やがて、歩いている二人の視線の先に、レンガ造りのレトロな建物が姿をあらわした。
「わ、なんだかすっごく素敵な建物!」
の声がひときわ明るくなる。
真田は、頭の中で記憶していた地図を広げた。
確かここは――美術館だったはずだ。
「美術館だな。入ってみるか?」
「はい!」
満面の笑みと明るい返事に、つられるように真田も顔をほころばせながら、二人は建物の中へと入って行った。
建物の中に入ると、二人の前にすぐに大きなかぼちゃの置物が目に飛び込んできた。
側には、「Halloween」の文字が書かれたプレートが置かれている。
「あ、こ、これ、さっき言ってた『ハロウィン』ですね!」
そう言って、彼女が大きな声でははっと笑った。
「なるほど、『ハロウィン』か」
確かにこの時期になると、店先でもこのようなかぼちゃの置物を見たことがあるような気がする。
全く興味がなかったので気に留めたことはなかったが、彼女と過ごす事でまた一つ見聞が広がったような気がした。
「お菓子をもらうお祭りだったか。丸井や赤也は詳しそうだな」
「そうかもしれませんね! じゃあ行きましょうか」
急に焦った様子で、は美術館の受け付けカウンターへと向かって行った。
――なんだろう、先ほどからの様子が妙におかしい気がするのは、気のせいだろうか。
いつも突拍子のないことをするのも、急に慌てだしたりするのも、別に珍しい事ではないといえばそうなのだが、なんだか今日の彼女は不自然すぎる気がしないでもない。
(考え過ぎ……か?)
口元に手を当て、大きな息を吐く。
しかし、考えても答えが出るようなことではないなと、真田は彼女の後を追った。
その後、二人はゆっくりと美術館を見て回った。
通常展示の絵に加え、ハロウィンのイベントをやっているようで、かぼちゃの置物や、外国のハロウィンの歴史なども展示されていた。
「ハロウィンって、外国のお盆みたいな行事だったんですね。ただ仮装してお菓子を貰って回るだけじゃなかったんだ」
「まあ、行事というものは本来の目的よりもその手段の方が目的となり、楽しまれる事が多い。特に外国の行事は、日本ではやはり根付いていないので、馴染みがないからな。手段の方が有名になってしまうのも、仕方ないかもしれん」
「そうですね。手段が目的、かあ……」
は頷くと少し苦笑を浮かべたが、真田と目が合うと、少し赤い顔をして目を逸らしてしまった。
――やはり、どこか妙だ。
そんな疑問を胸に留めつつ、真田は彼女と共にその後も美術館を見て回った。
全てを見終わり、玄関ホールに戻ってくると、彼女が化粧室に行ってくると言い残し、その場を離れた。
彼女を待っている間、真田はなんともなしに小さなお土産コーナーを覗いてみる。
ハロウィンの特設展示をしていただけあって、お土産コーナーにもハロウィンのお菓子などが置いてあるようだ。
彼女が好きそうな可愛らしい包装が並んだ棚を見ていると、同時にそれを手にとった時の彼女の嬉しそうな顔が目に浮かんだ。
(……トリック・オア・トリート、か)
そういえば、先ほどから彼女に帽子を取られっぱなしだ。
後で、これと引き換えに返してもらうとしようか。
そんなことを考えながら、真田は可愛らしいかぼちゃの形のケースに入った詰め合わせのキャンディを手に取る。
そして、彼女に気付かれないうちにと、さっと会計を済ませた。
その後、戻ってきた彼女と何食わぬ顔で合流し、二人はもう一度外に散策に出ることにした。
ただ単に、目的もなくゆっくりと歩き、話をする。
ただそれだけのデートなのに、なんだかとても満たされた気分になる。
弁当を作ってもらったり、ゆっくり散策したり、こういった金の掛からないデートは初めてだったが、こういうのもいいものだと、真田はくすりと笑みを零した。
「先輩、どうかしましたか?」
「いや、こういうデートも、いいものだと思ってな」
「そうですね。ピクニックみたいで、すごく楽しいです。……それに」
そう言うと、は頬を染めて一瞬言葉を止める。
どうしたのかと、真田は彼女の顔を覗き込んだ。
「ん?」
「……それに、こんなにゆっくり真田先輩と二人っきりになれるのも、久し振りで嬉しかったです。ほら、最近二人っきりになれることも少なかったから……」
恥ずかしそうにそんな言葉を口にした彼女の頬が、どんどん薄紅色に染まっていく。
そんな彼女がとても愛しくてたまらなくて、つい、抱き締めたくなった。
