「真田君、ごめん! お願いがあるの!」

とある休み時間。
元クラスメイトの女生徒たちに廊下で呼びとめられた俺は、「またか」と深いため息を吐いた。

どうかだれにもみられていませんように。

「一体なんだ」

立ち止まり、彼女らの方を向いて、俺は尋ね返す。
すると彼女らは少し怯えたように肩をわずかに震わせたが、俺の目を見ず、そのまま言葉を続けた。

「ごめんね、急に呼び止めて。本当に申し訳ないと思うんだけど……あの……ちょっとお願いがあって……」

少し恥ずかしそうにもじもじしながら、言葉を紡ごうとする。
言い辛そうにしているが、俺は彼女らのお願い事とやらには、とっくに見当がついていた。
何故なら、もう既に彼女たち以外からも何件も同じようなことを頼まれていたからだ。
彼女らの言葉を待たず、俺はその予想を口にした。

「……月刊プロテニスの今月号のことか」
「う、うん、そうなの!」

俺の言葉に、彼女らの顔がぱあっと明るくなる。

――やはりか。

予想はついていたけれども、それでもうんざりしてしまい、俺は眉間に皺を寄せた。
すると、彼女らがまた、その肩をびくっとさせて俯き気味に視線を逸らす。

「ご、ごめんね、もうどこも売り切れで」
「らしいな、もうどの店でも取り扱いが無いと聞いた。今回はすぐに売り切れたそうだ」
「うん、そうなの。でも、真田君が持ってるって聞いたから……」
「まあ持っているが」

月刊プロテニスは、俺が唯一毎月買っている雑誌だ。
この雑誌の編集者の井上さんに何度もお世話になっているというのもあるが、そうでなくても一番自分に合っているテニス雑誌だと思う。

「たくさん本屋さん回ったんだけど、全然見つけられなくて、でもどうして私達、欲しくて……」
「俺も1冊しか持っていない。本そのものは譲れんぞ」
「勿論譲ってなんて言わないよ! ただ、数ページカラーコピーさせてくれるだけでいいの! お願い!!」

そう言うと、彼女らは手を合わせて俺を拝み倒す真似をした。
本心ではそんなことやりたくはなかったが、こうなるともう断れるものでもない。
俺はとても苦々しい気持ちで彼女らを見つめながらも、とにかくその行為を早く止めてもらいたくて、早々に「分かった」と承諾した。

「ありがとう! 真田君!!」

顔を上げて、彼女らが破顔する。
その様子はとても嬉しそうだ。あのたった数ページが手に入るのがそんなに嬉しいのだろうか。

(……理解ができないな)

「コピーは俺が代わりにしてくる。後でコピー代だけもらえるか」
「うん、分かった! あのね、コピーしてほしいのは……」

その言葉を遮って、辟易したような感情をなるべく出さないように努めながら、俺は言った。

「……跡部景吾の記事だろう」

俺がそう言った途端、彼女らは頬を染め、嬉しそうに「うん!」と手を合わせた。

――そう。
俺が先日から何度も女生徒に依頼されてきたのは、氷帝学園の跡部の記事のコピーだった。

「じゃあ、真田君お願いしていいかな?」
「ああ、また数日後に渡す」
「本当にありがとう!」

そう言うと、彼女たちは満面の笑みで姦しく騒ぎ立てながら、俺の前から去っていった。

しかしまったく、これで何件目だろうか。
そもそも俺は丸井たちとは違って余り女生徒から話しかけられることはなく、どちらかというと避けて通られたり、遠巻きに見られることがほとんどなのだが、今回は俺に近づく怖さよりも、跡部景吾の記事のコピーを手に入れたい欲の方が勝るらしい。
その上、俺に直接頼みに来れない奴は、丸井たちに俺に頼んでくれとお願いしにくるらしく、友人たちを通して頼まれた分も合わせれば、既に2桁を超えるほどになっていた。
しかし、こう何件も続くとさすがに辟易するというものだ。

それにしても、跡部景吾と言う男は、女子にとってそんなに魅力があるのだろうか。
俺には全く理解ができないが、あの派手な風貌やパフォーマンスが人気なのだろうか、女子からの人気は凄まじいものがある。
学校も違うというのに、我が立海大附属にもいわゆる「ファン」は多いらしい。
大会の時なども、まるでテレビに出ているアイドルのようにいろんな学校の女生徒から声援を浴びているのを何度も見ている。
どうやら、あの男は本当にもてるらしい。
本当に、本当に、全くもって、理解はできないのだが。

