五号館裏での話が済んだ後、切原とは、改めて部室へと向かった。
「ま、そんなに緊張するなよ」
先ほどから一言も喋らないを心配しているのだろう。切原が、笑ってに声を掛ける。
「う、うん……分かってる……だ、大丈夫」
しかし、言葉ではそう言いつつも、荷物を抱きしめるようにして持っているの両手は少し震えていた。
「全然、大丈夫そうには見えねえけどな」
切原が苦笑しながらつぶやいたその言葉に、はうんともすんとも返せない。
それは、返す言葉が無かったのではなく、切原の声すらもう聞こえなくなってしまうほどの緊張が高まっていたのだ。
やがて、二人は部室棟である海林館に到着した。
テニス部は、一階の端の広めの二部屋を与えられているという。切原は、そのうちの一部屋の前に立った。
「じゃあ、行くぞ」
「……ん」
の返事を確認してから、コンコンと切原は軽くノックをする。――が、少し待っても中からの返事は一向に聞こえて来ない。
「ありゃ、誰もいねえのか?」
そう言ってドアノブに手をかけ、切原がガチャガチャと動かしてみるも、鍵がかかっているらしく開けることは出来なかった。
「部室、開いてないの?」
「ああ、でも隣の第二部室にもう誰か来てるみたいだし、そっちが開いてりゃ大丈夫だ。第二部室の鍵にこっちの方の鍵も一緒にくっついてっから、俺、ちょっと隣行って借りてくるわ」
そう言い残すと、切原は荷物を持ったまま隣の部室へと入っていく。
そして、中にいたらしい他の部員と何やら話す声が聞こえたが、すぐに鍵を手にして戻って来た。
切原は改めて鍵を開けると、部室のドアを勢いよく押し開ける。彼は慣れた足取りで中へと足を踏み入れつつ、ドアを抑えたままくるりと振り返った。
「お前も入れよ」
「じゃ、じゃあ……お邪魔します」
小さな声でそう呟きながら、ドアを抑えてくれている切原の横をすり抜け、は中へと入る。
が入ったのを確認すると、切原もドアから手を離し、中へと入った。
電気がついておらず薄暗い部室の中で、は立ち尽くす。
ただ水を打ったように静まり返っている部室は、やはり誰も――勿論真田の姿もなく、は緊張の糸がぷつりと切れたように力が抜けた。
「……はぁ」
大きな息を吐いて、緊張で乱れていた息を整えていると、切原が部室の電気をつけてくれた。
は明るくなった部室内をぐるりと見渡してみる。
最初に目に付いたのは、部室奥に飾られたトロフィーや盾の数々だった。は、自分のロッカーに荷物を入れている切原の後ろを通ってそれに近づくと、まじまじとそれらを見つめた。
「すごいね、こんなにたくさんあるんだ」
「ああ、まあな。ウチのテニス部は歴史が古いから、それだけ数も多いんだろうな。俺達が生まれる前のとかもあるんだぜ」
ロッカーを閉め、彼はははっと笑った。
「そうなんだ。本当にすごいとこなんだね、テニス部って」
圧倒されそうなほどに並んだ数々の記念物達は、この部の歴史と実力を物語っていた。
やはり、立海大附属中学テニス部というところは、ただの中学の部活ではないのだ。
そんなことを思いながら、が緊張した面持ちでそれらを見続けていると、背後で切原の声がした。
「あのさー、ちょっと俺、先輩たち探してくるわ。先輩たちいねーと、お前の事どうすりゃいいのか分かんねーしさ」
そう言って、彼は頭を掻く。
どうやら、荷物をロッカーに仕舞い、手持ち無沙汰になったらしい。
「あ、うん、分かった」
「思い当たるとこ探してすぐ戻ってくっから、ここで待ってろよ」
そう言い残して、切原は走って部室を出て行く。
そして、その部屋には一人が残された。
静かだった部室が更に静寂を増し、なんだか逆にとても落ち着かない。
ミーティング用らしき長机とパイプ椅子はあったが、勝手に座るのもどうかと思い、は立ったままただきょろきょろと部室内を見渡した。
部活などやったことがないにとっては、部室という場所に入るのも初めてだったので、なんだか全てが目新しい。
