やがて時刻は朝7時を過ぎ、朝食の提供時間が始まると、合宿所はにわかに騒がしくなり始めた。
朝食はビュッフェ形式で、自由に好きなものを食べられるようになっており、各校から来たお手伝いの少女たちが朝食の提供を手伝っている。
真田は自主練習の片づけを終え、シャワールームで少し汗を流してからレストランに向かった。
朝食会場の開始時間をやや過ぎてから入ると、既に柳や幸村がビュッフェに並んでいた。
「おはよう、真田」
「今日から早速早朝練習か? 流石だな、弦一郎」
二人は笑って真田に手を振る。
それに応えるように真田も手を挙げ、二人に合流した。
3人はそれぞれ好きなおかずを取り、三者三様の朝食を作り上げていく。
すると、デザートコーナーでエプロン姿をした見知った顔を見つけた。――だ。
「おはよう、さん。お手伝いかな? ご苦労様」
「おはよう、。精が出るな」
幸村と柳が声を掛けると、は作業の手を止めて3人に笑いかけた。
「おはようございます、幸村先輩、柳先輩。……真田先輩」
「……ああ、おはよう、」
真田は、少し口元を緩めて、に歩み寄った。
勿論真田とは今朝既に会っているが、早朝練習の件が他のメンバーにばれたらどうなるかは目に見えていたので、二人は今朝初めて会ったかのように接する。
「朝食の手伝いか。朝早くから本当にご苦労だな」
「そんなことないです、真田先輩も既に練習されてきたんでしょう? お疲れ様です!」
白々しい会話だったが、二人だけの内緒ごとがあるのが嬉しくもあった。
そんなことをお互い思いながら、二人は頬を緩める。
そんな二人に、お決まりのように幸村がわざとらしい言葉をかけた。
「おやおや、お二人さんは朝から仲がいいね」
「も、もう! 普通の会話しかしてないでしょう!?」
「そ、そうだぞ幸村! ただ朝の挨拶を交わしたくらいで、適当なことを言いおって!」
急に声を荒げた二人を、幸村は楽しそうに見つめて更に追い打ちをかけた。
「いやいや、二人にしか分からない色々なものがにじみ出てるよ? ねえ、柳」
「ああ」
二人にしか分からない色々なもの――その言葉に図星を疲れたような気分になって、真田とは肩を弾ませる。
朝の内緒ごとは幸村や柳にはバレていないはずだが、これ以上の会話は薮蛇にもなりかねない。
これは話の方向性を変えなければ。
「そ、そんなことより! このプリン、限定なんですよ!!!」
は慌てて自分がセッティングしていたデザートコーナーの方から、カップに入ったプリンを掴んで、3人に見せた。
「これ、料理長さんが余った材料で作ってくださったものなんで、数はたくさんはないんです。でも余り物で出来てるとは思えないくらい美味しいですよ!!」
捲し立てるように言うに、幸村はくくっと笑みを零す。
「ふふ、分かりやすく話を変えたね。まあ、いいことにしてあげるよ。プリン、そんなに美味しいなら1個貰おうかな」
「そうだな、俺も一つ頂くか」
そう言って、幸村と柳は、の側に並んでいるプリンを一つ手に取り、持っていたトレイに載せた。
「真田先輩もどうぞ! 全員分はないと思うので、早い者勝ちですよ!」
「ああ、では一つ貰おう」
真田が頷くと、はふふっと笑って自分の手に持っていたプリンを、そのまま真田のトレイに載せた。
そして。
「それじゃ、ごゆっくり!」
満面の笑みで軽く手を振って作業場へと戻っていく彼女の後姿を、真田は微笑ましそうに見送った。
それから、30〜40分ほど経っただろうか。
真田は幸村や柳とテーブルを共にし、朝食をほぼ食べ終わった。
二人と歓談しつつ食べていたので、少し時間は掛かっていたが、そろそろ締めにとても美味しいらしいプリンでも食べて一度部屋に戻ろうかと思っていた、その時。
「ま、間に合ったか〜!?」
大きな声を上げて、入り口に一人見知った姿が駆け込んできた。――切原赤也だ。
朝食提供開始から30分以上が経過し、食べ終えて部屋に戻る者も出始めたこの時間帯に、慌てて入って来た彼を目に留めると、幸村達は仕方なさそうに苦笑した。
「赤也、今朝も寝坊したみたいだね」
「ああ、昨夜、朝食時間は1時間しかないから余裕をもって開始時間に間に合うように起きろと言っておいたんだがな。全く、あいつは仕方のない奴だ」
幸村と柳はそう言って顔を見合わせる。
「初日から寝坊とはたるんどる!」
他校の生徒もたくさんいる中で、立海の生徒が寝坊するとはなんと情けないことかと、真田は額を抑えて眉間にしわを作った。
あの情けない後輩に一言言ってやらなければと、真田は立ち上がって彼のもとに向かう。
そして。
「赤也ぁ!!」
張り裂けんばかりの大きな声で、彼の名前を呼んだ。
その声に反応して、切原の肩がびくっと跳ねる。
