Trick or Treat?

人通りの多い駅前のベンチに座りながら、真田は彼女を待っていた。
付き合い始めて数年目の、しかしまだまだ初々しくとても可愛らしい、最愛の彼女を。

秋も深まり、朝晩の冷え込みは少々寒いと感じるくらいになって来た、10月の終わりのとある日曜日。
この時期はテニス部の練習が多少ゆとりあるものになり、月に何度かはカレンダー通りの休日を過ごすこともできる。
毎年夏の間は部活優先でなかなかデートもままならないが、そんな二人が部活以外で会える貴重な季節でもあった。

ふと、つけていた時計を見る。
約束の時間まではまだ少しあるが、こうやって待っている時間も悪くない。
どんな格好で現れるのだろうかとか、開口一番何を言うのだろうとか、今日一日どんな風に過ごせるのだろうとか、考えているだけでなんだか幸せになって心が満たされる。
これが付き合いだしてすぐくらいの頃だったとしたら、こんな余裕は無かっただろうが。
緊張してドキドキして、彼女を待つ短い数分ですら、視点が定まらずあたふたしていただろう。
しかし、そんな頃があるからこそ、今愛しい彼女を目の前にしていても、落ち着いていられるのだ。
少しは大人になったという事なのだろう。
そんなことを思い、真田はくくっと笑みを零した。

(そろそろ、か)

約束の時間にはまだあるが、きっとそろそろ来るころだろうと、真田は顔を上げる。
多分あの辺りから走ってくるはずだと予想を立て、そちらに視線をやる。

――予感的中だ。

横断歩道の向こうで過ぎ行く車に合わせて首を左右に動かしながら、焦った様子で信号待ちをしている彼女の姿が目に飛び込んできた。
秋らしい、あの色のワンピースは初めて見るような気がする。
とても似合っていて、可愛らしい。
そしてあの大きなバスケット――あれはきっと今日の弁当だろう。
今日はが弁当を作ってくると言っていたから。

やがて信号が青になると、彼女は信号待ちをしていた誰よりも真っ先に駆け出した。
それと同時に、真田も腰を上げ、彼女が来る方向に向かって歩を進める。
次の瞬間、彼女も真田に気付き――彼女は破願して手を振った。

少しして、が真田のもとにたどり着いた。
少々息を切らせながらも、彼女は笑顔で声を弾ませる。

「おはようございます、先輩!」
「おはよう、

そう言うと、二人は笑って顔を見合わせた。

「それは、今日の弁当か?」
「あ、は、はい。でもあまり期待しないで下さい。私が言いだしたことだから、できるだけ頑張ったんですけど……あんまり自信はないです」

恥ずかしそうに顔を赤くしながら、彼女が苦笑する。

「味よりも気持ちだ。お前が作ってくれると言った、その気持ちが嬉しい。……俺が持とう」

そう言って笑うと、真田は彼女の手からバスケットを取った。

バスターミナルからバスに乗り、二人は今日の目的地に向かう。
今日は「静かな場所でゆっくり過ごしたい」というの希望があり、街から離れた自然公園で過ごすことに決めていたのだ。
テニスコートがあるので真田は何度か行ったことがあるのだが、公園の中には散歩コースや、美術館もある。
それらを楽しんだり、ゆっくりと散策して、時間が余ればベンチでおしゃべりをするのもいいだろうと、二人で話し合って決めた場所だった。
――彼女が弁当を作って来てもいいかと言いだしたのは、嬉しい誤算だったが。


公園に到着し、二人はバスを降りた。
休日ではあるが、そこまで人出は多くなさそうだ。

「空いているようだな。良かった」

これならば当初の目的どおり静かに過ごせそうだと、真田は呟く。
すると。

「もっと少なくてもいいのに……」

ふと、彼女がとても小さな声でそんなことを呟いた。

「ん? 何故だ? これくらい少なければ、充分静かだと思うが」

真田がそう言うと、彼女が慌てたように目を瞬かせた。

「あ、そ、そうですよね! 充分ですよね!!」

そう言って大袈裟に笑うと、彼女は「さ、行きましょうか!」と歩き出す。
彼女の唐突な反応に意味が分からず一瞬真田はぽかんとしたが、彼女の行動が突拍子無いことはいつものことだ。
くすりと笑って、真田は彼女と共に歩き出した。