(まあ、別にどうでもいいがな)

跡部のように不特定多数にもてることを人の価値と思い、羨ましいなどと思っている奴もいるようだが、俺は心底どうでも良かった。
不特定多数の女子からの好意など、向けられても困るだけではないか。

たった一人。
そう、異性からの好意など、特定のたった一人からでいいと俺は思う。
例え100万人から好意を向けられていても、そのたった一人から想われていなければ何の意味もない。

そして本当にありがたいことに、俺は今その「特定のたった一人」から、唯一の惜しみない愛情を与えてもらっている。
それで十分だろう。

(そういえば、は、今頃何をしているだろうか)

同じ校舎のどこかにいる彼女に想いを馳せ、俺は思わず笑みを零した。





そして。
その日の放課後のことだった。

部活が終わり、いつものように彼女を――を送るために一緒のバスに乗り、駅前のバス停で降りる。
他の皆と別れ、彼女の乗り継ぐバス乗り場へと向かいながら、俺達は話をしていた。

「今日もありがとうございます、先輩」
「いや、この時間は俺にとってもお前と居られる大切な時間だからな。気にしてくれるな」

俺がそう言うと、は、ぽうっと頬を染めた。
こんな反応も可愛くて、俺が無意識にくくっと笑うと、俺がからかったとでも思ったのだろう、今度は逆に口をとがらせる。

「先輩、からかわないでください!」
「からってるつもりはないといつも言っているだろう?」
「嘘、先輩笑ったもん」
「お前が可愛いから笑ったんだ」
「ほらからかう!」

ああ、やはり可愛い。
これももう何度したか分からないほど定番のやり取りなのだが、くるくる回るの表情を見ているだけで、俺は満たされる。
俺が唯一好意を貰いたいと思う、俺の大切な「特定のたった一人」だ。

そんなことを思いながら彼女と歩いていると、ふとコンビニが視界に飛び込んできた。
そういえばプロテニスのコピーを何件も頼まれていたことを思い出し、俺は店の前で足を止める。
今確か、鞄の中に丁度入っていたな。

「先輩、どうしたんですか? コンビニに何か用事でもあるんですか?」
「ああ、まあな」

しかし、コピーをすると言っても10件以上頼まれているから結構な量だ。
彼女を待たせるわけにはいくまい。

「まあ、お前を見送ってからまたくるさ」

そう言って、俺はまた歩き出す。
が、は足を止めたまま、コンビニを指さした。

「別にいいですよ。次のバス52分ですし、まだ時間ありますから」
「そうか?」

自分の付けていた腕時計を見る。
確かに、まだ2〜30分はあるか。これなら、間に合うだろうか。

「では、その言葉に甘えて少し寄らせてもらってもいいだろうか」
「はい! ……何か買うんですか?」
「いや、買い物ではなくてな、コピーなんだが」

そう言って、俺は自分の鞄を漁る。

「コピー? 授業のノートか何かですか?」
「いや、そうではない。ちょっと頼まれたんだ」

そう言っているうちに、鞄の中からお目当ての雑誌を見つけ出して、俺はそれをそっと引き出した。

「あ、今月号のプロテニス!」
「ああ、記事をコピーさせてくれと、女子にちょっとな……」
「女子に? ……へぇ、そう……なんですか……」

一瞬、彼女の声のテンションが下がったような気がして、ふとに視線を移す。
すると彼女は、さっと視線を逸らした。

「どうかしたか?」
「い、いえ」

その彼女の様子に少し引っかかったものを感じたが、気のせいだろうか。
とはいえ、バスの時間もあるし、あまりゆっくりはしていられない。
俺はまた、自分の手元に視線を戻し、ぱらぱらと本をめくり始める。

どの辺りだっただろうか。
そういえば、巻頭の方のプロの試合の記事と、フォームチェックの記事以外まだ自分でもあまり目を通していないのだった。
ましてや、跡部の記事など興味もないから、どこら辺にあるのか知りもしていない。
ぱらぱらとめくりながら、俺がお目当てのページを探していた、その時。

「あ、あの、先輩……それじゃ、あの、私も、コピー……いいですか?」

彼女が唐突に、そんなことを言った。
驚いて、俺は目を見開く。
まさかも、跡部の記事が欲しいと言うのか?