机、椅子、ロッカー、本棚――それに、あれは冷蔵庫だろうか。
そうやって見渡していくと、出入り口近くにホワイトボードがあるのが目についた。
一ヶ月分の予定が書き込めるタイプのホワイトボードのようで、なにやらびっしりと細かく書き込まれているのが、少し離れていてもわかった。
「何が書いてあるんだろう?」
つい興味が湧いて、はゆっくり側に寄り、まじまじとそれを見つめた。
「うわ……!!」
その内容に驚く余り、思わずの喉から小さな声が漏れた。
月曜日から日曜日まで、平日や土日祝祭日関係なくびっしりと埋め尽くされ、何も書かれていない日など皆無と言っていい。
基礎練、長距離ロードワーク、部内対抗試合、レギュラー練習、ミーティング、どこそことの練習試合、合同練習。その他にも、見慣れない言葉がたくさん並んでいる。
切原の言っていた「休みがない」という言葉は、やはり大袈裟でもなんでもなかったのだ。
――本当に、自分に出来るだろうか、と問い掛けたくなる気持ちを、は必死で押しとどめた。
(『出来るか?』じゃない、『やる』んだ!!)
自分に喝を入れるようにぎゅっと握りこぶしを作って、天井を仰ぐ。
すると、先ほどのホワイトボードの上に、書道のボードが掛けられているのに気がついた。
とても達筆な字で、「確乎不抜」と書かれている。
意味も読み方もよくわからないその言葉を、は眉間に皺を寄せながらじっと凝視した。
「なんて読むんだろう……かく……」
「――かっこふばつ、だ」
出入口の方から、そんな声が聞こえた。誰か来たのかと、は振り返る。
そして、その姿を視界にとらえた瞬間――の息が止まった。
――真田弦一郎。
鞄を肩に掛け、黒い帽子を少しの狂いもなく真っ直ぐに被った彼が、正にほんの一、二メートル先に立ち、その瞳でを見つめていたのだ。
こんなに唐突に、彼の姿を見るとは思っていなかった。は、驚いて完全に頭が真っ白になり、言葉を失う。
「確乎不抜――意志をしっかり持ち、何事にも動じない、という意味だ。簡単に言えば、どんな時でも平常心を保てということだな」
説明しながら、真田はドアを後ろ手に閉め、慣れた足取りで部室の中に足を踏み入れる。
そして、自分のものと思われるロッカーを開け、持っていた鞄を収めつつ、尚もの方を見て言葉を続けた。
「……お前は、確か昨日試合を見に来ていた赤也のクラスメイトだな。確か……、といったか」
彼が、自分の名を呼んだ。
(昨日のこと、憶えててくれてるんだ……)
昨日の今日だから当たり前なのかもしれないが、彼が自分を覚えていてくれたことに、確かな嬉しさを感じた。
その瞬間、止まっていたの感覚が動き出す。
心臓がドキドキしている――頬もなんとなく熱い。
先ほどまで収まっていた緊張が、一気に息を吹き返した。
しかし、それを彼に悟られないよう、は必死に平静を保とうと試みる。
「は、はい。切原君と同じクラスの、です。昨日は、あの、ありがとうございました」
「赤也の言っていた新しいマネージャー候補というのは、お前か?」
「はい、い、一応……」
意識しないように努めても、どうしても言葉がぎこちなくなってしまう。
しかも、真田は真っ直ぐ貫くような視線でを見つめてくるから、尚更だった。その視線は、の緊張を更に加速させた。
「赤也は、一緒ではないのか?」
「ついさっき、私のことをどうしたらいいのか自分ではわからないから、先輩達を探しに行くと言って出て行きました」
「そうか……ならばすぐ戻ってくるだろうか」
「そ、そうですね。思い当たるところを探して、すぐに戻ってくるからって言ってました」
「そうか」
そんな一見他愛なさそうな会話を交わしながらも、真田はをじっと見つめたままだ。
こうやって二人で話していると、つい昨日のことを思い出しそうになる。しかし、昨日とは全く彼の雰囲気が違うことに、は気付いた。
彼の眼差しが、昨日と今日では全く違うのだ。
