Nightmare

ある休日、俺はテニス部の仲間とともに、ストリートテニスなどに興じていた。
腐れ縁、というと言い方が悪いが、中学の時から数えてもう5年以上の年月を一緒に過ごしている俺たちは、たまにこうして休日も集まる程度にはプライベートでも付き合いがある。
今回は幸村の呼びかけで、俺と赤也と丸井と蓮二が応えた。
本来ならもくるはずだったのだが、家の用事でどうしても来られなくなってしまったとのことで、残念だが今日は不在だ。

5人でストリートテニスをし、軽く買い物をした後で、時間が余っているからと近くの幸村の家に寄った。
家族の方は誰もいなかったが、「逆に好都合だよね」と笑った幸村に続いて、俺たちは幸村の自室に入る。
腰を落ち着けて、各々雑多な会話をしていたその時、赤也が思い出したように自分の鞄を漁りだしたのだった。

「そーだ。丸井先輩、返すの忘れてたやつ、持って来てたんす」

そう言って、赤也は紙袋に入った何かを取り出し、丸井に渡す。

「お、それって『アレ』か。無いと思ってたらまだお前に貸したまんまだったんだなー」

呆れたように言いながら、丸井が手を伸ばして、赤也からそれを受け取った。

「すごかったろ?」
「めっちゃすごかったっす!」

ニヤリと笑って言う丸井に、これまた意味ありげな笑みを浮かべて首を振る赤也。
そんな二人の意味深なやりとりに、興味を示したのは幸村だった。

「え、なになに? それ」
「おーこれ? これなあ……実は……」

そう言って、丸井は幸村の耳にそっと口を寄せる。
丸井がなにやら呟いた後で、幸村の目が大きく見開かれ、次の瞬間、赤也と丸井のニヤケ顔が幸村に伝染していた。

「ほんと? ブン太、そんな物持ってたんだ。自分で買ったの?」
「まさか! 同じクラスのヤツに貰ったんだよ」

意味のわからない会話をしている二人に、今度は蓮二が尋ねた。

「精市、ブン太、それは一体なんなんだ?」
「知りたい? じゃあ、こっち来て」

そう言った幸村の手招きに引き寄せられるまま、蓮二もまた耳を寄せる。
――そして。

「ほう、なるほど」

幸村から何かを聞いた蓮二は、僅かに口角を上げ、頷いた。

「これ、結構すげーんすよ」
「な、ちょっとヤベーよな」

赤也と丸井がそんな風に言い合い、蓮二と幸村がその袋を覗く。
何も知らないのは俺だけになり、一人取り残されたような感じがしたので、俺も改めて皆に尋ねた。

「一体、なんなんだ?」

俺が誰とも無しに尋ねると、四人の視線が俺に集まり、その場がシンと静まった。
……一体、なんなのだろう。この反応は。
その不自然な空気に、俺は思わず眉間に皺を寄せる。
すると。