「あの、まずどうします?」
「うむ、着いたばかりだが、もう時間も時間だ。昼にしないか」
「そうですね。どこがいいかなあ」

彼女がきょろきょろと辺りを見渡す。
しかし、真田には心当たりがあった。
確かテニスコートの近くに、静かなベンチがあったはずだ。
いつだったか前来た時もあの場所で昼食を取ったのだが、あそこならば二人でも充分並んで弁当を食べられるだろう。

「俺がいいところを知っている。案内しよう」

そう言うと、真田は空いている手でそっと彼女の手を掴む。
一瞬彼女の頬が薄っすらと赤く染まり、その初々しさにまた笑みが零れた。

「そ、それじゃお願いします」

少し緊張したように俯きはしたが、それでも彼女はその手を拒まなかった。
「ああ」と頷き、真田はその小さな手を引いて歩き出した。


両端に木々が並ぶ散歩コースを歩き、テニスコートの側を抜ける。
そして、二人は目的の場所へと着いた。
幸い、ベンチにもその周辺にも人影は見えない。
これならば、ゆっくり昼食にする事ができそうだ。

「人、いませんね」
「ああ、そうだな」

そんなことを言い合いながら、二人はベンチに腰を下ろす。
そして、真田は彼女から預かっていたバスケットを彼女との間に置いた。

彼女に弁当を作ってもらうというのは、初めての経験だった。
昼ごはんが必要な時は、いつもファーストフードや安目のファミリーレストランで済ませていたから、なんだか新鮮でドキドキする。
なんだか照れ臭い気持ちもあるが、やはり「彼女の手料理」というのは、男として格別の嬉しさがある。

「あの、本当に期待はしないで下さいね!?」
「先ほども言ったが、お前が作ってくれたというだけで充分嬉しいぞ。例えどんな失敗作が出てきたとしても、たいらげてみせるさ」

そう言って真田は笑う。
しかし、は必死に首を振った。

「し、失敗とまでは行ってないと思います……けど、もし失敗してたら食べないで下さい! そんなの先輩に食べさせたくないです……!!」

眉を寄せて真っ赤な顔で言いながら、彼女はバスケットに手を掛けると、中から弁当を出し、両手で真田に差し出す。
真田はそれを受け取り、膝の上に置くと、ゆっくりと蓋を開いた。
その途端、中から可愛らしい具材が顔を覗かせた。
母が作る弁当とは、雰囲気も中身も少々違う。
形も整っているとは言えないかもしれないし、量も若干少ないかもしれない。
しかし、一生懸命作ったことが伝わってくる、可愛らしい弁当だ。

「美味そうじゃないか」
「本当ですか?」
「ああ、楽しみにしていたかいがあった。……では、早速いただくとするか」

真田は箸を手にし、「いただきます」と頭を深深と下げる。
そして、緊張しているらしい彼女にもう一度笑いかけると、弁当に箸を滑らせた。

まず、口にしたのは野菜の炒め物。
味付けが家で作るものとは違うが、これはこれで美味い。

「ふむ」
「……どうですか? 大丈夫ですか?」
「ああ、美味い。ありがとう」

真田がそう言うと、彼女の顔がほっとしたように緩んだ。

「良かった、食べられないものじゃなくて」

そう言って笑う彼女の可愛らしさに真田も顔を緩めながら、更に箸を進める。
おにぎり、卵焼き、ウインナー、かぼちゃの煮付け――その他の物も、どれもなかなか美味しい。
半分くらい食べ終わるまで、ちらちらと真田の様子を気にして見ていた彼女も、やがて安心したように箸を進め始めた。
――そして。
あっという間に、彼女が作ってくれた弁当は空になった。

「ごちそうさま。本当に美味かったぞ。ありがとう」
「いえ、こちらこそ全部食べてくださってありがとうございます!」

そう言いながら、は空になった弁当をバスケットに仕舞う。
本当に嬉しかったのか、先ほどからその表情はずっと緩みっぱなしだ。

「今朝も今も大分謙遜していたが、あれだけの弁当を一人で作れるなら、たいしたものだと思うぞ。本当にありがとう」

その言葉に、は目を瞬かせる。
そして、少し迷うような表情を浮かべ、すっと視線を逸らした。

「どうした?」

真田が問いかけると、は眉を寄せて言葉を詰まらせた。
しかし、やがて覚悟を決めたように顔を上げると、おずおずと言葉を紡ぎ始める。

「……ごめんなさい、本当言うと、一つだけ母に手伝ってもらったんです。だから、ちょっとズルしました」
「そうなのか? どれだ?」
「かぼちゃ……あの、ほら、今日はかぼちゃの日みたいなものだし、入れたかったんですけど……ちょっと味付けがよくわからなかったのと、なかなか柔らかくならなくて……」