「何故だ?」
「あの、私もその記事が欲しくてプロテニス探してたんですけど、結局見つけられなくて……ネット通販で一応頼んだんですけど、メーカー問い合わせになってて、手に入るかどうかは分からないらしくて……だから」

少し照れくさそうに、彼女は言う。
しかし俺の頭の中は、一気に微妙な――いや、不快な気分になった。

(まさかが、跡部の記事が欲しいなどと……)

ああいや、もしかしたらも友人に頼まれたのかもしれない。
そう思い直して、俺は問う。

「一体どうした。誰かに頼まれたのか?」
「いえ……わ、私が欲しいに決まってるじゃないですか……」

そう言うと、はかあっと頬を染めた。
そして、照れくさそうに口元に手をやりながら、更に言葉を続ける。

「……ほら、あの……試合、すっごく、かっこよかったです……し」

――すごくかっこいい。

まさか、がこんな表情で他の男を褒める姿を見ることがあろうとは。
余りのショックに、俺は完全に固まってしまった。
すると、俺の様子の変化に気づいたらしいが、目を瞬かせて俺を見上げた。

「せ、先輩? どうしたんですか?」
「……お前、本当にこれが欲しいのか?」
「は、はい、欲しいです。とても」

またかあっと彼女の頬が染まる。

感情と言うものは自由だ。
例え俺が彼女の恋人だとしても、他の男をかっこいいと思うことを、俺が止めることはできない。
俺を差し置いて他の男をそう思わせてしまうということは、俺がふがいないということに他ならないのだろう。

そう頭では理解していても、イライラとした感情は止まりそうもない。
やがてそれは、彼女にも明確に伝わってしまったようだ。

「え、あの、先輩、なんでいきなり機嫌悪くなったんですか?」
「……いや。別にそんなことはない」

取り繕おうとするが、それは全くの無意味だったようだ。
彼女は、眉根を寄せて反論してきた。

「うそ、絶対機嫌悪いです! どうしたんですか? 私何か言っちゃいましたか?」
「そんなことはないと言っているだろう」
「絶対嘘! 眉間に皺寄ってるし、顔も険しいし、絶対先輩機嫌悪いです!! 私がコピー欲しいって言ってから急に様子が……え、まさか私もコピー貰いたいって言い出したからですか!? なんでそんなことで怒るんですか!?」

――そんなこと!?

「そんなこととはなんだ、お前が『こんなもの』を欲しがったりすれば、気分悪くなるに決まっているだろう? 他の女子が欲しがるのは好きにしろと思うが、お前にだけはこんなものを欲しがってもらいたくはない!」

俺もつい、言い返してしまった。
こいつは鈍感だとは思っていたが、まさかほかの男の記事が欲しいとあんな顔をして言われることが、ショックだと思いもしないのだろうか。

「なんで他の女の子が欲しがるのはよくて、私は駄目なんですか!? ひどい、私だって欲しいですよ! いつも先輩と一緒にいられても、それとこれとは別なんです! 私だって、いつも手元に置いておきたいなって思ったっていいじゃないですか!」

そんなに顔を真っ赤にしながら、俺のことと跡部の写真を欲しがることは別だと、更にいつも手元に置いておきたいなどと、そんなことを言うのか。
もう――限界だ。
彼女の方もまた、真っ赤な顔でうらめしそうに睨んでいる。
そして、俺達は互いに爆発した。

「ああ分かった、そんなに跡部の記事が欲しいなら、何枚でもくれてやる。好きにすればいい!!」
「分かりました、もういいです!! 私は真田先輩の記事なんていらないですから、他の女の子たちに好きなだけ配ってください!!」

……ん?
俺の……記事?
一体、何の話だ……?

