――12月21日。
もう2学期も終わり。明日には終業式が待っている。
放課後のあの時間も、もう今日で終わりなんだなと思うと、とても寂しかった。
でも、それ以上にどうしても昨日の女の子のことが気になってしまって、私はずっとどこか上の空だ。
おかげで、休み時間になっても目の前の友人達のおしゃべりに混ざる気にはなれなくて、ただひたすら聞くだけになっていた。
「ねえねえ。もうすぐ、クリスマスイブだね」
「まー、クリスマスイブって言っても、彼がいるわけじゃないしね。いつもと同じ、寂しいイブじゃないかなー」
そう言って苦笑する、目の前の友達。
イブか……柳君は、何して過ごすんだろう。
部活の人と、クリスマスパーティーとか、するのかな。
それとも……もしかして、あの子と一緒に過ごしたりするんだろうか。
「ねえ、」
ふいに声を掛けられて、私ははっとする。
「あ、ごめん。何? 聞いてなかった」
「もう、だからさ。もし彼が出来たら、クリスマスとかイブはどこ行きたい? って話よ」
彼が出来たら――そう言われて、ふいに私の頭に浮かんだのは、柳君の顔。
かあっと、自分の顔が熱くなるのが判った。
「?」
不思議そうに覗き込む友人達の顔が目に入り、私は我に返る。
「ご、ごめん。えっとね、私は……うーん……」
打ち消しても、打ち消しても、何度でも彼の顔が浮かぶ。
もし、彼とクリスマスが過ごせるなら、……私はどうしたいだろう?
「私は、2人で観覧車乗りに行く!!」
誰かのそんな声が聞こえて、顔を上げる。
「やっぱり、彼が出来たら2人っきりで過ごしたいし。クリスマスに好きな人と2人で観覧車って、すっごいロマンチックじゃない?」
両手を祈るようにして組みながら、友達は笑顔で語っていた。
「あ、それいいね。ここからだと、やっぱ臨海公園の側の観覧車かな。クリスマスに、好きな人とあれに乗れたら最高だよね!!」
「うわあ、いいなあ〜!!」
「美香は佐野君誘ったら?」
「そりゃあね、そう出来るならしたいけど……」
「あの観覧車に好きな人と乗れれば、恋人になれるってジンクスあるじゃん? 佐野君とラブラブになれるかもよ」
「え、臨海公園の観覧車のジンクス、私が知ってるのと違うよ? 恋人と2人で乗った時、キスしたらその人と一生幸せになれる、ってのは聞いたことがあるけど、そっちのは初耳」
「ジンクスなんて、そんなもんだよ。一箇所にいろいろなジンクスがあることなんて、珍しくないって」
みんなのおしゃべりは、そんな調子で延々と続いた。
……私は聞くだけだったけど。
ジンクスかあ。
本当に、効くのかな。
真田君なら、きっと馬鹿馬鹿しいって一蹴しそうな気がするけど、柳君は……なんて言うんだろうな。
あっという間に時間は過ぎて、放課後のあの時間がやってきた。
たった1時間程度だけど、滅多に誰も来ないこの時間は、すっかり私と柳君のおしゃべりの時間になっていた。
でも、今日は昨日までとは少し違っていた。
私にとって、あんなに気楽で楽しかったこの2人っきりの空間が、なんだかとても緊張したものに感じるようになっていたのだ。
2人っきりで無言でいるのがとても苦痛だったから、私はとにかく話題を探した。
昨日のあの子のことは聞けなかったけど、テニス部の事を聞いたり、彼自身のことを聞いたり。
でも、彼のことを1つ聞くたび、私の中で彼がまたひとつ大きくなっていくのが判って、質問を重ねては脈拍をあげる――そんなことの繰り返しだった。
そして、とうとう話のネタも尽きてきたころ、私は昼休みの友達とのおしゃべりを思い出して、彼に振った。
「ジンクス?」
「うん、柳君、そういうの信じる?」
