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04:協力と忠告

真田が切原からのメールを受け取ったのは、昼休みに部室で柳と共にテニス部の練習メニューを考えているときだった。
同時発信したのだろう、真田と柳の携帯は二人同時に鳴った。

「新しいマネージャー、か」

後輩から送られてきたメールをじっと見つめながら、どこかぶっきらぼうに真田が呟く。

「……とりあえず、赤也の言う通り、放課後来てもらうという事でいいか? 弦一郎」

メールの返事を打ちながら、柳は言う。
真田はそれに「ああ」と頷き、返事は柳に任せて自分の携帯を仕舞った。
やがて、柳のメールを打っていたボタン音が止まった。

「よし、送信完了だ。……今度は続くといいな」

苦笑しながら、彼は携帯をポケットに仕舞う。
それを横目で見つめ、真田は疲れたように前髪をかき上げると、溜息を吐いて呟いた。

「あまり期待はせん。これでもう、何人目だ?」
「ふむ。四月の始めから数えると、次で六人目だな。在籍日数が、最低で一日、最長で九日ほどだったか。一人当たり平均四日ほどだ」

彼が冷静に即答したデータに、真田は思わず頭が痛くなって額を押さえた。
辞めたマネージャーの人数など途中からもう数えていなかったが、そんなに多かったとは。

「全く、最近の若い者はたるんどる」

そう言って、腕を組みながら真田は再度深いため息をついた。
まるで何十歳も年下の者に対するような物言いに、柳が苦笑を浮かべる。

「まあ全員一年生だったので、学校生活に慣れていなかったせいもあるのだろう。あまり責めてやるのも可哀想だ」
「そんなものだろうか?」
「ああ、部員として入部した一年も、この一ヶ月で半分くらいは辞めただろう。それと同じことだ。……まあ、例年見られる光景だがな」

全国に名を馳せるほど強い部というのは、それだけ華やかに見えるものなのだろう。
毎年、テニス部に入ってくる新入部員の数は、数ある部活動の中でも五本の指に入る。しかし、一週、二週と経過していくうちに、一年生部員の数は目に見えてどんどん減り、五月頃には当初の半分以下になっていることがほとんどだ。
とはいえ、四月頃の練習などまだまだウォーミングアップのようなものだ。
一番ハードな時期に比べればせいぜい半分ほどの練習量しかない、この時期の練習にすら音を上げるような者が、夏の大会前のそれについて来られるわけが無いので、辞めてもらっても全く問題ないとは言えるのだが――歳は違えど同じ立海に入学した者として、「情けない」と思ってしまうのもまた確かだった。

そしてそれは、選手ではない女子マネージャーも同じだった。
去年の秋、三年生だった先代マネージャーが引退して以来、二桁を数えるほどにはマネージャー志望者がいたのだ。しかし、ある程度の在籍期間の長短はあったものの、見事なほどに誰一人として続かなかった。
春の新入生に期待しよう、と思ったのも束の間、四月からの新入生も結局は同じだった。皆、だいたい数日程度で音を上げて去っていってしまう。

正直なところ、仕事を教えたそばから辞めていかれるのではたまったものではない、というのが真田の本音だった。時間は有限だと言うのに、教えた時間、労力、全てが無駄になってしまう。
こんなことが繰り返されるくらいなら、もうマネージャーなど募集しなければいいのではとも真田は思いつつあった。
選手と違って、マネージャーは部活動にどうしても必要というわけではない。実際、マネージャーが不在の間も、雑用などはなんとか部員だけで回すことは出来ている。
無駄な時間を浪費するくらいなら、そもそもマネージャーの募集自体しない方がましではないだろうか。

とはいえ、最近はテニス部のマネージャーはきついので生半可な覚悟で続けられるものではないという噂がたってしまったらしい。
連続して来ていたマネージャー志望者はぷつりと途切れ、真田はどこか少しホッとしてもいたのだが――まさか、まだ志望者がいるとは。
真田の中で、期待する気持ちより、また無駄な作業を繰り返すのだろうかという気の重さが勝った。真田は、大きな溜息をついて少し何かを考えていたが、やがて顔を上げ、呟くように柳に告げた。

「蓮二、次が駄目なら、今年はもうマネージャーを取るのはやめにしないか。多少練習の時間は削られてしまうが、部員内で役割分担をきちんと決めれば、マネージャーがいなくてもなんとかやっていけるだろう。実際、今でもなんとかなっているしな」
「ふむ……それも視野に入れたほうがいいかもしれんな。しかし、それを考えるのは赤也が連れてくるという子を見てからでも遅くないだろう」
「……まあ、それはそうかもしれんが」

