それからしばらく、私と柳君はカウンターの中で椅子に座ってぼうっとしていた。
待てども待てども人は来ず、ただ時間だけが過ぎてゆく。
沈黙が痛くて、私は彼に話し掛けた。

「誰も来ないね」
「そうだな」
「やっぱり、こんなに寒いと放課後残って本借りようなんて思わないのかな」
「かもしれないな」

図書室を開いて、もう既に30分が経過していたけれど、未だに誰も来る気配はない。
こんな状態で、図書委員だけが2人も居てもしょうがない気がする。

そう思いながら、横目でちらりと彼を見る。
柳君、テニス部行かなくていいのかな。
真田君は、出てるみたいだけど……。

「あのさ、もし良かったら部活行ってくれていいよ? 誰も来ないし、1人でも充分みたいだしさ」

私がそう言うと、彼は、こちらを見て笑った。

「気にするな、部活はもう既に引退している」
「でも、真田君は出てるみたいだよ?」

そう言って、私は身を乗り出して窓の外のコートを見る。
――ああ、やっぱり真田君、いるよ。
あの帽子姿は、やっぱり目立つなあ。

「ああ、引退したとは言っても、別に部活に顔を出してはいけないわけじゃないからな。とはいえ、委員会の仕事と被っているなら、こちらの仕事を優先するさ。部活を理由に、委員会の仕事を疎かにはしたくない」
「そうなんだ。えらいね、柳君」
「そんなことはないさ。それに、委員会がなくても、最近は俺も週に2、3度くらいしか顔を出していない。弦一郎は、部活に出たい理由があるから、ほぼ毎日だがな」

そう言って、彼はなにやら含んだ笑いを漏らした。
その意味が判らなくて、私は首を捻る。

「弦一郎って……真田君のことだよね。理由って何?何か特別な理由があるの?」
「まあな。そういえば、は弦一郎と同じクラスだったな」
「うん、今なんて隣の席だよ……」

そう言って私は苦笑する。
すると。

は、弦一郎が苦手か?」

そんな彼の声が聞こえてきた。

わわ、今顔に出てた?!
柳君と真田君って仲いいんだよね……!!

「そ、そんなこと……」

慌てて首を振る私。
そんな私に、すました表情で彼が追い討ちをかける。

「顔に苦手と書いてあるぞ」

……う。
さすが柳君だ。

「……ごめん。正直、苦手」

素直に認めて、私は頭を垂れた。
そんな私を見た彼は、くすくすとおかしそうに笑う。

「はは、弦一郎はいろいろと誤解されやすい性格をしているからな」
「ごめんね、柳君は真田君と仲いいんだよね」
「ああ。1年の時からの付き合いだし、もう腐れ縁という言葉が合っているのかもしれないが、あいつといるのはなかなか楽しいよ」

柳君はそう言って、カウンターから出て窓の側へ歩み寄る。
そして、コートを見下ろした。

「……の持っている弦一郎のイメージは、『頭が堅そうで融通も利かなさそうだし、いつも仏頂面で顔も怖いし、口を開けば厳しいことばかり言うから近寄りがたい』――こんなところじゃないか?」

振り返りながら言った彼の言葉に、ドキッとした。
完全に、見透かされている。

「う、うん……」
「まあ実際ほぼその通りだし、あいつ自身がそう思われることを気にしてないのだから、他人がそう思うのも仕方がないと思うがな。しかし、弦一郎はそれだけの奴ではないよ」

ガラス越しに真田君の姿を見つけたのだろうか。
ふっと微笑って、柳君は言葉を続けた。

「あいつの厳しさは、優しさの裏返しみたいなものだ。他人のことを思えばこそ、厳しい物言いになってしまう奴でね。でも、一度他人に口をだすと、自分の時間を犠牲にしてでも、最後まで面倒を見てしまう。他人想いで結構優しい奴なんだ。しかしそうやって、他人の荷物は望んで背負い込むくせに、自分が背負った荷物は他人に譲らない、責任感の強い奴でもある」
「……そうなの?」
「ああ。不器用で頑固だとは思うが、俺はあいつのそういうところを尊敬しているよ。まあ、顔の怖さはフォローの余地がないがな」

そう言って、彼はおかしそうに笑う。

真田君が、優しい……いまいち、想像つかないな。
でも、付き合いが長くて深い柳君が言うのだから、そうなのだろう。
……それにしても、そうやって友達のいいところを冷静に分析できる柳君もすごいと思う。
本当に、尊敬してるんだろうな。

「……すごいな」

ふと、そんな言葉が口をついて出た。
私の言葉に、柳君も不思議そうな顔をする。

「すごい?」
「うん、そうやって、友達のいいところを素直に認められるっていうのはすごいなって思うよ。お世辞じゃなくて、心からそう思ってるってのも伝わってくるし。簡単に出来そうで出来ないことだと思う。柳君、すごいね」

そう言って私が笑うと、彼はすっと視線を逸らした。

「――そうか?」

あ、あれ? もしかして、柳君照れてるのかな。
ちょっと意外だ……。
いつも冷静にすましている彼の、意外な一面を見れた気がする。
なんか、悪くないな。嬉しいかも。
そんなことを思って、私は顔をほころばせた。

「ところで、真田君の部活に出たい特別な理由って何?ただテニスの練習をしたいだけじゃないの?」
「勿論、それが大半の理由だろうけどな。あいつにも、かわいいところがあるんだよ」

そう言って、柳君は窓の外を見ながら、どこかおかしそうに笑う。
え、「優しい」の方はともかく、「かわいい」って……全然想像つかないんだけど!