しかし、真田はそれを押さえ込むようにぐっと掌を握り締めると、小さな声で「俺も、同じ気持ちだった」とだけ、答えた。
やがて、公園を一周したのか、最初に弁当を食べたベンチに戻ってきた。
日も少し傾きかけてきたし、大分歩き回ったので一休みしようかと、数時間前と同じように並んでそのベンチに腰を下ろす。
しかし、腰を落ち着けたところで、会話が急に途切れた。
周りに人影はなく、二人の間でも会話がなくなると、なんだかとても静かだ。
二人っきりでベンチに座っている状況で、話しもせずいるというのは、妙に緊張してしまう。
途端に、真田の心臓が高鳴りを始めた。
一体、どうしたらいいのだろう。
昔に比べれば大分落ち着いたとは思う。
隣に並んで歩けば彼女の手を取る事もできるようになった。
しかし、やはりまだまだこの手の状況には慣れない。
本当は――誰も見ていないのだし、彼女のことを抱き締めるくらいは許されるのではないだろうかと思うのだが。
(……情けない……)
抱き締めたい時に抱き締める事も出来ない、そんな自分が本当に情けなかった。
熱い顔を隠すように、真田は掌で軽く顔を覆う。
――その時、ふとベンチが揺れた。
はっとして、真田が顔を上げると、がいつの間にか立ち上がって目の前に立っていた。
「……どうした?」
目を瞬かせて、彼女を見る。
暮れかけた陽が逆光になっていて、その表情はよくわからない。
先ほどまで顔を覆っていた掌で光を軽く遮り、彼女の顔を見つめた、その瞬間。
「真田先輩、あの……ト、トリック・オア・トリート!」
――が、そう叫んだ。
トリック・オア・トリート。ハロウィンの呪文――ああ、そういえば。
真田は、先ほど買ったお菓子のことを思い出した。
(そういえばあの菓子をまだ渡していなかったな)
何故彼女が今またハロウィンの呪文を口にしたのかは、頭が回らなかった。
ただ、せっかく買ったのだからあれを渡さねばと思い、自分の荷物からごそごそと先ほどの包みを取り出す。
そして――「ほら」と彼女に向かってそれを差し出した。
「え?」
目を丸くして、彼女の動きが完全に止まった。
どうやら、全く予想していなかったらしい。
こちらとしては予想通りの反応だと、そんなに思わずくすりと笑いながら、真田も立ち上がってもう一度彼女に向かって包みを載せた手を伸ばした。
「だから、『トリート』だ」
そう言って、真田は彼女の手に可愛らしい包みを載せる。
まだ、彼女の動きは止まったままだ。
何が起こったのかわからないような表情でフリーズしてしまっている彼女に、真田はもう一度言葉を繰り返した。
「ハロウィンでは、そう言われたらお菓子を渡すものなのだろう?」
「え、あの、これ、お菓子……? あ、『トリート』ってそういう……え、え……いつの間に……?」
「美術館から出たときにな。お前が好きそうだと思ってな、買っておいたんだ」
真田は、そう言って彼女に笑いかけた。
そろそろ、彼女の驚きが嬉しさに変わる頃だろうか。
いつもみたいに、無邪気な笑顔で「ありがとう」と言ってくれるだろうか。
――そんな期待を、してみたものの。
「……あ、ありがとうございます……」
彼女から返ってきたのは、そんなに大袈裟でもない、小さな礼の言葉だった。
見た感じ、喜んでいる様子も見られない。
真田は、なんだか当てが外れたような、がっかりした気持ちになった。
勿論、彼女に頼まれたわけでもないし、勝手に反応を期待しただけだというのはわかってるけれど、もう少し喜んでくれると思ったのに――そんな想いが、つい表情に出てしまったらしい。
真田の落胆を感じ取ったらしいは、あたふたと取り乱し始めた。
「ご、ごめんなさい、あの、ものすごく嬉しかったんですけど、びっくりしちゃって」
「ああ、すまない。お前を責めているわけではないんだ。気にしないでくれ」
そう言って、真田は苦笑する。
「いえ、嬉しかったんですよ、本当です!」
「ああ、ありがとう。、この件はもう終わりにしよう」
彼女を責めているつもりは全くなかった。
ただ、自分が勝手に期待をしただけで、彼女に全く罪はないのだ。
しかし、場が白けてしまったから、もう触れてほしくなかった事も確かだった。
「では、そろそろ帰るか。もう日も暮れ始めたし、いい時間だろう」
そう言って、真田が歩き出そうとした、その瞬間だった。
「本当に、違うんですってば! 私は、私はただ……先輩に抱きつきたかっただけなんです!」
彼女が、大きな声でそう叫んだ。
――抱きつきたかった!?