「うーん、真田にはまだ早いかな」

さっぱり意味のわからない、思わせぶりなことを言って、幸村が他のメンバーを見やった。
その幸村の視線に応えるように、残りの3人もニヤニヤと頷く。

「っすねー。真田さんは、ちょっと見ないほうがいいと思うっす」
「うむ、弦一郎には刺激が強すぎるかもしれないな」
「だな。ヤメとけって、真田」

……さっぱりわからん。
ただ、ものすごく馬鹿にされているような気はするが。

「どういう意味だ、さっぱりわからんぞ」

俺が少し怒りをあらわにすると、奴らのニヤニヤ感は更に加速した。

「あ、でも真田ってと付き合って何年目だっけ? もしかしたら、こんなのもうとっくに済ませてるんじゃねえの?」
「まっさかあ! 真田とさんだよ? あるわけないね!」

丸井の言葉を、幸村が笑い飛ばした。
何故ここにの名前が出てくるのか、余計に訳が分からん。
自分だけが状況を飲み込めていないこの状態が、どうしても気持ちが悪い。

「おい、お前ら!いい加減に――」

俺がそう言って身を乗り出した、その時。

「別に教えてやってもいいけど、真田絶対騒がないって約束する?」

急に神妙な顔つきになった幸村が、ずいっと俺の前に身を乗り出してきた。
――い、一体なんなんだ。

「さ、騒ぐようなことなのか」
「真田は外見は老けてても中身はおこちゃまだから、まだ早いってこと」

おこちゃま……それは歳相応に成長していないと言う意味か。失敬な!
大体、赤也が把握しているのに俺は教えてもらえないということは、俺は赤也以下だと言いたいのか!?

「俺はもうこの年相応には大人のつもりだ! 大体赤也が良くて俺が駄目だと!? ありえないだろう!」
「弦一郎、『これ』に関しては残念ながら赤也の方がずっと大人だと思うぞ」

そう言って蓮二がくくっと笑うと、赤也もまた「俺もそー思うっす」と得意気に言う。
「これ」とやらがなんなのか知らんが、高校生になっても赤点を取ったり気分次第で騒ぎ立てるような赤也よりも幼いと言われるのは、どう考えても納得がいかん!

「ふざけるな、そのような事は絶対にありえん! なんであろうと、俺は赤也よりは年相応だ!」
「お、言ったね?」

まるで俺から言質を取ったかのように、幸村がにいっと笑った。
その表情に一瞬俺の心が凍り付く。
――も、もしかして、俺はまずいことを口にしたのだろうか。

「う……うむ、言ったが、どうした」

そう言いながらも、俺の本能が警鐘を鳴らしていた。
幸村のこの表情は危険だ、と。
しかし、もう後にも引けず、冷や汗を掻きながらも動揺を露にしないように、俺が幸村の顔をじっと見つめていると――

「よし、じゃあコレ今から皆で見る?」

唐突に、幸村がそう言った。

「え、今からっすか?」
「俺はいいけど、あいつはいいのかよ」

幸村の提案に、赤也と丸井がそう言いながらちらりと俺の顔を見る。

「いいんじゃないか、弦一郎本人が『歳相応』だと言っているんだから」
「だよね、じゃあちょっと待って。準備するから」

そう言うと幸村は立ち上がり、何故かカーテンを閉めてから、テレビをつけた。
途端にどこぞの芸人の馬鹿笑いが聴こえたが、幸村がさっとチャンネルを切り替えると、画面は真っ白になる。
そして、幸村は更にテレビの側にあった電子機器の電源を入れた。

「じゃあ、それ、貸して」
「はいよ」

幸村が手をだすと、丸井が持っていた袋からなにやら取り出し、その手に渡した。
二人の手の間からちらりと覗き見えたのは、DVDらしきパッケージ。

――まさか。

俺の脳裏に嫌な予感が浮かんだ。
「まだ早い」「大人」「今から見る」――そして、DVD。

「じゃあ、再生っと」

俺の思考などお構いなしに、軽快な幸村の声が響く。
次の瞬間画面に映し出されたのは、言葉には出来ないような卑猥なタイトル。
直後、セーラー服らしきものを着た知らない女性が目に飛び込んできた。
しかも、その女性の着衣は明らかに乱れており――

「ちょっと待てーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」

思わず、俺は叫んでいた。
その瞬間、他の四人が非難轟々の視線をこちらに向ける。

「真田、うるさい」

ものすごく冷たい視線で、幸村が俺に言った。
しかし、負けじと俺も幸村に言い返す。

「い、今から見るというのはこれか!? こんな物……」
「ほーら、だから言ったじゃん。真田にはまだ早いって」

そう言って、幸村はリモコンを操作し、一旦DVDの映像を止める。

「早いも何も、これは18歳未満は視聴禁止だろう! 俺たちの歳を考えろ!」
「そういうこと言うからお子ちゃまだって言うんだよ。いいじゃないか、たばこやお酒やってるわけじゃないし。身体に害があるわけでも、誰かに迷惑かけてるわけでもないんだから」
「しかしだな!」

