Yellow

ある晴れた秋の祝日。
今日は県内複数の学校が集まり行われる練習試合の日だった。
しかし立海と県内他校ではレベルが違い過ぎであり、特に参加を希望していたわけではなかったのだが、夏の県大会優勝校で全国2位の立海大附属中テニス部は運営側に招待を受けていたため、ほぼ強制的に参加となっていたのだ。

当日まで、みんないつも通りのオーダーで考えていた。
しかし、会場についてから「公式試合でもないし、ただの親善試合みたいなもんだから、あんまりしたことない面白い組み合わせをしてみようか」と言い出したのは幸村だった。
その唐突さに皆苦笑しながらもすぐに柳と真田と幸村の3強で各オーダーを整え直し、それを聞いていたマネージャーのがオーダー表を作成して、なんとか準備が出来たのだった。

そして、予定通り大会が始まった。
あまり試したことのない珍しいオーダーだったはずなのに、立海大附属レギュラーたちはあっさりとストレート勝ちで試合を終えてしまい、時間が大幅に余った皆は次の試合まで休憩をとることにした。
散策に行く者、他の学校の試合を見に行く者、それぞれが思い思いの休憩を過ごす中、幸村と真田はその場に残って荷物番をしながら話をしていた。


「いやー面白いね。真田と赤也のダブルス。息合ってるんだか合ってないんだか」

先ほどの試合を思い出し、幸村が楽しそうに笑うと、それとは対照的に真田が眉間に皺を寄せた。

「赤也がちょこまかと動くからな。視界に入ってきて鬱陶しいことこの上ない。やはり俺は、シングルスの方が性に合っている」
「そうだね、キミはプレイスタイル的にもシングルスの方が向いてるんだろうね。雷を使うにしても、もう一人コートにいれば縦横無尽に動けないし。でも赤也の方は、結構ダブルス向いてると思うんだけどなあ」

二人がそんな会話をしていたその時。

「先輩たち、さっきの試合のスコアまとめ終わりました!」

白い半袖の体操着を着た少女――マネージャーのが歩み寄ってきた。 黄色の立海大附属中テニス部のユニフォームの二人の間に、白い少女が混ざる。

「ご苦労だったな、
「お疲れ様、さん。ありがとう」

の持っていたスコア表を受け取り、二人はその内容を見る。
ショットの内容なども含め、しっかり書き取れているその表を見て、また二人は先ほどの会話を続けた。

「やっぱりダブルスとしては、真田と赤也よりジャッカルと柳の方が上手い試合運びをしているよね。こっちも確か組むのはほぼ初めてだったと思うんだけど。ま、真田の今後の課題は、ダブルスの時はしっかり相手と連携すること、かな? これからダブルスする機会が全くないわけじゃないだろうし、そこは克服しなきゃだよね」
「……ああ、そうだな」

ややぶすっとした表情で、それでも真田は幸村の言葉を素直に肯定する。
――その時、話を聞いていたが、ふいに口を開いた。

「でも3ゲーム目でしたっけ。真田先輩が風林火山の山で手堅く守って、しびれを切らし始めた相手の人の隙を見て、切原君がしっかりスマッシュ決めたの。ちゃんと息ぴったりに見えましたよ! あれは作戦通りだったんですか?」 

思い出すようにそう言って、彼女はまるで自分のことのように嬉しそうに頬を染めた。
そんなを幸村は微笑ましそうに見つめ、逆に真田は顔を赤くして帽子のつばを目深に下げ視線を逸らしながら、小さな声で「まあな」とだけ口にする。

「真田先輩?」
「はは、気にしなくていいよ。真田は照れてるんだよ。大好きな君からじっくり見つめられてその上ストレートに褒められてさ」

そう言うと、幸村は「ね、真田?」と隣にいる親友の帽子の下を覗き込む。
「煩い!」と声を荒げはしたが、真っ赤な顔を隠せない真田はその視線から更に逃げるように背を向けた。

そして、幸村のその言葉に動揺したのは真田だけではない。
も照れたように口元に手を当て、瞬きを繰り返していることに目ざとく気付いた幸村は、矛先をに変え、さらに続ける。