「ジンクスか……女子は本当にそういう話が好きだな。……しかし、何故そんな話を?」
不思議そうな顔で、彼が私に問い掛けてくる。
「あのね、今日友達から聞いたんだけど、臨海公園の観覧車あるでしょ? あれに好きな人と乗ったらカップルになれるとか、カップルで乗ったときはキスすると一生幸せになれるとか、そういうジンクスがあるんだって」
好きな人とか、カップルとかキスとか……なんだか説明するのが恥ずかしくなってしまう。
話題選びを間違えたかな、なんて思いながら、熱くなった顔を悟られないように、軽く柳君から目を逸らした。
「なるほどな。そういう噂は俺も聞いたことがあるが……俺は、もし万が一その観覧車に乗って上手くいった2人が居たとしても、それはジンクスのせいなどではないと思う。最初からその2人にそういう要素があったからだろう」
彼は淡々と言葉を綴る。
なんとなく彼らしい答えだなと思い、私は小さく笑った。
「そうかもしれないね。でも、ジンクスに頼ることで好きな人を誘う勇気が出せるなら、私は充分信じる価値はあると思う。……出せれば、だけどね」
私がそう呟いた後――ほんの少しだけ、沈黙があって。
彼はじっと私を見つめ、口を開いた。
「……それは、が誰か誘いたい相手がいるという解釈でいいのか?」
「え?」
あまりにも唐突な彼の質問に、私の脈が一気に跳ね上がる。
なんて答えたらいいんだろう。
困惑と混乱が、私の中で暴れている。
でも、黙っていれば肯定と取られかねない。
それが怖くて、私は考えが纏まらないまま、わざとらしく笑って口を開く。
「友達がね、クリスマスに好きな人誘うって意気込んでたんだよね。もし、その子が上手く誘えるなら、ジンクスにも意味があるかなって……」
答えになっていないのは、判っていたけれど。
彼の質問に関しては、肯定も否定もしなかった。出来なかった。
ただ笑ってごまかす私を、彼はじっと見つめる。
そのまっすぐな視線と沈黙が、本当に気まずくてたまらなくて、何か喋らなくちゃと話題を探し、搾り出すように言葉を吐いた。
「柳君こそ、クリスマスに一緒に観覧車乗ってみたい女の子とか、いたりするの?」
言ってから、しまったと思った。
これは、私にとって大きな地雷だ――そう思った時には、もう遅かった。
次の瞬間彼から返ってきたのは、とても短い言葉。
「……いるよ」
彼が呟いた小さな返事は、鋭い刺のように私の胸に突き刺さった。
それってつまり。
柳君には、好きな子がいるってこと、だよね?
そしてきっと、その相手は――昨日の子だ。
「あ、そ、そうなんだ」
私はもう、それだけ返すのが精一杯だった。
鼓動が変に高鳴る。
頭の中がむちゃくちゃだ――
「ご、ごめん、私ちょっと気分悪くなってきたから、外の空気吸ってくる」
その場に居ることが出来なくなって、彼の返答も待たずに、私は図書室を飛び出した。
もう、認めざるを得ない。
私、やっぱり、柳君のことが好きになっていたんだ。
でも、気付くの遅いよ――ううん、最初から、遅かったんだと思う。
私が彼を好きになったのは、ここ数日の間。
だけど、きっと彼は前からあの子のこと、好きだったんだろう。
走っているうちに、いつの間にか私の目から涙が溢れ出した。
零れてくる滴を制服の袖で乱暴に拭いながら、図書室から少し離れたお手洗いに駆け込む。
そして、すぐさま私は手洗い場の水道の蛇口を勢いよく捻り、すごい勢いで流れる蛇口の水を、ばしゃっと顔にかけた。
冬の水道水は、痛いくらいに冷たかったけれど、冷たさなど構わずに、何度も何度も私は顔を洗った。
好きになったと気付いてすぐの失恋なんて、ほんと、笑い話にもならないや。
でも、今なら忘れられるだろうか。
