正真正銘

とある昼休み、真田は和室にいた。
大切な彼女との、約束を守る為に。



「……それ、私にも書いてもらえませんか?」

そう、に頼まれたのはもう10日ほど前になるだろうか。
以前他のレギュラー達に贈った書の話を知った彼女が、自分も欲しいと言ってくれたのだ。
今まで自分の書いた書を心から欲しいと言ってくれた者はいなかったので、そう言ってもらえただけでも嬉しかったのに、それが愛しい彼女となれば、筆舌に尽くしがたいと いうものだ。
近いうちに贈ると、すぐさま二つ返事で約束したのはいいものの、結局今日まで書くことは出来ないでいた。
勿論、放置していたわけではない。
それどころか、四六時中と言っても過言ではないほどに、ずっと考えていたのだけれど――肝心の「言葉」が決まらないのだ。

幸村ならば、無病息災。
柳には、明鏡止水。
自分がこの書を誰かに贈る時は、性格を表す言葉や、祈り、目標などを、渡す相手に合わせて選んでいた。
他のレギュラーメンバーに渡した時は悩むことなどほとんどなかったのだが、何故か彼女に贈る言葉だけがなかなか決まらない。
いくつかの候補は出したけれど、一つに絞れないのだ。
そうしている間に、いつの間にか10日も経ってしまった。
彼女は優しいから催促なんてしてこないが、だからと言ってこれ以上待たせるわけにはいかないだろう。

――今日こそは、書かねば。

真田はそう強く決意しながら、和室へと足を運んだのだった。


運動場から聞こえる雑音をシャットアウトするために窓を締め切り、背の低い書道机の上に白い半紙を広げた。
既に墨は磨り終わっている。
あとは精神を統一して、書くだけだ。
再度姿勢を整えて、息を吸う。
そして、持っていた筆をゆっくりと硯に滑らせ、墨を吸わせた。

――まずは、精神統一だ。

そう自分に言い聴かせて、白い紙に「精神統一」と書く。
まだ少し緊張しているのか、字が堅いような気がした。
こんな出来では何を書いても彼女に渡せないと、真田は書いた字を横に避け、新たに紙を置いて、もう一度「精神統一」と書いた。
そして、数枚目の「精神統一」で、やっと納得のいく字が書けた。

「うむ」

満足そうに頷いて、また新たな紙を置く。
今からが本番なのだ。
真田は、とりあえず候補の字をいくつか書いて、一番上出来なものを渡そうと決めていた。

の顔を思い浮かべ、一気に「春風駘蕩」と書いた。
春の景色ののどかなさまや、春風がそよそよと気持ちよく吹くさまを表す言葉で、温和でのんびりとした人柄のたとえだ。
彼女のあたたかい性格をよく表している言葉だと思う。
しかし、言葉はともかく、字が納得行かなかった。
「駘」の文字の1画目の入りの位置が悪い。
これは駄目だと、真田はまた大きく息を吸い、今度はまた違う字を書くことにした。

先ほどは性格を表す言葉を書いたから、次は少し違う方向の文字を書いてみようか――そう思いながら筆を走らせて、書いた言葉は「一日千秋」。
非常に待ち遠しいことのたとえで、人が早く来てほしいと願う情が非常に強いことを表している言葉だ。
――いつだってお前に会いたい、そんな願いを篭めて。

今度は上手く書けたような気はする。
しかし今度は、本当にこの文字でいいのだろうかと思い始めた。
気持ちは嘘では無いけれど、少し照れ臭すぎやしないだろうか。
そう思うと、かあっと顔が熱くなった。

「つ、次だ!」

一人で叫ぶと、真田はまた次の文字へと移った。


それから十分ほどの間、真田はいろいろな文字を書き続けた。
純情可憐に天真爛漫、温柔敦厚に光風霽月。
以心伝心、異体同心、比翼連理――書けば書くほど、迷ってしまう。
そして、「掌中之珠」と書き終わったその時だった。