さん、本当に真田のこと好きだよね。他の部員はきっとそこまでちゃんと見てないよ」
「え、だ、だって私はスコア取らなくちゃいけないですし……」
「そうだね、でも真田かっこよかったと思ったでしょ? あれ、別に思わなかった?」

ふふっと笑って、わざと挑発的に幸村は言う。
その言葉を肯定も否定もできず、の顔はただ真っ赤に染まっていくのみだ。
こういう時に例え嘘でも「思わない」と言えないのが彼女の性格であり、皆におもちゃにされる所以でもある。

「もう、幸村先輩!! こんな時までからかうのやめて下さい!!」

そう強く叫ぶと、は「次の試合のオーダー出しに大会本部に行ってきます!!」と言い残して、そのまま大会本部のある方へと小走りで向かって行った。

「やー可愛いよね、さん。さすが真田が惚れた女の子なだけはあるよね」

ひとしきり彼女の反応を楽しみ、幸村はけらけら笑う。
そんな親友の様子を見て、真田は大きなため息をついた。

「幸村……いい加減にしてくれないか……」
「はは、降参する?」

幸村はそういうと、近くのクーラーボックスから自分用のドリンクを手に取って口にした。
それは、第一試合が終わった後に彼女が補充しなおしたものだ。
手の中のそれを見つめ、幸村は感慨深そうな表情を浮かべた。

さん、本当に立派になったよね」
「……何が言いたいのか分からんが」

先ほどのからかいの続きだと思っているのか、真田は表情を取り繕ってぶっきらぼうに言い捨てる。
真田の言葉に、幸村は笑って首を横に振った。

「やだな、違う違う。マネージャーとして、ってこと。ドリンクとかスコア取りとか体調確認とか書類の作成とか確認とか、こっちが言わなくてもしっかりこなしてくれてるじゃない? それに何より、テニスのことちゃんと理解して、試合内容に感想が言えるようになって、いつの間にか俺達の話にもちゃんとついて来られるようになってさ。もちろん、まだ拙いところはあるし、手放しでもうなんでも任せられる!ってわけじゃないけどさ、随分立派になったなあって思ってね」

その言葉に驚いたのか、真田は少し目を瞬かせる。
そんな真田に、幸村は続けた。

「あの子、入部まで全然テニスのこと知らなかったんでしょ? それが半年でここまで出来るようになったのは、やっぱりすごいと思うよ。立派な、王者立海のマネージャーになったよね」

力強く言い、幸村は満足そうに微笑む。

「ああ、そうだな」

幸村の言葉に頷いて、真田は彼女の去っていった方向をじっと見つめた。
公式試合なら出場メンバー全員でオーダーを提出するものだが、今回は特に決まりが無かったので、こういった雑用は全てに任せることにしていた。それは、彼女自らが望んだことでもある。
確かに、幸村の言うとおり、彼女はマネージャーとして本当に立派になったと思う。
ただ、その成長が嬉しくもあるが、頼ってもらう機会が減るのは少し寂しいかもしれない。
真田はそんなことを思いながら、自分の身勝手さに苦笑し、息を吐いた。





しばらく幸村と真田はその場で雑談を続けていたが、いつまで経っても彼女が帰ってこない。
オーダー表を提出してくるだけにしては少し遅いのではないかと、真田はちらちらと彼女の行った方角を気にするように見る。
そんな真田を見て、幸村が口を開いた。

「ちょっと遅いね」
「……何かあったのだろうか」
「どうだろう。真田、見てきたら? まだ次の試合までには時間あるけど、さすがにちょっと気になるよね」

幸村に促されて、真田はうむ、と頷く。
そして、彼女が向かったはずの大会本部に足を向けた。

大会本部に向かう途中も、気にするようにあちらこちらを見回りながら、真田はの姿を探す。
あれで結構間の抜けたところもある彼女だ、もしかしたらどこかで転んで怪我をしていることもあるかもしれない。
本部の隣に設置されている救護室も確認するべきだろうか――などと思っていると。