そう言うと、恥ずかしそうには俯いた。

「かぼちゃの日? ……冬至には早くないか」
「い、いえ、あの、ハロウィンです」

――ハロウィン。
そういえば、この季節にそんな行事の名前を聞いたことがあるような気もする。

「ハロウィン……外国の行事だったか。かぼちゃを食べる日なのか?」
「かぼちゃを食べるのかどうかはよく知らないんですが……あの、かぼちゃをくりぬいて顔を作ったりしてるの、見たことないですか?」
「ああ、そういえば見たことがあるような気もするな。しかし、あまり身近でない事は確かだな」

そう言って、真田は苦笑した。
もっとも日本でも普及している外国の行事といえばクリスマスだろうが、それさえ家ではほとんどやらない行事である。
ハロウィンなど、ちらりと聞いたことがあるような気がする程度だ。

「ハロウィン、やっぱ知りません? こども達がお化けに仮装して、お菓子を貰うんです」
「……外国には、そんな行事があるのか」

不思議そうな顔で真田がそう答えると、彼女は何故か横を向き、小さな声で「よし」と呟く。
そして、また真田の方を向きなおすと、彼女は少し不自然なくらい震える声で、言葉を紡ぎ始めた。

「じゃあ、こんな言葉聞いたことありますか?……『トリック・オア・トリート』」
「『トリック・オア・トリート』……? いや、あまり聞き慣れない言葉だな」
「『お菓子か、悪戯か』って意味です。ハロウィンのとき、そう言って子どもたちはお菓子をねだるんですよ。……先輩、今お菓子持ってます?」
「いや、持っていないが」
「じゃ、じゃあ……悪戯しちゃおっかな!」

そう言うと、彼女はすっと立ち上がる。
一体何事かと思っていると、彼女が座っている真田の前に立ち、首筋に向かって抱きつくようにその両手を伸ばしてきた。
思わず、真田は心臓がどくんと高鳴った――が、その手はぴたりと止まる。
そして、彼女はそのままその両手を真田の首筋から頭にずらし、真田が被っていた黒い帽子を両手でさっと外すと、そのまま自分の頭にその帽子を被せた。

――抱きついてくるのかと、一瞬びっくりしてしまった。
いや、抱きついてくるのならそれはそれでも良かったのだが。
そういえば最近、彼女とそういったスキンシップ的なじゃれ合いも、なかなかできていなかったし――

一瞬そんなことを思ってしまい、真田はかあっと顔が熱くなる。
そんな想像をした自分がなんだかものすごく恥ずかしくなって、真田は大きな咳払いをする。

「な、なるほど、悪戯、か」
「そ、そうです。悪戯、です。た、確かこんな行事だったと思います」

帽子を深く被り、表情すら見えないまま、彼女が震える声で言う。

「じゃ、じゃあ、これはしばらく預かっちゃいますからね!」

妙に早口でそう言い、「そろそろ、行きましょう!」と大きな声で叫ぶと、バスケットを引っつかみ早足で歩き出してしまった。


――いったい、何が起こったのだろうか。
彼女に抱き締められるかと思ったら、帽子を取られた。
なんだかいつも以上に彼女の行動が突拍子もない気がして、なんだか良く分からないまま、真田は彼女の後を追った。


その後、は少し無言になっていたが、散歩をしているうちに、だんだんいつもの彼女に戻ってきた。
景色に感動し、饒舌に喋り、おおよそ高校生には見えないようなはしゃぎっぷりを見せている。
帽子は相変わらず彼女の頭にあったが、いつも自分が被っている帽子が彼女の頭にあるというのも、なんだかそれはそれで悪く無い気がする。
なんというか、「こいつは自分の物だ」という感覚がするというか――そんなことが一瞬頭を掠めたが、真田はそれを振り払うようにぶんぶんと首を振った。

(な、何を考えているのだ。……俺も今日はおかしいようだな)

こんなデートは久し振りだから、自分もやはり浮かれきっているようだ。
絶対に幸村たちには見せられないな、と真田は自分で自分に呆れながら、一人笑みを零した。