柳の返答に、真田は腕を組んで頷く。
しかし、どうせ今度も続かないだろうと思う気持ちが表情に出てしまったのか、少々釈然としない顔つきだ。
そんな真田の気持ちを見透かしたように、柳は苦笑を浮かべる。

「いいマネージャーが入るなら、それに越したことはないだろう。俺達も雑用をしなくて済む分、練習時間が増えるのだからな。弦一郎、頼むから新しい子をその顔で威嚇するんじゃないぞ。その顔で対応されたら、続くものも続かん」
「……わかっている。失礼なことを言うな、蓮二」

柳の物言いに、真田はむっとして眉間に皺を寄せる。そんな真田を見て、柳はくくっと笑った。

「ああ、もうそろそろ昼休みが終わる時間だ。練習メニューの考案は、またにするか」

柳は机の上に広げていたノートを閉じ、二人は共に部室を後にした。


◇◇◇◇◇


軽やかな終業の鐘の音が鳴り、担任の教師が挨拶をすると、静かだった教室内はにわかにざわめきたった。
放課後の掃除当番に当たっている者が掃除を始め、机を動かす音が教室中に響く中、楽しそうに帰りの寄り道の話をする者、部活に行こうとする者など、多種多様な声がその音に混じる。
そんな中、は緊張した面持ちで、自分の鞄を握り締めていた。

――とうとう、放課後になってしまった。
昼休みに切原からテニス部のマネージャーに誘われ、唐突にこの放課後から入部することになってしまったおかげで、五・六時間目の授業は、上の空だった午前中の授業以上に頭に入らなかった。
初めての部活動をすること。強豪と呼ばれるだけあってとてもハードらしいテニス部のマネージャーをすること。「あの人」に会うこと。どれを取っても、緊張しない要素が無いのだ。
震える掌で鞄を強く握り締め、が少しでも自分自身を落ち着けようと息を整えていると、ひょっこりと現れたふたつの明るい声が耳に届いた。

、準備できたか?」
! 頑張ってね!」

声を掛けてきたのは、やはり切原とだった。
二人の方を向き、はどこかぎこちなく頷く。

「う、うん……が、頑張る」

緊張するあまり、声が上擦ってしまった。そんなは苦笑する。

ー、リラックスリラックス! ね?」

そう言って安心させるようにぽんぽんと肩を叩いてくれた親友に、はなんとか笑顔を向ける。
すると、もまた優しく笑い返した。

「よし、まだ堅いけど……その笑顔で頑張れ!」
「うん、ありがと」

そんな二人を一歩離れて見ていた切原は、手にしていた鞄をひょいと肩に引っかけ、その足を教室の外に向けた。

「じゃあ、そろそろ行くか」
「切原君、のことよろしくね」
「おう! 任せとけって」

の言葉に嬉しそうに笑って大きく手を振ると、切原はそのまま教室を後にする。

「あ、ま、待って、切原君! じゃあ、行ってくるね。も美術部頑張ってね!」

そう言って慌しくに手を振り、は小走りで切原を追った。


教室を出てすぐには切原に追いつき、そのまま二人は階段を下りる。
そして、掃除をしている生徒たちを横目に、テニス部の部室に向かって歩いた。
――しかし。
下足室で靴を履き替えた後、切原の後を着いて行くの足が止まった。
切原の足が、テニス部の部室ではない方へと向いたのだ。

「……あれ、切原君。テニス部の部室って、確か海林館じゃなかったっけ。そっちの方向じゃないよね?」

不思議に思ったが切原を呼び止めると、彼は振り返って、にいっと笑った。

「ああ、部室に行く前にに話があるんだ。ちょっと着いてきてくれよ」
「話? 話って?」
「いいから、来いって」

そう言うと、切原はまたスタスタと歩き出した。
切原の真意が全くわからず、の頭の中は疑問符だらけだ。
何がなんだかわからないまま、は黙ってその後を着いて行った。
それから数分ほど歩き、切原がやっと足を止める。

「……ここらでいいかな」

そこは人が滅多に通らない、五号館校舎の裏だった。

「遠いとこまで来てもらっちまって、すまなかったな。他のテニス部の奴やクラスの奴に聞かれるわけにゃいかないんでね」
「うん。それで、話って、何?」

は、恐る恐る彼に尋ねた。
他の人に聞かれるわけにはいかない話とは、一体どういう話なのだろう。
全く想像がつかず、は警戒して表情を曇らせる。
その心をほぐすように、切原はにっこりと笑いかけると、大きく息を吸って話を切り出した。

