ANSWER -the week of December 18- 12/18-01

――12月18日。

吐いた息が、白いもやになって空気に溶ける。
屋内でも吐く息が白く見えるほど寒い、12月のそんなある日の放課後。
もうすぐ今年も終わりだなあ、なんて思いながら、私は木枯らしの吹き込む渡り廊下を足早に歩いて、図書室へと向かった。

別に、本を借りに行くために向かってるわけじゃない。
本はかなり好きだけど、こんなに寒い放課後は、さっさと帰って家でおこたにでも当たりながら、ぬくぬくしていたいというのが正直なところで。
でもそうせずに、急いで図書室に向かっているのは、図書委員の仕事があるからだった。

図書委員という仕事は、実は地味に仕事が多い。
図書の整理や、傷んだ本の補修、生徒に発行する図書新聞作りなど、本当に地味だけどいろいろな仕事があるのだ。
だからぶっちゃけ、なりたがる人っていうのはそう多くない。
私だって別に最初は望んでなった訳じゃなくて、なりたがる人がいなかったことと、本は好きだからまあいっかくらいのノリで、この委員会を選んだだけだったりする。
まあ、なったらなったで、思ったより図書新聞作りが楽しかったりして、実は去年の後期から連続で3期も図書委員に立候補するようになっちゃったのだけど。

そして、図書委員の一番のメインの仕事は、朝と放課後の生徒への貸し出し業務なのだけど、今日18日から、終業式前日の21日までの4日間、私は放課後の当番に当たっていたのだ。

「失礼しま〜す」

図書室へ着き、かじかむ手でドアを開ける。
そして、唯一中に居た1人の生徒に、私は声を掛けた。

「柳君、お疲れ様〜!」

カウンターの中でパソコンの調整をしていたらしい彼は、私の声を聞いて顔を上げる。

か、お疲れ様」

そう言うと、彼はいつもの涼しげな顔で、ふっと微笑った。

柳蓮二――F組の図書委員で、今日から1週間、私と共に放課後のカウンター業務に当たっている人だ。
委員会の並びの都合で、集まりの時はいつも隣に座るから、いつの間にか話すようになっていた。
彼は、うちのガッコのテニス部――全国大会で優勝を争っちゃうような、すごい部なんだけど――で、レギュラーになっちゃうくらいすごい人だったりする。
きっとテニス部の方でも忙しかっただろうに、この地味に多い図書委員の仕事を、全くサボらず全てこなしていたりするところも偉くて、ほんと尊敬する。
成績もほぼトップクラスで、いつも落ち着き払っていて、私と同年代とはとても思えないほどだ。
……とはいえ、私のクラスの真田君ほどではないけれど。

「今日、寒いねー。もう手がかじかんじゃって、動かないよ。柳君、暖房入れないの?」

手を擦りながら、カウンターのほうに周って、図書室の暖房のリモコンを取り出す。
かじかむ手でそれを暖房の方に向けて、一生懸命「運転」のボタンを押した。
しかし、聞こえるはずの暖房のモーター音は、一向に聞こえてこない。

「あ、あれ?」

意地になって何度も何度も押してみる。
けれど、やはり暖房はウンともスンとも言わなかった。

「ああ、暖房は今壊れているそうだ」

必死な顔でボタンを押している、そんな私とは対照的に、落ち着き払った顔つきで彼が言った。

「えっ、嘘……マジで?」
「残念ながらな」
「うっそー!!」

2人っきりの図書室に、私の絶叫が木霊する。
こんな寒い日に、暖房が壊れてるって……マジですか。

「しゅ、修理は?」
「さあな。とりあえず、直るまで職員室の小型ヒーターを貸してくれると言っていたが、暖房自体の修理はいつになることやら、だ」

苦笑しながら彼の言った言葉に、私は絶望にも近い感覚をおぼえて両頬に手を添えた。
ただでさえ、私は寒がりなのだ。
小型ヒーター1つで、耐えられるだろうか。

「……私、寒いの駄目……ヤダ、帰りたい……」

つい口をついて出た私の言葉に、彼はまた苦笑を重ねた。

「まあ、そう言うな。今からヒーターを取ってきてやるから」

そう言って、彼は図書室を出て行った。
……あ、悪いことしちゃったかな。
彼をせかしたつもりは、全然なかったのに。

彼がヒーターを取りに行っている間、私は図書室の準備を続けようと辺りを見回した。
でも、パソコンの準備はしていてくれたみたいだから、あとは……特にすることもない、かな。
せいぜい、乱れた書棚の整理くらいだろうか――そんなことを思って、私はカウンターから出る。
そして、手近なところから整理を始めた。