意味が分からない。
彼女もまた、ぽかんとした表情で、俺を見上げていた。

「あの、先輩、跡部さんがなんで出てくるんですか?」
「い、いや、お前こそ、俺の記事とは何の話だ」
「だから、あの、今月号に載っている真田先輩の記事の話ですけど……」

目を瞬かせて、彼女が言う。

「俺の? 今月号に、俺の記事など……」

――いや。
ちょっと待て。そう言われてみれば、こないだの大会の記事。
今月号だったかもしれない。

俺は慌てて手に持っていた本を広げる。
乱暴にページを捲っていくと、跡部の記事の少し後に、俺がこないだ出場した大会の記事が出てきた。
そこには確かに、俺の写真がでかでかと載っている。

「……載って……いるな」
「ええ!? 先月井上さんに会った時、今月号に載るよって言ってたじゃないですか!」
「そういえば、そうだったような気もするが……周りに跡部の話ばかりされてすっかり忘れていたというか……」
「跡部さん? 載ってたんですか? 私、現物見れてないからそっちは知りませんでしたけど……まさか、先輩は私が跡部さんの記事を欲しがったって勘違いしたんですか?」
「……まあ……」

急激に、俺の顔の熱が上がる。
俺は余りにも恥ずかしくなって、掌でその顔を覆いながら、ただ一言、小さく「すまん」と呟いた。
すると、彼女が抑えきれなくなったのか、声を上げて笑い出した。

「もう、それで怒ったんですね? もう、先輩ったらそんなわけないのに……ふふふ……」

彼女の笑みが止まらない。
まあ笑われても仕方ないかもしれないが……余りにも情けない勘違いをしたのだから。

……ん。
いや、ちょっと待て。
俺も確かに勘違いしたが、こいつだって、勘違いをしたのではないか? 女子にコピーを頼まれたと言ったとき、先ほど一瞬感じた違和感。
そして、「他の女子に好きなだけ配ればいい」と言う言葉。
そう、だって、俺が自分の記事を他の女子に配っていると勘違いして怒っていたのだから、人のことを笑えるのか?

、そういうお前だって、俺が自分の記事を他の女子に頼まれて配っていると勘違いしたんだろう?」

俺がそう言うと、彼女の表情がぴたりと止まる。
少し無言になってから、彼女は顔を真っ赤にして、やっと聞き取れるほどの小さな声で、「すみません」と俯いた。

「俺が他の女子に自分の記事を配るわけがないし、そもそも欲しがる奇特な奴もおらんだろう。全く、どうしたらそんな勘違いができるんだ」
「いや……だって……あの試合の先輩、本当にかっこよかったですもん……だから……欲しがる人がいたって不思議じゃないなあって……」

途切れ途切れに言いながら、真っ赤な顔で言葉を紡ぐ。
その可愛らしさに、俺もまたくくっと笑った。

「おあいこ、というやつだな」
「そうですね」

そう言い合って、俺達は顔を見合せる。

「じゃあ、改めて、私に『真田先輩のページ』をコピーさせてくれますか?」
「井上さんに頼めばもう一冊くらいなんとかなるだろう。お前にはコピーなどではなく本物をやるさ」
「いいんですか!? やった、ありがとうございます!」

無邪気に喜ぶ彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
その瞬間、自分の手に付けている腕時計が目に入り、はたと気づいた。

――50分。

「しまった、もうバスが出るぞ!」
「え、ええ!? もうそんな時間ですか!?」
「ああ、コンビニには俺が後で寄る。これ以上遅くなるのは親御さんに申し訳ないから、絶対に52分のバスに乗るぞ、走れ!」

慌てて俺は彼女の手を引いて走り出した。

無事に彼女をバスに乗せる事が出来、そのバスを見送りながら額の汗を拭っていると、俺の携帯にメールが舞い込んできた。
今別れたばかりの彼女からだ。
どうしたのかと思って、メールを開く。
その瞬間に飛び込んできた思いがけない内容に、俺は思わず吹き出してしまった。

『そういえば、さっきのってもしかして私たちの初めての喧嘩でしょうか?』

ふむ。そういえばそうかもしれない。
……が、その理由が情けな過ぎて、幸村や蓮二たちには絶対に知られたくないな……。

まさかとは思うが、先ほどのコンビニ前でのあれを、知り合いに見られてはいまい……な?
……まさか。な。

背筋に悪寒が走ったが、あまり考えないようにして、俺は先ほどのコンビニへと踵を返した。

2020年真田君生誕日祝い&サイト14周年記念です。
もううちのサイトではお決まりの、放課後バカップル劇場になってしまいました。
これが初喧嘩とか、本当に馬鹿馬鹿しいです。このバカップルめ。