、俺、お前と真田副部長のこと、出来る限り協力する」

彼が、そう言った途端――の胸が、大きくどくんと跳ねた。
思わず「はあ!?」と大きな声をあげ、目を見開いて彼の顔を見る。

「な、何? そういう話なの?」

心臓の音がどんどん煩くなって、顔が一気に熱くなった。
は、その恥ずかしさを隠すように、片手を口元に当てる。
まだ決して、真田に特別な好意を抱いているつもりはないのに、やはり切原は何か勘違いしているらしい。
その誤解を解かなければと、は慌てて言葉を口走った。

「や、べ、別にね、わ、私そこまでは、まだっていうか、そういうつもりじゃ、なくて」
「ちょっと落ち着けよ、。最後まで話聞けって」

苦笑を浮かべた切原が、呂律の回らないの言葉を遮った。
それに面食らって、はぱちぱちと瞬きをする。
そして、自分の胸を落ち着かせるようにぽんぽんと叩いて、妙に上がってしまった息を整えた。

「い、一体、切原君は何が言いたいの?」
「だからな。俺、お前と真田副部長のこと、出来る限り協力するからさ。――だから、お前も協力して欲しいワケよ」
「協力?」
「ああ。実はさ、俺、のこと好きなんだよね」

あっけらかんと、彼は言い放った。
しかし、彼の言葉は、にとって余りにも予想外だった。
目を見開いて、は叫ぶように切原に問いかける。

「す、好きって――を!? 本当に!?」
「ああ」

なんでもないように言って、切原は恥ずかしがる素振りもなく、にんまり笑う。
余りにも彼が普通の調子で言うので、何故か逆に自分の方が恥ずかしくなって、は頬を染めた。

「そうだったんだ、知らなかった……」

しかし、思い返してみれば、幾つか思い当たる点がある。
普段だって、と一緒にいるときによく声を掛けられるが、彼はいつでも自分よりに積極的に話し掛けているし、彼女と話している時はとても嬉しそうだ。
切原に昨日のテニスの試合を見に来ないかと誘われたのも、と一緒にいるときだったし、昨日のジュースを買いに行った時だって、今から思えば自分と真田を二人っきりにするというより、ただと一緒に行きたくて、彼自身の本能のままに行動しただけだったのだろう。
考えてみれば、全て納得がいく。

「な。だから、協力し合おうぜ。俺は、お前と真田副部長のこと。お前は、俺とのこと」

そう言って、悪戯っぽい顔で彼は再度にんまりと笑った。

「協力するって言っても……何をしたらいいのか分かんないんだけど……」

は眉をひそめ、続ける。

「切原君は、テニス部のマネージャーに誘ってくれただけで、充分すぎるほどの協力になってるけど、私はどういう風にすれば切原君の協力になるのかわかんないよ」

切原は決して悪い人ではないと思うし、も彼のことを嫌いには見えないから、出来る範囲で協力することは構わない。けれど、本当にどうすればいいのかがわからなかった。
――実は、はまだ「恋」というものをしたことが無かったのだ。
ただ一人の相手に対して、その他大勢の他人とは違う特別な好意の感情を抱くことを恋と呼ぶ。
そういう感情があるということは、漫画などで読んで知識としては知っているけれど、それはまだ自分自身では感じたことが無いものだった。
真田のことは確かに興味はあるが、決してまだそういう対象ではないと思うし、彼のことを知りたいと思う以上の感情は持ち合わせていない――はず、だ。

「……あの、私の方は、これ以上気を遣ってくれなくていいからね。……私はまだ、真田先輩のこと特別に……あの、す、好きとか思ってるわけじゃないっていうか……本当に、切原君が思ってる程、そこまでじゃないっていうか……」

本音だけれど、なんだか妙に言い訳じみて聞こえる。恥ずかしくて、は頭を伏せて俯いた。
そんな彼女を一瞥し、切原は笑う。
そして、口の端に笑みを浮かべたまま、さばさばと言い放った。

「……ま、正直、お前が副部長のことどう思ってようが、実はどうでもいいんだわ。とりあえず、理由はどうあれテニス部のマネージャーさえ続けてくれればさ。俺にとってはそれだけで充分協力になるんだよな」