倒れている本を起こしたり、分類違いの本を元の場所に戻したり。
そんなことを繰り返しながら、柳君の帰りを待つ。

それにしても――動いていたら少しは暖かくなるかと思ったけど、全然駄目だ。
いくら暖房が壊れてるからって、この寒さは異常じゃない?
震える身体を自分自身でぎゅっと抱きしめながら、図書室中をぐるりと見渡すと、一箇所窓が開いていることに気がついた。

「ぎゃーうっそ、こんな寒いのに開けっ放しにしたバカは誰よ!!」

誰に言うわけでもなくそう叫んで、慌ててその窓に近寄り、閉める。
窓のサッシは氷のように冷たくて、私の手は更に冷えてしまったけれど、吹き込む風が無くなっただけでも、少し寒さが緩和した気がする。
そう思ってほっとしていると、ふと、窓の外が目に入った。
――テニスコートだ。

「あ、テニス部練習やってる……」

こんなに寒いのに、よくやるなあと思いながら、私は窓の外の風景をじっと見詰めた。
すると、コートの端で、見知った顔を見つけて目を留める。
あの帽子は――うちのクラスの、真田君だ。
3年のこの時期に、まだ部活出てるんだ。

私は、真田君が苦手だった。
真面目で言葉数も少ないし、いつも仏頂面していて――正直、怖い。
実は今、隣の席だったりするのだけど、こないだなんてちょっと授業中ウトウトしていただけで、「寝ていると判らなくなるぞ」なんて嫌味言われてしまった。
同じテニス部でも、柳君とはえらい違いだ。
そういえば、柳君と真田君は仲いいんだっけ。
廊下で話してるとこ、何回か見たな。

そんなことを思いながら、私はまた棚整理に戻る。
すると、本がごそっと抜けている棚を見つけた。
きっと、シリーズ物を誰かがまとめて借りていったのだろう。
右半分がすっかり空いているその棚は、端の方の本が、とても乱雑な状態で横倒しになっていた。

「うわ、ちょっとこれどうしたらいいんだろう」

とりあえず、倒れている全ての本を立てて左端に寄せてみる。
しかし、手を離すと、すぐにまたパタパタと音をたてて倒れてしまった。あちゃー。
もう一度、本を起こして手を離す。――やっぱり倒れる。
起こす。離す。倒れる。

そんなことを、何度も何度も繰り返して――その回数は、2桁を数え始めた。
もう、こうなれば意地だ。
私は、今度こそと思いながら、慎重に本を立て、抑えて、そーっとそーっと手を離した。

本から手が離れて、数秒――まだ、本は倒れずに立っている。
こ、今度こそ成功した?

「やったー!!」

やっと上手くいった!!

嬉しくて、私が思わず両手をぱちんと叩いたその途端。
バサバサッと大きな音を立てて、本はまた横倒しになってしまった。

……もうやだ。

「お願いだから倒れないでよ!! もー、根性無し!! バカ!!」

本に向かって、私が大絶叫したその瞬間――背後から、笑い声がした。
慌てて振り向くと、ドアのところで小型のヒーターを手にした柳君が、おかしそうに笑っていた。

「大きな声だな、
「え、嘘、そんなに大きかった?」
「ああ、本に文句をつけるお前の声が、廊下まで響いていたぞ」

うわ。
は、恥ずかしいなあ、もう……。

「だってこの本が倒れて来るんだもん」
「それはまあ、それだけ棚が空いていたら、倒れてくるだろう。しかも1冊1冊に厚みがない本ばかりだからな」

彼はその場にヒーターを置いて、静かに私の方に近寄ってくる。
そして、近くの棚の上に置いてあった使われていないブックエンドを手に取ると、それを使って難なく本を収めた。