幸村と俺が言い合いをしていた、その時。

「弦一郎、お前のその生真面目さは尊敬に値するな」

やれやれと言った顔つきで口を挟んできたのは、蓮二だった。

「当たり前だ、我々には、こんなものはまだ早い!」
「早くは無いだろう、そもそも一般男子がこういったものに興味を持ち出すのは、思春期からと言われている。思春期の定義はいろいろあるが、変声期や喉仏などが目安となり、俺たちはまさに思春期と呼べるわけだ。お前だって、全く興味が無いとはいわないだろう?」
「興味など……な、無い」
「本当に? 全くか?」

蓮二は、妙なくらいに念を押してくる。
そ、そう言われると、そりゃ俺だって全く無いとは――いやいや!

危ない。
一瞬揺らぎそうになった心を、俺は一瞬で立て直した。

「無いな!」

そう言いきった俺の周りで、「おお〜」と妙な声を発して、丸井と赤也が拍手をした。
意味のわからん奴らは放っておいて、もう一言返してやろうと、俺は息を吸う。

「大体だな――」
「……では、お前は、にもそういう感情を抱いたことは無いのか?」

――その名前が出た瞬間、俺の思考が完全に停止した。
に――だと?

俺の脳裏に、彼女の姿が浮かぶ。
しかし、その姿は何故か、先ほど一瞬見た映像の、知らない女性がしていた格好と同じ物で――
その一瞬で、俺の頭が沸点に達した。

(だ、駄目だ駄目だ!! 彼女でそんな淫らな想像をするなど……!!)

とはいえ――実のところ、彼女に対してこういった感情を抱くのは、初めてでも何でもない。
は歳相応とはいいがたい、可愛らしいあどけなさを持っていたが、たまにそれを凌駕する艶っぽさを見せることがある。
雨に濡れて薄っすらと身体の線が見えたときや、甘えたようにぎゅっと抱きついてきた際、彼女の膨らみを肌で感じた時――情けなくも、俺は確かに彼女に言い知れぬ何かを感じていた。

「……返事が無いところをみると、あるということだな?」

蓮二の声にはっと顔を上げる。
しまった、これでは肯定したも同義ではないか。

「無――」

無い、と言い切ろうとしたが、情けないことに声にならなかった。
もとより、俺は嘘が付けない性分だ。
それに、もうごまかしたところでこいつらには通用しないだろう。

「……無い、とは言えん。言えんが……それは自制すべきものだろう? 欲望のままに傷つけてしまうようなことがあれば、ただの獣と同じではないか」

俺は熱くなった顔を抑えながら、どこか情けない声色で呟いた。
すると。

「勿論、その通りだ。お前は正しい」
「うん、その意見はもっともだと思うよ。誰も、自分の欲望に任せて大好きな彼女を傷つけてもいいなんて思ってないって」

苦笑する声が聴こえて、俺は顔を上げる。
幸村と蓮二は、そんな俺を見ながら続けた。

「実際に彼女にどうこうするのと、こういうので気持ちを発散させるのはまた別問題だって事だよ」
「そもそも、性欲というのは人間が生命を残していく為に持って生まれた本能であり、あって然るべきものだ。しかし、お前の言う通り、だからと言って何も考えず行動していたら、彼女を傷つけることになる。だからこそ、こういった物で発散させるわけだ。何も悪いことではない」
「……そんなもの、なのだろうか」
「うん。それに、いざと言う時の為の勉強だと思いなよ。なんだかんだ言っても、いつかは『する』んだから」