――居た。

彼女は、どこぞの学校の選手たち二人ほどと話をしているようだ。
歩むスピードを落として、真田はその様子を見つめた。
知り合いなら邪魔をするのは悪いと思ったが、彼女が自分の知らない男たちと話をしている姿は、正直少し複雑な気分にもなる。
邪魔しない程度になら、声をかけてもいいだろうか。それともやはり、話が終わるまでは待っているべきか。
そんなことを思いながら、真田は少しずつ彼女との距離を詰めていく。
すると、彼女と彼らとの会話が少しずつ耳に入ってきた。

「……いえ、私は本当に……」
「えー本当に? あそこマネージャーいたっけ?」
「や、だから、本当なんですってば」

何か様子がおかしい。何か困っている様子すら感じる。
どうやら知り合いというわけでもなさそうだと分かった瞬間、すぐに真田は彼女に声を掛けた。

!!」
「あ、真田先輩!」

真田の声に振り返り、はどこかほっとしたような表情を向ける。
それとは対照的に、話していた相手の選手たちの顔が引きつった。

「……え、立海の真田? マジで?」
「じゃあ本当にキミ、立海のマネージャー?」

焦り交じりの声で彼らが言う。
すると、は眉根を寄せ、彼らに向かって口をとがらせた。

「だから最初からずっとそう言ってるじゃないですか」
「……一体どうしたんだ、

彼女の傍まで近づいて、真田は尋ねる。

「いえ、この人たちにどこの学校か聞かれただけなんですけど、立海って言っても信じてもらえなくて」

困ったように彼女が言う。
真田はそれを聞いて、彼らを睨むように見据えた。

「彼女は確かに我が立海のマネージャーだが……何か用でもあるのだろうか」

つとめて、自然に尋ねたつもりだった。
しかし、真田自身は意識していなくとも、鋭い眼光とにじみ出る圧力は、彼がテニスの試合をしている時と同等――いや、それ以上だったかもしれない。
相手の二人はぐっと言葉に詰まり、目を瞬かせる。

「あ、いや、まあ、見たことないしどこの子かなって思っただけなんだけどな。はは、それじゃ……」
「な、もう行くわ、時間だしな」

急に焦ったように早口になり、二人はそのままそそくさと逃げるように走って行ってしまった。
そして、その場にはと真田が残される。

「ありがとうございました、先輩。助かりました。あの人たち、私の言う事全然信じてくれなくて」

は苦笑を浮かべながらそう言うと、大きく息を吐いた。
そんな彼女に、真田は心配そうに声を掛ける。

「大丈夫か。何もされてはいないか? すまない、もっと早く様子を見に来るべきだった」

「あ、いえ、別に声を掛けられただけで、特に何かあったわけじゃないんですよ。ほんと、どこの学校か聞かれただけです」

男子の大会だし女子が珍しいんでしょうね、と、彼女は笑う。
しかし彼女は気づいていないようだが、もしかして彼女はナンパにあっていたのではないかと真田は思った。
途端に、不快な気分が真田を襲う。

「全く、テニスの試合をしに来ているというのに、不埒なことを考える奴もいるものだな」
「やだもう、先輩気にしすぎですって。声かけられた以外別に何もされてないですし、よくあることですから」
「……よくあること?」

彼女の言葉に、ぴくりと真田が反応する。
しかしそんな真田の反応に気が付かず、あっけらかんとした表情では頷いた。

「はい、どこの学校?って聞かれるの、こういういろんな学校が集まる大会では結構よくありますよ。でも、立海って言ってもあまりピンとこないみたいで。立海テニス部みたいな超強豪校に、私みたいな鈍くさそーなフツーのマネージャーがいるって思わないみたいですね」

冗談めかしてそう言うと、は笑って続ける。

「それにほら、多分ですけど、私はいつも学校指定の体育ジャージ着てるでしょう? 今日なんて天気いいから半袖の白い体操服しか着てないですし、だから全然立海と結びつかないみたいなんです。学校対抗のテニス大会で立海っていうと、やっぱりみなさんその黄色いジャージしか思い浮かばないんでしょうね」

――ああ、そういえば。
彼女の部活動時の服装は、学校内外関係なく学校指定の体操着だ。
それはマネージャーという立場上、試合に出るわけではないのでテニス部ジャージを着る必要が無く、わざわざお金を出してまで作る必要もないからなのだが――まさかこんな弊害があったとは。