思ってもみなかった言葉に、真田はばっと振り返る。
すると、顔を真っ赤に染めて立ち竦む彼女の姿が目に飛び込んできた。
今彼女が発した言葉の意味が分からず、真田はただ目を瞬かせる。
当のは、真田を見ることすらできなくなったのか、その顔を両手で覆ってしまった。
ものすごく恥ずかしがっている様子を見ると、「抱きつきたかった」というのは本当の事らしい。
しかし、ハロウィンのお菓子を喜ばない事と、それがどうしても結びつかない。
「……意味が、わからないのだが……」
「ハロウィンは、口実だったんです……」
掠れそうな声を振り絞って、は必死で説明を始めた。
「最近、あの……あんまり先輩と、その、抱き……たりってしてないじゃないですか……だから、その……」
――つまり。
最近、抱き締めるようなスキンシップをする機会がなく、かと言って自分から抱き締めて欲しいとも言いだせない。
だから、ハロウィンの「トリック・オア・トリート」の説明を口実にすれば、「悪戯」と称して抱きつけるかと考えた、というのだ。
(なるほど、それで「人のいない静かな場所」が良かったのか)
「一回目は、その……先輩がお菓子、持ってなくて、やった! と思ったけど、あの、寸前で恥ずかしくなってしまって……だから帽子……」
「帽子を取る事でごまかしたというわけか」
真田の言葉に、はこくんと頷く。
抱き締められるのかと一瞬感じたあの時の感覚は、間違いではなかったのだ。
「失敗して、でも諦めきれなくて……帰る前に、もう一度だけ、と思ったんです……そしたら今度は先輩がお菓子持ってて、あの、だからびっくりして……計画が潰れちゃって、だから……う、嬉しかったのは本当なんです……信じてください……」
恥ずかしさが頂点に達しているのか、声がもう震えすぎて聞き取るのもやっとだった。
顔は真っ赤で、視点を合わせるなどもってのほかなのか、斜め下を向いてしまっている。
そうか、抱き締め合いたかったのか。
たったそれだけのために、なんという回りくどい事を考えるのだろう。
なんだかとてもおかしくなり、真田は大きな声をあげて笑った。
「……な、なんで笑うんですか!」
「いや、余りにもなんというか……回りくどいな、と」
そう言ってまた笑う真田を、は頬を膨らませて可愛らしく睨みつける。
――ああ、駄目だ。こいつが可愛くてしょうがない。
真田は、の側に近寄り、そっと彼女の前に立つ。
そして。
「そんな芝居をしなくても、いつだって俺は大歓迎なんだが」
優しくそう言うと、真田はそっと彼女の側に近寄って、「ほら」と胸を広げるように両手を差し出した。
その途端、彼女は目を見開いて動きが止まる。
「あ、え、あの」
言葉を失いながら、何度も何度も上を向いたり下を向いたり、あたふたと首を振って挙動不審になった。
「どうした? 誰も見ていない。好きなだけ、抱きつけばいい」
「……は、はい、そう、ですね……」
そう言ったものの、は耳まで真っ赤になったまま、全く動かなくなった。
真田は、仕方ないな、と苦笑した。
――分かっているのだ。
自分だって、抱き締めたい時に抱き締める事が出来なかった小心者だから、本当は彼女を笑う事などできるはずが無い。
彼女任せにして、こちらから動かないのもずるい話なのだ、実は。
真田は、少し考えてから、にいっと笑った。
そして、「あの言葉」をゆっくりと口にする。
「。……『トリック・オア・トリート?』」
「……え?」
石のように微動だにしなかった彼女が、はっと顔を上げる。
真田は、もう一度繰り返した。
「『トリック・オア・トリート?』」
「え、あの……」
目を瞬かせて、どうしたらいいのか分からないようにあたふたと慌てる。
そんな彼女を楽しそうに見つめていたが――やがて。
「……時間切れだ」
そう言って、真田は彼女が被っていた自分の帽子を奪うと、そのままの身体をぎゅっと引き寄せ、軽く口付けた。
「せ、せんぱ……」
焦るようなの声が聞こえてきたが、真田はわざと意地悪く力を篭める。
そして。
「ハロウィンか、悪くないな」
そう呟いた真田の胸の中で、が「もう……」と声をあげる。
しかし、すぐにこくりと頷いた。
ハロウィン話です。高校生なので、真田は結構余裕を感じられるような雰囲気で書きました。
冬至は知っていてもハロウィンには疎そうなのが真田君だと思います。