「もー、もったいぶらずに教えてよー」

私は口を尖らせる。
すると、彼は私を窓の方に手招きした。

「ちょっとこっちに来てみろ、

言われるまま、私はカウンターを出て彼の側に行く。
さっきからヒーターをつけっぱなしにしているおかげか、図書室全体の温度も上がっているのだろう。
ヒーターの側を離れても、さっきみたいに寒くて震えるというほどじゃなかった。

「なになに?」

駆け寄るなり、私は興味津々で窓の外を見つめる。
窓の外では、相変わらずテニス部が練習を行っていた。

「コートの端の方――コートの外に出る扉の近くに、弦一郎が居るのが判るか?」

そう言って、彼はガラス越しに一点を指差す。
その先には、確かに真田君がいた。

「あ、うん」

私の返事を聞いて、柳君は「よし」と頷く。
そして、その指先を、つつっと斜めに動かして――今度は、コートとコートの間の辺りを指差した。
その指を、私は目で追う。

「あそこに、1人だけ女子生徒がいるだろう」
「うん」

彼が指差す先には、籠に入れたボールを運んでいる女子生徒がいた。
ここからでは、どんな子までかは判らないけれど、マネージャー……なのかな?

「あの子、マネージャーさん?」
「ああ。彼女は2年生で、という。テニス部のマネージャー兼、弦一郎の彼女だ」
「ふうん。真田君の彼女なんだ……って、か、彼女!?」

そう絶叫しながら、私はすごい勢いで柳君の方を振り向いた。

「か、彼女ってことは、付き合ってるってことだよね? 交際中ってことだよね!!? いわゆる、『カップル』ってことだよね!!??」
「ああ、そういうことだ」

……あの真田君に彼女?
そういえばちらっとそういう噂聞いたことあるけど、ただの噂だと思ってた。
しかも年下で!! その上部のマネージャーさん相手!!?
ええええええ、うっそだー!!!!
そういう事とはメチャクチャ縁遠そうな顔してるのにー!!!!

「……」

驚いて絶句している私の顔を見て、柳君はくくっと笑う。

「意外だったか?」
「い、意外なんてもんじゃないよ、びっくりしたあ……」
「体育祭の時、借り人競争の一件で少し話題になっていたが、聞いたことはなかったか?」
「体育祭のとき、体調悪くて休んだんだよね……」

あの後女友達にちらっとそんなことがあったような話聞いた気はするけど、そもそも私真田君に興味なかったし……
今席が近くになってなきゃクラスメイト以上の認識もなかったからなあ。
それにしても、真田君でも恋愛するんだ、なんて言ったら失礼かもしれないけどさ。
そういうイメージ、全然ないんだもん。

「じゃあ、真田君が部活に出たい理由っていうのは……」
「……弦一郎にも、可愛い所があると言っただろう?やはり、どうせ練習するなら、可愛い彼女が近くに居た方がいいということだろうな」

そう言って、柳君は微笑ましそうに微笑った。

それにしても、意外なんてもんじゃないな、本当に。
しかも、彼女の近くに居たい、なんて可愛いことを考える人だったなんて……。

「へー。人は見かけによらないね」
「そういうことだ。しかし、だからと言って彼女とベタベタするとか、練習を疎かにして彼女と話し込むなんてことは絶対にしない。むしろ、練習中はなるべく話さないようにもしている。同じ場所にいて相手の存在を感じられる、ただそれだけで満足出来るのだから、微笑ましいだろう? ああ見えて、かなり純情だぞ、あいつは」
「うわあ……確かに。それは本当に可愛らしいかも」

柳君は「そうだろう?」と頷いて、本当に微笑ましそうに再度コートを見つめた。
そんな彼の横顔を見ていると、ふとある疑問が湧いた。

「柳君は、彼女さんとかいるの?」
「いや、俺はいないよ」

そっか、いないのか――ああ、ほっとした。

……ん、ほっとした?
え、え? なんで?

半ば混乱めいた感情が、私の中で暴れ出し、脈が急に速度を上げた。
訳が判んなくなって、私が黙り込んでいると――ふいに、彼が口を開いた。

は、どうなんだ?」
「え?」
「彼氏。いるのか?」

そう言って、彼はじっと私を見つめた。
私の脈は、その際限を知らないかのように、どんどん速くなっていく。

「い、いないよー」
「そうか」
「そうだよ、いるわけないじゃん!」

そう言って、私は大袈裟に笑う。

その瞬間――がらっと大きな音をたてて、図書室の扉が開いた。

「すみませーん、返却だけしたいんですけどー」

そう言って、1人の男子生徒が入ってくる。
そ、そうだ。
今は、図書委員の仕事中だったっけ。

「あ、カウンターのほう回ってくださーい」

慌しげに、私はカウンターの中に戻る。
そして、その生徒の返却業務を終えると、図書室の開架時間は、終わりに近づいていた。

全てを終えて、私たちは今度は図書室を閉める。

「結局、1人しか来なかったね。ヒーターは置きっ放しにしといていいのかな?」
「ああ、どうせ予備のものだし、職員室には暖房が入っているからな。置いておいていいそうだ」
「OK! 柳君は、これから部活出るの?」

「そうだな、まだ下校時刻まで30分以上あるし、少しだけ顔を出そうと思う。……基礎練程度しか、出来ないだろうけどな」

時計を確認しながら、彼が言う。
すごいなあ。これから、更に練習するんだ。

「じゃあ、私が鍵返しとくし、行っていいよ。お疲れ様、柳君」
「ありがとう、。気をつけて帰れよ」
「うん、じゃあね!」

そう言って、私は職員室へ、彼はコートへ、それぞれ向かうために、そこで別れた。

柳君とこんなにたくさん話したの初めてだったけど、予想どおり優しくて柔らかな雰囲気の人だったな。
これなら、残りの日も楽しく過ごせそう――そんなことを思って、私は笑った。