幸村のあからさまな言葉に、思わず顔が熱くなる。
……しかし、この二人の言うことも、まあ、間違ってはいないのかもしれない。

「彼女を大切に思うからこそ、見るんだよ」
「……う、うむ……そう、か」

結局、俺は見ることを承諾してしまった。
あいつらの言うことも、一理あると思ったからだ。

――しかし。

「あの二人、真田の操縦上手すぎだろぃ」
「さすがっすよね……」

そんな会話を丸井と赤也がしていたことは、俺は全く知らなかったのだった。



「それじゃ、改めて見よーか」

幸村の声と共に、再度DVDが再生される。
もう俺も止めることもせず、一番後ろで黙ってその映像を見つめていた。

映像は、どこかの教室らしき場所で、セーラー服の女子生徒と詰襟の男子学生が、机に座って激しく絡み合っている場面から始まっていた。

「学校モノってなんか興奮しないっすか? しかもこれ、年下モノなんすよね!」

赤也がデレた声で言う。
しかし、神聖なる学校で、しかも教室のど真ん中でそんな行為に及ぶなど言語道断だと思うのだが。
大体、目立つにも程がある。
誰かに見られたらどうするのだ、傷つくのは女性の方だろうに。
この男は、この女性が大切ではないのだろうか。

最初の方は、そんなことを考える余裕もあった。
しかし。

『大好きです。先輩。私、先輩になら何されてもいいの――』

画面の女性が、そんなことを言った瞬間――頭の中で、女性はの姿になっていた。

「大好き、先輩。私、先輩になら何されてもいいんです……」

潤んだ瞳で、紅潮した頬で、彼女が俺の身体にしなだれかかってくる。
それを俺は両手で受け止め――い、いかんいかんいかん!!
彼女で想像するなど、あってはならん!

慌てて意識を立て直し、俺はぐっと掌を握り締めた。
画面の中では、更に二人の行為はエスカレートしていた。

少しずつ二人の着衣が乱れていく。
双方の息遣いが荒く、激しくなっていく。
それと共に、俺の中で居た堪れない感情がどくどくと音を立てる。

まるでわざと周囲に聴かせているかのように音を立てて、強く、激しく舌を絡ませ合い、制服を剥ぎ、露になった肌を舐め上げ――
画面の女性が、何度も何度も彼女に重なっては、その意識を振り解いた。
駄目だと言い聞かせ、額を強く抑え、拳を握り締める。

――その時。

「ただいま、精市! いるの!?」

階下から、大きな声が聞こえた。
どうやら、幸村のご家族が帰ってきたらしい。

「うん、帰ってるよー」

そう叫んで、幸村はピッとDVDを消す。
そして、「残念、ここまでだな」と苦笑いを浮かべた。
流石に家族がいつ見にくるかわからない状態で、これを見る勇気はないのだろう。
――俺は、どこかホッとした気持ちになった。

俺たちは何事も無かったかのように、それからしばらくトランプなどで時間を潰していたが、やがて帰る時間になり、お開きとなった。
くだんのDVDは危うく俺に押し付けられそうになったが、結局幸村が借りることになったらしい。
俺が呆れた視線を向けると、幸村は「勉強だよ」と笑う。
そして。

「ねえ、真田。真田ってさ、やっぱり結婚するまではさんには絶対に手を出さない!……とか思ってるわけ?」

唐突に、幸村がそんなことを尋ねた。
その内容に俺は一瞬噴出したが、焦って取り乱すとどうせまたからかわれるだろうと、極力平静を装って幸村に言葉を返す。

「……そのつもりだが、悪いか」
「別に悪いとは思わないよ。キミらしい愛し方で、いいんじゃない? 俺には真似出来ないけどね」

さすが真田だよね、と幸村は笑った。
他の奴らも、凄い、流石だと俺を賞賛する。
奴らにとっては、からかうつもりも、嫌味のつもりもない、心からの言葉だったのだろうと思う。
しかし何故か、俺の心には、それが小さな針のように突き刺さった気がした。