昨日は、どことなくあたたかくて優しさすら感じたような気もしたが、今日のそれは、まるで品定めするような、の奥底を見抜こうとするような、そんな厳しい眼差しだ。
昨日とは自分の立場が違うのだと、は直感した。
彼にとって、昨日の自分は部の応援に来た一般生徒だったから、例え自分がどんな人間でも構わなかったのだ。しかも休日を使ってまで応援に来ていた分、好意的にも見られたかもしれない。だから、あんなにあたたかい目で見てくれたのだろう。
しかし今日の自分は、彼の大切な部活の一員となるかもしれない存在なのだ。
テニス部のプラスとなるか、マイナスとなるか――それが全てであり、昨日の自分など彼にとってはもはや関係無いに違いない。
――テニスに関しては、特にそうでさ。テニス部のこと、すげぇ大切に思ってる。テニス部にマイナスだと思ったものは、容赦なく切り捨てちまう。
先ほどの切原の忠告が脳裏を掠め、の額に冷や汗が流れた。
「今現在、部活はやっていないのか?」
真田の声で、は我に返る。
「は、はい……一年の時からずっと、帰宅部だったので」
その言葉を聞いて、真田の眉間に僅かに皺が寄った。
「……帰宅部? 何故、部活に入らなかった?」
「あ、あの……登下校にちょっと時間がかかるので……慣れないうちは、と思ったまま今日まで来てしまいました」
「どれくらいかかるんだ?」
「一時間から一時間半ほどです」
「ふむ、確かに多少長めではあるか……。しかし、マネージャーをやるとなると、朝練もあるし、下校時刻までは絶対に帰れないが、いいのか?」
「分かっています。学校生活には慣れましたし、大丈夫だと思います」
まるで、尋問のような会話だった。
なるべく悪印象を与えないように、そして極力、緊張して強張ってしまっているのが悟られないように――それだけを必死に考えながら、は慎重に言葉を選ぶ。
「なるほど、そうか……」
そう呟いて、真田の動きがほんの少し止まる。どうやら、何かをじっと考え込んでいるらしい。
一体何を考えているのだろうと、ドキドキしながらが彼を見守っていると、やがて大きく息を吐き、彼はを見据えた。
――そして。
「テニス部のマネージャー就任の件は、赤也に頼まれたのだろうか」
今まで以上に真剣な瞳で、彼は切り出した。
「もし、赤也に強く頼まれて押し切られたのだったら……せっかく受けてもらったのにすまないが、この話はなかったことにしてもらいたいのだ。正直、我が部のマネージャーは大変な仕事だと思う。安請け合いで長続きするとは到底思えん。しかも、もと帰宅部なら尚更だ」
の返答を待たず、真田は言葉を続ける。
「失礼な言い方をしているとは分かっている。しかし、今我が部は全国三連覇をかけた大切な時なのでな。続くかどうかも分からぬマネージャーに仕事を教えるような暇は、正直言って、無い。教えたところで早々に辞められるくらいなら、最初から入られない方がありがたいのだ」
淡々とした、それでいて威厳のある口調で、彼は言葉を紡いだ。
しかし、彼の物言いに、内心は少しムッとする。
同時に、真田にとっては、自分は多少なりとも招かれざる客であることを感じ取り、胸が痛くなった。
でも、こんなところまで来て、やすやすと引き下がるわけにはいかない。
せっかく後押ししてくれた親友に合わせる顔が無いし、何より頑張ると決めたのは誰でもない、自分の意志だ。やってもみずに最初から諦めたりするなんて、絶対に嫌だ。
「……切原君に頼まれたのは、確かにその通りです」
は、ぎゅっと両手を握って、真田を見つめた。
「ですが、決めたのは私の意思です。安請け合いをしたつもりもありません。切原君からどんなに大変な仕事かを聞いて、その上で考えての決断です」
慣れない相手の目を見て話すのは、はあまり得意ではなかったけれど、それでも今はこの目を逸らしてはいけないと思った。