うん、まだ好きになったばかりだし、こうやって顔を合わせるのも、今日が最後なんだしさ――きっと忘れられる。
しかし、どんなに自分に言い聞かせても、溢れる涙は止まってはくれなかった。
私は、結局そこで一頻り泣いた。
ここが、校舎の一番端の、誰も来ないようなお手洗いで良かった。
やっと涙は止まってくれたけど、きっと今ひどい顔をしてると思う。
こんな顔じゃ、図書室に帰れない。
彼に心配もかけてしまうし、そもそも今私は彼の顔をしっかり見る勇気がなかった。
ハンカチで濡れた顔を拭いて、鏡を覗き込む。
目が真っ赤で、今まで泣いていたのが丸判りだ。
「どうしようかな……」
もうこのまま帰ってしまえればいいのに。
だけど、鞄を図書室に置いたままだし、彼に挨拶もしないで帰るわけにもいかないから、そういうわけにはいかないよね。
幸い、もう少しで終わる時間だから、このまま図書室に戻って、彼に挨拶だけして出てきてしまおう。
もし彼に泣いていたことがばれたら――埃が目に入ったことにでもすればいいや。
お手洗いから出て、私は図書室へ戻った。
図書室の扉の前で一息ついて、勇気を出してそっと開ける。
――しかし。
図書室の中に、彼の姿はなかった。
その代わりに、図書の先生と、作業着を着た見知らぬおじさんが、壊れた暖房の前でなにやら話をしていた。
「ああ、さん。お帰りなさい」
「ごめんね、お邪魔してるよ」
先生とおじさんは、私に気付くとそう言って笑った。
予想していなかった光景に驚きながらも、柳君がいないことにどこかほっとしながら、私は図書室に入って、扉を閉める。
「もしかして、暖房の修理ですか?」
「ええ。遅くなっちゃったけどね」
先生が答える。
そっか、やっと暖房の修理来たんだ。
じゃあ、柳君の持ってきてくれた小型ヒーターも、これでお役ごめんだね。
あの傍で、彼といっぱい話したな。
そう思っていると、また泣きそうになってしまった。
慌てて、私は目を擦る。
でも、柳君どこに行ったんだろう。
「あの、柳君は……」
「あなたが出て行ってからずいぶん経つのに戻ってこないからって、探しに行ったわよ」
柳君、私を探しに出てくれたんだ。
優しいんだね。……やっぱ、好きだなあ。
あ、駄目だ。
やっぱまた泣きそう。
「ちょっとさん、どうしたの? 目が真っ赤じゃないの。何かあったの?」
私の顔を見て驚いた先生の声が、図書室に響いた。
ああ、まだそんなにひどいんだ。
やっぱ、柳君には見せたくないな……。
「す、すみません。気分が悪くなって……」
「そうなの? なら、もう図書委員の仕事はいいから、帰ってもいいわよ。柳君が帰ってきたら、先生から言っておくから」
心配そうに言ってくれた先生のその言葉が、私には天の助けのように思えた。
そうだ、そうすれば彼と顔を合わせなくて済むんだ。
「……じゃあ、お願いしてもいいですか」
「ええ、どちらにしろ、開架時間ももうすぐ終わりなんだし、気にせずに帰りなさい。最近本当に寒いし、風邪かもしれないから、帰ってゆっくり休みなさいな」
ごめん、先生。風邪なんかじゃないよ――内心でそんなことを思いながらも、先生の気遣いに頭を下げ、私はカウンターに回る。
彼と顔を合わせたくはなかったけど、このまま何も言わずに帰るのもやっぱり気が引けた。
カウンターに置いてあるメモ用紙を1枚取り、柳君に宛てて、ペンで走り書きをした。
――気分が悪いから先に帰ります。探しに来てくれたのに、待ってなくてごめんね。4日間ありがとう、楽しかったです。
「先生、これ、柳君が戻ってきたら、渡してください」
頭を下げ、その紙を先生に託す。
そしてすぐ、鞄を持って逃げるように図書室を飛び出し、図書委員の4日間はあっけなく終わりを告げた。