「うわ、すごい紙の量」
「たくさん書いたな、弦一郎」

そんな声が聞こえて、真田は、はっと出入り口の方を向く。
すると、そこには幸村と柳がいた。
驚いて、真田は勢いよく立ち上がる。

「な、なんだいきなり! 何しに来た!」
「テニス部の次の交流試合の詳細確認だけど。放課後にはコレ提出したいから、今ざっと目通してくれる?」

幸村がさらっと言って、真田の目の前に紙を突きつけた。

「あ、ああ……そんなことか。わかった」

真田は幸村から紙を受け取り、目を通しながら二人に話し掛ける。

「よくここが分かったな」
「俺のデータをもってすれば、容易いことだ」
「ていうか、真田の行動パターン分かりやすいし。柳のデータに頼らなくてもわかるよ」
「分かりやすくて悪かったな」

そんな会話をしながら、用紙を読み進める。
そして、最後まで読むと、真田は顔を上げた。

「うむ、これで――」

いい、と言おうとしたその瞬間、出入り口に居たはずの二人が、そこから姿を消していたことに気付いた。
振り向くと、いつの間にか二人は書道机の側に足を運び、真田が今まで書いていた書を、じっと見つめている。

「か、勝手に見るな!!」

あれは、彼女に贈る為の言葉だ。
書いてある言葉を見れば、言わなくても二人はぴんと来るだろう。
真田は慌てて書を回収したが、もう遅かった。
二人の顔は、ものすごくニヤついている。

「……なるほど、ね。さんにも『アレ』を贈るつもりなんだ」

幸村が笑う。
その顔を見るだけで、恥ずかしくて真っ赤になった。

「『掌中之珠』とは、なかなか熱烈な恋文だな、弦一郎」
「ねえ、柳。『掌中之珠』ってどういう意味?」
「ああ、それはだな。手の内に持っている珠玉のことで、転じて『最も大切にしているもの』という意味だ」
「へーえ。なるほどねー」

二人の視線が痛い。
内容が内容だけに、まるで自分の心を全て覗かれたような気さえする。

「弦一郎、俺のお勧めは『鴛鴦之契』なんだが、どうだ?」

鴛鴦之契――仲むつまじい"夫婦"の例えだ。
真田の顔が、更に熱くなった。

「すまん……頼むからからかわないでくれ……」

真っ赤になった顔を伏せながら、真田は懇願する。
そんな真田を見て、二人はははっと笑った。

「はいはい。それじゃあね、ごゆっくり」
「邪魔したな、いい恋文――じゃない、いい書ができるように祈っているよ」

そう言って、幸村が真田の手から交流試合の紙を奪う。
そして、二人はひらひらと手を振って和室を出て行った。

「全く……とんだ『莫逆之友』だな」

ふう、と大きく息を吐き、真田は座り込む。
とはいえ、あの二人は大切な「月下氷人」でもあるから、少しくらいのからかいは仕方が無いとも思うけれど。
そんなことを思って、真田は苦笑した。

その後も2、3ほど書を書いてから、真田は手を止めた。
こんなに書いてもしょうがないだろうと、少し自分が情けなくなりながらも、書き溜めた書を丁寧に整える。
そして一体どれを渡そうかと思案していた、その時――そうっと、和室の扉が開いた。
またあの二人かと、真田はやれやれと振り返る。