真田は、自分の考えの至らなさになんだか無性に腹が立った。
しかも、どうやらそのせいで何度も不必要に男に声を掛けられていたということも、今の今まで知らなかった。
イライラして、真田の眉間に皺が刻まれる。
すると、それに気づいたが、申し訳なさそうに口を開いた。

「……ごめんなさい、別に今までしつこくされたこともなかったですし、先輩に言う必要もないかと思ってたんですけど……」
「あ、いやお前に怒っているわけではないんだが」

彼女を勘違いさせてしまったようだと気づき、真田は慌てて咳払いをして表情を取り繕う。
そして、改めてを見つめた。

確かに、自分たちにとっては一目で分かる見慣れた体操着だ。
しかし、パッと見ても確かに立海だと分かる要素は無い。
立海生ではない者が見れば、彼女がどこの学校の生徒か分からないのも無理はない。

――それならば。

真田は、自分が着ていた黄色いジャージの上着を脱ぎ、おもむろに彼女の肩にばさっと着せた。

「え、あの、先輩……!?」

急に真田のジャージを掛けられ、は目を見開いた。
その瞬間、掛けられたジャージがずり落ちそうになり、彼女はとっさにジャージの端を両肩のところで抑えながらも、自分の上半身にかかっている真田のジャージを、真っ赤な顔で見つめる。

「あの、これ、あの……」

真田の行動の意味がいまいち把握できないらしく、はジャージと真田を交互に見る。
途端に真田も自分の行動の突飛さに恥ずかしくなり、彼女から視線を逸らした。
しかし、決して意味のない行動ではないのだ。
――そう、せめてこれを着ていれば、彼女は立海所属だと一目で分かるだろうから。

「……すまないが、しばらくそれを着ていてくれないか。本当なら、俺がずっと傍に着いててやれればいいんだが、そういうわけにもいかんしな……」

から視線を逸らしたまま、真田は言う。
そして、ちいさな咳払いをひとつ零し、続けた。

「これを着ていれば、俺が傍にいなくとも、お前は立海の者だと一目で分かる。先ほどのようなことも、減るだろうと思ってな」

「あ……そっか、なるほど、そういうことなんですね……わ、わかりました。心配してくださって、ありがとうございます……」

も、真田の意図が分かったらしい。
こくりと小さく頷いて、恥ずかしそうに頬を染めながらも、彼女は羽織らせられた真田のジャージを、袖を通さないままもう一度落ちないようにぎゅっと自分の体に引き寄せた。
少しの間、二人は視線を逸らしたまま、その場で黙り込む。
なんだかとても恥ずかしいような、いたたまれないような雰囲気になり、真田はどうしていいか分からなくなってしまった。

我ながら、大胆なことをしてしまっただろうか。
別に彼女が寒がっているわけでもないのに、己の服を着せるなどと、よく考えればものすごく押し付けがましいし、優しい彼女がこんなことを言われて断れるわけもない。
急に上着を掛けられ、どうしていいか分からず困っているのではないだろうか。
しかし、彼女が立海所属だと一目で分からせるのに、これほど簡単な方法は無いだろうし――

真田が心の中でそんな自問自答をし、不安になって心臓の速度を上げていた、その時。
が、とても、本当にとても小さな声で、「大きいなあ……」と呟いた。

思わず、真田はの方を見る。
すると、彼女は、そのジャージをとても大切そうにぎゅうっと自分の体に引き寄せたまま、どこか恥ずかしそうに、でも堪らなく嬉しそうな顔で、その頬を緩めていた。
その表情は本当に幸せそうで、どう見ても彼女が迷惑がっているようには見えない。
むしろ、そのジャージを着せられたことを喜んでいるようにも見えて、真田の心臓は先ほどとは違った意味で脈打つ速度を上げていく。

いつも自分が着ているそのジャージは、彼女の小さな身体にはかなりアンバランスで、不釣り合いだった。
しかし、サイズの合わないそのジャージを、身体から離さないように小さな手でぎゅっと内側から握りしめ、何とも言えず嬉しそうな表情ではにかんで頬を染めている彼女は、なんだかとても真田の心を刺激し、心臓の動きを加速させてゆく。
そんな自分をごまかすように、真田は咳払いを数度零した。