彼の言っているその言葉の意味がよくわからず、は顔を上げた。

「どういう意味?」

赤い顔のまま、は不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせる。
切原は、そんなに説明するように言葉を続けた。

「わからねぇ? お前がテニス部にいれば、は様子見に来てくれる可能性が高いだろ」
「あ、なるほど」

は、彼の考えに納得すると同時に、妙に感心した。
確かにあの優しいなら、マネージャーなどという慣れないことを始めた自分のことを気にして、様子を伺いに来てくれるなんてことがあるかもしれない。
それに、先ほど正に彼はに様子を見に来て欲しいとお願いをしていた。
なるほど、こういう意図があったのだ。

「それに、お前のことにかこつけて、話せる機会も増えそうだし」

そう言うと、切原は頭の後ろで手を組みながら笑い、続けた。

「欲を言えば、そうだな。お前からも試合とか練習とか見に来てくれるように頼んでくれたりとか、三人で話してる時にたまーに席外してくれたりなんかすると、嬉しいけどな」
「つまりは、と切原君が話すきっかけをつくったり、ふたりきりになれるようにすればいいのね」
「ま、そういうことかな」
「うん、わかった。やってみる。……ただし、が嫌がってそうな時は、無理はできないよ」

しかしそう言いながらも、そんな心配はいらないだろうとは思った。
彼と話すのを嫌がるというのは、なんだか想像が出来なかったのだ。

「まあ、大丈夫だとは思うけど。、切原君のこと悪くは思ってないと思うし」

がそう言った途端、切原がぴくりと反応して身を乗り出した。

「マジかよ? やった、お前の目から見てそうなんだったら、充分脈アリって思っていいよな!?」

そう言って鼻を擦りながら、彼は心から嬉しそうに笑う。
その表情には、切原のへの想いが溢れているような気がして、はなんだかあたたかい気持ちになった。

「……本当に、好きなんだ」

つい、そんな恥ずかしい言葉が口をつくように出てしまった。
しかし切原は、怒ることも引くこともなく、照れたように笑いながら人差し指で頬を掻いた。

「まあな……そう改まって言われると、ちと照れるけどな」

素直に認めた切原が微笑ましくて、なんだかとても応援したくなってしまう。
――きっと、恋とはこういうものなんだろう。 大好きな相手のことを思うだけで笑顔になれる、そんな素敵な感情。
は、そんな切原のことを少し羨ましく思った。

「ま、そういうわけなんで、よろしくな」
「うん。……じゃあ、行こうか」

まだ少し照れを残している彼に笑いかけて、は歩き出そうと踵を返す。
――しかし。

「ちょい待ち。もうひとつ、言っておきたいことがあるんだ」

彼に呼び止められて、は足を止める。
話は全て済んだと思っていたので、は少々驚いた面持ちで振り向いた。

「何?」
「……真田副部長のことだけど」

彼の口からその名前が紡がれた瞬間、の心臓の鼓動が速度を増した。

「……さ、真田先輩が、どうしたの?」

妙にドキドキと煩い胸を無意識に抑え、は切原に尋ねる。
すると、真剣な表情で切原が語り始めた。

「あの人、決して悪い人じゃねぇんだけど、すっげぇド真面目なんだ。融通も利かない」

一体切原が何を言いたいのかわからなかった。は、彼の話にただ黙って耳を傾ける。

「テニスに関しては、特にそうでさ。テニス部のこと、すげぇ大切に思ってる。テニス部にマイナスだと思ったものは、容赦なく切り捨てちまう。それだけは、肝に銘じておいたほうがいいぜ。女相手でも、そーいうの容赦ねえからさ」
「うん……」

心臓の鼓動が、更に早くなった。
彼に切り捨てられる――そう思うだけで、全身の毛が逆立つような不安感がを襲う。
まだ、彼のことはほとんど知らないし、ちゃんと知り合ってすらいないのに。そんなうちから、切り捨てられるかもしれないなんて想像をしても、何の意味もないだろうに。
そう思うのに――何故こんなに、嫌な感じがするのだろう。

「まあ、お前なら、マネージャーの仕事サボって真田副部長追っかけたり、テキトーな仕事して怒らせたりなんてこと、しねぇと思うけどさ」

そう言って笑う切原に、は深く頷いた。
そして。

「……頑張る、私。マネージャーの仕事、絶対に頑張るから……」

喉の奥から搾り出した言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのようだった。

初稿:2006/06/12
改訂:2010/02/26
改訂:2024/10/24

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