそめた、その時。

「いるじゃないっすか。もうひとり」

越前はそう言うと、真田の隣にいる人物に視線を向けた。
その先に、その場にいた全員の視線が集中する。

「……え、わ、私?」

越前が指した先にいたのは、だった。
まさか自分に話が振られると思っていなかったらしいは、目を見開いて驚愕の表情を見せる

「そうだね、彼女に入ってもらえばちょうどいいかな」
「ラケットは私のを貸してあげるわ」
「よし、それじゃ問題がなくなったところで、次は順番だな」

千石や橘兄妹たちは何も問題ないかのように話を進めているが、当のは困惑顔だ。
そして、のほかにもう1人、この成り行きに慌てている者がいた。
――そう、真田だ。

「ちょ、ちょっと待て!」

慌てた真田の声が、ストリートテニス場に響く。

「こいつはテニスプレイヤーではないぞ、うちのマネージャーだ!」
「なんだ、立海のマネージャーはラケット握ったことすらねえのか?」

慌てている真田とは対照的に、冷静な態度で跡部が尋ねる。

「そ、それはまあ、簡単に打つくらいなら出来るだろうが……」

立海テニス部のマネージャーをやっているくらいなのだから、テニスルールは勿論知っている。
簡単なラケットの握り方や打ち方も、真田が軽く教えたことがあるから判るだろう。
練習補助程度で少し打ったりもする。
だが、それはいわばお遊びレベルの話だ。
中学テニス界で有名な各校のテニス部員であり、しかもレギュラークラスの彼らの相手など出来ようはずもない。

しかし、そんな真田の内心など知るはずもない跡部は、鼻で笑って一蹴した。

「じゃあ問題ねーじゃねーか。何マジになってんだよ、お遊びなんだから、簡単にでも打てりゃ充分だろ」
「そうだよ、真田くん。お遊びお遊び」

そう言って、千石も笑う。
しかし真田は、到底納得しそうもない顔を浮かべ、眉間に皺を寄せた。

「……やはり、例え遊びでも、にお前らの相手など……」

真田は、尚もぶつぶつと煮え切らない否定の言葉を繰り返す。
そんな真田に業を煮やした跡部は、苛々しながら口を開いた。

「……お前が一緒に組みたくねぇってんなら、俺がそのお嬢ちゃんと組んでやってもいいんだぜ?」

この跡部の言葉に、千石が羨ましそうに続ける。

「あ、ずるいよ跡部くん。俺だって、どうせ組むなら、可愛い女の子と組みたいなあ」
「なっ……なんでがお前らと!」

そう叫ぶと同時に、真田は2人の視線からを守るように間に割って入った。
真田の背に隠されたは、少し照れたように、そしてどこか嬉しそうに、その頬を赤く染めた。

「あのさ、どーでもいいけど、早くしてくんない?」

それまで黙って見ていた越前が、呆れたように口を挟む。
その声に、真田は困ったように眉をひそめ、「む……」と小さな声で呟く。
そして。

「判った、俺がと組む! それでいいな!」

真田は、半ば投げやりな口調でそう吐き捨てた。

「最初っから素直にそう言やいいんだよ」

跡部のそんな言葉を無視して、真田はの方を向き、申し訳なさそうに声を掛けた。

「……こんなことになってしまったが……いいか?」
「あ、あの、……多分……ていうか間違いなく、めちゃくちゃ、先輩に迷惑かけると思いますけど、私もできるだけ頑張りますから!」

そう言って、は両の手をぎゅっと握り締め、気合を入れた。
そして。

「……えと……ラケットの握り方って……」

そんなことを呟きながら、は自分の利き手をじっと見つめ、何かを握る仕草をし始めた。
以前簡単に教えたラケットの握り方を、思い出そうと必死になっているようだ。
そんな彼女が、なんだかとても可愛らしくて、真田は思わず笑みをこぼした。
そして、の頭に片手を置くと、優しい口調で言った。

「お遊びだ、あまり気負うな。お前が怪我さえしなければ、それでいい」
「はい!」

はそれに元気よく返事すると、微笑った。