「げっ……ふ、ふくぶちょー、おはよーございまーす……」
真田の声とは対照的な、消え入りそうな小さな声で、切原は返事をした。
「おはようではない! 早速寝坊か!? 他校生もたくさんいるというのに、恥を知れ、恥を!!」
「すんません、いや、あの、実は目覚ましが壊れてて」
「そんな見え透いた嘘を言うな!! たわけが!!」
真田の怒鳴り声が朝食会場のホール全体に響く。
その声が逆に注目を集めてしまっていることに気付いていた幸村と柳は、テーブルに座ったまま真田に声をかけた。
「まあまあ真田、今はその辺にしておきなよ」
「そうだぞ弦一郎、朝食時間が終わってしまう。小言は後にして、先に赤也に朝食を取らせた方がいい」
「う、うむ、そうだな」
二人の声に真田ははっとした表情で頷くと、軽く咳払いをして切原に向かい合った。
「それでは朝食を取ってこい!」
「はいっす!」
救われた、と言わんばかりに表情を緩め、切原はトレイを引っ掴んで真田から離れていった。
真田は苦虫をかみつぶしたような顔つきでその姿を見送ると、幸村達のところに戻ろうと踵を返した、その時。
もう一人、朝食会場の入り口から見知った顔が入って来た。
「……越前?」
「あ、真田さん。おはよーございます」
そう言って軽く頭を下げ、まだ少しとろんとした目つきで入って来たのは、青学の越前リョーマだった。
「おはようございますではないだろう……お前、今から朝食なのか?」
「……そーっすけど」
けだるそうなのはまだ起き切っていないのか、それとも元々なのか。
彼とは縁あって何度か話しているが、その性格はつかみ切れていないところがあった。
しかし、いくら時間内に利用すれば良いとはいえ、朝食の時間も残り30分を切っているこの時間に悪びれもなく入ってくるとは。
「よもや赤也より遅い者がいるとは……お前もたるんどるぞ、越前!」
他校生とは言え、こういう時に口を出さずにいられないのが真田の性分だった。
切原のように上から怒鳴りつけたりはしないものの、口から小言めいた言葉が漏れる。
「お前のテニスのセンスは確かに認めるところだが、だからと言って普段の生活が乱れるようでは話にならんぞ。特にこういう集団生活においては、少し早いくらいの行動を心がけねばなるまい。手塚はそういうことは指導していないのか。それにだな……」
ぐちぐち続く真田のお小言に、越前の表情が鬱陶しそうに曇っていく。
「大体、こういう時こそ誰よりも早く起きてだな……」
真田が更に言葉を続けようとした、その時だった。
「そーっすね、俺にも早朝練習に付き合ってくれるかわいーいカノジョでもいれば、早く起きれるかもしんないっすね」
ずっと黙っていた越前が、唐突にそんなことを口にした。
対照的に、真田は一気に目を見開いて全ての挙動を止める。
「あんな早朝から二人っきりで練習に付き合ってくれるようなカノジョとか、ホント、うらやましーっす」
そう言うと、小さな彼はわざとらしく口元に手をやって思い出すような仕草をして、
「えーっと……さん、でしたっけ? 北コートで一緒に居ましたよね、朝っぱらから」
そう付け加えて、にいっと生意気そうな笑みを浮かべた。
「越前おま……何か……見た、の……か?」
自分の頭が真っ白に染まるのを感じながらも、何かの間違いであれと願いつつ、真田はなんとか問いを返す。
しかし、その願いはいとも簡単に打ち砕かれる。
「俺、朝一回便所に起きたんすよ。そん時、廊下の窓から、北コートよく見えたんすよね。俺、視力両目1.5なんで」
――不味い。これは完全に見られている。
いや、見られてもテニスの練習をしていただけだ、何をうろたえることがある――いやちょっと待て!?
真田は、練習の最後で彼女と少しだけしたあの「触れ合い」を思い出した。
あれは、あれだけは――どう言い訳をしても、よこしまな感情を否定できない。
もしあの決定的な場面を彼に見られていたら、絶対に不味い。
それに先ほど幸村達に彼女と朝食前に会っていたことを隠して今日初めて会ったかのような会話をしてみせたばかりだ。
あんな小芝居をしておいて、もし早朝に会っていたことを知られたら――絶対に、からかわれるに決まっている。
真田は越前の肩をぐっと掴んで引き寄せ、かなり小さな声で耳元で囁くように尋ね始めた。
「え、越前……お前、どこまで見た……?」
「どこまでってって言われても」
「だ、だからどこまで見たんだ。かなり、その、な、長い間見ていたのか。た、例えば、……俺たちが別れるギリギリまで、とか……」
慌てて問い質そうとする真田を、越前は一瞥する。
そして、にやりと笑った。
「つまり、見られたら不味いことしたってことっスね。……別れるギリギリくらいに」
――しまった。薮蛇だった!