「こういう時のために"これ"があるのだと思うぞ」
「あ、そっか」

納得。
ていうか、なんで私思いつかなかったんだろう……

「……私って、もしかしてバカかな」
「いや、バカじゃないさ。本に説教する面白い奴ではあるがな」
「柳君。それ、フォローになってない」
「そうか? すまないな」

そう言って、彼はまたおかしそうに笑った。

そんなやり取りをした後、私と柳君はカウンターの中に戻った。
持って来たヒーターをセットしてくれている柳君に、私は声を掛ける。

「柳君、取りに行かせちゃってごめんね。ありがとう」
「気にするな。ほら、点いたぞ」

彼の言葉と共に、ヒーターが動き出す音がして、ほっとするような熱の風が、私の足元になびいてきた。

「うわー生き返る〜!!」

しゃがみこんで、ヒーターの前に両手をかざす。
冷たかった手がじんわりと融けていく感じがして、私の顔は自然とほころんだ。

「良かったな、

優しい声がして振り返ると、カウンターの椅子に座った柳君と目が合う。
そして彼は、ふっと微笑んだ。
少し、私の胸がドキッとした――この至近距離で、こんな綺麗な顔立ちの人に微笑まれたら、ドキドキしちゃうってもんだ。

「あ、ごめん、柳君が持ってきてくれたのに、独り占めしちゃって……柳君も、当たってね」

そう言って、私がヒーターの前から退くと、彼はまた優しく笑った。

「気にするな、俺は寒さには強い方だ」
「そうなの?あ、やっぱテニス部で鍛えられてるから?」
「まあ、そうだろうな。冬だろうと、試合する時は半袖にハーフパンツだしな」

冬場に半袖ハーフパンツ……想像しただけで、震えが来そうだ。

「すごいね、テニス部の人って……」

感心して私がつい言った言葉に、彼が苦笑を漏らす。

「……そんなところで驚かれても、な」

ああ、ごめんそんなつもりじゃないのに!
慌てて、私はフォローを入れる。

「あ、も、勿論それだけじゃなくて、全部すごいと思うよ? 今年も全国大会まで行ったんだよね?」
「ああ――しかし、優勝は出来なかったがな」

そう言って、彼は自嘲気味に笑った。
……も、もしかして全然フォローになってない?

「で、でも、すごいよ!! 全国大会だよ? 充分過ぎると思うんだけど!! 他の部なんて、ほとんどせいぜい県大会や関東大会止まりだし、だいたい、去年は優勝してたじゃない」

「他の部の話も、去年の話も関係ないよ。今年の――中学最後の全国大会を、優勝で飾りたかったんだ。今のメンバーで大会に出るのは、今年が最初で最後だしな」

彼は、どこか寂しそうな遠い目をして、言った。

――ああ、そうだ。
去年の話や、ましてや他の部活の話なんか、関係ないに決まってる。
今私、馬鹿なこと言った。

「そう、だよね。ごめん、何も知らない私が偉そうなこと言っちゃった」

私は、俯いて言葉を続けた。

「でもね、私、本当に柳君はすごいと思う。柳君の試合は、ごめん、正直ちゃんと見たことないんだけど……テニス部の練習量のすごさも、レベルの高さも私よく知ってる。そんなテニス部で、ずっとレギュラーやってたんだから、柳君がどれくらい頑張っていたのかは想像つくよ。それに、普通の人ならそこまで行けば満足するじゃない?でも柳君は、優勝出来なかったって悔しがってる。どんなに努力しても、妥協しない柳君は、やっぱりすごいよ。尊敬する」

少なくとも、私なんかとは次元が全然違う。
彼は、本当にすごくて、かっこいい生き方をしていると思う。
だから、1回ぐらい望みどおりにならなかったからって、落ち込まないで欲しい――そう思って、私は掌をぎゅっと握り締めた。

すると。

「……すまない、気を遣わせるつもりではなかったんだ」

そんな声がして、ふと顔を上げる。
すると柳君が、少し申し訳なさそうにこちらを見ていた。

、ありがとう。嬉しかった」

そう言って、彼は笑う。
――その瞬間。
私の心臓が、とくんと鳴った。

「う、ううん」

変な感じがして、私は目を伏せる。
なんだろう。彼の目を見るのが、なんだかとても照れくさく感じてしまった。

「それに俺は――」
「え?」

何言ったんだろう。
上手く、聞こえなかった

「何か言った?」
「いいや」

彼は首を横に振って、ふっと微笑んだ。
……なんだったんだろう