「……上手くは言えませんが、昨日テニス部の試合を見せて頂いて、感動したんです。すごいなって思いました。そしたら、帰宅部で、学校と家との往復ばかりの自分の生活が、なんだかとても勿体無いものに思えたんです。そんなときに、切原君からマネージャーに誘われました。大変だとも聞きました。でも、私にも夢中になれる何かを見つけられそうな気がしたんです」
一番自分を突き動かした理由は、確かに真田のことを知りたいと思ったからで、そんなことは絶対に彼には言えないけれど。
それでも、この気持ちも間違いなく本音だ。
「お願いします、やらせて下さい! 一生懸命、やりますから!!」
訴えるように叫んで、が勢いよく頭を下げた――その瞬間。
ガン、と威勢のいい音が聞こえて、鈍い痛みがの腰を襲った。
同時に、ホワイトボードのペン受けに置いてあったペンや字消しが、幾つか落下する。
勢いよくお辞儀をしたせいで、反動で腰の位置が後ろに下がり、丁度その位置にあったホワイトボードのペン受けの角で腰を打ったのだ。
「痛ぁ!」
反射的にそう言って、腰をさすりながらうずくまると、驚いた真田がに近づいてきた。
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫です……! すみません!!」
あんなに息巻いて大見得を切ったのに、次の瞬間にこんな醜態を晒してしまった自分が恥ずかしくて、の顔は真っ赤に染まった。
顔が上げられない。これではもう、台無しではないか。
(は、恥ずかし過ぎる……!!)
じんじん痛む腰を片手で抑えながら、は慌てて落ちたペンを拾おうと身をかがめた。すると、真田も膝を折り、落ちたペンを拾い上げ始める。
「す、すみませんすみません!!」
さっきの見得はどこへやらだ。は顔も上げず、ただひたすら彼に謝り倒した。
――すると。
くくっと、小さな笑みが真田から漏れた。
「気にするな、落としたくらいで壊れるようなものでもない。それより、お前は大丈夫なのか」
「は、はい、痛かったですけど、私も頑丈にできてるので、これくらいでは壊れませんので……」
しどろもどろになりながら、は言う。それを聞いて、また真田はくすりと笑った。
そして。
「……さっきは、失礼な言い方をしてすまなかったな」
先程のものとは違う、優しい声が聞こえた。は、驚いてはっと顔を上げる。
「今までのマネージャー候補たちが、どれも余り続かなくてな。お前もどうせ同じだろうと、最初から色眼鏡で見てしまったようだ。本当にすまなかった」
そう言いながら、真田は立ち上がり拾ったペンをペン受けに戻すと、両手をパンパンと叩いて埃を払った。
「い、いえ……気にしないで下さい」
も立ち上がり、同じようにペンを元に戻しながら、続ける。
「元帰宅部のくせにこんな大変な部のマネージャーを志望するだなんて、色眼鏡で見られても仕方ないと思いますし」
まだ少し赤い顔のまま、は頭に手をやって苦笑した。
「でも、あの、本当に頑張るので、その……」
腰を打った一件で、先程の言葉に潜んでいた覇気らしきものはすっかり消え失せてしまっていた。
は、言葉が上手くまとまらないまま、それでも必死で言葉の続きを綴ろうとする。
――その時だった。
「……」
名前を呼ばれて、は言葉を止め真田を見上げる。
その彼の眼差しからは、先ほどの冷たさはもう感じられなくなっていた。
「一生懸命やってくれるのであれば、マネージャーはとてもありがたい存在だ。こちらこそ、どうかよろしく頼む」
そう言うと、真田はに手を差し出した。
握手を求められているのだと気付き、は両の掌をパンパンと軽くはたいて手に付いていた埃を落とすと、ゆっくりとその手を握った。
「どうか、よろしくお願いします!」
真田の大きな手を握りながら、は深深と頭を下げる。
――あたたかい、優しい手だ。
「ああ、よろしく。そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな。俺は真田弦一郎。テニス部の副部長を務めている」