真田は思わず口を抑える。
完全に立場が入れ替わったことを確信した越前は、挑発的に言葉を続けた。
「ハグ? それともキスとか? 熱いっすね、朝から」
「ばっ……馬鹿者、手を握っただけだ!!」
「へー、手を握った、ね」
彼のその言葉に、誘導尋問に引っかかったことに気付き、真田は更に額を抑える。
2つも年下の彼にいいように操られるなど、なんと情けないことだろう。
「ほーんと、朝からそんなことしてるなんて、真田さんって見かけによらないっすね」
「……越前……頼むから、その」
「なんすか?」
「いや、だからその……わかるだろう?」
とにかく、落ち込んでいる暇はない。
彼の口から立海のメンバーにでも漏れるのは絶対に不味い。
口止めをしなければと、必死で真田が越前に「黙っていてくれ」と伝えようとした、その次の瞬間。
「え!!? 特製プリン、もう無くなっちゃってほんとっスか!!?
少し離れたデザートブースから、大きな声が聞こえた。
何事かと二人がそちらを見やると、先ほど真田が叱りつけた後輩が、デザートブースのところで大騒ぎしているのが目に入った。
「嘘でしょー!? あと一つくらいないんすかー!」
真田は駄々をこねる後輩を横目でちらりと一瞥したが、それどころではないと慌てて越前の方に視線を移す。
すると。
「へープリンなんてあったんだ。……食べたかったかも」
越前もまた、そんなことを口にした。
その言葉に真田の目がギラリと光る。
超特急で真田は自分の席に戻りプリンを引っ掴むと、すぐに戻って彼に押し付けた。
「そうか越前限定プリンが食いたいのかそうか分かった俺のをやろうまだ全く手を付けていないから安心して食うといい」
「あ、どもっス。じゃあ遠慮なく」
早口で捲し立てる真田を一瞥すると、その手のプリンを遠慮なく受け取って、越前は軽く頭を下げる。
しかしそのやりとりを目ざとく見ていた切原が、「あーーーー!!!」と大声を出して駆け寄ってきた。
「副部長、なんで越前に限定のプリンあげちゃってるんすか!! コイツに渡すくらいなら俺に下さいよ!!」
「だ、駄目だ!! お前は、あ、甘やかさん!!」
「なんすかそれ!! 越前の方が遅く来たのに、なんで越前にやるんすかー! 俺だってプリン食いたいっすよー!」
「う、うるさいぞ赤也! これは越前にやったものだ!! 諦めんか!!」
真田と切原の言い合いが朝食会場に響き渡り、なんだなんだといろんな生徒が3人を注目し始める。
「……真田さん、切原さん。俺、もう行ってイイっスか。食べる時間、無くなっちゃうんで」
「お、おい、越前、頼むぞ…!? 絶対に、絶対に言うんじゃないぞ!!?」
去っていこうとする越前に、真田がもう一度口止めしようとした、その時。
背後にぞくっとする気配を感じて、真田は動きを止めた。
――そして。
ゆっくり振り向くと、そこにいたのは――怖いくらいに明るい微笑みを浮かべた、親友の姿。
「……先ほどのことって?」
「い、いや、幸村、その、違うんだ」
「今真田ボウヤに慌ててプリンを持って行ったよね? あれ、もしかして口止め料だったんじゃないの?」
「い、いや、そういうつもりではなくてだな、ただ単に越前がプリンを食いたいと言うから」
「真田がそこまでして隠したいことって、どうせさんのことでしょ? 一体何があったのかな?」
有無を言わせず迫ってくる親友の姿に、真田は完全に固まった。
こうなればもう、越前から漏れなくとも騙し通せるわけもない。
――終わった。
真っ青な顔で、真田はぎゅっと目を瞑ったのだった。
真田くん2022年もお誕生日おめでとう!
というわけで、誕生日記念に久々に(というか10年以上ぶりですが…)こちらのシリーズを更新させていただきました。
hushpuddingは私の造語なのですが、「口止め料のプリン」というニュアンスです。
ちなみに初稿ではコートで真田君にはバックハグをさせたのですが、「この頃の真田って、ふたりきりでいる時にバックハグとかまだ無理じゃなかろうか」という疑問が湧いたため直前で手を重ねるだけに変更されました。
リョーマ君が実際にその様子をみてたら、確実に「まだまだだね」って言ったことでしょうね(笑