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17.5:幕間話

「……言えなかった?」
『……あ、ああ……』

試合中のそれとは比べ物にならないほど覇気の無い親友の声が、電話の向こうで小さく響いた。

「弦一郎、本当に言えなかったのか?」

自分の耳を疑って、柳は電話口で思わずそう問い返す。
あれだけ盛り上がって学校を後にしたのだ、今度こそ絶対に上手くいっていると思っていた。
そして、今頃はきっと幸せの絶頂でいるであろう彼に、冷やかしという名の祝福をしてやろうと思い、わざわざ夕飯が済んだ後に彼の携帯に電話をしたのだ。
なのに、まさかまだ纏まっていなかったとは。

「会えなかったのか?」
『い、いや、には会ったんだが……』
「会ったのに、言えなかったのか……」

そう呟いて、柳は大きな溜息をつく。
確かに、真田は彼女への気持ちに気づいてからというもの、恋愛事に関してはとても臆病で情けなかった。
しかし今日の放課後、「に会って来る」と言い残して学校を去っていった彼の姿は、とても勇ましく見えたのに――あれほどの状態で言えなかったのなら、どういう状況にまで追い詰められればちゃんと伝えられるというのだろう。

「弦一郎……俺はもう、さじを投げていいか」

呆れた声を漏らし、空いていた片手で前髪を掻き上げながら、もう一度重い溜息をつく。
そんな柳に、電話の向こうの真田は慌てて言い訳するように言葉を返してきた。

『い、言おうとはしたんだ! しかし……まさに言いかけた丁度そのタイミングで、彼女のご家族が……帰ってきて……しまって……』

そこまで言って、真田は落胆したように声を失う。

「……なるほど、丁度邪魔が入ったわけか」

ならば仕方ないかと、柳は心の中で苦笑した。

(せっかく、なけなしの勇気を振り絞ったのだろうに……気の毒にもほどがあるな)

そう同情しながらも、状況を想像すると少し笑いそうになってしまうけれど。
今笑えば彼が多少なりとも傷つくだろうかと思い、柳はそれを抑える。

「まあ、気持ちは言えなかったにしろ、会ったのは会ったんだろう。せめて、今日のあの一件に関しての話くらいはできたか?」
『あ、ああ』
「一体どんな風に話したんだ」
『い、いや、そもそもだな、彼女は今日俺が怒った理由を勘違いしていて――』

真田がたどたどしく今日話した内容を説明し始める。
彼女の勘違いとやらの詳しい話を聞き、思わず彼女らしいと思いながらも、柳はそこまで二人がちゃんと話し合えたことを内心とても嬉しく思い、笑みを浮かべた。

「なるほど、今日の件に関しては完全に解決したわけだな。良かったじゃないか」
『……ああ』
「では、他に話は? そういえば、彼女の方からはお前に何も言わなかったのか?」
『それは……だな……』

そこで真田の言葉が止まる。
否定はせず言いにくそうに口篭もるその態度が、暗に何かあったことを物語っていた。

「今更何を恥ずかしがっているんだ。俺はもうお前がを好きだと知っているのだから、何も恥ずかしがることは無いだろう?」
『あ、ああ、それはまあ、そうなんだがな……』

そう言って、真田の声がまた止まる。
気持ちを知られていたとしても、彼の性格上、恋愛事の話を他人にするのはやはり恥ずかしいのだろう。
しかし柳は、二人が今日何を話したのかをどうしても知りたかった。
いくら内心ではお互い好き合っているとしても、彼も彼女も不器用で純粋過ぎる。
二人が自然に纏まるのを待つのでは一体いつになるのかわからないから、まだ彼らに手を貸してやった方がいいと思うのだが、それには今の正確な状況を知っておきたいところなのだ。
――まあ実のところ、好奇心的な部分が全く無いとは言わないが。

「……弦一郎、俺は親友として、本当にお前の恋を応援しているんだ。できる限り力を貸してやりたいとも思っている。そのためにも、今のおまえたちがどんな状況にいるのかなるべく正確に把握しておきたいんだが、それでも教えてはもらえないか?」
『……う、うむ……いや』

真田が、電話の向こうで迷うように唸る。
そしてややあってから、たどたどしく話し始めた。

『……嫌いにならないでくれと、言われた』
にか?」
『ああ……泣きながら、私を嫌いにならないでくれと……』

そう言って、照れているのをごまかすように、真田は咳払いをする。

「……弦一郎、それにお前は何と答えたんだ?」
『い、いや……その、まあ……お前を嫌いになることなどありえない、というようなことをな……』

そんな真田の言葉を聞いて、柳は思わず言葉を失う。
それはもう、お互い告白も同然ではないだろうか。
邪魔が入ったとはいえ、そこまで言っておいて、纏まっていないのが不思議でしょうがない。
どこまで不器用な二人なんだと、柳は苦笑した。

「良かったじゃないか。さすがのお前もそこまで言われれば、もう彼女がお前のことなどなんとも思っていないだとか、ましてや嫌われたのではなどと馬鹿げたことは思わないだろう?」
『……うむ……まあ――そ、そうだな。もしかしたら、もしかするのかもしれん、とは……思わないでも、ないが』
「それなら良かった。それでもまだ四の五の抜かすようなら、本当にさじを投げるところだったよ。しかし弦一郎、しっかり気持ちを伝えない限り、まだ安心は出来ないぞ。次会った時はしっかりやれよ」
『う、うむ……』

曖昧に返事をして、親友の声が途切れた。
その様子で、思いきり照れているのがありありと分かる。
きっと電話の向こうで真っ赤になっているだろう親友が、なんだかとても微笑ましくて、可愛らしかった。

「まあ、もう遅いから今日はそろそろ切り上げるか。ではな、弦一郎。おやすみ。明日からも頑張れよ」
『……ああ。おやすみ、蓮二』

真田の返事を確認し、柳は持っていた携帯を耳から離すと、そっと停止のボタンを押した。
そして、持っていた携帯を見つめながら、先ほどの親友の幸せそうな様子を思い出し、またふっと微笑う。

(やっと、本当にゴールが見えてきたな)

気難しくて誤解されやすいけれど、とても他人思いの大切な親友と、いつも頑張ってくれる可愛らしい妹のようなマネージャー。
今日は纏まらなかったにしても、とてもお似合いなあの二人が彼氏彼女の関係になるのは、間違いなく時間の問題だろう。
そして、昨日までのあんな辛そうな二人の姿は、もう二度と見なくて済みそうだ。
柳はまるで自分のことのように嬉しくなりながら、近い将来きっと見られるであろう、幸せそうな二人が寄り添う姿を想像する。
――その瞬間。
心の中で二人を微笑ましく思いながらも、ほんの少し、そんな二人が羨ましいとも思った。
彼らのように想う異性がいるわけでもなく、別に今特定の恋人が欲しいとも思わないけれど、そういう幸せの形もあるのだなと思いながら、柳はふむと小さく声を漏らす。

(いつか俺も、弦一郎とのように想い合える相手が出来るのだろうか)

そんなことを思いながら、柳はまだ見ぬ相手に思いを馳せ、ふっと笑ったのだった。

初稿:2008/05/01
改訂:2010/03/30
改訂:2024/10/24

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