そう言った真田の声も、眼差しも、どこか柔らかで優しかった。
昨日、に「ありがとう」と言ってくれた、あのときのように。
の胸が、とくんと鳴った。
(やばい……また、緊張してきちゃった……)
大きく息を吐き、は落ち着こうと試みる。
しかし、心臓はなかなか落ち着いてくれそうに無い。顔も心無しか赤くなっているような気がする。
そんな自分の変化を彼に悟られないように、はもう一度深深と頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
「ああ。――ところで、活動の時の服装だが……今日は体操着などは持っているか?」
そう言いながら、真田が手を解く。まだ妙に熱さの残る掌をそっと引っ込め、は頷いた。
「はい、持っています」
「それでは、女子更衣室でそれに着替えて来てくれるか。当たり前だが、女はお前だけなのでな。ここや隣は部員が着替えるので、不便かもしれんが、これからも普段は女子更衣室で着替えてもらうことになる」
自分も着替えるのだろう、制服のネクタイを緩めながら真田が言った。
「わかりました。じゃあ、行ってきますね」
「着替えたらまたここに戻ってきてくれ。荷物はここに置いていってもらって構わない」
「はい!」
は大きく頷くと、体操着の入った袋だけを手にして、部室を後にした。
そして、火照る頬と握った掌の熱さを打ち消すように、更衣室へと全力疾走した。
◇◇◇◇◇
が部室を去った後、部室で一人真田が着替えていると、にわかに部室の外が騒がしくなった。
窓越しにうつる影を見る限り、先ほどの彼女がもう戻って来たわけではなく、いつものメンバーが部活に来たようだ。
やがてすぐに部室のドアがノックされ、真田は着替えの手を止めないまま、それに返事をする。
「開いている、入っていいぞ」
真田がそう言うと、部室のドアが開き、真田にとっては御馴染みの面々が姿を現した。
「失礼する。もう来ていたのか、弦一郎」
「早ぇなー真田。お前のクラス、進路説明会のあとのホームルーム、そんなに早く終わったのかよ」
そんなことを言いながら、数名の男子生徒が部室に入ってくる。
その中には、先ほど自分たちを探しに行ったという、切原の姿もあった。
「先輩達、進路説明会で遅くなるならそう言って下さいよー。どうしたのかと思って、探しに行っちゃったじゃないですか」
癖っ毛頭の後ろで手を組み、切原が呟く。そんな彼に、真田は呆れたような声で返した。
「行事予定のプリントに、ちゃんと載っているはずだぞ」
「弦一郎、赤也がそんなものをちゃんと見てるわけないだろう」
そんなことを話しながら、それぞれ決められたロッカーに近寄り、各々荷物をしまう。
「そうっすよ、自分の学年の予定でも見ねぇのに、三年のとこなんて見るわけないっす。……あれ、副部長。部室に、――女子、いなかったっすか。メールで言っといた、新しいマネージャーなんすけど。ここで待ってろって、言っといたんだけどなぁ……どこ行ったんだ、アイツ」
部室を見渡し、その姿が見えないことに気付いた切原は、不思議そうな声で真田に尋ねた。
「ああ、着替えに行ってもらった。すぐに戻ってくるだろうから、お前らも早く着替えをすませろ」
そう言いながら、真田は黄色いテニス部のジャージを羽織り、一足早く着替えを終わらせた。
そんな真田と切原の会話に、赤毛の男子生徒――丸井ブン太は、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「新しいマネージャーが入るって、マジだったのかよ。どんな子?」
「真面目な子っすよーしっかりやってくれると思うっす」
そう言って笑う切原の隣で、真田はふむ、と頷いた。
そして。
「確かに、見込みはありそうだったな」
誰にも聞こえないような小さな声でそう呟き、ほんの少しだけ口角を上げてそっと笑った。