「帰ったのではなか――」

なかったのか、と言いかけた言葉が止まった。
そこにいたのは幸村と柳ではなく、この書を贈るはずの相手――だったからだ。

「やっぱり居た」

そう言って、彼女はへへっと笑う。
思わず、自分の胸がどくんと鳴った。

「ど、どうした?」
「近くを通りかかったので、もしかしたら居るんじゃないかなって思って……良かった、予感的中でした」

会えたのが嬉しいと言わんばかりに微笑むに、思わず真田の顔も緩んだ。

「上がってもいいですか?」
「ああ、丁度お前に贈る書を書いていたところだ」

真田がそう言った途端、が目を輝かせる。

「ほんとですか!?」
「ああ。……実は、たくさん書き過ぎて、俺には選べなかったところでな。お前が選んでくれないか」

少し情けなさそうに、真田は苦笑して頭を掻く。
するとは、「はい!」と元気良く頷いて、慌てて上靴を脱ぎ、和室へと上がってきた。

「うわあ、すごい! さすが先輩、すごく綺麗!」

の声のテンションが上がった。
どうやら、気に入ってはくれているらしい。

「そうか、ありがとう。まあ、好きな言葉を持っていけ」
「ありがとうございます!! でも……」

でも、と小さな声で言って、彼女の言葉が止まる。
もしかしたら、気持ちが変わって、いらなくなってしまっただろうか。
不安になって、真田はの顔を覗き込んだ。

「ど、どうした、もしかしていらないのか?」

慌てて尋ねると、が目を見開いて、必死に手を横に振る。

「ま、まさか! 全部欲しいくらいですよ!! 一つだなんて、選べないです!! ただ、あの」
「ただ?」

問い掛ける真田を、は上目遣いで申し訳無さそうに見上げながら、聞き取れないほど小さな声で呟いた。

「……書かれてる文字の意味、ほとんどわかんないんです……」

そう言うと、彼女はその顔を両手で覆う。
そんなことが恥ずかしかったのかと、思わず真田は大きな声を上げて笑った。

「なんだ、そんなことか」
「すみません、勉強不足で……」

小さな声でそう呟いて、は、恥ずかしそうに縮こまっている。
そんな彼女を見つめて、真田はまたくくっと笑うと、一枚の書を取り出して彼女に手渡した。
――それは、「純情可憐」。

「この辺りなら分かるんじゃないか。今のお前に丁度いい言葉だと思うぞ」
「……先輩、からかわないでください」

そう言って、むうと口を尖らせる彼女は、まさに「純情可憐」そのものだった。

「からかってるつもりはないんだがな。まあ、そう言わず受け取ってくれ、せっかくだからこれにしよう」
「は、はい、ありがとうございます」

顔を真っ赤にしながら、はその書を受け取る。

「よし、これで約束は果たせたな」

満足そうに言うと、真田は他のものを纏め始めた。
一枚ずつ重ねて束にすると、とんとんと端を揃えて、束のまま折り曲げる。

「それ、もしかして捨てちゃうんですか?」
「うむ……まだ決めていないが、残しておくほどのものでもないしな――」

捨ててしまおうか、と思ったその時。

「だったら全部、私にください!」

が大きな声で叫んだ。
その声に驚きながら、真田は彼女に尋ねる。

「……全部か? 結構あるが……」
「はい、全部欲しいです……。だってそれ、全部私のことを書いてくれたんでしょう? それを捨てちゃうなんて嫌だし、それに、言葉の意味も全部知りたいし……」

顔を真っ赤にしながら、彼女は必死で言葉を紡ぐ。
そうまでして欲しいと言ってくれる彼女の気持ちが、とても嬉しかった。

「……そうか。別に、構わん」

そう言って、真田はまとめた紙の束を、に渡した。

「ありがとうございます……!! 早速、図書室行ってきます!」
「あ、ああ……しかし、頼むから他の奴には見せるなよ。一人で調べてくれ」
「了解です!」

はふざけるように敬礼のポーズをすると、ぺこりと頭を下げ、一目散に駆けて行ってしまった。
真田は、その後姿を少し呆気に取られながら見送る。
そして、あれらの文字の意味を知った彼女が真っ赤になるのを想像して、真田もまた顔を赤く染めながらも、くすりと笑った。

「FirstDate」で約束した「真田の書」をヒロインに書くお話です。
ちなみに文章中で説明の無かった四字熟語の意味は以下の通りです。

純情可憐/すなおでいじらしく、かわいらしいこと。
天真爛漫/飾らず自然のままの姿があふれ出ているさま。生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま。
温柔敦厚/穏やかでやさしく、情が深いこと。
光風霽月/心がさっぱりと澄み切ってわだかまりがなく、さわやかなことの形容。
以心伝心/文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。
異体同心/肉体は違っても、心は一つに固く結ばれていること。関係がきわめて深いたとえ。
比翼連理/男女の情愛の、深くむつまじいことのたとえ。相思相愛の仲。
莫逆之友/気心がよく通じ合っている友。親友。
月下氷人/縁結びの神。転じて、男女の縁の仲立ちをする人。

以上、goo辞書、Yahoo辞書より。